夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

トイレのスリッパ

2019-08-24 16:57:36 | 剣道
今日は剣道の一級昇級試験の監督に行きました。うちの学校の六年生1人とOBの中学生1人が受験しました。六年生部員は主将として夏休み中も休まず頑張ったY君。OBは二年生のT君。二人とも、何とか今回で一級を合格したいと必死の形相。それもそのはず。会場に集まった受験者は名だたる先生方の門下生が多い。地稽古1つ見ても、上手さと迫力が違う❗試合をしたらうちの部員達では到底敵わない相手がほとんど。もう少し厳しくしてもいいかも知れない…、と監督も反省してます。
何だかんだと、絶対守らねばならぬことを確実にやることができたので、二人とも合格させていただくことが出来ました❗これはめでたい!よく頑張った❗しかし、初段はこうも簡単には行かないぞ‼️と戒めて、2学期からの稽古に力を入れさせると誓いを新たにした監督でした。
試験が終わってほっとしたら、トイレに行きたくなりました。入り口に立つと、スポーツセンターのトイレは、学校並みにスリッパがぐちゃぐちゃ。私の前に1人の先客がいました。彼はぐちゃぐちゃのスリッパの1つを自分で履いて、すぐさまもう1つをきれいに揃えて、私の前に「どうぞ」と差し出したのです‼️何て清々しい少年だろう‼️久々に感動して大声で御礼の言葉を伝えました。年は六年生位でしょうか?せめて名前と道場くらい聞くべきだった❗
かつて、長男が味鋺剣友会の愛知県武道館合同合宿で、現在範士八段の東良美先生から「人の嫌がることを率先してやれる子に」という訓辞のあと、トイレでスリッパを揃える子どもが東先生から激励を受けていたのを目の当たりにして、必ずトイレのスリッパを手で揃えてから出るようになりました。尊敬する大先生のお言葉に感銘を受けたのです。私もすぐにその時の事を思い出しました。きっと、今日のスリッパを揃えてくれた子も、名のある大先生の教え子に違いありません。剣道は「心」を育てる武道です。殺人の技から「人を活かす」技に生まれ変わった剣道に出会うことができたこの喜びを、出会わせてくださった鹿嶋先生に感謝申し上げたい。そして、私がその意思を継いで、同じ教育の世界で剣道部を作ることができたのも、全て、鹿嶋先生のお陰であり、私の剣道の師と仰ぐ歴代の先生方に感謝申し上げます。精勇館・鹿嶋孝先生、岩田先生、皇學館大學・範士九段・鷹尾敏文先生、皇學館高等学校・教士七段・竹川信彦先生、味鋺剣友会・教士八段・中村隆信先生、愛知大学剣道部監督・教士七段・江原清彦先生。
もう半年ほど、この出来損ない監督である私をご指導ください。先生方に教わったことを、鳴海の子どもたちに伝えられるように精進します。
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皇學館大學オープンキャンパス

2019-08-10 20:04:59 | 皇大26期生向け

去る8月8日に、皇學館大學のオープンキャンパスが行われたので、娘を連れて行って来ました。高校1年だけど、行けるときに行くべし、と、この夏休み中だけでも6校出掛けた。皇學館が最後である。教育学部系に興味のある娘は、父の母校ということもあって楽しみにしてくれていたらしい。だが、父はこんな遠くに娘を入れたいと思っていないのが本音。しかも、行ってみて更に驚くことに。女子寮の貞明寮が引っ越して男子寮の精華寮の敷地内にあるのだ‼️赦しがたい事実‼️
朝から出掛けたかったが、父は部活動があったので、出発は11時半。伊勢には1時半の到着。腹ごしらえが先なので、当然学食。と言いたいが、私自身学食など使ったことは一度しかない。無料券がもらえるとはつゆ知らず、当たり前のようにキッチンクックのドライカツカレー大盛。娘も最初からそのつもり。食べ終わって2時過ぎに大學へ。トートバッグをもらい、ご満悦の娘だが、キャンパスツアーは午前中で終わっていた。まぁ、父の案内で十分だが、学生のトークを聞きたかった。喫茶室に入っても、希望者の殆どが教育学部らしく、説明の学生の数が足りない‼️結局、最後は父の卒業時に出来て、一度も入らなかった神道博物館に入館。だが、説明の学生が下手すぎて、聞くに耐えない。最後まで付き合ってあげたけど、もう少し練習しておこうよ!
学内を散歩して、父の青春に付き合う娘。この後、伊勢志摩スカイラインと伊勢道路のドライブに走り回って、白子駅近くのイタリア料理店「シェーナ」に進路をとる。あの松阪のイタリア料理店「サルーテ」の味を継承する店だ。予め樋口君に駐車場の場所を調べてもらい、ちゃんとたどり着くことが出来ました❗

あのカルボナーラの味が忘れられなくて、いつか行きたいと思っていましたが、やっと叶いました。
食べてばかりだったけど、満足の旅だった娘。あのパスタを食べたらもう他の店で食べられない❗と言っています。味覚も父譲り。何しに行ったのか?
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全難言協全国大会・東海四県三重大会に行ってきました。

2019-08-06 11:21:01 | 言語・難聴
 去る8月1日~2日、三重県津市で行われた、第48回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会三重大会 第47回東海四県言語・聴覚・発達障害児教育研究大会三重大会に出かけてきました。
 恐らく今年限りで言難の世界を離れざるを得ない私にとって、これが最後の言難全国大会。来年の愛知大会には、多分もう参加しないわけで…。係の仕事としてやらねばならないことを視察するためにと言うのはほぼ表向きの言い訳で、本当は、今までいろんなことを学ばせていただき、支えていただいた、全難言協のスタッフの皆さんに、お別れの挨拶を言いたくて出かけてきたと言っても過言ではありません。本当は夜の交流会に参加して、思い出話をいっぱい語り合って、とも考えたのですが、薄暗くなると極端に目が見えなくなる私。それに沢山の飲食物が入るとすぐに体調を崩すようになってからは、職場の宴会でさえ、歓送迎会以外は全休しているので、見知らぬ会場で県外の方々に囲まれて迷惑を掛けるわけにも行かず、交流会も諦めざるを得ませんでした。
 あえて自家用車で会場へ赴き、緊急事態に備えられるように準備を持って出かけました。渋滞を避けるために、かなり早めに出かけたため、受付開始時刻よりも60分以上早く着いてしまいました。昼食をとりながら30分前まで車の中にいましたが、アイドリングしっぱなしなのも気がかりだったので、30分前でしたが受付に行ってみました。でも既に準備ができあがっており、快く受け付けていただくことができました。あの炎天下で開場を待たされたらどうしよう!?と思っていたのですが、冷房の効いたホールへいち早く案内いただきました。まだほとんど客はおらず、座席も選び放題。いつもギリギリにしか行けないので、会場の前の方に陣取っていましたが、今回初めて中段より後ろの辺りから、全体を見極められるところに陣取りました。一応仕事の都合上、全体会というか、総会の辺りから雰囲気を掴んでおかなければ。
 陣取ってすぐくらいでしょうか、全難言協の理事会が終了したらしく、見知った顔が沢山ホールに現れました。いきなり隣の席にやってこられた山口県の古谷先生。既に御退職なさっていらっしゃるにもかかわらず、全難言協の個人会員としてスタッフを支え続けていらっしゃる、全難言協の鏡のような方。愛知県の事務局を初めて担当したときに、県のホームページの立ち上げについて相談に乗っていただいたときからのお付き合いです。色々なことを教えていただきました。本当にお世話になりました。私の身体を気遣ってくださり、いつも声を掛けてくださる。本当に心強かったです。今回の経緯を報告したら、流石に驚いていらっしゃったようですが、私も個人会員として支える方に廻ります。ありがとうございました。古谷先生と歓談中にいきなり後ろから現れたのは、私が一番お世話になった全難言協の元事務局長=親分こと阿部先生。事務局を離れて純粋に楽になったという言葉が印象的だった。私の言難デビューは23年前だが、阿部先生は新卒からずっとこの世界にいて、私がデビュー当時味わった「言難って何だ?」「どうやって授業するんだ!?」を克服してきた大先輩だ。彼の話を聞いたとき、「言難の一番エライ人でもこうなんだから、名古屋の一担当者が同じようなこと言っていても当たり前なのかな?」と2学期からの活力をいただいたことを忘れない。本当に、一番お世話になった先生だと思う。彼との出会いがなければ、言難の世界を好きになっていなかったかも知れない。そして現事務局長の吹野先生。初めてお目にかかったのは、私が初めてスタッフとして参加した「はじめのいっぽ全国研修会」の時の研修部長さんだった。その年に彼も初めての研修部長だったはず。前任者の長瀬先生と相談しながら一生懸命に切り盛りしていたのを忘れない。稲城長沼駅近くの向陽台小から駒沢小の櫻澤先生と入れ替わり、今の役職を担当していらっしゃる。その入れ替わった櫻澤先生は、名古屋の東山近辺で会社勤めの経歴がある先生。長沼駅に「ガンダムとシャアザク」の大型モニュメントがあることを写メして教えてくれた。おかげで昨年の夏はその2体に会いに行くことが出来ました!名古屋繋がりで唯一携帯メールアドレスを交換してある先生でもある。いつも私の病状を心配して「元気にしているか?」と気に掛けてくださっていた。ありがとうございます。何とか生きてます!私がこれを書いているときは、令和最初の「はじめのいっぽ2019」の真っ最中ですね。あれが終わらないと夏休みにならないと毎年言っておられたのを覚えています。会計の星川先生には2度も会費納入を重複させてしまってご迷惑をおかけしました。ご結婚なさって今の名字に変わられたとき、転勤のお知らせとともにお葉書までいただき、喜んだ覚えがあります。「東京の全難言協の先生からお葉書が来るなんて!」と嬉しかったことを覚えています。個人会員として続いてお世話になりますが、一応節目ですので、お別れの挨拶だけはさせてください。長野県の中澤先生には、愛知大会だけでなく、愛知の研修にも力を貸していただきました。埼玉の西田先生との強力タッグで構音分科会は何の心配もありませんでした。本当にお世話になりました。そして何よりご挨拶を忘れちゃいけないのが国立特別支援教育総合研究所の牧野先生。今回いらっしゃらなかった久保山先生とお二人で、愛知大会には欠かせない人材としていつもご協力いただきました。先生との「呑みュニケーション」はどこで呑んでも楽しかったです。特別支援教育に携わっている限り、特総研とは繋がっています。言難を卒業しても、牧野先生を頼って研究所に出かけたいです。大会後の吃音の会に行けなくてごめんなさい。会は盛況だったでしょうか?
 主立った先生方には直接お目に掛かってお話しすることができました。言難での行き場がなくなり、お別れすることになったとお話しすると、皆さん一様に驚かれたあと、「大会には来るんでしょ?」と聞いてくださった。旅行気分で出かけたいところですが、自分がどんな場所に置かれるか分からないので、場合によっては23年前と同様に、新しい分野に手探りでチャレンジしているかも知れません。またどこかの大会で顔を見かけたら、「言難に戻ってきたのか、首が繋がったのか?ただの物見遊山か?」なんて思ってください。残る7ヶ月ほど。最後までしっかりと言語障害児教育に邁進して、務めを果たしたいと思います。、三重大会の中身については、またいつか・・・。
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