団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

「やさしさ」は、強要するものではないですね。

2018-10-28 04:53:55 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「お仕着せの善意に困惑」というタイトルで22歳の女子大学生が投稿されていました。


 電車内で座席に座っていたら中年の女性に大きな声で話し掛けられた。
「あなたには荷物を抱えたあのかたが見えないの?席を代わりなさいよ」と。

 その女性は手を引っ張って私を立たせ、赤ちゃんを抱いてベビーカーを持った若い女性を
連れてきて席に座るよう促した。
そして私に「あなたも良いことができてうれしいでしょ?」と。

 突然の出来事に私はもちろん周囲の乗客も唖然としていた。
座ることになった若い女性は申し訳なさそうに頭を下げていた。
中年の女性はその後も私が降りるまで私を非難し続け、私は多くの乗客の視線を感じて
押しつぶれそうな気持ちになった。

 私は見知らぬ人に手をつかまれて無理やり席を立つようにさせられ周囲の視線に
さらされてから、電車に乗ることに不安を感じている。

 親切とは他人を思いやって行動することではないのか。
周囲の人の気持ちを無視した善意は単なるエゴだと私は思うが・・・・。


 以上です。

 この投稿者さんが可哀想に思えました。
親切の押し売りの被害者ですね。
こんなおばさんもいるかもしれませんね。
これが若い女性だったから、このおばさんよかったですが、
これを若い男にやれば、一発殴られているのではないでしょうか?

 この投稿文を読んで、吉野弘さんの「夕焼け」という詩を思い出しました。

 いつものことだが
 電車は満員だった
 そして
 いつものことだが
 若者と娘が腰をおろし
 としよりが立っていた。
 うつむいていた娘が立って
 としよりに席をゆずった。
 そそくさととしよりが坐った。
 例もいわずにとしよりは次の駅で降りた。
 娘は坐った。
 別のとしよりが娘の前に
 横あいから押されてきた。
 娘はうつむいた。
 しかし
 又立って
 席を
 そのとしよりにゆずった。
 としよりは次の駅で礼を言って降りた。
 娘は坐った。
 二度あることは と言う通り
 別のとしよりが娘の前に
 押し出された。
 可哀相に
 娘はうつむいて
 そして今度は席を立たなかった。
 次の駅も
 次の駅も
 下唇をキュッと噛んで
 身体をこわばらせて--。
 僕は電車を降りた。
 固くなってうつむいて
 娘はどこまで行ったろう。
 やさしい心の持主は
 いつでもどこでも
 われにもあらず受難者となる。
 何故って
 やさしい心の持主は
 他人のつらさを自分のつらさのように
 感じるから。
 やさしい心に責められながら
 娘はどこまでゆけるだろう。
 下唇を噛んで
 つらい気持で
 美しい夕焼けも見ないで。


 以上です。

 「やさしさ」は、強要するものではないですね。
まして他人を巻き込んではいけないですね。
さらに巻き込まれた人の心に傷を負わせるなんて許せないです。







哀愁の夜・友を送る歌 舟木一夫
コメント (8)
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