夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

やったぞ!春風杯!!

2017-03-19 21:09:17 | 剣道
 昨日、我らが剣道部の7名が、「基本の美しさで勝負」する、春風杯に初参加させていただきました。卒業した6年生も含めて、この日のために、ひたすら切り返しと基本打ちの打ち込み稽古をやり続けてきました。切り返しの基本は「大・強・速・軽」と散々話して聴かせ、実践してきました。まだまだ剣道を始めて1年経っていない子どもたちでしたが、7人の子どものうち、毎日休まずに稽古に来ていた4年生の1人が、1回戦を突破してくれました!!アクシデントもあり、頼んだはずの元立ちを、予定していなかったR先生が務めることになり、R先生もドキドキの中、慣れ親しんだ先生に対する安心感からか、1回戦を突破した1名。残念ながら、他のみんなは負けてしまったけど、、判定の旗が割れて、こちらに軍配が上がっているシーンも何人か見ることができました。見る人が見れば、うちの剣道部の子どもたちも頑張っているということが分かる試合内容でした!もちろん、まだまだ至らない点ばかり。はっきり言って下手くそです。しかし、スラムダンクの安西先生の名台詞「下手くその 上級者への道のりは 己が下手さを知りて一歩目」は、我が剣道部の「合い言葉」になっているのです。自分が下手であることを知った子どもたちは、必ずや、これから先の稽古で力を付けていってくれることでしょう。
 今回はこれだけに留まらず、我が娘が中学女子の部で初優勝を遂げたことです。昨年は悔しい準優勝でした。しかも、今回は、我が部員の前で、お母さん方も見守る中での優勝です。感慨も一入です。防具用バッグが破れていたので、優勝したら新しいのを買ってやるなどと約束してあったからさぁ大変!帰りに防具屋さんに寄っていく羽目に・・・。総合優勝は逃したけれど、娘なりに頑張ってくれたと思います。今年こそはと、朝から狙っていたわけですから。憧れのR先生に良いところを見せることができて、娘も喜び爆発です。もちろん、課題はありましたが・・・。
 我が剣道部の子どもたち4名と娘が最後まで残って、大会後の稽古会にも参加していきました。部員を4人とも順番に並ばせて、山崎八段、白石七段、鈴木六段に順番に稽古をお願いして、最後に登場の上北先生にも4人揃って稽古を付けていただきました。他にも稽古させていただいたので、みんな5人くらいの先生方に稽古を付けていただけました。30分間の稽古で5人の先生方に1番に稽古を付けていただけるなんて、この大会ならではの醍醐味です。幸せな経験をした子どもたちでした。稽古会を終えて各先生方を廻りました。同じ教職の白石七段に「名古屋で唯一の小学校剣道部として頑張って欲しい」と激励を受け、感動する子どもたち。朝一番から、終了5時まで、本当に頑張りました。
 しかし、これだけでは済まなかった!みんなが頑張って稽古したあと、一部の若者たちが、山崎八段に稽古を付けてもらっているのを見て、どうしてもそこに混じりたくなったR先生!選抜メンバーの稽古だとはつゆ知らず、勇猛果敢に山崎八段に稽古を挑むR先生!R先生の真剣な稽古を見守る我らが部員とお母さん方!子どもたちも俄然やる気を出してくれたようです。今日の1日が充実していたのも、全てはR先生のおかげです。私は最高に素敵な人を相方に選んだ。心からそう思っています。
 R先生の剣道と仕事の後輩になることを目標にしている我が娘。いつか本当に後輩として、一番身近な目標である人を倒す時が来るまで、剣道の稽古に励んで欲しい。R先生の着替えを待って3人で会場をあとにする道すがら、体格もそっくりな2人の会話を、まるで姉妹のような2人の姿を目に焼き付けて、大切な2人の「娘」を見守りながら、48歳の満了日を終える私であった。最高に幸せな誕生日前日でした。
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退室式が終わり・・・。

2017-03-16 15:50:11 | 教室経営
 今日は卒業式。昨日の午前中までで、こだま教室の授業は全て終わり、今年度で終了していく子どもたちの退室式も全て終わりました。年度途中に終了退室した2人も合わせて、合計7人の子どもたちを送り出すことができました。しかも、自校通級児童は3人とも全員終了です。来年度はまだ今のところ自校通級希望者はいませんので、他校通級児童ばかりで6人のスタート予定です。10人を下回るスタートは久しぶりです。明日は来年度の時間割を決める会があります。高学年になると授業の時間割も組みづらくなってきます。極力午前中に時間を取っていただけると、午後の部活動や委員会活動に支障を来しません。有意義に時間を使うためにも、1~2時間目の通級時間帯が一番便利かと思いますので考慮に入れてみてください。
 明日はいよいよ巣立ちの会。みんなの得意なことを見せ合って、褒めてもらうための会です。期待していますので、堂々と胸を張って、格好良く特技を披露してくださいね。
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失って知る親のありがたみ

2017-03-08 16:00:49 | Weblog
 長男が公立大学に合格した。しかし、先に合格していた第1志望校がいい、ということで、私立ではあるけれど、頑張って学費を捻出することにした。入学金の30万円は先日入金したが、今日は前期分の授業料と諸費用を合わせて43万円の入金だ。1年間で100万円かかると書いてある。一度に支払うことができないので、次の支払いは夏に残して・・・。4年間で計算すれば、諸々の仕送りを想定して600万円ほど必要になるだろう。自分が大学生の時は下宿代も食費もアルバイトと奨学金で賄ったから、親からの仕送りは授業料と年度初めの教科書代だけだった。それでも年間120万円ほど支払ってもらっていた。それと比べると遙かに高額だが、ちゃんと真面目に勉学に励み、卒業してくることができれば、それなりに意義のある大学だ。無駄に消費することなく、頑張ってきて欲しい。弟や妹が続いていくことを忘れずに。
 だがしかし、私の時と明らかに違うのはここだろう。弟や妹。私も3兄弟の長男だから、本来なら弟たちにもそれなりの教育費がかかってよいはず。しかし、弟は障害があり、中学卒業後に職業訓練校に1年学び、すぐ就職。年子なので、私の浪人中には就職していたわけだ。末弟は学業が振るわず、中卒後、専門学校へ行くも中退。結果的に中卒で働いている。両親も中卒で、高校と大学に進んだのは私だけという家庭だった。そんな家だから、もちろん収入は少ない。そんな中で浪人してまで私立大学へ進まざるを得なかった私。親は弟たちの収入も総動員しながら、私1人だけでも、と、何とか借金をして大学に通わせてくれた。しかも県外の大学に。当時の我が家の状況からすれば、私立大学に4年間通わせるのは至難の業だったことだろう。しかも、大学2年の秋、父が最初に勤めていた八千代本店が閉店し、社宅を出なければならなかった。流石の私も大学をやめて働こうと思った。しかし、父が「お前1人くらい、必ず最後までやらせてみせるから、やめなくていい!」と叱られたことがあった。今にして思えば、父自身も高校を中退して就職している過去があるから、息子に同じ思いをさせたくないという思いがあったのだろう。そんなことに気がついたのも、父が亡くなってからだ。その時に今の実家を買うことになり、両親は馬車馬のように働いた。半分近く、教職に就いてからの私が支払ったとはいえ、父の所得で一軒家を構えることは並大抵のことではなかったはずだ。定年後も10年間嘱託として東急で料理を作り続けて、余生はのんびりとさせてあげたかったのに、「使ってもらえる内は」と北部市場へ掃除に行き、小遣いを得ながらも、家族のために無駄遣いせずに蓄えを続けた父。昨年入院中も、病院にいるとお金がかかるからと、入院費を心配し続けた父。最期までお金の心配をしながら亡くなっていった父。そんな父に、国立大学に行けなかった自分の不勉強を後悔し、心の底からわびる気持ちになった今日の入金。父が自分の店を持つ夢を諦めて、息子の夢を叶えることに力を注いできてくれたから、今の自分はある。父を失ってから気がついたこと。どんなに苦しくても、弱音を吐かず、家族を守るために生きること。子どもの夢を叶えるために、影になり日向になり支えること。私はまだまだ父を越えられない。越えられる日が来ると信じて、我が子の成長を見守りたい。そして、父が守った家と母を支えたい。それができれば、私は・・・。
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剣道部ドリームマッチ2016

2017-03-06 19:44:20 | 剣道
 私にとっても、R先生にとっても、もちろん学校にとっても初めての剣道部が1年間を締めくくるドリームマッチを開催した。本校では全ての部活が職員の方々と6年生の対抗試合を行う伝統がある。音楽部についてはコンサートという形だが、運動部については、校長をはじめたくさんの職員がそれぞれのスポーツで対戦する。子どもたちはこの日を心待ちにしているものだ。
 時間までに会場準備をし、6年生が職員室へ先生方を呼びに行く。素人の先生方に竹刀を持ってもらって振り回されるとやっかいなので、先生たちは受けるだけでお願いして、6年生の打ち込み台になっていただいた。竹刀を持つのも初めてだという先生もいる中、激しく打ち込む6年生。勢いにびっくりする先生方。そうだ。この勢いの良さを稽古で培ってきたのだ。それを知ってもらうだけで良い。
 続いてここからが本番、6年生VS4,5年生。流石は6年生、相手を圧倒するだけのパワーがある。しかし、在校生も負けてはいない。何とか1本勝ちを収めることができるのは副部長と同じく試合経験者の2人のみ。あとは当たり前だが6年生の餌食に・・・。気持ちよさそうに帰ってくる6年。そして最後は一番のお待ちかね。6年生VS・R先生。4人の6年生がR先生から1本を奪うべく、日頃の成果を発揮して襲いかかる。しかし、簡単には1本をくれないR先生。結果はみんな手も足も出ず・・・。しかし、恐れずに立ち向かう立派な試合だった。
 一応ドリームマッチはここまでで、6年生が来場者に挨拶をする。楽しんでもらえましたか?最後は先生2人との地稽古、さらに、6年生が元立ちに立って4,5年生と地稽古。10分間暴れまくって、楽しい稽古が終わった。みんなで記念撮影をして、6年生とお別れ。18日にまだ試合があるけど、6年生は今日を以て「初代剣道部員」として卒業する。栄光の「初期メン」だ。中学生になっても頑張って欲しい。
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公立高校卒業式

2017-03-01 15:38:40 | Weblog
 あっという間の3年間だったと、親も本人も思っている。先日の土曜日に国公立大学の受験を終えて、あとは合格発表を待つだけの我が家の長男。とはいえ、私立大学の第1志望校に合格できたので、公立の合格を待たずに入学を決めた長男。経済的には国公立が良いに決まっているのだが、男の子には一生ついて回る「学歴」や「学閥」の問題。私も認めた私立大学なので、そこに行くことを夢見て頑張ってきた長男には、4年間頑張ってくるようにと許可もしてある。
 それにしても、自分たちの受験した頃と比べると、今は制度も日程も変わっており、大変なようだ。大学ランキングもかなり変動し、自分が思っているよりも大学の価値が変わっている。前期日程というやつが終わっただけで、まだ中期と後期の日程が残っているらしい。全て終わった高校生にとっては「気楽な」卒業式だったことだろう。卒業式後も試験に苦しんだ自分たちとは大違い。その試験に関する方法もまたすぐに変わるという。次男の時にはセンター入試がないと言う。翻弄される受験生たち。とはいえ、今の方式が正しいとも思わず、どうするのが良いのか、こんな仕事をしていても分からないことが多すぎる受験制度であった。知り合いのお子さんでセンター入試の結果によって国公立の受験校の「足切り」にあってしまい、受験することもできなくなってしまった子もいる。センター試験だけでその子の善し悪しを判断することはいかがなものかと思うが、受験生の身になれば、合否決定後に慌てるより、初めから「受験させてもらえない」方が、余分な出費をせずに済むので、良いかも知れない。次の受験校を探すの大変だろうけど。
 自分には4種類の学校(小中高大)の卒業式で、一番記憶に乏しい、つまらなかった卒業式が高校の卒業式だ。卒業証書は代表者がもらうだけ。その点は中学も大学も同じだが、練習も1度しかなく、式典中、みんなが喋ってばかりで、誰が何を話しているかなんて覚えていない、記憶にない卒業式だからだ。クラスの中でただ1人、まだ大学の行き先が決まっていなかったこともあって、卒業式なんかにかまっていられなかったのも事実だが、感慨深くないことが記憶に残らない一番の理由か。長男は高校生活を楽しんでいたようなので、きっと思い出深い卒業式になっていることと思うが、みんながみんな、卒業式を晴れやかな笑顔で迎えられるわけではないことを気にしていたようなので、気を遣った発言はできるだろう。とにかく、1つの大きな節目を、無事に迎えることができた。卒業おめでとうと言いたい。車の中も、教室も、例によって1日中LittleGleeMonsterの「青春フォトグラフ」がエンドレスでかかっている私の周りの空間。「大人に明日からなるの。今日までは子どものままでいい。」いよいよ明日から大人の扱いだ。
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