シニアー個人旅行のかわら版

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初夏、びわの季節ですが、究極の白びわが土肥温泉にあります

2014-05-25 09:29:03 | Weblog
近くの店の店頭に枇杷が並んでいました。
ひとつずつ丁寧にカゴに入れられていました。
首都圏に出まわるビワは房総の富浦で採れたものでしょう。
実が大きく、濃いだいだい色で、初夏の香りがひろがってきます。
びわは果物中では最も高尚な味をもっていると言う人もいます。
さっそく購入・・・ひとつずつやさしく表皮をむき、ほおばりました。

疎開をしていた西伊豆の土肥(とい)から東京に戻ったのは小学校3年の4月の初めでした。すっかり身についていた語尾に「ずら」をつける伊豆方言で友達になじめなかったのを心配したのか、6月のある日、父親がびわを買ってきてくれたのです。戦後間もない頃、びわは高価な果物でした。

懐かしい土肥のびわより、一回り大きく、色もずっときれいな立派なびわです。手のひらに載せて、重みを感じながら、土肥でやっていたようにそのままかぶりついたのです。しかし、何かが違うのです。甘さが足りず、なにかぼんやりとした味だったのです。

今でも、東京でビワを食べる度にあの日の食感を思い出します。私だけの感覚なのかと思いましたが、東京にいる土肥出身の従姉妹も同じようなことを言っていました。その理由が分かったのは最近になってからです。



 明治10年、中国に視察に出かけた静岡県知事が洞庭湖近くのびわの種を持ち帰り、県内の農家に配布しましたが、真冬でも氷が張ることがない温暖な風土の土肥にだけ根付きました。
 親戚の山にあったびわは大木で、やぶ蚊に刺されながら、竹さおの先でびわの房をひねり落としました。この木は知事が持ち帰った種から育った原木だったかもしれません。

 へん円形の小さな実で、表皮は淡い黄色、白肉でほんのりとした香気があり、甘いおいしいびわですが、種は大きいのです。子どもの頃に身についた食べ方は、実をまず半分かじり取り、ぶどうを食べる要領で果肉を口に押し込みます。残りの半分はまず種を捨て、どうようにして味わいます。この食べ方だと、あっという間にひと房を食べることができるのです。ただ、果汁で両手がべたべたになるのには閉口しました。

肉質が緻密で白く、果汁が豊富で甘味が強く、甘みと酸味のバランスが良く、上品な味わいは群を抜いている」と専門家は評価しています。しかし、特においしく食べられる期間がほんの一時期に限られることや、果皮・果肉が柔らかくて傷がつきやすいことから輸送が困難で市場に出回っていないことから、「土肥びわ」は「幻の白びわ」と呼ばれています。



かつて銀座にある高級果物店で販売されたことがありますが、品質管理が難しいのか、今は手に入りません。5月末から6月初めに西伊豆・土肥温泉にぜひお出かけいただき、この「究極の白びわ」をご賞味ください。

(冒頭の土肥びわの写真はサイトびわの品種からコピーさせていただきました)

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静かな鎌倉を訪れたかったのです

2014-05-03 14:21:02 | Weblog
午前6時半に自宅を出発、鎌倉駅に8時に着きました。
前回の旅では雑踏の中の鎌倉という印象でしたので再度の訪問となりました。
段葛を歩き、鶴岡八幡宮へ、小学生と中学生が八幡宮となりの学校に急ぎます。



境内は閑散としています。修学旅行らしい小学生のグループに出会いました。千葉県香取市から来たとのこと、東関東・館山自動車道・東京アクアラインを利用すれば2時間もかからず鎌倉です。頼朝が石橋山の戦いに敗れ、房総に渡ったことを思い出しました。

純白の小袖と赤い袴の巫女さんが新緑の境内を社務所に向かいます。緋袴でなく紫色の袴の女性も目にしました。神職の方でしょうか。



鎌倉駅に戻り、江ノ電で稲村が崎駅へ・・・天気がよかったこともあり鎌倉側から江ノ島を撮りたかったのです。波はおだやか、サーファーがのんびりと泳ぎ、もう夏の気配です。



稲村が崎駅から極楽寺駅へ戻り、極楽寺、切通し、御霊神社、長谷寺、高徳院(鎌倉大仏)、光則寺を経て、長谷駅から帰宅しました。平日の午前中であったのにもかかわらず、人気の長谷寺と鎌倉大仏は観光客で混雑、大仏様のお顔を仰ぐだけで、次の機会を待つことにしました。



光則寺は静かなたたずまいを見せていました。長谷寺と高徳院の間にあり、観光ルートから隠れるようにあるからでしょう。この寺は日蓮の弟子日朗が閉じ込められていた土牢があり、草木・花木が覆う庭は一見の価値があります。



植木の手入れをなさっていたお寺の方からお話を伺いました。ここは北条時頼の近臣宿谷光則の屋敷跡で、佐渡に流罪となった日蓮と土牢の日朗との深い師弟愛に心を打たれ、光則は後に日蓮に帰依、屋敷を日蓮宗の寺としました。



四季の光則寺 山野草と茶花 マップ」をいただきました。草木と花が多すぎて、寺の方も覚えきれないそうです。しだれ桜は、身延山久遠寺のしだれ桜の種からの「実生の桜」・・・山アジサイは種類が多く、5月中旬から6月中旬が見頃・・・庭全体が東からの海風を受けるため、背の高い花木の維持管理に苦労するようです。

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