シニアー個人旅行のかわら版

国内・海外旅行の話題を中心に、アップデートな情報とともに、シニアーのための手作り旅行を発信する。

☆ 7月上旬出発、8日間、34万円の個人旅行プラン・・・ドライブ・in・スペイン(3)

2007-05-26 13:25:10 | Weblog


このドライブ旅行の特長は
まず、次のサイトを開いてください。ウベダの南端からセグラ自然公園を望んでいる写真です。まじかに見えますが、80キロ先に山脈があります。「見渡すかぎりオリーブが茂る大地をドライブ、世界遺産でありながら観光客が訪れることが少ない中世の町にタイムスリップ、スペイン最大の自然公園内にあるテンプル騎士団やイスラム教徒の城塞を持つ町や村を訪れる・・・帰路にアルハンブラ宮殿見学」という欲張った旅を実現します。
宿泊は憧れの国営宿泊施設パラドールに5泊、tarjeta de 5 noches (5 nights card―5泊カード)を使用して割引料金で泊まります。
 

日程は・・・
7月2日)成田出発11:10⇒シャルル・ドゴール空港⇒マラガ空港着21:20 (マラガ泊)
7月3日Malagaマラガ⇒Jaenハエン⇒Ubedaウベダ⇒Cazorlaカソルラ  (カルソラ泊)
7月4日Parque Natural de Cazorlaカソルラ自然公園ドライブ  (カルソラ泊)
7月5日Cazorlaカソルラ⇒Ubedaウベダ             (ウベダ泊)
7月6日Baezaバエサ・Ubedaウベダ歴史地区(世界遺産)散策 (ウベダ泊)
7月7日Ubedaウベダ⇒Jaenハエン⇒Granadaグラナダ・アルハンブラ宮殿見学
         ⇒Malagaマラガ             (マラガ泊)
7月8日マラガ空港10:00⇒シャルル・ドゴール空港⇒
7月9日成田着7:55

費用の内訳は・・・
1. 航空運賃 エール・フランス航空(7月2日成田発、7月8日マラガ発)  321,120円
2. 宿泊費用 (税込み)                       112,000円
内訳  パラドール・ヒブラルファーロ 155€(7/2) パラドール・カソルラ 180€(7/3,7/4))
        パラドール・ウベダ   180€(7/5,7/6) ホテル・ドン・クロ  120€(7/7)
3. レンタカー関係 (マラガ市内営業所で)            72,500円
        レンタカー代金(任意保険込み)  60,000円(概算)   
        燃料(ジーゼル)         10,000円(概算)
        駐車料金(5€×3ヵ所)     2,500円
4. 食事代(ワインなど飲み物、チップも含む)              139,600円
        朝食(20€×6日)       19,800円
        昼食(20€×6日)       19,800円
        夕食(100€×6日)       100,000円
5. タクシー代                         11,550円
        マラガ空港⇔ホテル(25€×2回)    8,250円
        レンタカー借用・返却⇔ホテル(10€×2回)3,300円
6.入館料  40€                            6,600円
7.雑費   100€                           20,000円 

                  683,370円 (一人当たり 341,685円)
平成19年5月24日の時点での資料に基ずくプランです。それ以降、航空運賃、パラドールの宿泊可否、料金には変動がありますので、本プログ2008年・これでスペイン・パラドールの全てがわかりますでエール・フランス航空、宿泊はパラドールのホームページでご確認ください
* 為替は1€=165円で計算してあります

ドライブ・ルート・・・
Malaga Airport Mapsを使ってルート全体を把握します。(このブログを初めてお読みになる方は、このプログの「私のスペイン・ドライブ旅行のプラニング法」でMalaga Airport Mapsの活用法を詳しく解説してありますので必要があればお読みください)
Malaga Airport Mapのページが開いたら、左側にあるMalaga Informationの項目のうち、下から5番目のMalaga Airport Maps をクリック⇒空港地図が開きます。地図左の{-}を5回クリック⇒この縮尺でMalagaマラガを左下、Googleの文字に重なるように地図を調整、更に少々下にずらすとJaenハエンが、右上(北東)にBaeza, Ubedaバエサ、ウベダが、その右下(東南)にCazorlaカソルラを見ることができます。マラガ⇒グラナダ⇒ハエン⇒バエサ・ウベダ⇒カソルラが往路です。ウベダから直ぐのTerroperogilテロペロヒルを右折してカソルラに至る道路はこの縮尺地図には出ていませんのでズームインしてください。
 復路はGranadaグラナダでアルハンブラ宮殿を見学後、地中海まで南下、Motrilモトリルから地中海沿いをMalagaマラガまで戻ります。
 なお、更に詳しいルートはAirport Mapsのズームインの機能を使い、確認してください。但し、Parque Natural de Carzola, Segura, y las Villas(パルケ・ナトウナル・デ・カルソラ・セグラ・イ・ラス・ビジャス)カソルラ、セグラ、ラス・ビヤス自然公園内の道路はカソルラのパラドールに用意してある地図を参考にしましょう。

訪れる町や村の詳しい情報を・・・
 今回のドライブで訪れる主な町や村の紹介するホームページにリンクを張ってあります。クリックして、周辺の道路地図、写真を参考にしてください。

Jaenハエン県
町の周辺からはるか彼方の山々の麓まで見渡す限りのオリーブ畑です。5000万本といわれるオリーブ畑の中に町や村が点在する風景がマラガ県なのです。オリーブは植栽されたもので、雨の少ない乾燥した荒地でも育つ特性がこの県の大地に根付かせたのでしょう。オリーブの実から精製されるオリーブ油はハエン県の経済を支えています。県庁所在地は人口11万のJaenハエンです。

UbedaウベダとBaezaバエサ
 アンダルシアで最もルネッサンス様式の建物が多いこの二つの町は、まるで中世の建物の展覧会場といえる雰囲気を持っています。
ハエンから県道を東に進んで行くと、やがて数十キロ先に二つの集落が丘の上に見えてきます。右側がバエサの町で、小さな町ですが大聖堂は特に有名です。その周辺には現在アンダルシア国際大学となっている旧神学校など、品格ある建物が配置されています。
バエサの東8キロがウベダです。ウベダの町の南端にあるサンタ・マリア広場を取り巻く建物は、アンダルシアで最も壮麗で風格のある歴史的地区といわれており、世界遺産として登録されています。この建物の一つが3番目にパラドールとなったParador Ubedaがあり、世界遺産に宿泊する贅沢を味わえます。この広場に通ずる石畳の道の両側には建物が連なり、中世の町並みそのままです。
この二つの町バエサ、ウベダは、観光客もあまり多くなく、治安も良い地域です。ゆっくりと徒歩で散策するのに適しています。但し、夏季には暑さが厳しく、午後の散策は考えものです。スペインの人々と同様にしっかりとシェスタ(昼寝)を取って、夕方に出かけることをお勧めします。

カソルラ、セグラ、ラス・ビイヤス自然公園 
小川が流れ、木々に覆われた山々、スペイン最大の自然公園です。アンダルシアの大河グアダルキビール川の源流がここです。イヌワシ、ハゲタカやイノシシ、クマジカ、スペインアイベックスの生息地です。
 ウベダの東隣の町Terroperogilテロペロヒルから右折して70キロで公園入り口の町カルソラに到着です。今回の旅ではのパラドールに二泊滞在しながら、この自然公園内の点在する23の町や村のいくつかを訪れます。
カルソラ地区ではテンプル騎士団の城塞があるLa Irueraラ・イルレラ,Puerto de las Palomasuパロマス峠近くにあるArroyo Frioアローヨ・フリオ、ビジターセンターがあるCoto-Riosコト・リオス村が観光客がよく行くところです。
 セグラ山脈の西側に位置するトランコ貯水池を通り、イスラム教徒が築いた城塞のあるHornos de Seguraオルノス・デ・セグラSegura de la Sierraセグラ・デ・ラ・シエラも人気があります。湧き水の豊富なSantiago-Potntonesサンテイアゴ・ポトンエスも夏に訪れたいところです。
グラナダ・アルハンブラ宮殿 
 本プログ「歴史とともに(上)」を参考にしてください。

 2008年度版パラドール情報をお読みください
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☆シエラ・ネバダ南斜面にあるアルプハラスの村々を訪ねる・・・ドライブ・IN・スペイン(2)

2007-05-20 16:44:11 | Weblog
 
 イギリスのAA(Automobile Association-自動車協会)が出版している explorer SPAINという旅行案内書にアンダルシアでのドライブコースとして  White Towns(白い村)ルート(マラガ県)とともにAlpujarras(アルプラス)ルート(グラナダ県)が推奨されています。このルートについて「beautiful美しい・strikingきわだった・ rustic田園風の・lovelyすばらしい・ magnificent雄大な・fascinating魅惑的な」とあらゆる賛辞を送っていますが、「 fairly arduous driving(まったく根気がいるドライビングだ」と運転に注意を促しています。


1492年にアルハンブラ宮殿を明け渡し、この地アルプハラスに追われたボアブデイル王一族が幾多の抵抗もむなしく、1609年にこの地から北アフリカに追放された悲劇の歴史を刻む土地です。イスラム文化の彩を残す村々シエラ・ネバダ山脈南面の幾重にも重なる深い谷間が独特の風土を醸し出しています。
標高1000メートルを越える交通不便なこの地は今でも車が唯一の交通手段です。中央線も引かれてない、狭く、急坂で、曲がりくねった道のドライブには神経を使いますが、疲れを吹き飛ばす景観の素晴らしさと彼らを迎えてくれる美しい村々の存在がドライバーを引き寄せるのでしょう。

Malaga Airport Mapを使ってルート全体を把握します。(このブログを初めてお読みになる方は、このプログの「私のスペイン・ドライブ旅行のプラニング法」でMalaga Airport Mapsの活用法を詳しく解説してありますので必要があればお読みください)
Malaga Airport Guideのページが開いたら、{-}を4回クリック
⇒この縮尺でMalagaマラガを左下、Googleの文字に重なるように地図を調整、OrgivaオルヒバがGranadaグラナダへ向かうE-902の途中、右側に見えてきます。
 今度は地図をOrgivaを中央になるよう動かします。Parque Nacional de Sierra Nevadaシエラ・ネバダ国立公園の大きな山脈が緑色で表示され、Ugijarウルヒルの町がOrgivaと向かい合うように見えます。この二つの町に挟まれた渓谷が今回のドライブコースです。
上部中央のボタンをクリックして航空写真に切り替えます。⇒雪を頂くシエラ・ネバダの下に細長く、アルプハラス渓谷を見ることができます。更に{+}をクリック、ズームインすると更に鮮明に見ることができます。左ボタンを押し、道路地図に戻ります⇒A-348の道路しか表示されませんが、この上に見える村々を結ぶ山岳道路があります。{+}をクリックしていくと、表示されます。これが今回のドライブ・ルートです。
 
この地図ではMotrilモトリルからGranadaグラナダに向かうE-902は未完成のまま表示されていますが、現在はほぼ開通しています。モトリルから北上して途中でオルヒバへの県道A-348に右折せず、そのまま直進し、LanjaronランハロンからOrgivaオルヒバに入るようにします。Lanjaronへは高速道路に標識があります。、地中海の町モントリルからE-902を北上するにつれ、標高がどんどん上がり、右手の山腹に風力発電の大きな風車が何本も見えてきます。そこがランハロンで、アルプハラスを防御するため、イスラム教徒が最後の城砦を築いた町です。ランハロンは温泉地(飲料用)として名高く、ここのミネラルウオーターはスペイン全土で販売されています。

アルプハラス地方はシエラ・ネバダ山脈の南斜面とその前衛の山々の間に挟まれた幅7~8キロ、長さ60キロ渓谷です。西端に位置する政治・経済の中心地Orgivaオルヒバからは、北側に山岳道路A-4132が、南側に県道A-348が、アルプハラス渓谷を挟むように伸びています。この二本の道路は60キロ先で合流しますが、45キロ先の間道を除けば、この二つの道路を結ぶ道や橋はありません。したがってドライブルートは同じ道をUターンするか、大きく周回するかどちらになります

四つのドライブコースを紹介します。



A.45キロコース(Uターン)
Barranco del Poqueiraボケイラ峡谷の緑に包まれた丘陵地にアルプハラス地方で最も有名な三つの村があります。
最初の村はイスラム教の文化のお影響が残っているPampaneiraパンパネイラです。明るい広場、小道に立ち並ぶterraosテラオスと呼ばれる白壁の平屋根住宅が並び、屋根からはスレートを被せた煙突が突き出ています。
A-4132をしばらく進むとこの道には似つかない立派なロータリーにでます。ここには土産店、バールがあり、公衆トイレもあります。ここを左折して間もなく、美しい屋根の教会があるBubionブビオンと民族博物館のあるCapileiraカピレイラへと続きます。前方に雪を頂く山々がまじかに迫り、雪解けを待ってMirador de Trevelezトレベレスの展望台に通じる道が開通します。

 B.70キロドライブ(Uターン)
 Aルートに加えて、海抜1476mに位置し、スペインで最も標高が高い村として知られているTrevelezトレベレスへ向かいます。ブビオン、カピレイラの村から下り、ロータリーでA-4132に戻り、先に進みます。イベリア半島最高峰のムラセン山から続く長い斜面の中腹にあり、19世紀の旅人が好んで訪れた村、Pitores ピトレス、Portugosポルトウゴス、ウオーキング愛好者の拠点になっているBusquistarブスキスタールを過ぎていきます。やがてマス漁の盛んなRio Trevelezトレベレス川沿いの道を上ります。カーブが連続する急峻な道を登りきると、Trevelezトレベレスに至ります。この一帯で乾燥・熟成されるハムは厳しい品質管理の下、el Jamon de Trevelezのブランドで最高級品のハムとしてグルメには珍重されています。
 トレベレスの村からUターンで往路を戻ります。そのままA-4132を直進するとCコースに入ります。

 C.100キロドライブ(周回)
 トレベレス村からトレベレス川の東岸沿いをA-4132は下っています。通行量がぐっと減ります。多くの車はトレベレスから引き返すようです。対岸に見える先ほど上ってきた道に渡る間道はありません。
 しばらく下るとA-4130があり、左折します。(A-4132を直進すると幾つかの村を経て、A-348に行くことが出来るようですが、旅行冊子にはドライブコースとして紹介されていませんので、四駆以外の車でも行けるかどうか不明なので、ここでは触れていません。
昔のままの建物が多いJuvilesヒュビレスBerchulesベルチュレスを過ぎて分岐路に出ます。A-3127に右折し、間もなくA-348 に合流します。右折して美しい村Cadiarカデイアルは直ぐです。ここからTorvizconトリビスコンを経てオルヒバまでは50キロ、一時間の走行です。

 D.120キロドライブ(周回)
  CコースBerchulesベルチュレスを過ぎて分岐路で、左へA-4130をそのまま進みます。アルプハラス渓谷の全景を望めるMecina Bombaronメシナ・ボンバロン、20世紀のスペイン文学研究者であり「グラナダの南へ」の著者でもあるイギリス人作家Genard Brenanジェナルド・ブレナンが住んでいた家があるYegenイエヘンを過ぎ、いにしえのキリスト教徒イスラム教徒戦いを再現する祭りで知られるValorバロールの町を訪ねます。
 更にA-4130を南に下るとUgijarウヒハルの町を過ぎA-348に至ります。右折してオルヒバ方面に向かい、しばらく走るとYatorヤトール村があります。ここからはCコースのA-348への合流点までわずかです。

 以上のルートの中で、A、 Bのルートはマラガからグラナダへの1日ドライブコースに組み込めますが、C、Dの二つのコースはアルプハラス内で一泊することが必要でしょう。
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☆山岳道路、鉄道、そして白い村・・・ドライブ・IN・スペイン(1)

2007-05-17 21:47:56 | Weblog
 スペイン・アンダルシア地方のドライブルートを三回にわたって紹介します。carretera montanaカレテラモンタニャ(山岳道路)のドライブを楽しみながら、1863年に鉄道が開通したAloraアロラのestacionエスタシオン(駅)を訪れ、pueblo blancoプエブロブランコ(白い村)の中では最も美しいといわれるOlveraオルベラ(カデイス県)とGaucinガウシンの二つの村を散策するというのが今回のドライブ・テーマです。
Aloraのestacionエスタシオン(駅)を紹介しているホームページは鉄道ファンには人気があります。


まず、アンダルシア地方の8つの県の位置関係を理解しておきましょう。アンダルシア観光協会のホームページを開きます⇒Huelvaウエルバ, Cadiz カデイス, Malagaマラガ, Granadaグラナダ、Almeriaアルメリアの6県が地中海に接し,Sevillaセヴィーヤ, Jaenハエンの2県が内陸であることが分かります。

コントロールをアクテイブにしてマラガ県をクリック⇒6つの地域からなっていることが表示されます。今回のドライブルートは、マラガを出発してValle del Guadalhorceグアダルオルセ渓谷地域を北に向かい、そしてSerrania de Rondaロンダ山系・Valle del Genalヘナル渓谷」地域を地中海に下り、Costa de Sol Occidenntalソル・オクシデンタル海岸をマラガまで戻るというルートです。地図上でこの三つの地域の位置をご確認して、このホームページを閉じます。


地域名は地理的な特徴を表しています。valleバジェ(渓谷)、serraniaセラニア(山岳地帯)、costaコスタ(海岸)などです。valle(渓谷)ですが、我々がイメージする渓谷とは異なります。マラガの渓谷は広大で、その渓谷沿いに鉄道が敷設されています。緑豊かな山野と荒々しい岩山が織りなす曲がりくねった渓谷を走る鉄道がMalagaマラガからRondaロンダを経てGibraltarヒブラルタルまで通っています

Malaga Airport Mapsを使ってルート全体を把握します。(このブログを初めてお読みになる方は、このプログの「私のスペイン・ドライブ旅行のプラニング法」でMalaga Airport Mapの活用法を詳しく解説してありますので必要があればお読みください)
Malaga Airport Mapのページが開いたら、地図左の{-}を4回クリック⇒この縮尺で地図を調整します・・・MalagaマラガとRondaロンダが地図に確認でき、真北の最上部にCampillosカンピジョスが(文字が隠れますが位置は確認できればOKです)、西南の隅、Googleの文字横にCasaresがくるよう地図を動かします。東南に地中海が表示されています。
 
 この縮尺の地図に今回の全ルートが含まれますので、幹線道路以外の道路名は表示されませんが、次に説明する基本ルートを頭に入れてください。
 MalagaマラガからA-357で北北西へ、途中Aloraアロラに寄り、再びA-357Campillosカンピジョスへ⇒ A-384で西へOlvera オルベラまで⇒A-384で西へ, Algodonaies アルゴドナイエス手前で左折⇒A-374で南へRondaロンダへ⇒RondaロンダからA-369で南西Gaucin ガウシンへ ⇒Gaucinn ガウシンで左折、A-377Casaresカサレスを経て地中海へ。海岸沿いにE-15Malagaマラガへ・・・となります。この間、五回、鉄道と交差する350キロの走行です。

全体のルートを確認したところで、再度、Malaga Airport Mapsを使って走行シミュレーションをします。始める前に、基本ルートでの町の名前、道路名をメモして手元に置いてMalaga Airport Mapsを操作すると分かりやすいでしょう。
地図の{-}を二度クリック、幹線道路以外の道路名も表示される縮尺にして、マラガ空港からスタートです。Malagaマラガ→Cartamaカルタマ→ Pizarra ピサラ→Aloraアロラ→ Ardalesアルダレス→ Campillosカンピジョス→ Olvera オルベラ→Algodonaiesアルゴダナイエス→ Rondaロンダ→ Algatocinアルガトシン→ Gaucin ガウシン→Casares カサレス→Vanilvaバニルバ→ Esteponaエステポナ、 Marvellaマルベージャ Mijas→ ミハス、Malagaマアガの順で走行シュミレーションの開始です。
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いかがでしたでしょうか・・・マラガまでの一周ドライブが体験できましたか・・・?

最後に、Pueblos Espanaプエブロ エスパーニャ(スペインの村々)のページへアクセスしてみます。村々の人口、標高が示され、道路地図と航空写真で村へのアプローチが分かり、アルバムで村の様子を写真で紹介しているホームページです。早速、今回の目的地の情報を入手します。Olveraオルベラ(カデイス県)とGaucinガウシンの村のページを開いてみましょう。

Pueblos Espanaのホームページを開きます⇒Poblacionポブラシオン(市町村名)の欄に[Olvera]を打ち込みます⇒Buscarブスカール(検索)をクリック⇒ページが開き、人口8991名。標高643メートルが表示され、道路地図と航空写真が中央に大きく出ます。その下のSiguienteシギエンテ(次に)かalbumをクリックするとアルバムが開きます。また、zoomをクリックすると道路地図が拡大します。
今度はGaucinで挑戦、人口1669名、標高626メートルであることが分かります。アルバムから二つの村とも山頂にアラブの城砦、そして教会を頂き、その裾野に白い家々が密集して村を作っているのが分かります。車で頂上まで一応行けるようになっているのですが、一方通行の細い迷路のような石畳の道で坂上発進が難しい急坂、頂上に到着しても駐車スペースがほとんど期待できないことなどから、徒歩で時間をかけて村の中を散策しながら城砦・教会を目指すことをお勧めします
 なお、ページにはスペイン語で村の歴史が述べられている場合があります。無料の翻訳ホームページを紹介しておきます。
       http://www.freetranslation.com/
スペイン語から英語の翻訳では80パーセント位の精度でしょうか。英語から日本語に更に翻訳させると60パーセント位の精度になりますが、内容が読み取れないことはありません。試してみてください。


 アンダルシア地方には国際線が乗り入れる六つの空港がありますが、日本から利用する場合、マラガ空港利用が最も便利です。他の空港は、エールフランス航空にしても英国航空にしても、復路での成田空港までの連絡が悪く、時間がたいへんかかります。
本ブログ
2008・これでパラドールのすべてが分かります
もお読みください


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☆支倉常長とアンダルシア・・・歴史とともに(下)

2007-05-11 15:53:22 | Weblog
 Sevillaセビーヤが世界に誇る大聖堂,その中央礼拝堂の祭壇飾りに圧倒され、コロンブスの柩の前でアメリカ大陸発見の偉業に触れ感動、その鐘楼であるGiraldaヒラルダの塔の上層部からの360度眼前に広がる景観に歓声を上げる日本人観光客の中で、400年ほど前、同じようにヒラルダの塔からの景観を楽しんでいた30名近くの日本人がいたという事実に思いを馳せる人は決して多くないでしょう。
 
 教科書にも慶長遣欧使節としての支倉常長の業績は記載されていますし、宮城県の方ならきっと石巻市月の浦に浮かぶサン・ファン・バウチスタ号(復元)を見学されたことがあるでしょう。しかし、支倉常長の使節団の存在は300年近くに亘り、わが国の歴史から忘れ去られていたのです
 岩倉具視欧州視察団の一行が明治4年 、ローマに赴いた際、天正遣欧少年使節団の展示物の中に支倉常長の手紙を見つけますが、手紙の日付が天正と慶長と30年も差があり、なぜこのような文書がここにあるのか分からず、支倉常長とは関が原の戦いで滅亡した豊臣秀頼が再興を目論んで送った武士に違いないと使節団の話題になったくらいでした。

 伊達政宗の命を受け、支倉常長一行がサン・ファン・バウチスタ号で太平洋をメキシコへ渡り、陸路でメキシコを横断、スペインの艦隊の船で大西洋を越えて地中海Guadalquivirグアダルキビール川河口の町Sanlucarサンルカールに到着したのは、月の浦を出航してから一年後1614年10月5日でした。
 一行はグアンダルキビール川を遡り、Sevillaセビーヤに到着、歓迎を受けます。セビーヤに一ヶ月滞在中、今は世界遺産になっているAlcazaresアルカーサルが宿舎となります。写真を見てください。この一角は支倉一行が滞在した当時とほとんど変わっていないはずです。ヒラルダの塔からは今よりずっと、眺望が開けていたに違いありません。はるか東の方角を眺めながら、支倉たち一行はこれから向かうローマへの夢を膨らませていたに違いありません。しかし、はるばる出かけて行ったローマでは歓迎されたもののローマ法皇から返書をもらえず、往路と同じ道をセビーヤに戻り、西12キロにある修道院で一年以上、届けられることがなかった法皇からの返書を待つだけの日々を送らなければならなくなるとは、思いもよらなかったでしょう。失意のうちにセビーヤを去ることになるとは、夢にも思わなかったに違いありません。
 
 セビーヤ、マドリッド、バルセロナとスペインを横断、海路ローマへというのが常長一行の行程です。現在の日本人観光客のアンダルシア観光ルートには必ずセビーヤの大聖堂、アルカーサル、CordobaコルドバのMezquitaメスキータ大聖堂という世界遺産を巡るコースが含まれます。この二つの市を結ぶ道こそ、支倉一行が通った道なのです。途中、CarmonaカルモナEcihaエシハという古い町がありますが、支倉一行はここに宿泊しています。観光バスの車窓から見える風景は農場と牧場ばかりですが、400年ほど前は、森林に覆われた風景が続いていたことでしょう。

 今回のスペイン・ドライブでは、エシハの町に立ち寄りました。カテドラルを中心に11の教会を持つ旧市街は中世の面影が残ります。カテドラル前の広場は大改造中、古い建物を壊し、その跡地に地下六階の駐車場を建設中でしたが、古い町並みと新しい町並みがほどよく調和しています。真新しい瀟洒な市場に隣接する役所のショウールームにエッチングで描かれた中世のエシハのパノラマが飾ってありました。絵には騎士らしい人物が描かれています。常長一行にも警護のために騎士が同行したことがあったようですが、日本刀を差している武士と長剣の吊るしている騎士とが並んでいる光景は当時の人々の話題になったことでしょう。


 旅行から帰ってエシハのホームページにたくさんの塔が残る街の全景写真が乗っていました。  支倉常長が訪れた頃のスペインは1588年無敵艦隊がイギリス・オランダに敗れ、以降、国力が低下、支倉使節団が訪れたフィリッペ三世の時代には財政が危機的状況にありました。また、日本ではキリスト教徒に対する弾圧が激しくなっていることもローマには伝わっており、使節団を派遣した伊達政宗はキリスト教徒でもなく、日本の一領主に過ぎないという情報も支倉常長に災いしました。
 やがて、支倉常長使節団は追われるようにセビージャを後にしたのです

後日談があります。帰国せずに、セビージャに留まった日本人が何人かいました。
支倉常長に随伴していた若い武士たちの中にはスペイン語を話せるようになっていたと記録に残っていますが、帰国を目前にして、日本への長い航海への恐怖感、無事帰国できても祖国が彼らをどのように迎えるか分からない不安感から、スペイン残留を選択しても不思議ではありません。セビージャ南部の水田地帯の風景と陽気で親切な地元の人々と交流できるようになっていたことが故郷への執着心を薄めたのかもしれません。

 彼らが残留したセビージャ南方の当時の港町Coria del Rioコリオ・デル・リオには「Japonハポン(日本)」という姓を持った家族が何組もおり、支倉使節団の武士の子孫である信じているそうです。当時のスペインには多くの外国人が住み、彼らの通称名に国名を使うことがよく行われていました。因みにトレドで宮廷画家として活躍したエル・グリコの名前も「ギリシャ人」という通称名です。武士の子孫が「ハポン」姓を名乗っていたとしても不思議ではありません。
 今日、コリオ・デル・リオの人々はこの逸話をどのように思っているのでしょうか。コリオの町のホームページにその回答が得られるかもしれません。

関連ブログ「マドリード周辺の世界遺産を訪ねる」も読みください。

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☆歴史とともに(上)・・・スペイン・ドライブ旅行

2007-05-06 18:07:22 | Weblog
 旅の喜びの一つに、過去の歴史に触れることがあります。歴史は旅のポートフォリオに欠かせない要素なのです。歴史の中でも、争いに敗れ歴史から退場して行った人々・辛苦の努力を続けたのにもかかわるず歴史から忘れ去られた者たち・・・言わば日のあたらない歴史の裏側に惹かれる方も多いのではないでしょうか。
 そんな旅を今回目指しました。

悲劇の地、Alpujarraアルプハラの村々を訪ねる
 我々には聞きなれない地方ですが、どんなところなのでしょうか。
NHKテレビの世界遺産シリーズ「アルハンブラ宮殿」では次のようなナレーションがありました。「スペイン南部アンダルシア地方のグラナダは、8世紀から約800年間イベリア半島を支配したイスラム勢力の終えんの地です。キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)によって覇権を奪われていったイスラムの王国が、丘の上に築いたのがアルハンブラ宮殿。イスラム建築の最高峰と呼ばれ、滅び行く王国の最後の栄華を伝える宮殿です。」 
 
 しかし、これには補足説明が必要です。20代続いたイスラム王国のボアブデイル王がフェルデナンド王・イザベラ女王にアルハンブラ宮殿を譲り渡した後も、80年近くアラブの人々はアルバイシン地区や周辺の地に住み続けたのです
 アルハンブラ宮殿の写真を見ましょう。アルハンブラ宮殿の背景にMulhacenムルアセン山(3,481m)を主峰として雪を頂くSierra Nevadaシエラネバダ山脈が見えています。この山々の向こう側こそ、Alpujarraアルプハラの地なのです。
ボアブデイル王に連なるリーダーに率いられたイスラム教徒たちがSierra Nevadaシエラネバダ山脈の南側の海抜1,000mから1,400mの急峻な谷沿いAlpujarraアルプハラに点在する10以上の村を作り、70年に亘りスペイン王国に抵抗を試みた地なのです。そして1570年のアルプハラでの最後の戦いに敗北、イスラム教徒が800年も住み続けたイベリア半島から去っていった終焉の地なのです。
この地には次のような言い伝えが残っているそうです。1570年の最後の激戦の時、双方の多くの兵士の血が流れましたが、「スペイン王国の兵士の血は谷の下に向かい、アラブの兵士の血は谷の上に向かった」というのです。キリスト教とイスラム教の二つが決して交じり合うことはないということを伝えているのでしょうか。

Trevelezトレベレスの風景を見てください。(下にある写真はクリックすると拡大)人口800人、海抜1476mこの村はスペインで最も標高が高い場所に位置する村でもあり、高級ハム"Jamon de Trevélez",の生産地として有名です。Trevelezトレベレス村を始め、アルプハラス地方に点在する村々は、アラブ人がイベリア半島を追われ、アフリカに去った後、周辺のキリスト教徒が移り住んで、現在に至っています。

 グラナダから車で2時間足らず、イスラムの人々の生活の跡が色濃く残る小さな村が点在する美しい渓谷美を楽しもうと、休日にはたくさんの人々がやってきます。
 私の訪れた4月6日は「Semana Santaセマナ・サンタ(聖週間)」の真っ只中、小雪の舞う生憎の天気でしたが、ここの山岳道路がどこも混雑、小さな村々の道路の両脇は、駐車する車でびっしり、通行もままならないという有様で、目的地トレベレスへ行くことを断念しました。

次回は「歴史とともに(下)」を報告します。また、アルプハラス地方のドライブコースを後日紹介いたします
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☆どこまで出来る?インターネット予約

2007-05-03 17:25:24 | Weblog
 海外旅行を全て独力で・・という方針で今回のスペイン・ドライブ旅行にも臨みました。 インターネットを活用して、企画・予約・購入など何から何まで自分の手で・・・自分の指でと言い換えたほうが適切でしょうか・・・キーボード上の操作でできる時代にめぐり合うことができた幸せに感謝しています。
 さて、旅行のプラニング、レンタカー、パラドールに関しては既に紹介しましたので、それ以外の予約・購入について報告しましよう。

アルハンブラ宮殿のチケットを予約
 予約方法が大きく変わったため、購入部分については削除しました。
 チケットの購入に朝暗い内に市内のホテルからあの長い樹木に覆われたアルハンブラへの道を登り、チケット売り場に並んだというブログを読んだことがありますが、決してこれは誇張ではありません。
私が訪れた4月7日は「セマナ・サンタ(聖週間)」の真っ只中、午前8時に並んだ人でも4時間待ちでようやく午後の最終見学時間のチケットが買えたという混雑振りで、やっと手に入れたチケットを高々と掲げながら記念撮影をするカップルもいました。
  
}◎アルハンブラには食堂はありません。観光客の中には飲み物と食べ物を持っている人を目にしましたが、アルハンブラの周辺では、ゴミ一つ無くきれいに整備されていたので、持ち込んだものは全て持ち帰っていたのでしょう。あの人気No.1のパラドール・グラナダのレストランで食事を取ることができますが、待ち時間は覚悟してください。勿論、宿泊者なら優先的に入ることができますが・・・

}◎車でアルハンブラに行かれる方へ・・・(パラドール・グラナダのアクセスマップにリンクを張ってあります。参考にしてください)高速道E-902,A-44でグラナダの町の南端から入る。Armillaアルミジャ近くのポスト132でA-395に降りる。アルハンブラ方面の標識に従って進む。地図には示されていないが、途中のトンネルを抜けて、T字路に至る。ここを左折、大きな坂を道なりに上ると、アルハンブラ駐車場に。市内を通ることは絶対に避ける。

フラメンコ・ショウを予約する
 グラナダには市内観光案内を営業している複数の旅行業者がありますが、インターネットで探したその一つAlhambra.orgという社のホームページに出会いました。「Official Alhambra Guides (認定アルハンブラガイド協会)」とあり、スペイン語、フランス語、英語版も用意、ホームページの構成もしっかりした内容でしたので選びました。
○ ジプシー住居地区Sacromonteサクロモンテの洞窟でのフラメンコショウ
○ 家族単位のジプシーの踊り手
○ かってスペインを支配したのMoor(ムアー人)の結婚式の踊りに起源
○ サクロモンテ地区の散策・アルハンブラ宮殿の夜景
○ ホテルへの送迎付き
がうたい文句です。
 予約はホームページ、左上の英国国旗ユニオンジャックをクリック⇒英語版に替わります。{FLAMENCO SHOW}をクリック⇒フラメンコ・ツアーの説明に替わり、ページ下が予約用紙です。氏名・メールアドレス・電話番号(日本国内のものでOK)・滞在ホテル名・人数・通訳の希望言語(Others—その他)を選びJapaneseを記入・ツアー参加日時を入れて、「確認欄」にチェックを入れて、ページ右下の{Send}をクリック⇒受付完了と返信メールを送るという文字が出ます。しばらくしてメールで確認書が送られて、クレジットカード情報を送るように求めてきます。
 メールでカード情報を送ることに一抹の不安を感じて、個人情報管理システムについてメールで問い合わせましたが、それに対す回答はなく、代わりに振込先銀行の口座番号が送られてきました。しかし、日本の銀行から海外銀行の口座への振り込み手数料が4,000円掛かり、わずか50€(二人分)を送るには高すぎます。カード会社にカード情報をメールで送る安全性を確認しましたところ、信頼できる会社なら大丈夫だとのことでした。
 カード情報を送って直ぐに、{Voucher}(保証書)がメールで送られてきて、集合場所のホテル名(パラドール駐車場前のホテル)と通訳の言語が英語であること、この確認書をプリントアウトして、当日、係りに手渡すようにとの内容でした。
 さて、当日はどうだったでしょうか・・・なんと、15人のイタリア人観光客のグループに入れられ、イタリア語を聞く羽目になりました。契約内容に偽りありと憤慨しましたが、陽気なイタリア観光客の仲間に入れてもらったことは楽しい思い出になったと今では感謝しています。

航空券を購入
 成田-パリ間、パリ-マラガ間ともエールフランスを利用しました。二年前の南フランス・ドライブ旅行でも利用したので、ドゴール空港に親しみがあります。外国の空港では緊張感が強いられますが、一度利用した空港なら安心できます。また、荷物は最終目的地まで運ばれるので、同一航空会社利用が便利なのです。

 ホームページを開いて航空券購入のシミュレーションをします。日本人旅行者のためのページです。次の設定で早速、トライしてください。「2007年10月1日に成田出発、スペイン・マラガへ。10月10日にマラガ出発、成田へ」です。
割引運賃}のページで探します。{クイック予約}に設定内容を入れ、どんどんと進んでください・・・料金152,460円が出るはずです。税金・燃油代が意外に掛かるのに驚かれたのではないでしょうか・・・。購入する際には、往路のフライトは最少の飛行時間の便を、復路は現地を一番遅く出発する便を、という基準で私は選んでいます。
勿論、どの航空会社にもホームページからの予約が出来るようになっています。十分、お調べ下さい。この値段より安い格安航空券を探される方もあるでしょう。


一般ホテルの予約
 今回の旅では最終日だけはマラガのパラドールが予約できず、一般のホテルに泊まらなければなりませんでした。スペイン政府観光局でいただいた「ESPANA 2006 HOTELES, CAMPINGUS Y APARTAMENTO―Malaga」というパンフレットを参考にホテル選びをしました。マラガでは13軒の4星ホテル、12軒の3星ホテルがありますが、3星でホームページを持っている6ホテル中から選んだのが、カテドラル近くのDon Curro(ドン・クロ)です。予約はメールを直接ホテルに送る方式でした。送って直ぐにDon Curroから「WE CONFIRM RESERVATION UNTIL 18:00 HOURS ARRIVAL´S DAY (到着日、18:00まで予約を保障します。敬具 支配人名 )」というメールが届きました。予約金の請求がなかったので一抹の不安がありましたので、一週間前のマラガ滞在中、ドン・クロまで出かけて確認したところ、私の名前が予約名簿にちゃんと載っていました。7階建ての歴史のある建物でしたが、部屋は狭いながらも清潔・快適で、109€なら満足のいくものでした。

今回の旅行ではレンタカーパラドールアルハンブラ宮殿フラメンコ航空券ホテル海外旅行保険成田駐車場の予約をインターネットでしましたが、まったくトラブルはありませんでした。
To be continued)
2008年度版 パラドール情報をご覧ください

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