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哲学者としてのサルトル:松山情報発見庫#321

2005-11-02 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
サルトル―1905-80

藤原書店

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今回は、三度『サルトル1905-80』別冊 環⑪藤原書店,2005について取り上げたいと思う。

今回は、本誌97ページより納められているジャン=フランソワ・ルエット「サルトルの遺産」を主軸に、202ページよりの水野浩二氏の「神・本来性・全体的人間」よりサルトルの倫理観も含めて、概念構築者としてのサルトル哲学の功績というものを見ていきたいと思う。
まず、ジャン=フランソワ・ルエットは、100ページから103ページのサルトルの「哲学者としての3つの功績」として、
・本質的なものを発見したこと
・主観の理論
・自由と状況を連結したこと
の3つを挙げている。
彼の説明だけでは、難解な部分もあるので、本書での諸氏による議論または、『存在と無』での議論を踏まえてこれら3つの功績というものを見ていこうと思う。

①本質的なものを発見したことについて
サルトルは、「本質的なものとは偶然性である」(ルエット)ということを発見した。
まずここで、サルトルが偶然性というものをいかに捉えているかということをみてみよう。
[偶然性](『存在と無』(上)570ページより)
その存在が必然であらぬこと。自己自身の存在を根拠付けることができないこと。その出現が理由付けられえないこと。偶然性はもともと即自存在に関する規定であるが、対自も存在する限りにおいて、やはり、偶然性をまぬかれえない。偶然性は対自を即自に結びつける。
という風に捉えられている。

ここで注目すべき必要があるのは、
「対峙も偶然性をまぬかれえない。偶然性は対自を即自に結びつける。」
という部分であろう。
次に、同じく『存在と無』の語句解説(582ページ)より
[即自-対自]
という概念について見てみよう。
「対自は、自己自身に対して自己自身の存在欠如であるような存在である。対自が欠いている存在は、即自である。」
という。
また、同じく語句解説の中では、
「人間存在とは即自でありたいという欲求である」という風にも述べている。これは、後に「哲学者、詩人というもの」でも述べることに関連するが、
即自という言葉のサルトル的な意味が、「それがあるところのものであり、あらぬところのものであらぬ存在」というようであることからも、
「人間ていうのは、自分のあるがままの姿でいたい」
「Let it be」でありたい
しかし、だからといって、その姿というものを具体的に描けといわれるとなかなか難しいちうきわめて私たちの存在に身近な問題のことについて論じているのだ。

ここまで述べたところで、念のため、
[対自]という概念について、見てみよう。(本書282ページ語句解説より)
:「対象との『関係』そのものである意識の存在の仕方」
という風に捉えられており、これを『存在と無』(上)の語句解説では、
「自己への現前であるような存在」。「意識」「コギト」と同義。(584ページより)
という風にある。
ということは、つまり、対自とは、自分の意識がどのように相手、もしくは世界に対してあるかということの意識ということになる。
これは、③の議論にもつながっていくが、人間の意識の自由なあり方ということにもつながっていく。

②主観の理論
これは、比較的簡単なことなので軽く流すことにする。
「自我は、場所をふさぐ管理人のように、一つの人格のようにして、主観に内在するものではない。」(ルエット,本書101ページより)という言葉に代表されるようにサルトルは自我、もしくは主観というものを多面的なもので、複数的な私であり、〈私〉の内に矛盾したさまざまな人格が共存しているものである。〈本書122ページ『分裂増殖するサルトル』,澤田直より〉とい卯風に捉えているということである。

③自由と状況を連結した
〈これに関しては、慎重な分析を必要とするので、後の「サルトルの倫理観」
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1 コメント

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偶然性についての注釈 (管理人)
2005-11-05 19:18:08
ここでの「自己自身の存在を根拠付けることができないこと。その出現が理由付けられえないこと。」ということは、サルトルが、『嘔吐』などで描いた個人主義的実存主義のなかでの生に対する不条理観ということにつながっていくと思われる。
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