シニアー個人旅行のかわら版

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東北・秋の食を訪ねるドライブルートの復活を願って

2013-09-21 09:02:10 | Weblog
昨日、4年前に投稿したブログ「紅葉と温泉、そして秋の味覚・赤貝とサケ・・・東北秋のドライブ」を5名の方にアクセスしていただきました。

しかし、ブログで紹介した二日目のルートは、閖上漁港は街自体が津波で消え、松川浦漁港は津波で101名の組合員が亡くなり放射能汚染で未だ漁に出られず、浪江は原子力災害対策特別措置法で帰還困難区域に指定され立ち入ることさえできません。
いわば幻のドライブルートとなってしまいました。

この魅力的なルートがよみがえることを祈って、2009年10月1日のブログを再掲いたします。



先日、NHK朝のニュースで、宮城県の閖上(ゆりあげ)漁港からの中継がありました。女性アナウンサーが船にも乗り込み漁の様子をリポート、また近くの食堂で赤貝丼をおいしそうに食べる映像を流していました。水揚げされたばかりの赤貝が6個入った赤貝丼が2,100円・・・東京からも食べに来るとのことでした。
さっそくネットで調べてみました。すると「赤貝丼、幻の名物は5店で1日5食が限界」というタイトルのasahi.comの記事に出会いました。NHKの報道では、何時出かけても食べられるという印象を持ちましたが・・・。

 実は3年前、赤貝を求めて、閖上漁港に出かけたことがあります。赤貝は築地に送られ、地元でもほとんど食べることはないとのこと・・・そこで、鮨で有名な塩釜まで足を伸ばしましたが、閖上の赤貝には出会うことはできませんでした。
 NHKニュースによると、今年は赤貝の水揚げが順調とのこと・・・まだ、漁期が始まったばかり、期待してもよさそうです。
そこで、南蔵王の紅葉と奥羽の薬湯・鎌先温泉を楽しみ、閖上の赤貝を捜し求めて、請戸川の秋サケとも出会うという東北の秋の旅をいかがでしょうか・・・

1日目紅葉と温泉を楽しむ
 出発:東北自動車道 東京 310キロ
1.国見IC 県道46号(旧羽州街道)へ
2.小坂宿・小坂峠
    インターを降り、旧奥州街道が旧羽州街道となる県道46号を行く。正面に小坂峠が見える。小坂宿は立派な土蔵造りの家が並び、羽州街道の賑わいと養蚕業で栄えた町の風格がある。旧街道の登り口から曲がりくねった46号を10分ほど登ると、小坂峠・・・国見の街並みが一望できる。
3.上戸沢宿
    20戸ほどの集落。旧宿場町の面影が残る
4.七ヶ宿町
 国道113号は山形・上山へ通じるかつての七ヶ宿街道。ダムが建設されたため、昔の面影はまったく無い。紅葉で映える七ヶ宿湖沿いの快適なドライブが楽しめる。 
5.七ヶ宿湖先の県道51号南蔵王七ケ宿線
長老湖→白石スキー場入口→旧福岡小学校分校→県道254号→弥治郎集落→鎌先温泉
   蔵王連峰の南端・不忘山の裾野を登っていく。紅葉が素晴らしい。特に、長老湖から眺める不忘山の姿に圧倒される。白石スキー場まで登ると、レストハウスから太平洋が遠望でき、塩釜方面まで見通すことができる。県道245号に右折して白石方面に下る。
到着:鎌先温泉
   奥羽の薬湯として知られる。ぬるい湯で、ゆっくりと入ることで湯治効果が高まる。明治・大正時代からの建物が残る旅館もあり、東北の温泉地らしい風情が残る。隣の集落・弥治郎のこけしが湯治客の土産物として、各地に広がっていった。
   湯主一條http://www.ichijoh.co.jp/   最上屋旅館http://www.mogamiya.net/

2日目赤貝と秋サケを求める旅
 出発:鎌先温泉
1.白石市 国道4号を仙台方面へ
2.岩沼先で県道20号へ右折、仙台空港へ 
3.県道10号へ左折、仙台空港トンネルを抜け、塩釜方面へ。名取川手前で右折、閖上漁港
名取川河口の閖上漁港で赤貝丼を
 帰路は、陸前浜街道を100キロ往き、常磐高速道広野ICから東京へ・・・.信号が多い国道6号線を避け、海岸寄りを走る県道を乗り継ぎ、小高(おだか)で6号に合流するルートを取る。
4.県道10号→仙台空港トンネル→阿武隈川・亘理大橋→常磐高速道高架先→県道38号へ左折→松川浦大橋→鵜の尾岬
太平洋と松川浦に挟まれた4キロの渚・快適ドライブ
松川浦は砂浜にできた汽水湖の潟湖(せきこ)。大小の島や岩が点在する風光明媚な風景で、小松島とも評される。海苔の養殖が盛んで、海苔筏が風物詩となっている。
     松川浦
5.県道74号へ左折→原町火力発電所→グリーンパーク→県道206号へ→鮭川橋→新田川→甲子橋で小高川を渡り、国道6号へ→浪江町
浪江・請戸川河口の鮭狩り見学
  10月中旬から11月にかけて、東北地方太平洋岸での最大の鮭の遡上が見られる。鮭の販売所もある。
     請戸川
6.広野IC 
到着:常磐高速道 250キロ 東京 

 
私のブログ湯治旅館の面影を残す鎌先温泉時代の目撃者・・・鎌先温泉と不忘山もお読みください

 
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残念です、歴史を語る秘湯・不動湯温泉が焼失しました

2013-09-07 09:20:11 | Weblog
 8月29日、突然のニュースでした。
翌日のヘリコプター映像は焼け落ちた不動湯・白雲荘を映し出していました。
高村光太郎・智恵子夫妻が泊まったことで知られる一軒宿、秘湯ファンには人気がある温泉でした。

初めて訪れたのは30年前、それから2度ほど訪れました。不動湯に泊まり、吾妻小富士に登り、帰路、二本松にある智恵子の生家・智恵子記念館を訪れるというのが決まったルートでした。

 旧安達町(現二本松市)の造り酒屋であった実家の破産・一家離散などの心労から、智恵子は昭和6年に精神分裂症を発症、昭和7年にはアダリン自殺を図り、光太郎は翌年8月に智恵子の療養のため、東北の温泉めぐりをしたおりに不動湯に2泊しています。

 その時に泊まった部屋と高村光太郎の筆跡が残る宿泊者名簿が不動湯の財産でした。
その両方が失われた現在、光太郎が不動湯から東京の母に送った葉書が二人の旅を語る唯一の証となってしまいました。
不動の湯が日帰り温泉として復活です

 東日本大震災では福島県の旅館も被害を受け、風評被害も加わって廃業した旅館も出る中で、不動湯は大正時代に建てられた木造母屋が地震に耐え、大正ロマンを求める顧客が絶え間なく訪れる数少ない旅館でした。

 地震で損傷した湯殿に通ずる名物の80段の外階段を県の補助金で6月に補修したばかり、9月から秘湯と歴史を満喫してもらうツアーを企画し、おかみが大正時代から続く同旅館の歴史の「語り部」として登場する予定でした。

 土湯温泉からの車道は山中を4キロ曲がりくねりながら不動湯に至ります。しかし、昔からの歩道は1キロで不動湯です。高村光太郎・智恵子もこの道を登って不動湯に行ったに違いありません。歩道を整備して、まず、立ち寄り湯として不動湯を再開したらと願っています。

 二本松の智恵子記念館近くに光太郎と智恵子が散策し、「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」と詠った丘は「智恵子の杜公園」となっています。それに習って「光太郎・智恵子の湯」としたらいかがでしょうか・・・。
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