夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

教育課程

2011-01-22 00:42:05 | 言語・難聴
一昨日、ようやく教育課程の編集委員会が全日程を終了しました!こんなことを言うのも何ですが、この役員になるまで、特別支援教育の教育課程なんて読んだことがありませんでした。勿論、存在は知っていましたが、本来の教育課程は代表者がまとめて作り上げるものではなく、各学校ごとの実態に合わせて独自に編纂されるべきものです。かく言う私も、今まで他人様が作った教育課程なんて、自分が受け持つ子ども達の実態には合わないから、という理由で、読みもしませんでした。
ところが、実際に作る立場になってみると、作る側の苦労というものは相当なもので、自分本位にならないようにと、ありとあらゆる場面を想定して作らなければなりません。今までよりも幅の広い考え方で作成していかなければ、誰にでも参考にしてもらえるような教育課程にはなりません。自分にはかなり難しい仕事でした。
今回、この仕事に関わらせて戴いたおかげで、参考文献も含めて沢山の教育課程関連本を読みました。今まで知らなかったこともたくさんあり、改めて文献を読むことの大切さを知りました。それと同時に、苦労して作った教育課程を仲間に読んでもらいたいと思うようになりました。今まで散々馬鹿にしてきた、「他人様の作った教育課程」を、自分が初めて作る立場に立ち、その大変さと、中身に込めた思いを知ることになったことで、皮肉にも今までの自分の考え方を否定してしまうことになりましたが、このことが、自分を一回り成長させることにつながったかなと、終わってから考えた次第です。
でも、教育課程はあくまでも、各学校ごとの実態に合わせて独自に編纂されるべきものというのは変わりありません。あくまでも参考文献として使っていただければ、それだけで嬉しいです!
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落書き

2011-01-16 03:20:56 | 教育・躾全般
昨日の朝、8時から、バケツとデッキブラシを持って集会所の壁を洗う羽目になりました。二日前の夜遅く、長男が娘の落書きを発見したと報告したのです。しかも発見したのは1月4日のことらしく、何故もっと早く親に知らせないのかと私に余分に叱られて、兄弟三人連帯責任で落書き消しを命じられた訳です。朝から家族総出で落書き消しをする姿は、ご近所から見たら異様な光景だったようです。でもこれには私なりの狙いがありました。今回の落書き事件は娘一人の仕業ではないことが分かっていたのです。妻はほかの子供たちも呼びつけてみんなでやらせるべきだと思っていたようですが、私の考え方は違っていました。家族総出でやるのは、落書きメンバーに娘が入っていたことで、娘自身に公共の場所へのいたずらが悪いことであり、また、周りの友達を制止出来なかった勇気のなさを悔いてもらうために行ったのです。しかも、朝っぱらから家族総出で取り組んでいれば、必ず周りの家の人たちの目に留まります。中には落書きメンバーの親子もいるでしょう。こちらから「お宅のお子さんもやったらしいから、一緒に落書き消しをしてください。」と言えば、子供たちの心理的に「自分はやっていない!」とか「あいつだってやっていた!」というように、素直な心が育たなくなります。今回のように、まずはうちの家族全員の態度で示せば、きっと子ども達自身の口から、自分も加わっていたのだと言うことを素直に言えるのではないかと考えたのです。予想は的中し、子ども達の口から親に自分もやっていたと告白があり、わざわざ我が家まで謝りに来てくれた方も見えました。
とかく大人は子供に対して「犯人探し」をしてしまいがちです。しかし、子供にも叱られたくないと思う気持ちがあります。頭ごなしに叱りつければ、本当のことを言い出しづらくなってしまいます。素直になれるように、子供の心に訴えかける方法を考えながら接していきたいものですね。
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きらめき展(教育展)に寄せて

2011-01-13 12:03:56 | 言語・難聴
 昨日、教育センターへきらめき展の作品搬入に行ってきました。特別支援教育の浸透により、かなりの参加人数になり、展示パネルを最大限にまで使って開催されています。でも、発達障害の通級指導教室が増えたため、予定では作品を収めきることができなくなってきたらしいのです。そのためでしょうか、うちの通級に連絡が来たときに、出品数の確認をする係の人が一言、「通級は出しても出さなくてもどっちでもいいです」この一言を聞いて私の頭の中で何かが切れる音がしました。もう出品するのをやめようと思ったのです。
 知的障害児学級・情緒障害児学級の担任を経験して、初めての転勤で言語の通級指導教室を担当することになったとき、行事部の役員をしていた私は、通級指導教室の知名度の低さに驚き、教育展にはなんとしても作品を出品して、世間に「こういった方法で学んでいる子どもたちもいるんだ!」ということを知らしめてやる!と鼻息荒くこの世界に飛び込んだのでした。当時は教育展という名称で、通級の担当者たちは「図工」の授業をしているわけではないから参加する意義がない、といってほとんどの教室が参加していませんでした。確かに周囲は特殊学級や養護学校と呼ばれた時代の学級・学校ばかりなので、図工や作業学習で取り組んだ作品が並ぶ場所だったのです。しかし、「教育展」という名称は「図画工作や作業学習」を意味する言葉ではなく、言語や難聴の子どもたちが日頃取り組んでいるものを展示すればよいのではないですか?という私からの問いかけに、当時言語難聴のスペシャリスト集団だった名古屋の通級指導教室の先生方が賛同してくださり、ほとんどの学校が「絵日記」とか「自己紹介文」などの文章表現したものを展示するようになりました。大きく紹介するコーナーを作ってもらい、通級指導教室は一躍有名になりました。
 しかし、特別支援教育と名を変えてからは、言語・難聴よりも発達障害が通級の中心となり、支援を必要とする子どもたちの数も圧倒的に後者の方が多くなってきました。今では各区に一教室以上設置されるまでになりました。特別支援学級自体も数が増え、今や設置されていない学校を数える方が早くなってきました。それほど特別支援教育は当たり前になってきているのです。まだそれが特別支援学級の教員が中心になって取り組んでいるところが問題ではありますが、これだけ通常の学級に支援を必要とする子どもたちが増えていったのでは、通常学級の担任のレベルアップが大きな課題でしょう。話はそれてしまいましたが、これだけたくさんの児童・生徒が参加する「きらめき展」の会場として、教育センターが手狭になってきているのは事実です。会場が変わることも議論されて、ほぼ決定したと聞きます。
 それはさておき、私が問題にしたかったのは運営する側のスタッフの意識の低さ。「出しても出さなくてもどちらでもよい」とは何事か!!と怒鳴りつけたい心境でした。その一言で心が折れてしまった私。それでも今年は子どもたちにも保護者の方々にも「きらめき展に参加しますので」と言って絵日記を書いてもらっているのに、出さないわけにはいかないと半ば消極的になり、初めてお手伝い一つせずに我が校の作品だけを掲示して帰ろうとしたときのこと。通級担当の若い女性の先生が楽しそうに自校の子どもたちの作品を掲示していました。そこで私が今回のことを愚痴って「もう来年から出すのやめようかな」と言ったとき、若い二人はこう言いました!「それは腹が立ちますね!でも、一層燃えてきます!!言語・難聴の存在を見せつけてやるんだ!!私たちはずっと出し続けます!!!」その言葉を聞いて目が覚めました。14年前に自分もそう思って先輩の先生方に意見したのを思い出しました。自分が名古屋の言語・難聴の最長老になり、若い先生の見本にならねばならないにもかかわらず、こんなことくらいでめげていては、今までやってきたことが水の泡になってしまう。でも、若い先生方がこんな風に意識を持って取り組んでくれているのがとても嬉しかったです。久しぶりに一人で嬉し泣きをしてしまいました。今後もそんな先生たちが増えると嬉しいな!
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親として

2011-01-13 10:39:47 | Weblog
 先日、仲人をしていただいた方のお孫さんが自動車のおもちゃや電車のおもちゃが大好きだということだったので、我が家の大掃除で行き場に困っていた大量の「トミカ」と「プラレール」のセットを持って、新年のご挨拶をかねて遊びにお邪魔したときのことです。お孫さんは目の色を変えて大喜び!!これだけ喜んでくれると私たちも嬉しいです。何せ、トミカもプラレールも、11年前、長男が1歳の時に私たち夫婦や、両親、兄弟が買い与えたもの。長男が最初に覚えた車の名前は、当時私が乗っていた愛車「スカイライン」。どのおもちゃも買った当時は一生懸命に部屋中に広げて遊んであげたものです。しかし、いつ頃からでしょうか、自分の忙しさにかまけて私が一緒に遊んであげなくなりました。別に子どもが車や電車に興味がなかったわけではなかったのですが、つい、「忙しいから後でね」と相手にしなくなり、次男が生まれてからは家の中にものが多くなり、プラレールを広げられると邪魔になって仕方がないと思い、ほかのものに興味が向くように仕向けてしまいました。その結果、いつの間にか忘れ去られて棚の中からセットが出されることはなくなりました。
 あれから10年がたち、今の家に引っ越してからもすでに8年の歳月が流れ、久しぶりにおもちゃを出して起動確認をしようと思ったら、乾電池を入れっぱなしにしてあったために9両あったプラレールは5両が液漏れで破損して使えなくなっていました。長男に、「これ、あの子にあげるから、新しい電池で動くかどうか確認しておいで!」と言うと9年ぶりくらいに触ったプラレールを嬉しそうに動かしているではありませんか。6年生になっても嬉しいんだろうな、と微笑ましく思ったと同時に、少し反省しました。もっとこれで遊んであげればよかったと。お孫さんにあげたとき、彼が大はしゃぎして遊び始め、仲人さんが息子に「遊び方を教えてあげて。」と言ってくださり、一緒になって遊ぶ姿を見たとき、その反省はもっと深いものになりました。息子もお孫さんと一緒に大興奮しているのです。「お父さんが悪かった!」と心の奥底で思いました。妻も思いは同じだったようで、しきりに「もっと遊んであげればよかったね」と連発していました。我々が帰った後、お孫さんは一人で夜7時まで遊び続けていたそうです。大好きなものに囲まれてさぞかし嬉しかったことでしょう。私はそれを持っていながら仕事ばかりに突き進んで、遊んであげようとしなかった。親として大きく反省させられる出来事でした。
 一人で遊べるおもちゃを与えて安心してしまうと、確かに家事をする余裕や仕事に没頭する時間が生まれて楽かもしれません。しかし、幼い時期の親子のコミュニケーションは二度と戻ってきません。ことばの教室を担当しながら、幼児期の親子の関わりがとても重要であると分かっていながら、それをおろそかにしたことを後から悔いることにならないよう、今後も一人の親として我が子の成長を見守りたいと思います。
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初日の出

2011-01-01 08:11:41 | Weblog
2011年の夜明けぜよ!朝日に向かって誓いをたてるぜよ!
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明けましておめでとうございます!

2011-01-01 03:57:14 | 教室経営
 いよいよやって参りました平成23年!!新しい年の豊富を一つ!!「痩せてみせるぞ!」って毎年同じ目標じゃないか!
という冗談はこのくらいにして、今年のつばさは「話すこと・聴くこと」に力を入れていこうと思います。今年度新たに入った子どもたちに共通していることは、自分の話は何とか出来るようになってきたけれど、人の話を聞くこと(他の人たちのブログコメントを読むこと)を面倒くさがる傾向にあるようです。話すことと聴くことは表裏一体。相手に伝えるだけではコミュニケーションは成立しません。一方通行になるだけです。高学年にはしっかりと求めてきたのですが、これからは中学年以降にも求めてみようと思います。内容が少し難しくなるかもしれませんが、「話を聴きながら理解すること」は大切な課題です。人とコミュニケーションを図る上でしっかりと身につけてほしいことの一つです。発音はもとより、「話す・聴く」にこだわった授業内容になりますが、頑張ってほしいと思います。「話すこと」の中にはもちろん、「助詞の使い方」などの文法的なことも含みます。正しい言葉遣いを学びながら頑張りましょう!
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