夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

森下先生

2020-10-25 22:31:27 | 皇大26期生向け
 2週間ほど前だったか、母校からいつもの情報誌「館友」が来た。実家の母が倒れてバタバタしていたときだったので、「まぁ、秋の定期便なんて、大学祭のお知らせとか、夏のオープンキャンパスの様子とか、その辺りのお知らせだろう」と勝手に決めつけて、暫く開封することもなく、ベッドの枕元に置きっぱなしになっていた。娘の発熱によるコロナ疑惑だの、ただの扁桃熱だと分かった途端に今度は剣道の試験だの、修学旅行だのと、娘のドタバタ劇に付き合わされて、慌ただしく2週間が過ぎ去り、やっと落ち着いた土日を迎えて、朝からテレビ三昧の日曜日を送っていた。6:30に起きて「鬼滅の刃」に始まり、その後はテレ朝のプリキュアタイム、スーパーヒーロータイムと過ごし、それからやっと起き上がって朝食。嫁の愚痴を聞いてやっていたらいつの間にか昼。他にも録画してあったテレビを見まくって、午後の一息。娘と嫁を交互に買い物に連れて行き、気づくと18:00。ちびまる子ちゃんとサザエさんを見終えてから夕食。あぁ、1日が終わり、明日からまた1週間が始まるんだ!と気持ちを新たにしたとき、ふと、ベッドの上に目をやったら、「館友」の封筒が寂しそうに見えていた。そういえば、ここに置きっぱなしだった。どうせ「コロナで倉陵祭が中止」とか、「全日本大学駅伝に大学陸上部が出場」とか、そのような内容が中心だろうと、勝手に思い込みながら、まずは「学園報」の新聞から目を通す。いつもならちゃんと1面から開くのに、今日に限って後ろから開いていた。開いた途端、森下先生の訃報が・・・。
 慌ててその記事の写メを取って、メールアドレスが残っている友人たちへ片っ端からメールした。返信があったのは5人だけだが、体育研究部会だった子でも知らない人が多かった。私と同様に「館友」の訃報で知ったという人は2人。友達の半分以上は体育研究部会だったので、知っている情報かと思っていたのだが、残念ながら、あまり知られていない情報のようだった。
 H口君からのメールにも書いてあったのだが、私も、森下先生は不死身!のような気がしていた。学生の頃、さんざん「ばあさん呼ばわり」していたのに、体操や長刀のおかげだろうか、いつも姿勢が良く、私よりうんと小柄な先生なのに、いつも大きく見えていた。自分が現役の体育の先生になっても、森下先生は超えられないと思っていた。それほど偉大な先生だった。お茶目で、冗談が利いて、あんなに年を取っていても、「よぼよぼのおばあさん」という感じは全くせず、凜としたおばちゃんだった。一応、お世話になっていた3人の女の先生の筆頭だったので、立場上、年齢上「おばあさん」呼ばわりしていたが、年齢を感じさせない素敵なおばあちゃんだった。仲良くして頂いた割には、私は体育ではなく、生物研究部会だったので、直接のご指導を受けたのは2~3年の体育の授業でしかないのだが、本当に可愛がって頂いた。卒論の資料を撮影するために、南アルプスの北岳にキタダケソウを撮影しに行ったときのこと、6月しか咲かない花なので、どうしても授業を休んでいかねばならなかった。その中に火曜日の森下先生の体育の授業があった。他の先生方にも同じように理由書を提出してきっちり休んだのに、帰ってきた次の週の授業で、「貴方、私の授業サボってナゴヤ球場へ行って中日ドラゴンズの応援に行ってたでしょ!?テレビに映ってたわよ!」と思い切りお茶目なジョークで一撃入れられた。「いえ、先生、僕は阪神タイガースファンなので・・・。」と躱したが、一人で雪山に行ったことを心配してくださっていたのだ。ありがたいことです。あのときは、「残雪が多くて400m滑落しましたが、奇跡的に助かりました!」と言ったら真剣に怒られました。卒論の準備で死んだら両親は何と思うのか!と。その後、貧乏下宿生の私をフランス料理のフルコースに誘ってくださったことも忘れない。社会に出たら、テーブルマナーくらいは覚えておきなさい!と言われながら緊張して食べたのを覚えている。本部棟の横に「アケビの木」があり、実がなっていたので登っているところを見られた挙げ句、「やばい!」と思った瞬間、アケビの枝が折れた。「あ~っ!増○が折った!私は見たわよ!」と大笑いしている。この話は卒業謝恩会でも、「さよなら一号館」イベントでも、「教育学部設立」のイベントでも、人の顔を見る度に思い出して話をしていた。よほど面白かったらしい。森下研究室にレポートを提出に行ったとき、国語の今は亡き岡部直裕先生が入ってきて、「森下先生、一緒に水戸黄門を見ましょう!」と仰ると、「貴方も一緒に見て行きなさい!」とお茶を出され、岡部先生と森下先生に挟まれて水戸黄門を見たことも忘れられない思い出である。
 このように、森下先生との思い出を紐解いていくと、オモシロおかしな事ばかり。体育研究部でもない私を本当によく可愛がってくださった。コロナ禍で、なかなか伊勢へ行く機会がなくなり、寂しく思っていたところへ、更に寂しくなるニュースが舞い込み、暫くボーッとしてしまった。「さよなら1号館」のイベントで最後に撮った写真が、森下先生とのツーショット。

在りし日の先生のお姿を眺めながら、先生に教わったことを反芻しながら、今夜は眠りにつきたいと思う。ご冥福をお祈りいたします。
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お休みなのに・・・。

2020-10-17 13:04:21 | Weblog
火曜日の夜、母が倒れて救急搬送された。幸いなことに、大事にいたらず、水曜日の夕方に「明日退院できることになった。」と電話が入った。指定された木曜日の9時に迎えに行く。さあ、お金を払って帰ろう!という時に、今回お世話になった内科の先生が、症状に不明な点があるから近いうちに外来を受診して大腸ファイバーをやってみようと提言があった。しかも、少し待てば今日中に診察を入れられるので、通院回数が減らせると。それは名案と、職場に休暇の延長を連絡し、診察を待つ。10時から待ち続けて、呼ばれたのは11時半。しかも、診察を飛ばして、いきなり大腸ファイバーへ!驚く母を説得して「まな板の上の鯉」に。終わるまでこちらは外で待機。暫くしてドクターに呼ばれた。今回の入院とは全く関係ないところで大腸ポリープを発見したと。取った方が良いと。まぁ、病気が小さいうちに見つけてもらえたことには感謝しているが、肝心の今回の入院の原因は分からず終い。釈然としない時間を過ごした。だが、更にこの後、会計に待たされることとなったのだ。ファイバー後一時間半。追加診察の内容が加わるから朝の金額と変わると言われて待っていたのに、やっと来た請求書は同じ金額だった。支払いに行くと更に下がる。後期高齢者というものはありがたいものだ。自分の年で同じことやったら三倍だ!丸二日間、しかも、前日の夜中から「臨戦態勢」にあった私は、ろくにご飯も食べられず、ヘロヘロ状態。母を送り届けて家に帰り着いたのは、午後3時半。軽く昼食にカップ麺を食べて崩れるようにベッドへ。金曜日に3日分の仕事をする気満々でいた。
だがしかし、神様は更なる試練をくださった。金曜日明け方に娘が39度6分の高熱を出したのだ!朝一番に教頭先生に連絡。家族は濃厚接触者として、出勤を控えなければならない。かなりの高熱なので、医者も慎重にならざるを得ない。娘と嫁が病院から戻ったのは午後1時頃だった。結果的に「扁桃炎」で風邪を引いただけだったのだが、コロナの可能性を考えて緊張して待っていたので、前二日半の疲れと共にドッと睡魔がおそってきた。職場に連絡して、またしてもベッドに倒れ込む。仕事メールが職場のイントラネットでしか開けないのは何とも不都合だと思いながら、もやもやとしているので、土曜日本日の目覚めは悪い。しかも、雨の中、熱の下がった娘が予定通り剣道の昇段試験を受けに行くと言う。稲沢市総合体育館豊田合成アリーナへ来てます。仕事を全くできない4日間。明日もできないし。イントラネットは閉庁日は繋がらないから職場へ行っても無駄だし、月曜日まで諦めて身体を休めろということですかね?車の中で暇つぶしにアップしてみました。何もしてなくても身体は休まらないんだよね。
追伸 長く待たされた甲斐あって、娘が三段合格しました。良かった!
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娘とお月見

2020-10-01 19:23:37 | Weblog
どこかのCMみたいだが、今夜はお月見。娘と2人で食べる月見バーガーの味は忘れられない。飾ったススキと花にバッタがついていて、怖がる高校二年生女子。バッタに罪はないけど、娘が怖がるから退場して戴いた。月が上ってくる頃に、塾へ行くとて出て行った娘。父は独りで月を見上げる。風情がないなぁ。CMと結末がちがうじゃん。団子とバーガー食べたからいいか。





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