夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

理解啓発活動を如何に広めるか?

2013-06-23 01:20:23 | 言語・難聴
 先々週から再開した啓発授業は、今まであまり人様にご覧に入れることはなく、私一人の独断と偏見の塊のような授業展開をしてきました。今回、この授業を、専門家たる市言聴研の会員の先生方に見て戴くことで、多少なりともご意見を戴こうとの目論見から、大げさに公開授業にするために、わざわざ教育センター主催の新任通級担当者研修に当てさせて戴くこととなり、徹底的に自分の授業を見直すところから始めました。新しい方式になった指導案を細案にして書き直し、アンケートも取り方を工夫し、特総研の先生にご助言戴いた内容を取り入れて、今までの内容から進化したものにしてみました。以前の指導案はおおよそ1ヶ月前に配付してあったので、授業の大筋は理解されているものと思いました。当日に新たな細案を配り直し、いよいよ大々的に授業研究会の開催。
 しかしながら、私の考えていた通りにはならず、先々週の元気な子どもたちとは、少し違う表情を見せる子どもたち。主任の先生のクラスだからか、センターの大切な授業研究だと思っているからか、子どもが堅い。まじめすぎる。元々のノリは同じようなはずだが、勝手が違うのが分かるのです。予想していたことだから、何も気にならなかったのですが、こちらが話しかけることがストレートに入っていく子どもたちでした。アンケートの結果を見ても、事前では殆ど変わらない反応だったのに、事後は模範回答のようなアンケート結果でした。話を聞いていてくれたのはよく伝わってきましたから、きっといいことが書かれているのだろうと思いましたが、予想以上の出来でした。
 ここまではいつもと変わらないのです。問題なのは、専門家集団がこの授業をどう見るのか、ということです。専門家でも理解啓発授業は避けて通る人が多い、生涯の課題です。私がライフワークにしている理由も、やればやるほど奥が深く、毎年対象とする人が変わるので、終わりがないのが理由です。だからこそ、みんなが「やらなければいけないなぁ」とは思いつつも、条件が揃わず、やれないままでいる人が多いのです。案の定、今回の授業研究の事後検討会では、「自分もこれを参考にして、取り組んでみたいとは思っている。」といった消極的な感想しか出てこなかった。若い人ばかりだから仕方がないのか?45を過ぎたおじさんの授業に、意見を言う若者なんていないのか?褒めまくる人ばかりでつまらない。これでは検討してもらう意味がない。唯一の救いは、昨年新任通級担当研修会を受講してくれた11年目の若者で、今や特別支援教育研究会で名をはせている先生が、私が授業内容を一部飛ばしたり順序を変更したりと、臨機応変に流れを変えていたことに気がついて、後からこっそり聞きに来てくれました。よく流れをみていたなと思うし、指導案の流れよりも、実際の流れの方がスムースで良かったことも見抜いてくれていたのです。意見が出たことはありがたいが、それを後から言ってくるのではなく、検討会の場で発言すれば盛り上がったのに…。
 週の初めにやった授業だったけど、週末には事後アンケートも全て回収できたので、これをアンケート結果としてまとめて、最終報告書を作らねばならない。まだまだ授業は完了していないのです。アンケート結果を見てから確実にまとめておきたいです。そして、まとまったら、DVDと共に、特総研や全難言事務局の先生方に見て戴くことができればいいのかな?と考えますが、どこまで行けるでしょうか?土曜日には他校通級児童の学級が授業参観会を開催してくれたので、早速「小さな一歩」から、お隣の子どもに自己紹介を兼ねてご挨拶をしてきました。できることから着実にやらないと、守山の時のように一朝一夕にはできないことは承知済みです。草の根活動で頑張りますよ!!
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理解啓発授業、再び!

2013-06-14 20:43:05 | 教室経営
 この職場へ赴任して、2年目の理解啓発活動が始まった。職員は校長と若い人が見に来てくれていた。今年はこれを、初めて仲間内の言語・難聴教育者の集団に見てもらうことにしている。今日はその「予行演習」みたいなもの。大きく違うのは学級の雰囲気。今日の学級は「元気な子ども」が多い。反応が激しい。ここまでは承知済みだった。
 いざ、授業が始まると、子どもたちの反応がなかなか良い!5年生には思えないほど、良く言えば「子どもらしい」。少し元気が良すぎる感はあるものの、ノッている!!どちらかと言えば、子どもたちがお互いを注意し合う「静かにして!」の声の方がうるさいくらい。お互いが人の発表に手助けをしようと、思いやりの言葉をかける。それが大きな声となり、聞いている子どもたちにとって「うるさく」感じてしまうのだろう。それを注意しようと、大きな声で何人もの子どもたちが口々に「静かにして!」と怒鳴る。どちらも善意から来ているので、叱る必要は無い。純粋な子どもたちなんだと、つくづく感じた。
 それにしても、疑似体験で行った「さぬきしりとり」を、時間で切り捨てずに最後までやりきってしまったのには、訳がある。出番がやってきて困っている子どもたちの反応が、とてもよく分かったからだ。こちらが体験して欲しかったことを、見事に体現してくれていた。「ああ、言いたい言葉がいっぱいあるのに、あれも使えない、これも使えない、どうしたら良いんだ!?」生の言葉が「子どもたちの愚痴」としてこぼれてくる。この反応がほとんどの子どもたちに見られたのだ!こんなに嬉しいことはない。あまりに嬉しくて、全員の反応を見届けたくて、まだ指導案半ばであるにもかかわらず、ここに時間をかけすぎてしまった。おかげで、中盤の辺りから最後の部分までを、思い切り「縮めて」、それでも時間が足らずに延長までしてしまったが、最後までつきあってくださった担任の先生に思い切り感謝をしながら、そして何よりも、終了後に一生懸命に質問やお話に来てくれた子どもたちに感謝して、来週の「本番」に臨みたい。
 啓発は一歩間違えると大きな誤解を生むことがある。今回は、前年度の反省点を踏まえて、特総研の先生まで巻き込んで、中身を再検討して、言語障害のみに特化した授業にしてみた。まだ不十分な点はあるので、もっと検討を重ねて、今後の指導に生かせるように工夫していきたい。この勢いを区全体に広げられれば嬉しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする