長い雑誌記者生活の中で、たびたび朝日新聞の記者と接する機会があったが、何か自分たちは偉いと、一段上からの目線で話す記者が多かった。それが朝日新聞の体質のひとつだろう。一昨日、民主党が西松事件の検証を有識者に委ねた「第三者委員会」が最終報告書をまとめ、それによると、報告書の半分以上が検察・マスコミの偏向した姿勢を問題としていた。朝日新聞は、一連の記事に関係した記者をまとめたという社会グループ次長市田隆の署名で、さっそく昨日の朝刊で「報道批判に応える」と反論を試みているが、まったく、傲慢・不遜の域を出ていない。我々は正しいと、反省の色、まったく無しである。ジャーナリストは情熱も大事だが、常に謙虚でなければ、間違った報道を貫いてしまうことになる。そういった体質が朝日新聞にはあるようだ。まず、報告書では、「マスコミは起訴前から有罪視していた」とあり、それに対して、市田次長は「小沢氏側と西松建設の問題を解明し、全体像に迫ろうとした。それが何故、有罪視報道なのか」と開き直っている。そして「有罪」と決め付けるような報道はしていない、と言うが、一連の記事の書き方は誰が読んでも、読んで受けた印象は「贈収賄の小沢」だった。それほど異常な書き方だった。二つに「東北地方の公共事業と今回の政治資金が関連しているような歪曲報道があった」と報告書が指摘しているが、それに対して朝日は、「背景の問題提起が必要だった」とし、談合組織と小沢事務所の詳細を報道したのであり「過大・歪曲」との指摘は当たらない、と言い逃れを書いている。さらに「検察関係者ばかりが情報源だった」という指摘に対し、多岐に取材したと反論している。これらは読むにあたらない弁明ばかりだった。結論からいうと、大久保被告裁判は最高裁までいっても無罪になる。そうした場合、政局までゆがめてしまった一連の報道に朝日はどう責任を取るつもりなのか。菅家さんを逮捕した刑事は未だに「ヤツは黒だ」と言っているらしいが、それと同じで、反省の無い朝日は、それでも小沢は黒と言い張るような記事を書き続けるのだろうか。今日の朝日の社説もそうだ。「なぜ特定のゼネコンから巨額のカネを貰い続けたのか」と問い、「自浄力が問われ続ける」と未だに書いている。この問題はなにも小沢だけではなく、民主党12億円の企業献金に対して自民党は128億円も受け取っており、国家議員全体の問題であり、企業献金を禁止にすればいいことだ。そういうことを朝日は一切書かない。朝日新聞襲撃事件で週刊新潮が誤報記事を載せたら、この間紙面で徹底的に新潮社を叩いていたが、朝日自身は漆間副官房長官から「自民党には波及しない」発言を誤報と言われても、一言も反撃しない。どうしてこんなに朝日は権力側に弱くなったのか。この頃の朝日は客観性を欠き、ジャーナリストとして異常である。前述したように、ジャーナリストは常に謙虚でなければならない。真実でない誤報というのは、最も避けなければならないことだからだ。常に不偏不党・中立に身を保ち、オレは真実を伝えているかと、絶えず反省しながらペンを走らせなければならない。しかし、朝日新聞には「オレこそが正しい」と傲慢・不遜なところがある。ジャーナリストとして、これほどやっかいなものはない。