シニアー個人旅行のかわら版

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奥会津を訪れる(1)・・・・南会津町・昭和村・金山町を経て柳津町へ

2008-09-09 16:45:43 | Weblog
 キャニオン会というグループを作っています。30年前、17日間のアメリカ西部ドライブ旅行をした仲間で、毎年夏に国内旅行を楽しんでいます。今年は30回目の記念の年ということで、最年長のNさんが、昭和6年、小学校の一年生の時、父君の転勤で4ヶ月ほど居たことのあるという柳津を探訪しました。土木技師であった父君が温泉関係の仕事で、一家全員で東京から柳津に転居した思い出の地です。

アクセス:
 (首都圏から南会津・田島までのアクセスは高畑スキー場のアクセス略図、Google Mapをご覧ください
   http://takahata-ski.ina-area.co.jp/modules/guide/index.php?content_id=18
南会津町田島から289号に入ります。阿賀川を渡ったところで400号に右折、直ぐに1車線の狭い道となります。トンネルが工事中で旧道へ入りますが、狭く、カーブの多い、樹木で見通しの利かない山道・・・時々車とすれ違い、国道であることを知らされます。舟鼻峠を越えたのでしょうか、下りになり直線が多くなりホッとできます。

 昭和村に入ると、川沿いの直線道路、左右に大きなトタン張りの屋根の民家が点在します。かつては茅葺屋根だったのでしょう、昭和村は奥会津でも秘境といわれた村、昔からの文化風俗の色濃く残こる魅力的な村ですが、今回は通過するだけです。村の中ほどの集落喰丸(くいまる)から右折して山中に入る県道で、宿泊する西山温泉を抜けて柳津に向かう方がずっと時間が短縮されるのですが、雨模様の天候と先ほどの舟鼻峠の国道の様子に恐れをなし、そのまま400号を直進、金山町から三島町を経て只見川沿いの252号を柳津まで行きました。
 
柳津町:
 日本三大虚空蔵のひとつである福満虚空蔵圓蔵寺が最大の観光スポットです。以前訪れたことがありますが、今回は柳津町の観光ボランテイアガイドの方に案内をお願いしてありました。約束の午後3時を30分ほど遅れての到着でしたが、雨の中、境内で私たちを待っていてくださいました。
 断崖の上に建てられたお堂は会津地方で最大の木造建造物で、境内は一万坪もあり、200年前の火災後の再建であるとのことでした。六月堂の内部は広く、高く、テレビでもよく放映される裸祭りで若者が競って登る大綱が印象的でした。
 
 六月堂の舞台に出ると柳津の町と水を満々と湛えた只見川が眼下です。ここからの景色は絶好の撮影ポイントといえます。ここでガイドの方から、戊辰戦争の際に打ち込まれた鉛弾が食い込んでいる柱の弾痕を教えていただきました。会津城を目指す政府軍が打ち込んだものでしょう。奥会津の町や村には戊辰戦争の痕跡があちらこちらに残っています。また、慶長会津大地震では、山崩れの出水で、眼下の前方の小山まで只見川の水位が上がったとのことでした。
 
 Nさんの父君が働いていた昭和6年前後の土木工事について尋ねましたが、戦前のことはご存じないようでした。Nさん一家は、柳津の中心街で借家し、Nさんはそこから高台にある小学校へ通ったのだろうとのことでした。
 旅から帰って来てからネットで調べたところ、柳津町の隣・会津三島町の齋藤茂樹町長の次の文に出会いました。

今年は、宮下発電所が只見川電源開発の先鞭を切って昭和16年(西暦1941年)に工事が着手されてから65年の節目の年となります。当時、国鉄只見線が会津宮下駅まで延伸開通したのも同年であります。当時の発電所工事は、日本発送電という会社で日本が国の発展のため水量の豊富な只見川を選んだのです。私の家にも、昭和12年頃より発電工事関係者の家族が間借りしていたことを母から聞きました。私が小学校の頃には社宅に移り住み、時折遊びにいった記憶があります。」

 当時の工事関係者が家族ぐるみで現場に来ていること、社宅が出来るまでは、付近の民家に家族で間借りであったことが、Nさんの記憶と合致します。また、柳津からNさんの父君が仙台の日本発送電株式会社に勤務されていますから、温泉関係の仕事が終わり、発電所の関連工事に移られたのでしょう。
 
 尾瀬沼を水源とする豪雪山岳地帯を水源に持ち、阿賀野川との合流地点まで渓谷が続く只見川の電源開発は明治時代から注目され、当時の半官半民の電力会社である日本発送電はここに階段式にダム式発電所を建設する計画を立てました。
 昭和4年から水利権関係の交渉が始まり、現地調査を経て、昭和16年から只見川最初の宮下発電所の工事が始まったのです。Nさんの父君は昭和6年に温泉掘削関係の技師として柳津で働き、やがて急成長する日本発送電に勤めることになったのでしょう。なお、同社は戦後分割され、現在の電力9社として発展していきます。

西山温泉:
 柳津から西山温泉までは30分です。西山には地熱発電では日本一の発電量を誇る東北電力地熱発電所があります。しばらく走ると地熱発電所の蒸気が山の中から空中に噴出しているのが見えると西山温泉は直ぐです。
 温泉地といっても、個人経営のこじんまりとした一軒家の旅館が点在しているだけです。そのうちの一つ旅館滝の湯に泊まりました。清流沿いにあり、小さな滝が向こう岸に流れ落ちています。明治の中頃に営業を始めた旅館で、学校の寮のような造りです。建物の周りには自家用の畑があり、そこで栽培された手作りの野菜が食卓に並びます。
 温泉は塩分が含まれた温まる湯で、加熱なし、加水なし、掛け流しの正真正銘の温泉です。

 翌朝、散策している時、宿の方と話をしました。同年輩の女性で、西山での生活について色々と話をしてくださいました。滝の湯の後ろの高台に二階建ての、今では使われていない、鉄筋コンクリートの建物がありますが、これはかつて冬季に子どもたちが生活した寄宿舎とのことでした。西山地区は広い範囲の山中に集落が点在し、降雪で徒歩通学が困難になる冬季には、子どもたちがここで生活、隣にある学校に通ったとのことです。
 また、旅館滝の湯には戦時中、180名近くの学童疎開の子どもたちが東京・台東区からやってきて10ヶ月ほど過ごしました。はるばる上野駅から東北線で郡山駅へ、磐越西線、只見線を乗りついてやってきたのです。
 集団学童疎開を話題できる人は年々少なくなっていくのも時代の流れでしょうか。

関連サイト:
旅館滝の湯 http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/nisiyama_takinoyu/nisiyama_takinoyu.htm
桐の里会津三島町http://www.town.mishima.fukushima.jp/tyoutyou/tyoutyou.html
柳津観光協会http://www.hpmix.com/home/yanaizu/                                 会津西山地熱発電所http://www.tohoku-epco.co.jp/pr/yanaidunisiyama.htm
冬の救世主・・・スクールバス
学童疎開の悲劇


 
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