せっちゃんの毎日

せっちゃんの日々の記録

あれから10年

2021-03-11 16:06:43 | 備忘録
朝から良いお天気
ベランダに出るとやはり寒い!


あの日もお天気は良かった!
あれから10年も経ったのですね

思えば遠い昔のような? 昨日見た夢のような···
不思議な思いにさせられます。

当時の事は今更ながらに偶然が重なって生かされたのだと思います。

当日はスーパーの仕事もお休みで
予約していた歯医者と毎月行っていた循環器内科に行く日でした。
お昼過ぎに家に帰ってきて食事をしようか?と思いましたが
いつも食事の後は昼寝をしていましたが
長女と久し振りの「お茶しない?」との約束が頭にあり寝過ごしたら
との思いがありました。
一時間以上も早いが出掛けて行きました。
市街の方に向かって車で走っていたら
突然! 地面が歪んで····
気がついたら携帯のサイレンが鳴り響いていて
対向車が歪んで見え、降りてきた人が地を這っていました。

やっと地震だと!と認識して呆然としていました。
我に返って、通り過ぎる救急車の後を走って行き
娘の職場の駐車場に停まっていました。

その後、娘や孫たちに逢いましたが
何が遇ったか夢を見ているような思いでした。

地震の後、どんどんお天気が悪くなり(暗く)
空から白いものが降りだして
寒くて!寒くて仕方ありません。
娘が婿殿と一緒に家の様子を見に行くと
言って、
孫たちと私は車で待機していました。
その間、主人に電話しても繋がりません。
主人も休みでしたが急な仕事が入り出社していました。
外にいた私は自宅の様子など考えも及びません。

娘たちが毛布等を持って戻ってきました。
「家の方は大した被害もないので歩いて帰ろう」と
言うことになり、
寒さで震えの止まらないまま歩いて娘の家に····
停電していましたからその中で何とも言えぬ
恐怖を味わっていました。

何が何だか?分からないまま一夜を過ごし
自分で生きているのか?すらも分からなかった。
記憶が曖昧になっています。

後日 主人と自宅を見に行ってきて···
ただただ、恐怖(?)で震えていたのしか覚えていません。










今日 14時46分に黙祷をしていたら訳もなく涙が出ます。
何故なのか?···
やっと一つの区切りがついたのでしょうか?

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (みゆきん)
2021-03-11 21:37:14
やっと現実を受け入れられるようになったんだと思う
まだ生きてるもの^^
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何をどう言ったらよいのか (tabinidete)
2021-03-12 09:00:28
写真を拝見して、改めて震えました。
何をどう言ったらよいのかわかりません。
当事者でなくても震えが来ます。

せっちゃんが生きていて良かった。
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忘れないようにと思うのですが··· (せっちゃん)
2021-03-12 13:09:15
みゆきんさんへ
当時は「前を向け!」と言われても
前も後ろも見分けがつかない状態(?)
何をしていても現実身がない?
体調の悪さで悩みました。(生きていて良いのか?)

今でもどうなのでしょう?···
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津波が着たところを見ていない (せっちゃん)
2021-03-12 13:31:00
tabinidete さんへ
津波が着たところを見ていませんが
(見ていたら死んでいた!)
最初に行ったときはとても自分の家を探せなかった!
凄まじい光景で、匂い、空気感が体に染み付いて
フラッシュバックしたものでした。
そんな感覚だけが消えず苦しみましたが
今は、私が経験したことではないと思うようにしています。
流石に写真を見ると蘇りますね。
生きていて良かった!と言われると
『そうなんだ!』と思えるようになって来ました。
ありがとう。
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こんにちは。 (ぶーばーちゃん♪)
2021-03-12 16:08:33
ほんとに。。。
何と言っていいのか分かりません。
こんなことになるなんて。
せっちゃんが生きててくれて、本当に
良かったです。
10年。早いような遅いような、10年後は私達は
80歳前なのね。
ずーーっと宜しくね~~^^
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Unknown (みゆきん)
2021-03-12 16:14:20
あの時はそうだったね・・・シクシク
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生きていて良かったんだよね? (せっちゃん)
2021-03-12 19:29:27
ぶーばーちゃん♪へ
当時、スーパーに努めていたので
お客さんに何度も『生きていたのね!』と声かけられた。
そして震災の話···
お客さんの親族が津波で···等々···(被災者自慢?)
私が生きていたのは間違いだったのか?と思えた。
皆、(幽霊でも見るような感じ?) 辛かった!
仕事にならなかったですよ···
生きて行くためにモモがどれ程救いになったか
何かを育てるのって、生きる力になるんですね。

10年たったら80ですね!
その時は「昔話」なればいいですね。
ありがとう。こちらこそ宜しくね。
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Unknown (おばさん)
2021-03-12 20:18:19
あれから 10年経過したんですね。
写真拝見し、言葉もありません。
決して忘れず後世に、正しく伝えるって
大切ではないでしょうか?
学生時代の友人が久慈市住まいでしたが、卒業後
疎遠になってしまい、消息は不明のまま。
でも どうか無事でいてほしいと願っています。
日ごろから、訓練や多くの教訓を生かし
再び、被害が出ないことを祈るのみ。
せつ様にお会いできたことに、感謝いたします。
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犬たちに救われた (せっちゃん)
2021-03-12 22:20:45
みゆきんさんへ
マサ子(ビーグル20才亡)も福助(マサ子の仔7才亡)も
亡くなっていたので家に居なくて出掛けてた
居たら家に戻って津波に遇ったと思う。

モモに出逢ったことで生きる力をもらいました。
犬たちに救われたようです。
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当事者でなければ分からない辛さが··· (せっちゃん)
2021-03-12 23:09:17
おば様へ
10年経っても写真を見ると当時の恐怖が蘇ります
写真は、一ヶ月後に次女が撮ったものです。
私が見たのは、もっと凄まじい状態で、
人に語れるものではありませんでした。
探索に来られた自衛隊の方が精神を病んだと言うことです。
確かに後世に伝えなければならないのかもしれません
でも当事者では人それぞれですが語れないものです。
忘れなければ生きて行けない方も居たと思われます。
亡くなった方々を探していた自衛隊の方には頭がさがりました。
自衛隊の方々やものも言わずに黙々と片付けて下さった
ボランティアの方々には心より感謝しています。
そして亡くなった方や未だ見つからない方のご冥福を
お祈りするだけです。
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