夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

市総体2018

2018-07-25 00:37:42 | 剣道
 長かった。ここまで至るのに6年間。次男が中学剣道部の創設メンバーになって以来、6年間。毎年この日は休暇を取って、仕事を入れずに試合観戦に没頭する父。同世代に「剣道で飯を食えそうなやつ」が、そう何人もいる学年ではなかった次男坊。メンバーに恵まれていたにもかかわらず、何故かチームでは県大会への切符を手に入れることなく終わった3年間。くじ運も悪く、初戦で強い学校にあたってきた次男坊。まぁ、いずれ倒さねばならない相手だから、と果敢に向かって行くも、初戦敗退。そんなことが続いた3年間。彼も不完全燃焼だったからだろうか、高校でも迷わず剣道部に入った。その後の3年間は活躍することはなかったが、楽しい部活動だったようだ。何だかんだと3年間試合にも使っていただけたから、彼にしてみれば楽しむことができたということだろう。
 娘は次男坊と入れ替わりで剣道部に入部。小学校で散々強い男子たちに揉まれて、とても強くなった。そこらの男子には簡単に負けないようになった。パワーが付いたのだ。だが、中学からは男女分かれて試合をするようになる。女子だけなら何とかなるかも!?と淡い期待を抱いての各種試合への出場。1年生ながら、副将を務め、色々な大会を切り抜ける。だがしかし、中学の名体連(名古屋市立小中学校体育連盟剣道部)の先生方に「あの1年生は誰だ?」とすぐ素性調査をされ、剣友会の大将だったことがバレる。1年生剣士で副将なんて、こいつさえ潰せば怖くないチームだ!ということがバレバレ。それ以降、他のチームは本来の大将クラスを副将に据えて、うちの1年生を潰しにかかってきた。それでも、娘が最強の敵を食い止めることができていたので、何とか勝ち上がり、市総体で5位通過。県大会の切符を手にした初めての瞬間だった。しかし、強敵相手に勝ち星を挙げられない娘に対して出された判断は、娘を補欠に回して3年生だけで闘うことだった。切符を手に入れたのは、ある意味娘の加入のおかげだったにもかかわらず、県大会では出場の機会を剥奪されてしまった。当時娘はかなり傷ついていた。最強と謳われる2,3年生のライバルたちに勝てないまでも引き分けて、敵チームの戦力をそぎ落としたから、初心者の集団だった3年生でも勝てたのだと。剣道関係者の目から見ても、その理屈はごもっともで、県大会に娘を使わないことを「何故?どう見てもあの子がチーム1強いのに?」と不思議に思ってくれている名体連の先生方だった。でも、年功序列にした顧問の先生の気持ちも分かる。私なら、自分のチームに娘がいても、最年少なら最初から使わない。初めから年功序列を守る。県大会へ、ちょっと頑張れば手が届くと思ったのだろう。勝ちに逸った監督の気持ちはよく分かる。ここで年功序列を決めた監督は、次の年も純粋に3年生を育てて県大会へ行くことが出来た。さぁ次の年は!と言いたかったが、顧問が転勤することは分かっていた。そして、娘の代は男女1人ずつしか入部しなかった。それ故、団体戦は昨年度で終わりを告げたのだった。たくさんの団体戦があっても、試合にも出られない。練習試合さえも、よそのチームの補欠の子と合同で組まれる始末。時には男子の補欠と組む練習試合も。扱いがひどくて可哀想だった。だが、どのチームに入っても大将を務めさせてもらったことと、名体連の先生方の中でも最強を誇る先生方に眼をかけていただけたことで、娘はどんどん強くなっていった。個人戦しか出場機会はなかったものの、今年に入って名実共に3年生の代表選手とおぼしき子たちと肩を並べられるようになってきたのだ。160人規模の中学女子の部でベスト8以内に頻繁に入るようになったのだ。名古屋市選手権では3位入賞することができた。我が家では誰も達成したことのない悲願だった。
 この調子で市総体も参戦できたら!しかし、練習の機会は減っていく。熱中症の事件で、剣友会の稽古や部活動の時間がかなりカットされてしまったのだ。廃部が決定している部活動には朝練もさせてもらえない。そこで、毎週月曜日の英語塾を日曜日に変えさせて、私が月曜日の市剣道連盟合同稽古会と県剣道連盟合同稽古会に連れて行くことにした。今まで長男を連れて行ったことはあったが、奴はそれ以降2度と行こうとしなかった。身体が小さかったから、大人ではないことが一目で分かってしまったからである。だが、娘は違う。デカい。対戦してくださった先生方から、「どこの大学だ!?」と声をかけられる始末。女子大生に見えたらしい。確かに私に似てガタイはデカい。しかも、常に稽古していただいている先生方も、娘を見つけると嬉しそうに「がんばっとるなぁ!お父さんにもやるように言いなさい!」と声をかけられるらしい。まぁ、お父さんはこの際置いといて・・・。稽古会の楽しさを知ってしまった娘は、臨時で変えてもらっていた塾を完全に変更して、月曜日は稽古デーにしてしまうようだ。父も頑張ります。
 そして迎えた市総体当日。前日には験を担いで「かつ雅」でトンカツを食べ、エネルギー満タンで試合に臨む。勝!勝!勝ちまくる!準々決勝(6回戦)も1本先取!しかも、中学に入ってからは負け無しのライバルが相手。時間もあと数秒。一瞬、勝ちを意識したその時、相手の面打ちに反応できなかった。ギリギリで延長戦に持ち込まれ、焦る娘と死にものぐるいで畳み掛けてくるライバル。この時点で父には娘が負けることが目に見えていた。小学校の時から戦い続け、小学校では一度も勝てなかったのに、中学では圧倒的な稽古量の違いと試合出場経験数の違いで勝ち続けていた相手。娘の心に驕りがあったのだ。勝てると思っていたのだろう。確かにパワーでは負けないが、こんな時にものをいうのは「必死さ」だ。相手を倒して自分が準決勝へ進むという気持ちだ。延長戦での焦り始めた動きの中に、娘の勝ちは見えなかった。娘は準決勝で優勝候補の筆頭と戦って倒すために、稽古会に参加してきたのだ。それを目前で逃してしまったショックは大きい。ベスト8(5位)入賞なので県大会には行けるものの、追い掛けていたライバルに、また1つ差を付けられて、悔しい思いの表彰式だった。もちろん、彼女は準決勝で娘を負かした相手を手もなくひねり潰し、決勝戦で「物言い」がつくほどの鮮烈な試合をして1本勝ちの優勝である。私立の有名校へ剣道の特待生で行くという。娘にも特待の話は3校ほど来ているそうだが、剣道で飯を食うつもりのない娘には、ちゃんと受験をして、学力で勝負して、どんなチームに入っても、自分が強くしてみせるんだという気持ちが芽生えている。頑張って欲しい。
 県大会まであと1週間を切った。月曜日の市総体で1日中、露橋SCにいたにもかかわらず、ほんの2時間休憩しに家まで戻り、仮眠を取った後、再び露橋SCへ。市の稽古会である。1日のほとんどを露橋SCで過ごすなんて・・・。目指せ東海大会!全国大会!!頑張れよ!!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏のデイキャンプが・・・。

2018-07-20 13:29:51 | 教室経営
 いよいよ明日から夏休み。子どもたちは先ほど通知表を手渡され、にやついた顔で帰っていきました。きっと成績が良かったのでしょう。我が家も帰ったら「笑える」と良いのですが・・・。
 しかしながら、昨日の帰り際に入った緊急の会議。先頃の熱中症による痛ましい事故を受けて、市内の部活動が原則中止になるという件。部活動だけではなく、影響は我らがこだまのデイキャンプにも。そりゃそうでしょう。この3年間、出席者が低年齢化しており、大人の出番が多い。そのせいか、3年間毎年、誰かが熱中症で倒れているこだま教室の夏行事。お目こぼしがあるはずがない。こうなることは分かっていたのですが、私もここでの生活が残り少ない。最後までやっておきたかった。少なくとも「今年で終わります」宣言をして終えたかった。この夏の尋常じゃない暑さ、過去の実態、そして、先日の哀しい事故。これだけ材料が揃うと為す術もない。7月に入って、決行することを決めたばかりだった。保護者の方からも、私の健康状態を気遣って、「大丈夫ですか?なんでも手伝いますよ!」と声を掛けていただいた。私自身、やる気満々だったのに。最後の授業が終わった数分後の会議で「逆転敗訴」してしまうことになるとは・・・。
 しかし、この尋常じゃない暑さの中、竈で火を炊くことにこだわった飯ごう炊さんは、いつか消えていく運命にあったのかも知れない。残り年数を考えるとここではできないが、何か良いことはないか、色々と考えてみたい。
 という訳で、皆さんが楽しみにしてくださっていた、夏のデイキャンプ。これにて終幕です。OB・OGの皆さん、またいつか何かの機会にお目にかかりましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の願いはなぁに?

2018-07-10 19:50:17 | 教室経営
 毎年七夕の前の週に短冊を書き、廊下に掲示しております。今年は当日が土曜日のため、2週前から短冊を書き、掲示してから各自の写真を撮り、更にそれを集合させてこだまニュースに掲載しました。一粒で二度美味しい!?せっかく書いた「お願い」を少しでも長くみんなの目にとめておきたかった。七夕の願いですから、例によって「今自分が努力していること」か「将来なりたい姿」を書いています。そう言っておきながら、私だけ、3枚目の短冊に「時間が欲しい」などと書き、子どもたちに「欲しいものなんか書くんじゃないぞ!努力していることを書くんだ!」何て言ってたくせに・・・。お星様は努力しない奴の願いは聞いてくれないさ!ましてや今年の七夕は雨降ってたし・・・。
 子どもたちはちゃんと私の言うことを聞いて、未来の姿や、努力中のことを書いている。エライ!きっと頑張っている人の願いは叶うよ!!私の東京の娘の願いは叶ったのかねぇ?シナリオが採用されてると良いねぇ。願いかなってテレビ局にに就職したら、大好きな「佐藤健」君に会える日も来るだろう!「好きな人がいる」というのは人生を生きる原動力になる。願いが叶うように努力しているかな?東京の娘よ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりの県外出張が認められた!

2018-07-06 19:38:05 | 言語・難聴
 この学校へ来てからと言うもの、ずっと夏季休業中の県外出張は「若くてやる気のある人」にしか声も掛からず、認めてもらえなかった。自分が病気を繰り返していたこともあって、なかなか許可も下りなかったが、市教委が我々玄人向けの研修を打ち切ってしまい、完全に自力で研修を探さねばならなくなってしまった。そこで、久しぶりに日言研に参加することにした。こんな遅がけになってから申し込んでも間に合うのか心配だったが、研修は確保できた。長いこと東京の研修には顔を出していない。都難言協や全難言協の関東の人たちが「最近、愛知の夢野翼を見かけない。」と心配してくださっているのか、メールで「生死」を確認されることも・・・。そういえば、片目が見えなくなってから全国大会にも出かけていない。東海四県大会も、自分が発表しない時はお休みを戴いている。そりゃぁ、行方不明扱いも受けるわなぁ・・・。そんなわけで、金銭的に苦しい現状の中で、何とか生存のアピールをするために、東京へ出かけてこようと画策したのである。
 しかし、神は、真面目に研修をしている私を見捨てなかった!何と、今年、久しぶりに、この研修に「県外出張」が認められたのである!!やっぱ、事務さんと仲良くしておくのは大事だね!!これで旅費と宿泊費を心配しなくても済む!研修承認簿も出張命令簿と復命書に変わる!!何年ぶりだろう?確り研修してきますね!東京や全難言協の皆さんにも会えるかな?何より、特別支援総合研究所の先生方に、生存確認してもらえるのが嬉しいかも!?8月5日(日)に東京入りして、お台場のUCGにも会いに行って、できることなら都内のどこかの駅にあるという白い奴と赤い奴の並んでいる前で写真撮って・・・。いえ、研修に行くんです。ガンダムさんに会いに行くわけじゃありません。決してそれがメインじゃありません・・・。ちょっと自信ないけど・・・。行ってやる!行ってやるぞ!お台場のモビルスーツが何だ!!見せてもらおうか!お台場のモビルスーツの性能とやらを!!有意義な東京見物、いや、もとい、東京研修になりますように。8/5(日)~7(火)、夢野翼、東京上陸!予告編でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発達障害通級指導教室授業参観

2018-07-04 18:37:01 | 教育・躾全般
今日は、発達障害通級指導教室の授業参観をさせていただく機会を得ました。発達障害通級というと、考え方がキッパリ2つに分かれるところです。教科の学習の補充をするところだという考え方と、ソーシャルスキルトレーニングで発達障害の軽減を図るところだという考え方の二通りです。一般的には、在籍学級の担任や保護者の方には前者の考え方が多く、通級指導教室担当者は後者の考え方が多いようです。勿論、正式には後者が正しい訳ですが、一般的には前者のような意見や希望が多いのが事実です。まだまだ特別支援に対する偏見や誤解は多いのです。それを述べ出すときりがないので、今回はこの位にして、本題へ。
今回、授業を見せてくださった先生は、前の学校でご一緒させて頂いた先生。あの頃は新卒3~4年くらいの、通常の学級の担任をしていらっしゃった方。あの頃から新卒に思えないほど、授業スキルのある先生でした。そして、特別支援教育への憧れを強く抱いた先生でもありました。私や支援学級の担任の先生に食らいついて、通常の学級の、支援を必要とする子ども達への指導に情熱を燃やす、素敵な先生でした。最初の転勤で特別支援教育への転属を希望し、2つ目の学校を経て、3つ目に配属になった先が、今回の発達障害通級指導教室の開設でした。その年に私も今の学校に転勤してきましたから、長い付き合いです。同じ通級指導教室担当者という立場になり、研修で顔を合わせる度に、この世界に「来るべくして来た」先生だと実感しました。取り組み内容も、正にお手本のような取り組みで、この日のために指導細案を1週間も前に用意してくださるなど、頭が下がる思いです。意気込みを感じる授業でした。今時の若い人にも見習わせたい‼️いや、その前に、自分こそが初心にかえって、自分の取り組みを振り返りたい‼️現在の発達障害通級担当者会は、私たち言語障害通級担当者の二人と、今回の授業者以外は、皆さん担当者経験が2年以下。きっと参考になったことでしょう‼️私も病気になんか負けてはいられない‼️久しぶりに、若い人の授業を見て燃えてきた。私にだってまだまだ新しいことができるはず❗頑張ろう‼️
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする