夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

喫煙を推奨するな!

2023-11-11 23:09:47 | 教育・躾全般
吸わない人間には「害」でしかないタバコの類。最近、それでも吸いたくて堪らない輩のために、ニコチンもタールも臭いさえもゼロという電子たばこが話題になっている。メーカーのホームページには
非喫煙者に副流煙や臭いなどの迷惑をかけずに、また、喫煙者の悩みに寄り添いそのニーズを満たすことを追求。無理な禁煙をせずにニコチンやタール0を実現する新しい喫煙習慣を提案している。
などと謳われているが、果たして本当か?
私はタバコが大嫌い。臭いも煙も。学生の頃、自分の部屋に喫煙する友人ばかりが集まって話をしているとき、部屋の主である私が煙と臭いで気分が悪くなり、ひとり退室したことがあるくらいだ。子供の頃、ヘビースモーカーの伯母の家に泊まりに行くと翌日必ず下痢をした。とにかくタバコは自分の身体には合わないのだ。お香とかの類とは訳が違う。
今日、お茶を汲みに食堂へ行った。入った瞬間に「誰かがたばこ吸っとる?」というくらい、ものすごい臭いがした。新型は臭いはしないんじゃないのか?だが、これは紛れもなくタバコの臭い!しかし、誰も吸ってない。百歩譲って、臭いゼロの新型を吸っていたとしよう。この新型を規制する法律はない。ヘビースモーカーが新型を使って少しでも禁煙に近付こうと努力しているのは認めよう。だかしかし!彼らの体内には、今までに蓄積されたタバコの臭いが充満しているのだ!歯を磨いた程度では取れない、ましてや一度や二度、臭いゼロの電子たばこに変えたからって、タバコの臭いが消えることはないのだ。だが、あれはただの「息」の中に含まれる臭い如き弱いものではない。明らかに「タバコ」そのものの臭いだ。大嫌いな私が言うのだから間違いない。臭いがするから怒っているのではない。病院という、ただでさえ健康に敏感な場所にいながら、他の人の迷惑を考えもせず、自分本位で、我慢もできない奴がいるなんてことに腹を立てているのだ!自分だけのしっぺ返しなら「バカだなぁ!」の一言で済む。だが、喫煙は他者をも巻き込む罪悪であり、もはや公害であると言いたい。大体、電子たばこなんだから、既にその時点でアウトだろ?ホームページ。記載、間違ってるよ。JARO に報告じゃろ?これ。病院で吸うか?その時点で極悪非道だと気付けよ!馬鹿ちんがぁ!


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アサギマダラに誘われて

2023-11-10 19:54:10 | 教育・躾全般
私が敬愛し、是非とも結婚式の仲人をとお願いし、我々二人が片や新人教頭として、片や新卒採用として共に正色小学校に着任してから32年来のお付き合いとなる大先生A氏。退職してから環境の良い土地へ引っ越したり、さらには大好きな釣りをするために知多半島に別荘を借りて悠々自適に暮らしている素敵なご夫婦だ。
そのA 氏から、別荘へ招待されたので行ってきた。
南知多町。同じ愛知県にありながら、遠かった~。隣町は師崎(もろざき)じゃん!端っこもいいとこだ!海にも山にも歩いて行ける絶好の立地に別荘はあった。なんて素敵な所だろう!話に聞くと奥様の方がここでの生活にはまっているとか?周りの人に魚の釣り方を教わり、イワシをたくさん釣り上げて、自分で裁いて南蛮漬けを作ったからと、到着早々お土産を渡された。A氏も自分が釣った魚で昼をもてなす予定だったが、一匹も釣れず、まずは3人で海の幸を戴きに近くのレストランへ行こうと庭先の駐車場へ出たとき、A氏が見せたかった蝶「アサギマダラ」が飛んできた。A氏はアサギマダラをおびき寄せるために、庭にたくさんの「フジバカマ」を育てていた。



藤袴を好んで餌にするには訳がある。藤袴には毒があり、その毒を身体に染み込ませることで、天敵から身を守るのだそうだ。
渡りをする蝶として有名で、昔、中学の教科書で読んだ記憶のある「アサギマダラ」が、この知多半島南知多町にも渡ってくることが分かった。三重県の度会町?でも確認されたらしい。この日はとても天気が良く、近場の山の上の公園からは三河湾はもちろん、反対側の伊勢湾にも答志島が見える。



蝶の飛行ルートなのだろう。
元々理科教育のスペシャリストであるA氏と私。自然科学のこととなると時間を忘れて熱中する癖がある。奥様に声をかけられるまでひたすら蝶を観察する2人。公園から降りて別荘に戻っても、また蝶に遭遇した。

A氏曰わく、こんな風にたくさんの蝶に出くわすことは、ここに住んでいても無いことだという。見られないことも多いらしい。到着して早々に「アサギマダラ」に出逢う、か・・・。私は運がいい。フッ!どこかで聞いた台詞だな!
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歳を取ると・・・。

2023-07-29 10:00:17 | 教育・躾全般
現在入院生活を満喫している私。初日こそ空き部屋がなく個室でオットマンのある優雅な生活を楽しんだが、
今は大部屋俳優。8000円の部屋が恋しい。
入院患者にもいろんな人がいる。ほとんどが私よりも遙かに高齢の方々で、何らかの介助が必要な重度の患者が多い。そのため、一晩中おむつ交換やたんの吸引がありナースコールを鳴らしまくる人、認知症らしき人、耳の遠い人など、様々である。お年寄りとはこれが当たり前で、母の老人性難聴に悩まされているのだから慣れたものだ。父の介護経験もある。
四人部屋にいるのだが、他の三人がめまぐるしく移動していく。重症者病棟に替わる人が多い。空いたところへ入って来る人は同じ様な高齢患者が多いが、珍しく一人、私よりうんと若い、三十代前半から四十代半ばの若者が、いや、会社で言えば中堅どころが入院してきた。昭和の終わりか平成の初めということになる。この若者が困り者。まぁ、この若さなら介護経験などないだろうから仕方がないが、周りのお年寄りのおむつ交換の臭いに舌打ちしたり、不満を小声で独り言のように言ったり、ベッドの上で携帯のスピーカーをONにして相手が出るまでずっと呼び出し続けたりそのまま大声でしゃべったりする。病院でのマナーもへったくれもない。確かに、この年頃の若者は職場でも「おゆとりさま」だの「○○世代」だの言われて手を焼いている。「自分探しの旅」というやつが流行ったのも彼らの世代。自己中で一番扱いに困る年代か?しかも、顔を合わせても同室の私が挨拶しているのに返事もしない。そのくせ、看護士にはワントーン高い声で愛想良く話す。ゲーム機が家庭に蔓延し、幼少期から閉じこもってゲームする時代に生まれ育った人たちだから仕方がないけど、他人とのコミュニケーションをとらない世代。やることなすことに意味や説明を求めるだけで、自分では何も考えようとしない。考えることを省略されてきた世代。経験もないのに語彙は豊富。中身が伴わないから考えもまとまらず、仕事があわないからとすぐやめる。言いたいことは他にも山とあるが、我々だって「新人類」とあだ名された世代。ただ歳を取って経験値を積んだだけ、細かい点が分かるようになっただけ。若い頃は今隣のベッドで寝ているお年寄りの方々に文句を言われていたに違いない。それを考えると若者の悪口など言って良い訳もない。順送りである。彼らの行いを見て次の世代が何を学ぶのか、見守るだけだ。まずは、自分が老害にならないように気をつけることとしよう。

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ローン返済

2022-07-26 12:06:05 | 教育・躾全般
我が家の3兄弟妹。それぞれに特徴があり、長男は強いて言うなら「仮面ライダー555のアクセルフォーム」のような奴である。普段からサボり魔で、だがしかし、ひらめきの力というか、ここぞという時の瞬発力?はなかなか良い。高校入試のときからそうだった。受かるはずのないレベルの高校に爪の先が引っかかって?合格。その後の三年間は赤点だらけ。何とか卒業して大学入試。我が家は金がないし、弟や妹が続くから、分相応な国公立にいってくれ!どうしても私立を受けるなら、Marchか関関同立以外は許さない!と奴には不可能なレベルを申しつけたら、奴は無節操な「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」作戦で夢を実現しおった。奴はそのネームバリューを遺憾なく発揮して、何とか就職しおった!だがしかし、その夢の片棒を担ぐために、父が妻に罵倒されながらも教育ローンで多額の借金を抱え、ずっと支払いに苦しんできたことを奴は知らない。高額な学費を四年分賄うために、さらには、その利息を支払うために、六年費やす予定だった!だが、借金というものは少しずつだが、雪だるま式に増えていくものだ。給料なんぞ大した額ではない。毎月一円も残らない。それどころか赤字が増えていく。自分の医療費も毎年軽く五十万円を越えている。嫁とは別会計の我が家。だが、子供はみんな県外の大学ばかりで、下宿代金や光熱費を支払う必要がある。幸い、下二人は国公立大学なので学費は長男の三分の一。これは嫁に任せてあるので、次男、長女には少しの出費で済んでいる。だが、長男には一財産費やした。R35GT-Rが登場したばかりの頃の価格ぐらいだ。これほど支払っていることは嫁も知らない。私の財布には無関心だからだ。家を買ったときもそうだった。大学のネームバリューがなければ今頃就職浪人していただろう。金で買ったようなもんだ。公務員の私が、一円の貯金もできず、終身生命保険を解約して、今日やっとの思いで繰り上げ完済した。気が抜けた。感無量です。まだ次男と長女が卒業して就職するまで気は抜けないけど、自分へのご褒美に、お昼はピザでも食べよう。午後は仕事をしなくちゃ!と同時に、それよりは安いものの、私立大学にしか入れなかった私を四年間、学費を支払ってくれた父に感謝したい。天国の父さん、無理をさせましたね。ありがとうございました。
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ヘルプマークと福祉の心

2022-04-04 23:26:27 | 教育・躾全般
帰りの地下鉄での出来事。平安通駅は始発駅。だが、6時過ぎていたのでラッシュ時だ。沢山の人が乗る。並んでいたのは前から四番目。確実に座れる位置だが、二つ目の駅で下車する私は、よほど人がいない時間帯でなければ座ることなく、立ったままにしている。ほんの五分である。苦もないことだ。乗降口の手すりに捕まって止まる私を追い越して、何人もの人々が我先にと座席に群がる。秒で埋め尽くされる座席。だが、乗客は増えていく。その中に小学校高学年か、中学生くらいの四人連れの男の子たちが乗り込んできた。爽やかなサッカー少年たちだ。学校が同じなのか、担任の先生の話をしている。「○○先生が怖い!」とか「先生に言われた」とか話している。地下鉄が動き出したとき、その内の一人が、優先席に座る中年の男女に向けてこう言った。「ヘルプマークの人がいるから、席を譲ってあげた方が良いですよ!」と。立派な少年だ。きっと福祉の授業で習って、周りの大人に誰が意見するかを相談しあっていたのだろう。ところが、意見された当の女性は、明らかに三十代だが、老婆のような声を出して「私、体調が悪いんだわね」と答える始末。その答えを聞いた少年は、すぐにとなりの男性に同じように言う。迷惑そうにこっちを見る男性。「ん?」そこで初めて気づいた。ヘルプマークの人というのは自分のことなのだと。思わず振り向いて、少年たちにお礼を言った。でも、自分は二つ目の駅で下車するから、座らなくても平気なのだと。それを聞いた迷惑顔の男性はむっとしたまま目をつぶってしまった。
私はすぐに降りてしまったが、自分のことを思って大人に文句を言ってくれた少年たちの勇気に感動した!私が降りた駅より先へ向かったということは、名古屋の子供ではない。あの堂々とした姿は、名古屋の子供には滅多にお目にかかれないだろう。逆に、言い訳をした女性や迷惑そうな顔をした男性のことを、情けなく思った。大人はいつから純真な心や気遣いをなくしてしまったのだろう?我慢してでも他人を気遣うことが日本人の美徳とされた時代は何十年も昔のこと。自分を大事にという言葉に甘えて、他人を思いやる心を捨てた現代日本人。そんな中で、教育次第でまだまだすばらしい若者は育つのだと知らされた、ちよっと嬉しいできごと。
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娘の旅立ち

2022-04-04 13:56:59 | 教育・躾全般
末っ子の娘がいよいよ一人暮らしを始めた。強い剣士たちにもまれたいと自ら国内最強の剣道部がある大学の門を叩いた。何とか開いた門をこじ開けて全開にできるかどうかは娘の頑張り次第。いつか剣道部の顧問を務める先生になるべく、しっかりと修行する日々の始まり。甘ちゃんだから勉強が大変だとは思っていないかも知れないが、ここから先は、剣道部と大学の勉強と私生活を充実させていかないと、夢は叶わない!頑張ってもらおう!異郷の地で良い仲間に囲まれて、一皮も二皮も剥けて成長してくることを願って。
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能ある鷹は爪を隠す。のに・・・。

2020-09-23 18:48:03 | 教育・躾全般
能ある鷹は爪を隠す!のは世の常。だがしかし、おじさんは能がないから経歴をひけらかし、リーダーを押し付けられるはめに。黙ってりゃいいものを、知識をひけらかすとこうなる。身体を休めに来たのに。死んだら笑ってくれ!はっきり言う!言難で何度も話題にあがって出来なかったことを、あんなにたくさんの船頭がいたら船は山に登る!やる気に水を差すのはイヤだが、三年後には無駄が分かる!みんな個別に動くのが都合良いのだ。大きな所は動きを封じるものがあると不自由になる。自分たちの首を絞めているだけなのだ。分からないかなぁ?
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学校が始まったぞ!!

2020-06-03 23:57:30 | 教育・躾全般
 6月1日(月)、待ちに待った学校再開の日。コロナウイルス禍で3月以来ずっと閉ざされていた学校がようやく再開の運びとなった。「閉ざされていた」とはいえ、自主登校の子どもたちを受け容れていたので、実際には毎日20人近い子どもたちが保護者に連れられて登校し、自習していたのだが、分団登校をしてみんなが一斉にやって来るのは、おおよそ3ヶ月ぶり。賑やかになった。
 思えば4月に転勤し、何の準備もなされないままに出勤し、その夜転んで肋骨を骨折するという、踏んだり蹴ったりのスタート。電車の中はガラガラ。緊急事態宣言でテレワークも始まり、本当に再開できるのかと不安になっていたこの3ヶ月。授業がしたい、子どもたちに会いたい。そればかり感じるつまらない日々が続いた。5月半ばに宣言が解除されることがわかり、学校も6月再開が決定したため、そこからは準備もやりがいを感じるようになった。やはり、どんなに教材や授業の準備をしても、それを使う子どもたちがいてくれないと、やっているこちらも楽しくない。通級は来週からのスタートだが、楽しみにしながら準備に時間をかけられる。
 新しく他校通級の子どもも面接し、いよいよ14人の20時間で授業がスタートする。発達障害の通級指導は初めてだけれども、例え障害が違っても1人ずつを大切にし、彼らの言いたいことを上手に人に伝える「コミュニケーション」能力を高める点では、今までのことばの通級と同じだ。自分の苦手なことを知って、それと向き合いながら、楽しく色々な経験をさせてあげるのが、うちの教室の役目。どんなことができるか、楽しみにしてもらおう。確実に鳴海絞が入る予定!!早く来い来い、6月8日(月)!!
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zoom ○○!

2020-05-13 22:58:30 | 教育・躾全般
最近巷で流行っているzoomミーティング。アプリを使って在宅のまま離れた人と会議をすることが可能だ。うちの職場は積極的にこれを取り入れて、職員会議だけでなく、各家庭にもご協力を仰ぎ、学級会をやり始めた。今まで2週間おきの登校日はあったが、友達と顔を会わせることがないので、つまらなかっただろう。担任の先生方にとってもまだ顔と名前が一致している子どもが少ないので、zoomクラスミーティングはドキドキワクワクだと思う。実際、画面を前に、何をしゃべろうかな?と考えあぐねている先生も子どももいた。かく言う私も職員会議の時は、何も言葉を発することができず、よほどリモートに慣れないとしゃべるのは難しいと分かった。思いついたまましゃべるだけの飲み会ならば、そんな思いもしないのだろうが、残念ながらまだzoom飲み会はやったことがない。いつかやってみたいな。
それはさておき、クラスミーティング、なかなかの集まり具合に先生方もびっくり。親御さんが横で手伝ってくださる家庭もあるが、自分の部屋で、自分の携帯で、しかも背景を変える技術も使いながら、一人で参加する小学生。大人の私でも分からんことを、さっさと使いこなし、新しい取り組みに順応していく。若い脳は凄いな⁉️おじさんには頼まれたスクショを撮るのが精一杯だよ‼️みんなと一日でも早く会えることを願って、その時にタブレットの使い方に手間取らないように、必死で勉強中です!
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LD(学習障害)読字障害の方の気持ち

2019-11-18 05:45:48 | 教育・躾全般
 片眼視力を失ってから、生き残っているもう片方の視力が非常に不安定で困る。あるときは裸眼でも0.7~1.0見えるかと思えば、またあるときは0.3さえぼやけて見えるときもある。視力のばらつきがひどいので、眼鏡を沢山もっている。1つの眼鏡では対応できないのだ。遠くにピントを合わせたい時は乱視用のレンズだけでくっきりはっきり見える。しかし、中距離・近距離・手元となってくると、度付きレンズが必要になる。パソコン仕事用には焦点距離に合わせて3本。職場や家での中距離用は各1、運転用は卵子の眼鏡を1本。そして遠近両用1本。老眼鏡を3本。合計10本。眼鏡だらけ・・・。極力必要ないときは眼鏡をかけない生活をしている。
 片眼だから当たり前だが、眼精疲労は半端じゃない。疲れが溜まってくると、文字を読むのが億劫になる。ハ○キルーペのCMじゃないけど、文字が小さすぎて読めない!と投げ飛ばしたくなってくる。特に疲れがひどく溜まってくると最近よくあることなのだが、文字を読み間違えることがよくある。しかも、普通の読み間違えではない。大きく読み間違えるのだ。タイトルに使った写真は我が家の食卓の上に置いてあったふりかけだ。娘のお弁当用に妻が使って、写真のように重なって置かれていた。このふりかけの文字をみて私はこう読んだ。「マドンナ」「できふり」。一瞬何のことか分からなかった。「ツナマヨ」の「ツ」の縦の2つの点が、濁点のついた「ド」に見えた。しかも、そこで使われたはずの「ツ」の縦の点のうちの右側1つと「ノ」を何故か再利用して頭の中で勝手に「ン」の文字と錯覚している。左下の「ヨ」は全く無視だ。更に後方に重なっている「ごまふり」の「ご」を「で」と見間違え、「ま」の上半分しか見えていないがために、勝手に「き」と思い込み、「できふり」と読んでしまった。「変な名前のふりかけだなぁ?」と真剣に思っていたら、だんだん「ごまふり」「ツナマヨ」に見えてきてびっくり。「あれ?できふりとマドンナじゃないんだ・・・?何でそんな風に見えたんだろう?」
 こんな体験は最近やたらと多い。1度や2度ではない。3文字なのに余分な文字が間に入って見えたり、全く違う文字に見えていたり・・・。これはまるでLDの読字障害みたいな文字の見え方なのではないか?自分がこの立場に立ってみて初めて分かるLDの読字障害。専門書や理解啓発本には「見え方」が違うと書かれているが、今の自分の目がそれに近いものだろう。LDの読字障害をもつ方々も、きっと周りの文字の判別がしづらくて困っているのだろう。子どもが「いつまで経っても文字を覚えられない、書けない」と悩んでいる親御さんや担任の先生は、この「見え方」をまず疑ってみるのがよろしいかと。きちんと見えていなければ文字も書けない。分かるような気がする。
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平行世界・・・

2019-09-30 01:25:40 | 教育・躾全般
 何年前だったか、宇宙の理論として「多次元宇宙論」というものが提唱されてから、SFや、特にアニメーションの世界で、いち早くこの理論を取り入れたお話がいくつも作られた。宇宙そのものがいくつもあるという設定だったり、今を生きる主人公とは別の次元を生きる主人公が存在する設定だったり。幾つもの可能性があるという意味の、良い意味で作られているのだが、果たして本当に良い意味だけなのか・・・。人によって捉え方は違う。作られている物語は「ハッピーエンド」だから良いだろう。幾つもの可能性があるということは、悪い方向へ考える人もいるということを表しているのではないか?特に、映画でよく表現される「悪い過去や事件」を「やり直す=過去を操作」して「ハッピーエンド」に落ち着く映画が目立つ様な気がする。自分の大好きなアニメーションでもそういった手法を数年ごとに見る。お話的には「好き」だ。また、時代がそういったものを求めているから、世相を反映して作られるのだろうから、これらが流行るのは必然なのだろう。
 しかし、危惧しなければならない問題点もある。それは、これらの物語を、現実であるかのように捉えてしまう純粋な心の幼子たちも見るのだ。現に、数年前に起こった子どもが「クラスメイトの命を奪った」凄惨な事件のあと、クラスの子どもたちは「あの子に罪はないからきっと死んでも生き返る」と本気で思い込んでいた子どもが大勢いたという調査もある。「ゲーム世代」とか「リセット世代」などという言葉で一括りにされた世代もある。現実、キャラクターが死んだと思わせて何度も生き返る話は、そんな頃が一番流行っていた覚えがある。
 私が子どもの頃、つまり「昭和」の高度経済成長期が終わる頃、「限りある命の大切さ」を謳ったアニメが多かった。そんな時代に少年期を過ごしたからか、いとも簡単に「人の命が消えたり復活したり」するお話を見ると、いつもこれからの子どもたちのことを心配する自分がいる。幼い頃に植え込まれた物語は、自分の人生に大きな影響を残すからだ。
 人生を「部分的にやり直す」ことは確かにできる。「間違っていた!」と思えば、可能な限り原点に立ち返って、やり直せば良い。そのことは人生をそれなりに経験して、そういった生き方が可能だということが分かるようにならないと、すぐに取れる行動ではない。人間は過ちを繰り返す生き物だ。何度も失敗しながら、やり直して生きていくのだろう。だが、「命」は1つしかない。生き返ることはないのだ。「死んでももう一回生き返れば!」などということはあり得ないことなのだ。「命の尊厳」「限りある命の大切さ」とは「取り返しの付かないこと」なのだ、ということを教える場面を、最近のお話の場面にも入れた方がいいのになぁ、と思う私です。古い考え方かも知れないけれど、それはメディア制作側の責任でもあると考えますが・・・。「見る人の想像にお任せします」ではいけない対象年齢の人もいる。小学校高学年や中学生は「大人びている」だけで、心はまだ育っていない、いや、一番育っていく時期なのだ。流行に任せて視聴するのもこの頃だ。これからの若者たちを大切にしてあげて欲しい。学校の授業以外で学ぶこともとても重要な「教え」になるのです。
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新成人に保護者は必要か?

2019-01-16 15:40:08 | 教育・躾全般
 我が家の長男が、ついに成人式を迎えました。まだまだ未熟者ですが、大人として責任のある行動を取ってくれることを、親として願うばかりです。
 月曜日の成人式前に、実家へ連れて行き、祖父(私の父)の位牌に報告をさせました。大学入試直前に亡くなった父の、仏として最初の仕事?が、成績の悪い孫を志望校に合格させることだったので、さぞや父も「あの世」で苦労したことでしょう。何とか第1志望校に入学出来たので、帰省する度に「じいちゃんに手を合わせに来る」息子でした。成人式を無事迎えることができたので、この日もスーツ姿で焼香をしに行きました。母(婆ちゃん)と写真を撮って、その後、式典が行われる地区会館へ送り、私たちは父の墓参りにと、八事霊園に出かけました。
 霊園から帰ってきたのは2時間後。丁度式典を終えた新成人達が会館からどっと出てきたところでした。息子の友達や、ご近所だったお嬢さんなど、大勢の若者達を尻目に家に帰り着きました。すると、嫁の携帯にやたら沢山の着信が。「成人式の写真だ!」と喜ぶ嫁。しかし、写真添付されているだけでなく、LINEには、新成人の彼らからではなく、その親御さん達からの「どこにいるの?」「写真撮れた?」「交換しよう!」のメッセージがいっぱい。知り合いで来賓として出席していた親御さんもいるのは知っていましたが、何と、会場に入りきれないほどの「母親」が出席していたと聞かされ、そちらに驚いてしまいました。「大人としての式典」に、親が出席?来賓でもないのに?どこまで過保護な親たちだろう?呆れてものが言えなかった。新成人達は勿論、親の存在など気にもとめず、午後からの宴会やクラス会に散っていったのに、家の前で親子で記念写真撮るだけじゃ不満ですか?式典まで見届けなければならないほど、ビデオや写真を撮りまくらなければならないほど、貴方のお子さんは情けない成人ですか?いつまで子ども扱いなんですか?多くの母親が「親」になりきっていない、子離れしていないことが分かる、残念な成人式でした。
 他の地域でもそうなのでしょうか?毎年「荒れる成人式」ばかりがクローズアップされますが、「ママがついてくる成人式」なんて聞いたことがない。子どもが成長しきれない原因がどこにあるのか、よく分かった1日でした。
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うさぎが・・・。

2018-11-26 17:06:21 | 教育・躾全般
 4連休が明け、学校に到着早々、駐車場で私を待ち構えていたのは、いつも休日になるとうさぎに餌を与えてくださる、ご近所の方。私が着任する前の飼育委員会委員長だった子のお母さん。すぐ近くで、ここで生まれたうさぎを家にもらって飼っているというよしみで、連休中にお世話いただいている方だ。私が車を降りるなり駆け寄ってきてくださり、連休中日に1匹亡くなったことを知らせに来てくださった。流石に今回はショックだった。何故なら、この亡くなったうさぎ、先週から始まった「うさぎの触れ合いデー」を暫く見合わせることにした原因を作ったうさぎなのだ。それまで何事もなかったのに、後期最初のふれあいデーに、飼育委員の子どもに噛みついて、流血の惨事を引き起こした。初日の出来事だけなら、私の管理が悪かっただけで済んだだろう。お昼ご飯前に、うさぎの口の前に指を出したのだろうと結論づけて終わってしまった。しかし、事件は翌日も起こった。同じうさぎが、今度は横で見ていた2年生の子どもの腕に噛みついたのだ。2日続きでけが人を出した飼育委員会の恒例行事に、流石の管理職も待ったを掛ける。何でも中止・廃止扱いにしてしまっては、子どもたちに動物と触れ合う機会を与えられなくなってしまう。この学校の悪いところだ。やたらと禁止規則が多すぎる。「猫を追うより皿を引け」の考え方なのだ。何とかして考えを変えさせようにも、管理職は頑として譲らない。暫くは触れ合い禁止だと。現実にけが人を2日続きで出してしまっては話し合いにも応じてもらえない。諦めるしかなかった。しかし、この時点で気がつくべきだったのだ。他のうさぎは子どもたちに噛みついたりしていない。同じうさぎが2日続きで事件を起こしたのだ。しかも、身体を見ると毛が沢山抜けている。他のうさぎは1匹も毛が抜けているものはいないのに、このうさぎだけごそっと抜けている。飼育委員の子どもたちも「痩せている」1匹に疑問を抱いていた。それを私は「うさぎ同士の喧嘩かいじめ」が原因だろうと勝手に判断していた。飼育委員が痩せすぎを不憫に思って、毎日特別に餌をあげていた。それでもあれだけ痩せていたということは、明らかに何らかの病気だったのだ。それを見過ごした私の罪は大きい。うさぎをちゃんと観察していれば、きっと分かったことだろう。飼育委員会失格である。前にもこんなことがあった。うさぎはストレスに弱い生き物。仲間同士のいじめであっても、人間に抱っこされるストレスと同じように、体調を崩す元になっていくはず。またしても可哀想なことをしてしまった。子どもたちの方がよほど早くから異変に気がついている。情けない。残りはあと6羽。飼育委員会そのものを潰さないようにしたいものだ・・・。
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発達障害通級指導教室授業参観

2018-07-04 18:37:01 | 教育・躾全般
今日は、発達障害通級指導教室の授業参観をさせていただく機会を得ました。発達障害通級というと、考え方がキッパリ2つに分かれるところです。教科の学習の補充をするところだという考え方と、ソーシャルスキルトレーニングで発達障害の軽減を図るところだという考え方の二通りです。一般的には、在籍学級の担任や保護者の方には前者の考え方が多く、通級指導教室担当者は後者の考え方が多いようです。勿論、正式には後者が正しい訳ですが、一般的には前者のような意見や希望が多いのが事実です。まだまだ特別支援に対する偏見や誤解は多いのです。それを述べ出すときりがないので、今回はこの位にして、本題へ。
今回、授業を見せてくださった先生は、前の学校でご一緒させて頂いた先生。あの頃は新卒3~4年くらいの、通常の学級の担任をしていらっしゃった方。あの頃から新卒に思えないほど、授業スキルのある先生でした。そして、特別支援教育への憧れを強く抱いた先生でもありました。私や支援学級の担任の先生に食らいついて、通常の学級の、支援を必要とする子ども達への指導に情熱を燃やす、素敵な先生でした。最初の転勤で特別支援教育への転属を希望し、2つ目の学校を経て、3つ目に配属になった先が、今回の発達障害通級指導教室の開設でした。その年に私も今の学校に転勤してきましたから、長い付き合いです。同じ通級指導教室担当者という立場になり、研修で顔を合わせる度に、この世界に「来るべくして来た」先生だと実感しました。取り組み内容も、正にお手本のような取り組みで、この日のために指導細案を1週間も前に用意してくださるなど、頭が下がる思いです。意気込みを感じる授業でした。今時の若い人にも見習わせたい‼️いや、その前に、自分こそが初心にかえって、自分の取り組みを振り返りたい‼️現在の発達障害通級担当者会は、私たち言語障害通級担当者の二人と、今回の授業者以外は、皆さん担当者経験が2年以下。きっと参考になったことでしょう‼️私も病気になんか負けてはいられない‼️久しぶりに、若い人の授業を見て燃えてきた。私にだってまだまだ新しいことができるはず❗頑張ろう‼️
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裸一貫で出直し!

2018-06-24 21:54:39 | 教育・躾全般
 私の剣道部の相方だったR先生。やっと彼女が本気を出し始めた。安定した収入を得られる保証のない世界へ飛び出していったものの、海外へ自分探しの旅に出たり、実家へ滞在して「ニート」な生活を送ったりして、不安定な生活を送っていた。実の娘のように思い、愛してきた人だから、気が気ではなかった。毎日動向をチェックして、インスタグラムの投稿数が増えていく度に、(とりあえず元気で生きているようだな)と安心したり、なかなか更新されなければ(身体を壊していないだろうか?)と不安になったり・・・。県外に住む長男も同じように連絡もよこさず、何して生きているのか分からないが、長男は男だ。自分で困難を切り抜けられなければ、これから先も家族を守れるような男にはなれないからと、放ってある。だがしかし、R先生は女の子だ。嫁入り前の。関わりが深かった分だけ、心配が頭を過ぎる。
 先日学校へ正装をして現れた。退職後初めてである。事務さんに書類を届けに来たのだろう。その逆かも知れないが。だが、剣道部は彼女を受け容れない。もう違う道を走り始めているからだ。講堂に入りたそうにしていた彼女を眼で牽制し、彼女は暫く遠目に眺めて帰って行った。もう戻る場所はないのだと、言い聞かせてある。分かってくれているのだろう。もし、剣道部に来るならば、その時は「再就職」「シナリオ採用」「結婚」の何れかでなければならないと、お別れの日のメールに硬く言い置いた。彼女は忠実に守っている。私も次に彼女にメールを送るとしたら、それは剣道部の廃部の時だと誓った。お互いに連絡は取らない。
 私もいよいよ、癌の手術が終わり、明日から職場復帰する。一から出直しの気分だ。そう思いながら彼女のインスタのプロフを見た。毎日見てはいるが、週末だからか、投稿数が増え、プロフが書き換えられている。アメリカへ渡った時も、日本語表示から英語表記に書き換わり、Facebookも始めたようだった。それが、今回いよいよ「東京で作家活動を始めた」と書き換えられた。彼女も新しい生活を始めたのだ。待ちに待った報告だ。これで安心して「放置」できる。息子より上の位置に立った。生きるすべを身につけたのなら、もう親(親代わり)の出番はない。心の片隅で祈ってやるだけで良い。彼女もまさに「裸一貫で出直し」である。彼女の名前を「脚本」家としてクレジットで見る日も、そう遠くはないのかも知れない。頑張れ!西山倫子!剣道部のみんなが応援しているからな!いつか素人剣道部が活躍する話でも書いてくれ!

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