夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

歳を取ると・・・。

2023-07-29 10:00:17 | 教育・躾全般
現在入院生活を満喫している私。初日こそ空き部屋がなく個室でオットマンのある優雅な生活を楽しんだが、
今は大部屋俳優。8000円の部屋が恋しい。
入院患者にもいろんな人がいる。ほとんどが私よりも遙かに高齢の方々で、何らかの介助が必要な重度の患者が多い。そのため、一晩中おむつ交換やたんの吸引がありナースコールを鳴らしまくる人、認知症らしき人、耳の遠い人など、様々である。お年寄りとはこれが当たり前で、母の老人性難聴に悩まされているのだから慣れたものだ。父の介護経験もある。
四人部屋にいるのだが、他の三人がめまぐるしく移動していく。重症者病棟に替わる人が多い。空いたところへ入って来る人は同じ様な高齢患者が多いが、珍しく一人、私よりうんと若い、三十代前半から四十代半ばの若者が、いや、会社で言えば中堅どころが入院してきた。昭和の終わりか平成の初めということになる。この若者が困り者。まぁ、この若さなら介護経験などないだろうから仕方がないが、周りのお年寄りのおむつ交換の臭いに舌打ちしたり、不満を小声で独り言のように言ったり、ベッドの上で携帯のスピーカーをONにして相手が出るまでずっと呼び出し続けたりそのまま大声でしゃべったりする。病院でのマナーもへったくれもない。確かに、この年頃の若者は職場でも「おゆとりさま」だの「○○世代」だの言われて手を焼いている。「自分探しの旅」というやつが流行ったのも彼らの世代。自己中で一番扱いに困る年代か?しかも、顔を合わせても同室の私が挨拶しているのに返事もしない。そのくせ、看護士にはワントーン高い声で愛想良く話す。ゲーム機が家庭に蔓延し、幼少期から閉じこもってゲームする時代に生まれ育った人たちだから仕方がないけど、他人とのコミュニケーションをとらない世代。やることなすことに意味や説明を求めるだけで、自分では何も考えようとしない。考えることを省略されてきた世代。経験もないのに語彙は豊富。中身が伴わないから考えもまとまらず、仕事があわないからとすぐやめる。言いたいことは他にも山とあるが、我々だって「新人類」とあだ名された世代。ただ歳を取って経験値を積んだだけ、細かい点が分かるようになっただけ。若い頃は今隣のベッドで寝ているお年寄りの方々に文句を言われていたに違いない。それを考えると若者の悪口など言って良い訳もない。順送りである。彼らの行いを見て次の世代が何を学ぶのか、見守るだけだ。まずは、自分が老害にならないように気をつけることとしよう。

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世界遺産の墓じまい

2023-07-26 15:04:51 | Weblog
私の祖先の墓は三重県尾鷲市にあった。しかも、世界遺産・熊野古道の馬越(まごせ)峠の登山口から九鬼(くき)までの間の峠から下った所に広がる市営墓地のかなり上の方。墓の位置から馬越峠が見える。


昨年、墓を守ってくれていた父の姉が亡くなった。独り身だった伯母がいなくなり、末弟だった父も八年前に既に亡く、伯父が一人残るのみだが、伯父は婿養子に出ているので弟の父が嫡男だった。自動的に長男の私がこれを受け継ぐこととなった。だが、尾鷲は遠い。墓守は従姉が受け継いでくれていた。でも、嫁に出た父のもう一人の姉の長女で更に嫁にでている。言わば四親等離れているわけだ。墓守なんて申し訳ない。尾鷲は子供の頃毎年泊まりに行き、伯父が健在な頃は川遊びに山奥へ連れて行ってもらったものだ。家族は先に帰り、自分だけ一週間、まるで林間学校みたいにいとこたちと遊んだ後、国鉄で名古屋駅まで一人で帰ったのは小学二年生の時。そこから地下鉄の乗り方が分からず、タクシーで当時錦三丁目の八千代本店





でセカンドチーフをしていた父を訪ねて三千里。金など持ち合わせない、しかも錦三丁目なんて地名も知らない小学二年生が独りでタクシーなんて、運転手さんも疑いもせずよく乗せてくれたもんだ。八千代本店は大騒ぎ。子供が独りでタクシーに無賃乗車で乗り付けたのだから当たり前田のクラッカー。八千代でまかない飯を食べさせてもらって、父に地下鉄の改札口まで送ってもらい、家まで帰った。尾鷲旅での最大の思い出だ。今そんなことやったら、恐らく補導されて学校通報か親呼び出しであろう。当時は「可愛い子には旅をさせろ」が当たり前の時代。二年生だろうが四年生だろうが、できると思えばやるのが我が家。その点、尾鷲の伯母たちやいとこたちにはさんざん世話になってばかり。我が家の名を継ぐ関係者の最後の伯母が亡くなった今、継ぐのは私。遠い尾鷲に別れを告げて、墓じまいする事にした。







世界遺産の中のお墓には少し未練もあるけれど、八事の墓には父が、ばあちゃんの息子が眠っている。尾鷲の遺骨は祖母だけかと思ったら、若くして犬山で亡くなった祖父の遺骨も合祀してあった。名古屋に移動することは、家族三人が一緒に暮らしていた名古屋で再び同居させてあげることになる。日泰寺には昨年亡くなった伯母のお骨も納めてある。同じ八事の地に家族四人が眠る。こんな喜ばしいことはない。さようなら、尾鷲。もう行くことはないだろう。
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