夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

最後の端午の節句

2020-04-26 17:14:09 | Weblog
最後の節句に向けて、五月人形と鯉のぼりを出しました。次男が今年度二十歳になるので、飾るのも最後になります。人形供養に出してしまう前に、綺麗に飾って端午の節句を迎えたいと思います。夫婦喧嘩の種になった五月人形の段飾り。私が飾らねば誰もやらない、手伝いもしない、呪われた段飾り。一人で飾るのも、片付けるのも、これが最後。肝心の息子たちは二人とも県外に独り暮らし。見てくれる人もおらず、家紋入りの提灯もお化けのように破れたから飾ってない。ちょっと寂しい。
先日、鯉のぼりは個人情報流出の元だからと言って揚げない家庭が増えたと新聞記事で読んだ。小さな男の子がいる家庭だと分かるから、だって。うちはもう二人とも大きな男の子!?こうして日本の古き良き文化や伝統が消えていくのを、黙って見ているしかないんだね・・・。寂しい限りです。



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新たな出会い

2020-04-20 12:03:22 | 教室経営
 先週金曜日。始業式以来の学校登校日だった。校内を消毒し、子どもたちが来るのを待っている先生方。私は担任ではないので、同じく担任のない講師の先生方とともに、自主登校児童の預かり担当に。いつもの部屋で子どもたちの受け入れ態勢に入っていた。大方受付が終わり、職員室へ戻ると、登校日の保護者の方々と面談を終えた先生方が休憩している。時間割のように朝一の第1部が終わったところだった。少しの休憩時間を挟んで第2部が始まる。私は預かりの子どもたちの所と自分の教室を往復していた。パソコンにむかって資料作りを始めたところへ、教頭先生がやってきた。第2部にやってきた親子の中に、私の教室に通う発達障害の子どもがおり、新しい先生に一目会いたいと待っていてくれているらしいのだ。それは願ってもない。授業が本格的再開するまで会えることはないと思っていた子どもが、向こうから会いに来てくれたのだ。しかもお母さんまで一緒に。自校通級だからなかなか親御さんにあう機会はない。一度に面会できるチャンス。是非教室へ来て欲しいと、教頭先生が早速呼びに行く。前任者が美しく若い女性の先生だったので、きっといきなりデカいオジサンが現れてがっかりするだろうと思っていたら、階段を上がっている教頭先生の声が私と同じ事を心配して、前もって「見た目が大分違うよ!」と声をかけている。自分のこととは言え、笑いながら聞いていた。
 対面。凍り付くどころか、いきなり人のおなかを触りながら「ドラえもんみたいだな!」と言う。確かに青い服は着ていたし、おなかも丸く出ている。「おなかが出てるからね!」と自虐的に返すと、「いや、ソフトバンクのCMの!」と即答する彼。そっちかい!あれってジャン・レノだったっけ?そんなことはどうでもいい。そう思った瞬間、彼は指にはまった指輪を見せつける!ただの指輪ではない。真っ赤な宝石「獅子の瞳」が輝く「レオリング」だ。見た瞬間に「おお、レオリングだ!」と答えてしまった私。彼はそれを聞き逃すことなく、そんな専門用語を知っているこの先生には話が通じる!と一瞬にして理解したのだろう。ポケットから「ウルトラアイ」と「アイスラッガー」を取り出し、いきなり変身!「デュワッ!」「ワイドショット」「エメリウム光線」「アイスラッガー」と立て続けに仕掛けてきたのだ。私も負けてはいられない。パソコン用眼鏡としておいてある、「ウルトラアイ眼鏡」をかける。もうこれだけで、彼は私の虜。「ウルトラマンについては何でも話せるぞ!先生の息子の名前はタイガ!もうすぐウルトラマンZも始まるね!」なんて言うと、それだけで夢見心地。2人の間に流れる「ウルトラマンの世界」は限りなく広がっていく。だがしかし、こちらは仕事。お母さんとも話さねばならない。可能な限り情報を収集しようとどんなお子さんなのかを聞いてみた。たくさん話してくださった。予め前任者が残してくれた資料にあることもないことも、たくさん伺うことができた。A君は教室内の本を持ってきて、「僕はスーパー戦隊も大好きなんだ!」と五色のヒーローの出てくる漫画を見せてくれた。「大丈夫。先生も毎週キラメイジャー見てるから。ゼロワンも見てるよ!」これだけで帰る気がなくなってしまうA君だが、そこはお母さんも引き際を考えさせる言葉掛けが。「じゃぁ、この本を音読したら帰るね!」いつも前任者と読んでいたであろう絵本を持ってきて朗読してくれた。それだけでピタッと止むのだから大したものだ。ルールを守ることの大切さは徹底して教えられてきたようだ。お互いに「次に授業で会おう!」と約束して別れた。楽しみにして待とう。
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ブログ誕生から早何年?

2020-04-16 23:57:46 | Weblog
 今日はこのブログの誕生日。4749日目ということは、13年経ったということか。書き始めた時に生まれた子どもが中学1年生になったということだ。つまり、先月卒業させた剣道部の連中は、ブログを書き始めた時に生まれた子どもたちだったのだ!そう思うと感慨深いものがある。
 コロナウイルスが猛威を振るうこのご時世。3月から全く授業をしていない。しかも、思えば2月22日から発熱で倒れていたから、最後の授業は2月21日(金)のKちゃんだったことになる。言難最後となった授業が、素敵な女の子だったことはとても嬉しい事実だが、予期せぬ出来事で授業も巣立ちの会も全てがなくなったことが残念でならない。不完全燃焼のまま最後を迎えることになろうとは、お釈迦さぁでも気がつくめぇ!!
 只管片付け続けて1ヶ月もかかっておきながら、いざ、異動してみると残してきた資料やファイルは「ごみ」として溶解処理に回された。私にとっては大事な記録も、何も知らない新人や同僚からはゴミ扱い。そういえば、8年前の転勤でも、後釜ちゃんは古い資料を全て捨てたと言っていた。結局の所、みんな過去の資料なんか要らないのだ。見もしないのだろう。書式さえあればいいのだ。それがこの歳にしてやっと分かった。次の転勤は絶対資料を残さずに捨てよう。
 それにしても、新しい職場への転勤で一番困っているのは私。前任者がWordの使い手(今となっては当たり前だが)で、資料という資料は全てWordファイル。私も使えないわけではないのだが、表がずれたり変なところでインデントが入ったり、剰え、日本語変換ソフトが不自然な日本語ばかり予測変換してくる。Windows95の頃から、一太郎に慣れている私にとって、ATOKを越える変換ソフトはないのだ。癖も知り尽くしているから、表がずれたりすることなどあり得ない。だから今回の異動後の提案文書を全て打ち直しているため、時間が掛かるのだ。早速教室に引きこもって仕事をしている。同僚達がお昼ご飯に誘ってくれても出かけている場合じゃない。こんな時、不謹慎だが「コロナ様々」だと思うのである。授業しながらこの状態だったら、24時間じゃ足らない。だが、コロナのせいで授業ができないのはこんなにも「つまらない・寂しい」ことなのだと思い知らされた。周りの先生達もみんな口を揃えて言う。「授業がしたい。子どもたちに会いたい。」そうなのだ。みんな子どもが好きで教師になった人たちばかりなのだ。どんなに困らせてくれる子どもであっても、可愛いのだ。そんな「教師の本懐」を思い出させてくれたコロナウイルスでした。
 新しいことをやろうと、頭の中では色々と画策しているのだが、前任者は嫁の友達。全てを変えてしまうと、全否定しているように捉えられてしまいかねない。そんなつもりは全くないが、「オレ流」でやりたいだけ。30年間教職やって、23年間通級やって、そんなオジサンが、8年間しかやっていない女の子のやり方を踏襲する必要がどこにある?気を遣う必要もあるまい。書式で彼女が紛失しているものがあったのを良いことに、前任校のものをそのまま流用して早速今日の提案事項から変えてしまった。同僚もきっと何が違うのか分からないだろう。そこまで興味のある人がいるとは思えない。
 暫くはまだ授業のできない日々が続く。言難で取り組んできたものを、発達でアレンジしてどこまで通用するのか。ITCやら何やらで、情報教育の最先端のモデル校なので取り組みやすいとは思う。とりあえず、「こだまツイッター」改め「○○ツイッター」で頑張ろう。
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3月は「去り」4月は・・・。

2020-04-04 23:26:28 | Weblog
 長く続けさせていただいた「ことばの教室」。思えば23年間もの間お世話になりました。最初にお世話になったのは、私が当時の教頭先生の思いをくんで命名した「にじ組」。開設を命ぜられての転勤でした。何も分からず「貴方がプロじゃないのか!?」と当時の校長先生をがっかりさせた覚えがあります。通級制度も始まったばかりで、まだ誰も「通級とは何か?」という質問に答えられる人がいませんでした。教育委員会でさえ、制度的なことを話してくれるだけで、現場のことはさっぱり。私は手探りで頑張るしかなかった。そんなひよっこ(一応20代最後)の私も、言聴研の事務局などを歴任させていただき、愛知大会の切り盛りもして、気がつくと23年。愛知県全体で見ても通級指導教室の「最古参」になっていた。立場の弱かった通級に長く居続けようとしてくれる人がいなかったのだ。名古屋は新卒さんばかりあてがわれて6年後には関係ないところに飛ばされることがほとんどだったため、私が跡継ぎの人材を育てても全く無意味に指導室人事で異動させられるから、言難を率いて立ってくれる人が育たなかった。15年目を経過した時の会長先生がその事態を憂慮してくださって、やっと新卒さんではなく私のような「特別支援学級経験者」を連れてきてくれるようになった。それでもなかなか流出は止まらない。みんな3~5年で転勤してしまう。しかし、やっていく中で気がついた。やって来る人の大半は、例え短い年月しかいなくても、言難に全力投球してくれている。言語・聴覚の専門家としての学習会を熱心に開いてくれる。「自分がいなきゃ!」などと驕り高ぶった気持ちをもっているからマイナス面しか見えてこなかったのだと。頼られているうちは確かに気分がいい。だが、いつかきっと「古いことばかりいっている鼻持ちならないオヤジ」でしかなくなっていく。人は頭を下げなくなったら終わりなのだ。
 教職7年目の時から持ち続けていた言難の資料は段ボール4箱分。大事な書籍と、自分が苦労してまとめた足跡を除いて、全て溶解処理に回してきた。23年分のゴミ処理の大変だったこと!!立つ鳥跡を濁さず、なんて言うけれど、3月31日を過ぎて4月1日午前0時15分、ある程度片付いた(掃除機はかけたけど雑巾がけを忘れてた)こだま教室前と、8年間お世話になった最後のN小学校の通用門で、深々とお辞儀をして「去って」きた。

 夜が明けて、車の中身はそのままに、久しぶりの電車通勤。近いから大丈夫とは思っていたものの、流石にこれはヤバい!タクシーか!?という時間にしか電車に乗れなくて焦ったが、余裕で間に合ってしまった。近いということは嬉しいことだ。
 新しい職場では、今年度の転勤者がずらり。その中に知った顔が。2つ前の学校で一緒だった用務員さんだ。気のいい優しい若者で、これは幸先いい!だが、この並び順、校長先生の名前を呼ぶ順番からして、私は最年長者!?そうか、60歳定年時代なら最後の転勤だもの、オジサンだわなぁ・・・。もちろん、再任用講師さんもいるから職場最年長ではないが。
 新しく担当する発達障害の教室は、これまた嬉しい名前で、2つ前の教室の英語バージョン。2つ前の教室といえば、このブログを始めるきっかけになった思い出深き教室。しかも、同じ特別支援の教室に「にじ組」もある。しかも、特別支援学級が3つと通級で特別支援教育に携わる人が4人もいる学校なんて、一大勢力だ!新しい出会いに気をよくして、家で祝杯を挙げて風呂に入ったら、湯船で滑って転んで左肋骨を二本も骨折してしまうという失態を犯して、早くも4月2日を欠席しなければならないという情けなさ。3日目の出勤時に皆さんの気の遣いようが「痛い」!最初の転勤時も4月1日に熱を出して早退し、2日には急性糖尿病で入院決定という失態を犯した。50歳過ぎて同じ過ちを繰り返すとは・・・。情けない。
 新年度、分からないことだらけ。あれこれ聞きたいところだが、4月の初めなんてみんないっぱいいっぱいで仕事してる。自分で調べて対応できることは何とかするしかない。伊達に30年間教員やっているわけじゃない。だがしかし、新しいIT機器に手惑うことが多く、管理職や教務さんの手を患わせてしまう。誠に申し訳ない。しかも自分のせいで全て1日遅れになっている。スタートでしくじるとは一世一代の不覚。まぁ、始まったばかりだから焦ることもないのだが、少しでも余裕を持って臨みたい。どこまで頑張っていけるか、52歳で新しいことを始めるこのときめき!!皆さんに伝わりますかねぇ!!ワクワクしています。令和2年4月、教職30年目・通級指導歴24年目のスタートは「発達障害」で!「やってやるぜ!!by藤原忍(分かる人はかなりのオタク?)」
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