まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

孫の顔みて幸せな気持ちになれた

2009-06-15 | 随筆
土曜日にはカミさんと一緒にまた競馬場に行った。府中駅に着くと、息子から電話があって、競馬場に向かっているという。「きっと、息抜きだって、ひとりで競馬場に来たんだな」、そんなことをカミさんと喋っていると、競馬場近くで息子夫婦と孫を発見、遠いところを三人で二時間半かけて来てくれたらしく、ビックリした。千葉の病院で産まれた日に顔を見ただけで、今回が二度目だった。まだ生まれて100日目の女の子、笑い顔を見ているとおいらに似てる。じいちゃんのヨク目でついついそう見えてしまう。「うん、凛々しい顔してるなあ、きっと美人になるぞお」っと、孫を見ていると、おいらもカミさんも自然に顔がほころんでくる。孫の顔を見ていると、息子が生まれた時、そして小学校、中学校と大きくなっていく姿や、子供を育てることによって、こちらも親の勉強をしていく過程、そして孫にバトンタッチされた今までのことが走馬灯のように頭をよぎる。そうすると、どちらかいうと自虐的なおいらの人生観が「おいらの人生もそれなりにこれでよかったんだなあ」と肯定的に捉えることができる。とっても幸せな気持ちになれる。競馬の成績は相変わらずイマイチだったが、カミさんと幸せな気持ちになって帰途に着いた。家に帰ると今度は娘の孫から電話があった。まだ三歳でよく喋れないのだが、「うんこ、バリバリー」っと元気な声を聞かしてくれる。娘も看護師の仕事、家庭、子育てと一人三役の大忙しで、息子とは違い同じ市に住んでいても二ヶ月に一度顔を出す程度だ。けれど、二週間に一度くらい電話で孫の声を聞かしてくれる。息子も娘も孫の顔や声をおいらたちに聞かせてやろうと、「そういう気持ちが嬉しいよね」、カミさんはそう言って嬉しそうだ。「まあ、いろいろあったけど、俺たちの人生もこれでよかったんだよな」、おいらがそう言うと、「いい息子や娘に恵まれて幸せよ」とカミさんがそう応える。ぼくたちは幸せな眠りにつきました。

自虐-平和ボケは人も組織も腐らせる

2009-06-14 | 随筆
おいらは平和ボケ、だから腐っている。組織もまた、平和ボケが続くと内部から腐っていく。宇宙真理のひとつとして、万物は常にバランスを保つ動きをしている。やじろべえのように、左右均等の重量なら停止してしまう。しかしこれが長く続くと動物の場合は死んでしまう。マグロは泳ぎづめでないと死ぬというが、動くものと書く動物は文字通り動かなければ死んでしまう。ハラがへれば働き、食事にありつき、排泄し、人も動物も常に「欠如を補う運動」をしてバランスを保とうとする。その運動そのものが生きるということだ。組織や企業、社会もまた同じだ。欠如したものがあれば活性化するが、平和というか満ち足りた環境になると、活性を失って動きが沈滞化し、腐敗していく。日本も敗戦後、昭和の時代は欠如したものがまだ多く、それだけに、明日を夢見てシンプルに活性化していた。しかし戦後これだけ経つと、世の中裕福になって欠如が見えなくなり、逆に守りの世界に入っている。だからあちこちで腐敗の臭いがするようになった。おいらも平和ボケで「欠如」を感じないから、動かなくて、次第に腐敗の臭いがするようになった。

「正義」に負けた鳩山総務相の辞任!

2009-06-13 | 発言
郵政民営化ほど難解な問題はない。しかし、基本的なところでは、ぼくは民営化に賛成である。鳩山VS西川問題は、「民営化、是か非か」までさかのぼらなければ本質が見えてこない。鳩山総務相は、かんぽの宿の格安売却問題、障害者郵便割引悪用問題などで、西川社長に「これは正義だ」と言って辞任を迫った。しかしこの男、自らを「正義」というが、どっからみても軽薄で感情過多、思い込みの強すぎる男である。事実、かんぽの宿などすべて民営化なる前の公社時代の問題で、西川が改革の過程で露呈しただけの話である。それを民主・社民・国民新党が西川社長を特別背任未遂罪で刑事告訴するなど、野党もバカバカしい行動に出ている。ぼくは民営化を推進するなら西川ほどの適任はないと思っている。200兆円を超える預貯金を運営・経営していくには筋金入りのバンカーでしか出来ない。銀行経営に素人を連れてきて失敗した東京新銀行のようになる可能性が高いからだ。事実西川社長になってから、帳簿上とはいえ利益は倍増し、公社時代の天下り先も切って合理化を進めている。その過程でかんぽの宿のように赤字垂れ流し分野はソンしても売って切ってしまうことは経営の常道である。高く売れればそれに越したことはないが、仕方の無いことだ。それを野党は背任だとか、鳩山は国民の支持を得た正義だとか、まったく茶番にしか思えない。鳩山は麻生首相を総裁選三期にわたって支持し、麻生自身も「私は郵政民営化には賛成でなかった」と国会答弁でも言ったので、鳩山にとっては麻生を信頼していたのであろう。事実今春の段階で西川社長更迭の人選を麻生自身が調整していたと今日の読売新聞には書いている。それが小泉-竹中のつぶしに遇って、逆に鳩山更迭になったという。なんとも魑魅魍魎とした話だ。鳩山にしてみれば、「あれだけ支えてやったのにオレを斬るとは」と麻生に恨み骨ズイだろう。このウラには郵政民営化賛成族と反対族国会議員の攻防戦があり、そのの結果だと言える。それにしても麻生は、民営化反対なのか賛成なのか、フラフラ迷走状態の鳩山切りだった。小泉フィバーの情緒だけで決めてしまった郵政の民営化論議を、マスコミ・国民がもう一度冷静に考える時期に来ているのかも知れない。

朝日新聞の「報道批判弁明」は傲慢、不遜!

2009-06-12 | 発言
長い雑誌記者生活の中で、たびたび朝日新聞の記者と接する機会があったが、何か自分たちは偉いと、一段上からの目線で話す記者が多かった。それが朝日新聞の体質のひとつだろう。一昨日、民主党が西松事件の検証を有識者に委ねた「第三者委員会」が最終報告書をまとめ、それによると、報告書の半分以上が検察・マスコミの偏向した姿勢を問題としていた。朝日新聞は、一連の記事に関係した記者をまとめたという社会グループ次長市田隆の署名で、さっそく昨日の朝刊で「報道批判に応える」と反論を試みているが、まったく、傲慢・不遜の域を出ていない。我々は正しいと、反省の色、まったく無しである。ジャーナリストは情熱も大事だが、常に謙虚でなければ、間違った報道を貫いてしまうことになる。そういった体質が朝日新聞にはあるようだ。まず、報告書では、「マスコミは起訴前から有罪視していた」とあり、それに対して、市田次長は「小沢氏側と西松建設の問題を解明し、全体像に迫ろうとした。それが何故、有罪視報道なのか」と開き直っている。そして「有罪」と決め付けるような報道はしていない、と言うが、一連の記事の書き方は誰が読んでも、読んで受けた印象は「贈収賄の小沢」だった。それほど異常な書き方だった。二つに「東北地方の公共事業と今回の政治資金が関連しているような歪曲報道があった」と報告書が指摘しているが、それに対して朝日は、「背景の問題提起が必要だった」とし、談合組織と小沢事務所の詳細を報道したのであり「過大・歪曲」との指摘は当たらない、と言い逃れを書いている。さらに「検察関係者ばかりが情報源だった」という指摘に対し、多岐に取材したと反論している。これらは読むにあたらない弁明ばかりだった。結論からいうと、大久保被告裁判は最高裁までいっても無罪になる。そうした場合、政局までゆがめてしまった一連の報道に朝日はどう責任を取るつもりなのか。菅家さんを逮捕した刑事は未だに「ヤツは黒だ」と言っているらしいが、それと同じで、反省の無い朝日は、それでも小沢は黒と言い張るような記事を書き続けるのだろうか。今日の朝日の社説もそうだ。「なぜ特定のゼネコンから巨額のカネを貰い続けたのか」と問い、「自浄力が問われ続ける」と未だに書いている。この問題はなにも小沢だけではなく、民主党12億円の企業献金に対して自民党は128億円も受け取っており、国家議員全体の問題であり、企業献金を禁止にすればいいことだ。そういうことを朝日は一切書かない。朝日新聞襲撃事件で週刊新潮が誤報記事を載せたら、この間紙面で徹底的に新潮社を叩いていたが、朝日自身は漆間副官房長官から「自民党には波及しない」発言を誤報と言われても、一言も反撃しない。どうしてこんなに朝日は権力側に弱くなったのか。この頃の朝日は客観性を欠き、ジャーナリストとして異常である。前述したように、ジャーナリストは常に謙虚でなければならない。真実でない誤報というのは、最も避けなければならないことだからだ。常に不偏不党・中立に身を保ち、オレは真実を伝えているかと、絶えず反省しながらペンを走らせなければならない。しかし、朝日新聞には「オレこそが正しい」と傲慢・不遜なところがある。ジャーナリストとして、これほどやっかいなものはない。

生きるということ

2009-06-11 | 随筆
とりあえず禁パチで「小さく」死んだものの、次の手立てがなく、毎日、ぼおーっと暮らしている。衣食住に満ち足りると、後は自己実現というが、今の自分が本当の自分かと思うと、ぞっとする。糸の切れた風船のように、日常に漂っている。また、羅針盤のない船のようだ。サルトルは人間は完成されたものではなく、途上のもの、未来に向かって投企されるものと言っている。若い頃には恐いものなどなく、自己実現のために未来に向かって投企し続けてきた。勿論まだ61歳のぼくは、あと10年くらいは、未来に向かって投企する生き方をするべきだ。しかし、神経的な持病を持っていて、ムリするとすぐ疲れが出るので、今よりもひどい再発を恐れて、現役を退いてしまった。社会への参加、係わり合いは疲れるので、一切控えてしまっている。かと言って、やっぱりぼくも人間、何かに関わってないと、充実感がない。その矛盾のなかでモンモンとしている。やっぱり、「生きがい」「死にがい」といったものが欲しいなあ。凛々しく生きてみたいのだが・・そんなことを考えていると、金沢の従兄弟の栄子から電話が来た。「あんちゃん死んだの、死ってる?」。暗い声だった。あんちゃんとは、本家の従兄弟で79歳で、四日前に逝ったと小松の従兄弟の奥さんから電話が当日あって、体力的に金沢まで葬式に行ける自信がないから、即日京都の兄と連絡を取って、ふたり分の香典を送っていた。「克己にえらい怒られた。京都はなんで来ないんだって・・」。克己とは小松の従兄弟のことだ。京都とはぼくの兄と、姉と、ぼくのことを意味する。兄は障害者の次男と高齢で痴呆の入った母を抱えて家を空けられない。姉は旦那が難病を患い看病に追われている。そしてぼくは、神経的な持病で、とても金沢まで行く体力に自信がない。で、香典ですませてしまったのだ。元気な30年前には金沢で「いとこ会」に行き、50人以上の親戚が旅館に集まったことがある。しかし、もうそんな元気はなく、親戚とも疎遠になっている。そんな事情を克己に言うこともなく、栄子には「そうか、仕方ないもんなあ」とだけ応えた。もう、不義理も仕方ないと思っている。だから母が死んでも親近者だけで密葬し、後で葉書で親戚には知らせるつもりだし、オレが死んでもカミさんにはそうしてくれと言っているし、カミさんが先に死んでもそうしようと思っている。もう、旅立ちに際してはそれでいいではないか、そう思っている。そのように人との係わり合いを無くしていく一方で、逆に人と関わりあいたいとも思う矛盾のなかで、今日も生きている。人間というのはやっかいな動物だ。傍でペットの猫がのんきそうに熟睡している。


不可解な鳩山総務相の西川降ろし!

2009-06-10 | 発言
どうもこの郵政問題というのはよく解らない。マスコミの記者だって解らないから書きよう、言いようがないから、深くレポートしようとしないし、国民は一層解らない。そんな中で、鳩山邦夫総務相が、西川義文日本郵政社長を辞めさせたがっていることだけは判る。ぼくが判るといっても理解したという意味ではない。なぜ辞めさせたがっているのか、よく解らないからだ。「かんぽの宿」の一括売却はそりゃあ確かに格安の値段でオカシイ。しかし西川社長にしてみたら、民営化になったら、まず不良資産を売却して身軽にしようというのは当たり前ではないか。値が安すぎると言っても、高く買ってくれるところがあればいいが、そうもいかない。そしてその責任を取れと言っても、この「かんぽの宿」問題は西川氏が社長になる前からある不祥事だ。そして障害者割引の不正問題にしても、以前からの問題で、それらの責任を取って辞めろというのは、ちょっとスジが通らぬと思うのだが、鳩山総務相は、9日の参院総務委員会でも、認可権限を行使してでも辞めさせると言っている。草なぎクンが裸になっただけで「人間として最低」と感情的になった鳩山総務相、今回の西川辞任問題でも「これは正義だ」と言っているが、感情むき出しに思える。なにか西川氏に個人的な恨みでもあるのかと勘ぐりたくなるほどだ。別に西川氏の肩を持つわけではないが、西川善文といえば、生粋の住友マンである。住友銀行というのは掘田頭取以降、ケチの住友で通っている。いわゆる銀行の中では最もガメツイところである。「向こう傷を恐れず前に進め」という積極かつガメツイ精神が染みとおっている銀行だ。その中で西川善文は商社の安宅産業の整理も行い、住友銀行頭取、合併しても三井住友銀行頭取を経た人物だ。小泉元総理が選んだだけあって、改革するにはこれ以上の適任者はいないだろう。ところが、ここが魑魅魍魎とした政界のこと、麻生首相は「郵政民営化には賛成ではなかった」というし、それに対して小泉元首相は「怒るというより笑っちゃうくらいあきれている」といい、そして今回の異常とも思える鳩山総務相の西川降ろしである。だったらどうなんだい?現政府は郵政民営化、反対なのか、賛成なのか、と問い正したくなるほどだ。マスコミも何が何だか解らないから書きようがない。ひたすら西川は、鳩山総務相から「自ら辞任してまるく治めろ」と言っても、「自分からは辞めない、権限行使してクビにでもなんでもしたらいいだろう」とバンカーのプライドを捨てないでいる。国民にとっては一層不可解なところだ。第一、小泉劇場で国民の支持を得て郵政民営化となったが、民営化がいいのか、わるいのか、未だによく解らない。民営化になってサービスが悪くなったとか、地方に郵便局がなくなって住民が苦労しているっていう話は聞くけど、そういううわべの問題だけではない。もともとの民営化問題は、200兆円を超える郵便貯金が、財政投融資の名のもとに、自動的に当時の道路公団など特殊法人に配分されムダな公共事業に使われているというところにあった。しかし、ゆうちょ銀行になった今、それらはどうなっているのだろうか。マスコミはちっとも追わないからさっぱり解らない。ゆうちょ銀行の資産運用はどうなっているのだろうか。民間になっても一般企業に融資せず、相変わらずその殆どを長期国債を買って、その資金を財務省が相変わらず財政投融資に使っているのだろうか。形だけ民間になって、そんな経営で、収益を出して、赤字を出さず経営が成り立っていけるのだろうか、さっぱり解らない。マスコミよ、もっと勉強して、そこらの深いところを取材して書いてもらわないと、国民はちっとも解らないではないか。

いっそ小さく死ねばいい

2009-06-09 | 発言
森山直太朗さんの歌に「生きてることが辛いなら」という歌があって、「生きてることが辛いなら、いっそ小さく死ねばいい」という歌い出しのその詩に、「これは自殺を助長する歌だ」という非難がよせられたことがある。ぼくはその非難に笑ってしまったが、ここにたまたまぼくが20年も前に書いた掌編小説がある。ちょっと読んでみて下さい。

「ある男」

商談が終り、近くの砂浜で腰を掛け、夕陽を見ていた。水平線も、かもめも、雲も、潮風も、なんだか、悲しく思えた。生きるのに、なんでこんなに疲れるんだろう。
寝転がって、目を閉じた。潮騒が、やけに力強く迫ってくる。じっと、聞いていると、ぼくは、だんだん、砂になったような気になった。ぼくは生きものではない。砂だ。そう思うと、とても気分が楽になった。
せっかく海水に洗われて、沖に行こうとした時、「ザック、ザック」という人工的な音で目が覚めてしまった。起き上がって、奇妙な音のするほうを見ると、砂が飛んでいる。実に奇妙な光景だ。砂が地の底から飛び上がっているように見える。ぼくは、こわごわ、近づいてみた。
スコップらしきものが見えた。誰かが砂浜に穴を掘っているのだ。大きな穴を覗くと、背広姿の男が、身体じゅう砂だらけになって穴を掘っている。
「な、なに、しているんですか」
ぼくは、飛んでくる砂をよけながら聞いてみた。
男は夢中になって掘っており、上に人がいることさえ気づかないようだった。ぼくは、大声で、同じことを聞くと、ようやく顔を上げた。
「何してるのって、死体を埋めるのよ」
男は頬の砂を掌で落としながら、微笑んで言った。
「死、死体って、誰の」
ぼくは、どきまきした。
「誰のって、俺のだよ、俺の」
男は、そう答えると、大きな声で笑った。そして、スコップを立て、それを足掛によじのぼってきた。
「あんたも、サラリ-マンかい」
「えっ、まあ……」
男は腹這いになって、スコップを引き上げた。紺の背広も緩めたネクタイも砂だらけだ。男は砂を払おうともせず、横のビジネス鞄から一枚の写真を取り出し、ぼくに見せてくれた。
「ほら、俺がいるだろ。横のこれが女房、これがせがれ、こっちが、せがれの女房、もう、俺はここまで大きくしたんだよ」
男はそう言うと、勢いよく、その写真を二枚、四枚と破って、穴の中に撒いた。そして、「これが俺の仕事」と、鞄のなかの書類を全部穴にひらひらと落とし、最後に鞄も落とした。
ぼくは、何も言えなかった。男は立ち上がると、背広もズボンもシャツも革靴まで脱いで穴に落とし、側の紙袋から新しい身軽そうな服に着替え、ズックを履いた。そして、再びスコップで穴をすべて埋めてしまった。作業は終わったようだ。スコップだけが残った。「これ、やるよ」
「いや、ぼ、ぼくは……」
男は笑いながら、
「たまに死ななきゃ、生きていけねえぜ」
そう言うと、スコップの掌を離し、砂浜をゆっくり歩いて遠ざかっていった。
やがて男は、砂丘の向こうに消えていった。
                             (完)

とまあ、こんな掌編小説だが、小さく死ぬということは、言ってみれば「思い切って、今までの自分の生き方を変える」ということである。また別の言い方をすれば、自分の中で死んだもの、あるいは死にかけているものを、潔く捨てて、新たに出直すということだ。ニーチェは「脱皮しない蛇は死ぬ」といっているが、その言葉を借りれば、脱皮することこそ「小さく死ぬ」ことで、再生を目指すということである。なんて随分大仰で立派なことを書いてるけど、ぶっちゃけた話、ぼくはパチンコから足を洗って、別の生き方をしようって、そういう次元の低い話から、ふっと「いっそ小さく死ねばいい」って直太朗さんの歌を思い出しただけなんですぅ。それにしても負けがこんで、もうこれ以上虚しい作業はしてられないと、潔くパチンコから足を洗うことにしました。次元の低い感度から、文学、哲学性の話にまで引き上げてすみません。でも一度「小さく」死んでみます(笑い)。


ホトトギスはなぜ詠まれるのだろう

2009-06-08 | 随筆
今年も上記写真のホトトギスが渡来してきた。おいらの家は山間部にあるので、「ケキョ、ケキョ、ケキョ」と昼夜を問わず鳴き声がこの五月から響き渡っている。その鳴き声を「特許許可局」とか「テッペンタケタカ」と聞こえるというが、とにかくけたたましい。真夜中でも鳴いて移動しているから、こいつ鳥目でないらしい。五月頃中国などから渡来してきて、日本のウグイスの巣に托卵し、ウグイスに育てさせて、冬になるとインドや東南アジアに行って越冬するらしい。このけたたましい鳴き声がどうして古来から日本の俳人たちに詠まれているのか、よくわからない。古くは万葉集にも出てくるというし、枕草子では、ホトトギスの初音(その年に初めて聞く鳴き声を聞こうと夜を徹して待つ様が描かれているという。情緒もなく、けたたましいだけでそんなに魅力のある鳴き声だとは思えないのだが・・でも、芭蕉は「木がくれで茶摘ときけやほととぎす」と詠み、一茶は「うす墨を流した空やほととぎす」と詠み、夏目漱石も「時鳥(ほととぎす)厠(かわや)半(なかば)に出かねたり」と詠んでいる。ホトトギスは時鳥、子規、不如帰などとも書くが、正岡子規は22歳で喀血し、「赤い血を吐く子規鳥」の古事にちなんで「子規」と号し、「ホトトギス」という俳句雑誌まで創刊している。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という一連の信長・秀吉・家康の比喩はあまりにも有名だが、ウグイスならともかく、どう考えてもこの鳴き声(これを書いている今も鳴いています)に自分ながら文学性に繋がらない。あえて言うなら、その血を吐くような必死の鳴き方に、俳人たちはそれぞれの胸の内の必死さを託したのだろうか。初老間近のおいらには、もうそんな血を吐くような必死さがなくなったのかも知れない。

深夜の蛾に神秘を想う

2009-06-07 | 随筆
昨夜の午前零時、スナックでカラオケをやって遅くなったカミさんが、ゴミだしに出て帰ってくると、「ねえ、とっても綺麗な蛾がいるわよ」って言うので、どれどれと見に行ったのが上記の写真です。体長15センチくらいの大きな蛾。深夜にひっそりと道路にとまっている姿はとっても神秘的です。オレんちは東京都といっても開発されていない山の裾野にあるので、タヌキやイノシシも出るし、こんな綺麗な蛾にも時々出くわす。みんなが寝静まった人間社会とはまったく異次元で暮らしているものもあるんだなあっと、蛾を見てしみじみ思いました。おおっ、こいつは、ひょっとしたら特別記念物か、かって人間がまったく発見しなかった新種か、と神秘は神秘のままでほっておけばいいものを、インターネットで調べまくり、「オオミズアオ」という蛾であることが判りました。蛾はなんと蝶の300種に比べて3000種類もいるそうです。それにしても実に神秘的で綺麗な蛾でした。

脳死は人間の死ではない!

2009-06-06 | 発言
臓器移植問題によって「脳死」が人の死かどうか騒がれている。確かに臓器移植さえすればこの子の命は助かるっと大勢の人たちが移植を待っている。しかし、ぼくは「命」というものはいじってはいけないと思っている。厳しい言い方だが、その人の持って生まれた運命というものは、あるがまま受け入れるのが自然の摂理である。結論的に言うと、まず、「脳死」は人間の死ではない。人間は60兆の細胞から成り立っているが、脳死で寝たきりの人たちでも、それぞれの細胞の中でそれぞれ1000匹単位のミトコンドリアが細胞核を中心として、まだ生きているのである。脳が死んでもそういう活動があるかぎり、それは人間の死とはいわない。人間は脳だけで考えているわけではない。60兆の細胞が考え、生きているのである。「脳死」を人間の死と定義すれば、寝たきりの脳死患者を抱えた家族はある意味解放されるし、臓器移植を待っている患者も移植によって掬われる。そしてそれを担当する臓器移植医学界もさらに医学の発展進化をとげられる。まさに三方いいことばかりだ。しかしそれは今生きている人間のご都合から見た効率主義である。ぼくは人間の浅はかな効率主義で「命」を含めた自然界の成り立ちを侮ってはならないと思っている。自然界、つまりこの地球上の生命の成り立ちというものは、地球が出来て50億年、生命が生まれて35億年、それだけの気の遠くなりそうな長い年月をかけて構築されてきたものだ。その源である「命」は人間が創ったものではない。その命には人間の浅知恵では計り知れない奥深いものがあるはずだ。だから、ぼくは、延命処置も臓器移植も遺伝子工学も自然摂理を損ねるもので反対である。必ず奥深い自然界からしっぺ返しを食らうことになるだろう。

菅家さんに、刑事、判事はどう応える?

2009-06-05 | 発言
「足利事件」で無期懲役が確定し、服役中だった菅家利和さん(62)が4日午後、千葉刑務所から釈放された。逮捕から17年半ぶりのことだ。記者会見で話している菅家さんを見ると、ぼくですら「ほんとだ、この人は無実だ」ということが直感ですぐ判る。なのに最高裁までいっても有罪になるとは、逮捕した刑事、裁いた判事たちは、何を見ていたのだろう。人を信じず、犯人だという決めつけと、あやふやなDNAへの信頼だけで無実の人を有罪に持ち込んだ。「17年の人生を返してもらいたい」「刑事・検察に謝ってもらいたい」と菅家さんは言うが、誰も責任は取らない。こういう冤罪は電車内の痴漢もそうだが、かなり多そうだ。往時、ぼくが中学生だった頃、夏休みに自転車で紀伊半島を無銭旅行で一周したことがある。約500キロの走行を10日間かけて、野宿をしながら走り続けたものだ。その時、みかんの名産で知られる和歌山県のあぜ道を走っていたら、横に夏みかんがたわわになっていた。ぼくはビタミンの補給にと、一つ二つ、頂戴した。ところが農家の人に見つかって「コラッー」っと怒鳴られた。慌てて、ぼくはチャリンコをかっ飛ばした。ところがしばらく走っていると、前方からパトカーがやってきて、ぼくは警察の本庁に連行された。取調室で持ち物を全部机の上に置けと言われ、所持品を置いた。刑事らしき男は、腕時計とナイフを見て、「このナイフで人を脅して腕時計を取ったんだろう、白状しろ」っと迫ってくる。目の前の夏みかんを二つだけもぎっただけなのに、ぼくにとっては、何が何だかさっぱりわからなかった。延々10時間近く取り調べを受け、やっと釈放されたが、人を決めつけ疑いにかかる、警察というものはそういうところかと初めて知って衝撃を受けたことがある。勿論、警察は犯人を逮捕することが商売だから、誰でもまず犯人だと疑ってかかることから始めるのだろう。しかし、それだけに刑事の目は曇っていやしないか。弁護士は菅家さんが逮捕されて会った時に「この人は無実だと確信した」と話していたが、素人のぼくだって、菅家さんの会見を見ただけで、この人はやっていないということがわかる。なのにプロの刑事がなぜそれがわからなかったのか。思い込みによる決め付けで目が曇っていたのだろう。判事も人を見ないで、証拠というものだけで判断をする。プロにはプロなるが故の弱点があるものである。しかしそういう弱点を是正して、冤罪だけはなくして欲しいものである。

世の中の変化と、幸せというもの

2009-06-04 | 発言
世の中の動きというものは「相対的」なもので動く。もともと「絶対」というものがない。唯一、絶対的な真理があるとすれば「万物は環境の変化に常に対応し、生き抜くことを使命としている」ということだけだろう。若い雑誌記者の駆け出し時代、70年の石油ショックの時に日商岩井がスポット原油を高値で買い付け、相場を煽り、代わりに産油国のプラント輸出の商談を成功させるという卑劣な商法を試みたことがあった。俺はその情報を入手し、取材に駆け巡った。そして大手新聞社の経済部のデスクまでウラを取ろうと押しかけた。「同業者に取材なんてよく来るなー」っと高齢のデスクは笑いながらも、俺の熱意に「俺も何度も社説を書いたが、世の中ちっとも変わらないよ。まあ、頑張れよ」と妙な励ましをされたことを未だに覚えている。この歳になるとその高齢のデスクが言ったように「本当に何を言ったって、世の中ちっとも変わらないなあ」っと実感する。人類の世の中というものは、一杯の人たちがいろんなことを言って、何だかとにかく変わって行く。変貌はする。しかし、その世の中の変貌というものは、「絶対幸せな世の中づくり」とは無関係な進歩・発展をしているだけで、もともとユートピアは行けども行けども未来に存在しないのかも知れない。世の中はただただ相対的に変貌するだけである。日蓮は「それ浄土というも、地獄というも、外には候わず、ただ我らが胸のうちにあり」と言う。

この世に客に来たと思えばいい

2009-06-03 | 随筆
現役を退いて、毎日ブラブラしていると、何をやってるのか、ロクな生き方してねえなって思う。思いながら毎日ダラダラと暮らしている。昨夕カミさんと河原をウオーキングしていて、歩きながら「ピンピンコロって逝けるといいよね」「そうだな、手に手を取って疾走する高級乗用車にでも飛び込むか。子供に金残せるぞお」「電車に飛び込むと後の処置が大変だってねー」「やっぱ、睡眠薬飲んで、車に張り紙して硫化水素かな、首吊りも苦しそうだしな」「冬だったら、やっぱ、練炭がいいよね」「人間、なかなか死ねないねー、恐くってねー」「老後、介護で子供に迷惑かけるのいやだしね」「老人ホームで死ねたらねー」「今、一杯だってよ」、なんてホンキのようなジョークのような会話をしながら歩いていた。伊達政宗が言っている。「この世に客に来たと思えば、何の苦労もなし」。まあ、そうだな。現役時代はそれなりに一生懸命生きてきたんだし、今さら、この歳になって、しっかり生きなくてはとか、生き恥もないか、肩の力を抜いて、この世に客に来たと思えばいいか。

続・どうにもとまらない!

2009-06-02 | 随筆
続・どうにもとまらないは、おいらのパチンコ狂いである。昨日は一昨日勝った3万5000円持って、昼間カミさんが自治会館に卓球をしに出かけたので、パチンコ屋に車を走らせた。打っても打っても入らねえ、結局全額はたいて、一発もフィバーしなかった。パチンコは負けるように出来ているとわかっていても、あるだけの金をつぎ込んでしまう。どうにもとまらない。で、夜の8時、カミさんが風呂に入ったスキに生活費の入っている封筒を台所で探した。いつも置いていた場所になく、カミさん、どこかに移動したらしい。あっちこっちを捜して、やっと見つかった。よしっと2万円封筒から抜き出し、またパチンコ屋に向かう。打っても打っても入らねえ。結局小一時間で2万円はふっとんだ。一日5万5000円負けたことになる。なにをやってるのか。もう、これ以上盗むとバレるから、しばらくは謹慎しかない。おいらみたいなヤカラがパチンコ屋にはワンサといる。老若男女を問わず、常連客のほとんどがそうだ。何年も行っているから判るが、一日14万円負けたヤツ、一週間で50万円負けたヤツ、いろいろいる。借金し、とうとうクビがまわらなくなって、こなくなった常連客も沢山いる。まあ、全部パチンコ依存症っていうビョーキだ。金にいとめをつけず、ひたすら絵柄が三つ合う瞬間のエクスタシーを求めている。本当にビョーキだなー。まあ、当方は、金もねえし、しばらく、謹慎ですぅ。

どうにもとまらない!

2009-06-01 | 随筆
昨夜はカミさんから7月分のコヅカイから一万円を前借し、カミさんをスナック「なおみ」で降ろし、ぼくはパチンコに行った。9500円使ったところで今日もダメかなっと思っていたら、ようやく当たりだし、結局久々に換金35000円をフトコロに、送ってから二時間経っているので、もういいかなっと「なおみ」にカミさんを迎えに行った。もともとこのスナックのママさん「なおみ」とは10数年前にパチンコ屋で知り合い、おいらが「一度おいでよ」と誘われたが、おいらはあまり酒を飲んでワイワイやるのが好きでないので、代わりに酒好きのカミさんを連れて行ったのが縁で、以来週に一度ほどカミさんを送り迎えしている。カウンターに10人、座卓に5人入れば一杯になる小さな歌声スナックだ。ママさんも旦那のマスターも60半ばなので、常連客も高齢者ばかりだ。以前酔った客が来て、「おおっ、ここはドライフラワーばかりだな」と言ったことがある。ドアを開けると、歌声と共に80歳のハナちゃんがマイク片手に顔を見せた。ハナちゃんはスナックの近くに住んでいて生活保護を受けて一人で暮らしている。日曜日なのでカウンターはほぼ満席に近かった。マスターがぼくの顔を見て「きたよ」っと背にしているカミさんにつげた。ぼくは車に戻ってタバコを一本燻らして待っていたら、ママさんが出てきて、「ミエちゃんがこれからもう一曲歌うからさあ、ちょっと入って待っててよ」「ああ、いいよ、ここで待ってるよ」。そしたらまた客のおばちゃんが一人出て来て「入りなよ」。二人に言われて、やむなくぼくも車をママさんのアパートの駐車場に入れて、スナックに入った。そうするとぼくのカミさんの「ミエちゃん」が山本リンダの「どうにもとまらない」を歌い出し、おばちゃん二人が腰を振って踊り出した。場は盛り上がり、お祭り騒ぎだ。ぼくもしらけるとマズイので、シラフで「イヨッ」と掛け声をかけて周りに合わした。しかし、みんなバカみたいに元気である。生きるってのはこれでいいんだなってところがある。そのうちぼくにもマイクが回ってきて、小林旭の「あれから」、村田英雄の「蟹工船」、舟木一夫の「高校三年生」などを歌って帰ったら12時を回っていた。店のお客もいろんな苦労を生き抜いてきた人たちばかりだが、あまり身の上話はお互いしないのでわからないが、それぞれの苦労がみんな顔に現れている。もうそれなりの年齢を経て、ぼくも含めて「将来」のない人生の待ち人ばかりだ。それはそれで、もうどうにもとまらないっとバカ騒ぎをして一日が終わった。