今日は母の73回目の誕生日。でも、朝からパッとしない。その原因は父だ。72歳満了日となる昨日、母は悲しい事実を宣告された。父の余命宣告だ。2週間前に倒れて救急車で運ばれた父。救命救急センターでたくさんの検査を受け、集中治療室に置かれ、1週間かけて原因を探したが見つからず、最終的に予想される最悪の事態を考えた検査手術を昨日受けて、詳しい病理検査の結果が出るのは7月1日になる予定・・・だったが、その手術によって、詳細を検査するまでもなく原因が分かり、私たちに悲しい宣告がなされた。
2週間前に担ぎ込まれた日に、「親しい人に会わせてあげてください」と医者に言われたときから覚悟はしていたものの、翌日からけろっとして立ち上がり、普通に?会話して、何事もなかったようにしている父。母は喜ぶ。「何事もなくて良かったね。ご飯も食べられるし、時々変なこと言うけど。」私は適当に相づちを打っていたが、父が元気になったように見えるだけで、本当は恐ろしい病気にかかっているであろうことは十分承知していた。しかも、検査してもこれといったものがはっきり出てこない。だが、MRIにぼんやりと写る「白い影」は実態を見せずに父に忍び寄っていた。
悪性リンパ腫。父の担当医はそう言った。脳の癌だと。周りにいくつか脳梗塞の跡が見える。それは大したことじゃない。記憶がなかったり、10分前のことをすぐに忘れてしまうのは、記憶を司る海馬が、悪性リンパ腫のせいで組織を破壊されてしまった部分があるからだと。しかも、そのリンパ腫は脳幹のすき間を埋めるほど大きくなっている。2週間前にMRIに写った白い影より大きくなっていたらしい。母はそれを聞いても信じ難いという表情だった。毎日見舞いに行って会話してくるのだから当たり前である。しかし、日に日に言動がおかしくなっていく父に異常を感じていることは間違いなかった。だから医者の言うことも理解したくはないが理解せざるを得ない、そんな感じだ。人一倍健康に関心があり、会社の健康診断でも何一つ悪いところがなかった父が、全く検査したことのなかった場所。それが脳だった。そしてそこが蝕まれたのだ。目の前が真っ暗になったことだろう。医者の話を聞きながら、泣かずに聞こうと必死で堪えている姿を見ていると、父より母の方が心配になる。帰りの車の中で、まだ確定したわけではないから、と医者の言葉を繰り返し伝えても、父の兄姉には結果を知らせなければと気丈に振る舞う母。しかし、泣いても良いか?の言葉に私も頷くしかなかった。よりによって、自分の誕生日前日に、愛する夫の命の期限を聞かされる心境はいかばかりだろう。母が不憫でならなかった。せめて誕生日当日は明るく祝ってやろうと。
当日、娘がいの一番に「ばあちゃんにお花をプレゼントしたい。」というので花屋へ連れて行く。兄達は学校の補習やら塾やらで忙しい身なので、午前中の実家でのプレゼントは妹に託して勉強に励む。帰ってきてから塾へ出かける合間を縫って、家族全員で母を伴って病院へ行く。昨日開頭手術をしたばかりだから、さぞかし厳重な格好で集中治療室に磔になっていると思いきや、車いすに乗って自分で立ち上がってトイレで用を足してきたところだったという。これが本当に瀕死の重症患者?食堂でこっそり用意した母へのプレゼントを父に渡させる。もちろん、今日が母の誕生日だという記憶はない。本当なら誰よりも記念日に詳しく、忘れるはずのない母の誕生日なのだが、今は何も分からない。勢揃いした長男夫婦と孫たちに囲まれて幸せそうな老夫婦。このまま何もなく過ぎてくれれば・・・。余命1年。これから苦しい闘病生活が待っている父。それを支え続ける母。2人が共倒れにならないようにしっかりと見てやらねば。私が「病気のデパート」であることは、両親とも知らない。少しでも長生きしてもらうためには、「デパート」から「小売店」くらいに規模を縮小しなければ。がんばります。
2週間前に担ぎ込まれた日に、「親しい人に会わせてあげてください」と医者に言われたときから覚悟はしていたものの、翌日からけろっとして立ち上がり、普通に?会話して、何事もなかったようにしている父。母は喜ぶ。「何事もなくて良かったね。ご飯も食べられるし、時々変なこと言うけど。」私は適当に相づちを打っていたが、父が元気になったように見えるだけで、本当は恐ろしい病気にかかっているであろうことは十分承知していた。しかも、検査してもこれといったものがはっきり出てこない。だが、MRIにぼんやりと写る「白い影」は実態を見せずに父に忍び寄っていた。
悪性リンパ腫。父の担当医はそう言った。脳の癌だと。周りにいくつか脳梗塞の跡が見える。それは大したことじゃない。記憶がなかったり、10分前のことをすぐに忘れてしまうのは、記憶を司る海馬が、悪性リンパ腫のせいで組織を破壊されてしまった部分があるからだと。しかも、そのリンパ腫は脳幹のすき間を埋めるほど大きくなっている。2週間前にMRIに写った白い影より大きくなっていたらしい。母はそれを聞いても信じ難いという表情だった。毎日見舞いに行って会話してくるのだから当たり前である。しかし、日に日に言動がおかしくなっていく父に異常を感じていることは間違いなかった。だから医者の言うことも理解したくはないが理解せざるを得ない、そんな感じだ。人一倍健康に関心があり、会社の健康診断でも何一つ悪いところがなかった父が、全く検査したことのなかった場所。それが脳だった。そしてそこが蝕まれたのだ。目の前が真っ暗になったことだろう。医者の話を聞きながら、泣かずに聞こうと必死で堪えている姿を見ていると、父より母の方が心配になる。帰りの車の中で、まだ確定したわけではないから、と医者の言葉を繰り返し伝えても、父の兄姉には結果を知らせなければと気丈に振る舞う母。しかし、泣いても良いか?の言葉に私も頷くしかなかった。よりによって、自分の誕生日前日に、愛する夫の命の期限を聞かされる心境はいかばかりだろう。母が不憫でならなかった。せめて誕生日当日は明るく祝ってやろうと。
当日、娘がいの一番に「ばあちゃんにお花をプレゼントしたい。」というので花屋へ連れて行く。兄達は学校の補習やら塾やらで忙しい身なので、午前中の実家でのプレゼントは妹に託して勉強に励む。帰ってきてから塾へ出かける合間を縫って、家族全員で母を伴って病院へ行く。昨日開頭手術をしたばかりだから、さぞかし厳重な格好で集中治療室に磔になっていると思いきや、車いすに乗って自分で立ち上がってトイレで用を足してきたところだったという。これが本当に瀕死の重症患者?食堂でこっそり用意した母へのプレゼントを父に渡させる。もちろん、今日が母の誕生日だという記憶はない。本当なら誰よりも記念日に詳しく、忘れるはずのない母の誕生日なのだが、今は何も分からない。勢揃いした長男夫婦と孫たちに囲まれて幸せそうな老夫婦。このまま何もなく過ぎてくれれば・・・。余命1年。これから苦しい闘病生活が待っている父。それを支え続ける母。2人が共倒れにならないようにしっかりと見てやらねば。私が「病気のデパート」であることは、両親とも知らない。少しでも長生きしてもらうためには、「デパート」から「小売店」くらいに規模を縮小しなければ。がんばります。