夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

全難言協全国大会・東海四県三重大会に行ってきました。

2019-08-06 11:21:01 | 言語・難聴
 去る8月1日~2日、三重県津市で行われた、第48回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会三重大会 第47回東海四県言語・聴覚・発達障害児教育研究大会三重大会に出かけてきました。
 恐らく今年限りで言難の世界を離れざるを得ない私にとって、これが最後の言難全国大会。来年の愛知大会には、多分もう参加しないわけで…。係の仕事としてやらねばならないことを視察するためにと言うのはほぼ表向きの言い訳で、本当は、今までいろんなことを学ばせていただき、支えていただいた、全難言協のスタッフの皆さんに、お別れの挨拶を言いたくて出かけてきたと言っても過言ではありません。本当は夜の交流会に参加して、思い出話をいっぱい語り合って、とも考えたのですが、薄暗くなると極端に目が見えなくなる私。それに沢山の飲食物が入るとすぐに体調を崩すようになってからは、職場の宴会でさえ、歓送迎会以外は全休しているので、見知らぬ会場で県外の方々に囲まれて迷惑を掛けるわけにも行かず、交流会も諦めざるを得ませんでした。
 あえて自家用車で会場へ赴き、緊急事態に備えられるように準備を持って出かけました。渋滞を避けるために、かなり早めに出かけたため、受付開始時刻よりも60分以上早く着いてしまいました。昼食をとりながら30分前まで車の中にいましたが、アイドリングしっぱなしなのも気がかりだったので、30分前でしたが受付に行ってみました。でも既に準備ができあがっており、快く受け付けていただくことができました。あの炎天下で開場を待たされたらどうしよう!?と思っていたのですが、冷房の効いたホールへいち早く案内いただきました。まだほとんど客はおらず、座席も選び放題。いつもギリギリにしか行けないので、会場の前の方に陣取っていましたが、今回初めて中段より後ろの辺りから、全体を見極められるところに陣取りました。一応仕事の都合上、全体会というか、総会の辺りから雰囲気を掴んでおかなければ。
 陣取ってすぐくらいでしょうか、全難言協の理事会が終了したらしく、見知った顔が沢山ホールに現れました。いきなり隣の席にやってこられた山口県の古谷先生。既に御退職なさっていらっしゃるにもかかわらず、全難言協の個人会員としてスタッフを支え続けていらっしゃる、全難言協の鏡のような方。愛知県の事務局を初めて担当したときに、県のホームページの立ち上げについて相談に乗っていただいたときからのお付き合いです。色々なことを教えていただきました。本当にお世話になりました。私の身体を気遣ってくださり、いつも声を掛けてくださる。本当に心強かったです。今回の経緯を報告したら、流石に驚いていらっしゃったようですが、私も個人会員として支える方に廻ります。ありがとうございました。古谷先生と歓談中にいきなり後ろから現れたのは、私が一番お世話になった全難言協の元事務局長=親分こと阿部先生。事務局を離れて純粋に楽になったという言葉が印象的だった。私の言難デビューは23年前だが、阿部先生は新卒からずっとこの世界にいて、私がデビュー当時味わった「言難って何だ?」「どうやって授業するんだ!?」を克服してきた大先輩だ。彼の話を聞いたとき、「言難の一番エライ人でもこうなんだから、名古屋の一担当者が同じようなこと言っていても当たり前なのかな?」と2学期からの活力をいただいたことを忘れない。本当に、一番お世話になった先生だと思う。彼との出会いがなければ、言難の世界を好きになっていなかったかも知れない。そして現事務局長の吹野先生。初めてお目にかかったのは、私が初めてスタッフとして参加した「はじめのいっぽ全国研修会」の時の研修部長さんだった。その年に彼も初めての研修部長だったはず。前任者の長瀬先生と相談しながら一生懸命に切り盛りしていたのを忘れない。稲城長沼駅近くの向陽台小から駒沢小の櫻澤先生と入れ替わり、今の役職を担当していらっしゃる。その入れ替わった櫻澤先生は、名古屋の東山近辺で会社勤めの経歴がある先生。長沼駅に「ガンダムとシャアザク」の大型モニュメントがあることを写メして教えてくれた。おかげで昨年の夏はその2体に会いに行くことが出来ました!名古屋繋がりで唯一携帯メールアドレスを交換してある先生でもある。いつも私の病状を心配して「元気にしているか?」と気に掛けてくださっていた。ありがとうございます。何とか生きてます!私がこれを書いているときは、令和最初の「はじめのいっぽ2019」の真っ最中ですね。あれが終わらないと夏休みにならないと毎年言っておられたのを覚えています。会計の星川先生には2度も会費納入を重複させてしまってご迷惑をおかけしました。ご結婚なさって今の名字に変わられたとき、転勤のお知らせとともにお葉書までいただき、喜んだ覚えがあります。「東京の全難言協の先生からお葉書が来るなんて!」と嬉しかったことを覚えています。個人会員として続いてお世話になりますが、一応節目ですので、お別れの挨拶だけはさせてください。長野県の中澤先生には、愛知大会だけでなく、愛知の研修にも力を貸していただきました。埼玉の西田先生との強力タッグで構音分科会は何の心配もありませんでした。本当にお世話になりました。そして何よりご挨拶を忘れちゃいけないのが国立特別支援教育総合研究所の牧野先生。今回いらっしゃらなかった久保山先生とお二人で、愛知大会には欠かせない人材としていつもご協力いただきました。先生との「呑みュニケーション」はどこで呑んでも楽しかったです。特別支援教育に携わっている限り、特総研とは繋がっています。言難を卒業しても、牧野先生を頼って研究所に出かけたいです。大会後の吃音の会に行けなくてごめんなさい。会は盛況だったでしょうか?
 主立った先生方には直接お目に掛かってお話しすることができました。言難での行き場がなくなり、お別れすることになったとお話しすると、皆さん一様に驚かれたあと、「大会には来るんでしょ?」と聞いてくださった。旅行気分で出かけたいところですが、自分がどんな場所に置かれるか分からないので、場合によっては23年前と同様に、新しい分野に手探りでチャレンジしているかも知れません。またどこかの大会で顔を見かけたら、「言難に戻ってきたのか、首が繋がったのか?ただの物見遊山か?」なんて思ってください。残る7ヶ月ほど。最後までしっかりと言語障害児教育に邁進して、務めを果たしたいと思います。、三重大会の中身については、またいつか・・・。

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