夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

聴覚障害児教育のプロ

2012-09-13 09:20:24 | 言語・難聴
 昨日、聴覚障害児教育のプロフェッショナルである、聾学校巡回通級指導の先生のご指導を拝見させていただく機会を得ました。私自身、今までの通級指導教室で10数年間、1度も「難聴教室」の担当をしたことはないのですが、何故か必ず一人は「聴覚障害」のあるお子さんを担当してきました。はじめのいっぽ研修会や全難言協の大会で、何度か「聴覚障害児教育」の分科会に参加して学習してきたつもりでした。しかし、あくまでもその経験は「つもり」の域を出ていないんだということを実感した次第です。今までの自分の指導は、聴覚的なフィードバックが出来ない子どもたちである以上、理論的に正しい音の出し方を学ばせて、正しい音を出せるように訓練することが至上主義でした。それは確かに大事なことであるには替わらないのですが、今一歩、詰めが甘かった。聴覚に問題を抱える子どもたちには、どんなに補聴器が発達しても、耳に聞こえてくるのは殆どの場合、歪んだままの音。ボリュームを大きくすることは出来るけれど、歪み音は本来の正しい音として聞こえてこない。だから、今までに覚えた単語を綺麗に正しく発音することは出来ても、これからの人生で新たに出会う単語を、正確な音で拾うことは出来ないのだということを忘れていた。だから、今のうちに間違った音を全て修正してしまって、通級指導を卒業する頃には完璧な発音が出来るようになってしまっていると、ひょっとすると新たな環境に飛び込んだときに、本人が「聴覚障害者」だと思われなくなってしまうかも知れない。つまり、「聞こえている」「理解できている」と周りの人に思われて、配慮が全くなくなってしまうかも知れない。そんな問題を抱えていることすら、忘れ去られてしまうかも知れない。この点に関して、私の配慮は浅はかだった。しかし、聾学校で常に聴覚障害児と共に歩んでいる先生は、私には考えも及ばない配慮事項を当たり前のように語っておられた。凄い!の一言。やはり、身近に接しながらでなければ得られないものがあるんだ、ということを感じた授業参観だった。とても勉強になりました。ありがとうございました。写真はその学校の隣にある八幡社のご神木です。平安時代からある社殿とご神木だそうです。このご神木のように、しっかりと根を張り、大きく枝葉を広げて、自分の周囲に集まる人々を守り支えていくことが出来るような仕事が出来るように、お祈りをしてから帰りました。
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