シニアー個人旅行のかわら版

国内・海外旅行の話題を中心に、アップデートな情報とともに、シニアーのための手作り旅行を発信する。

奥久慈の秘境を往く

2010-11-19 15:01:52 | Weblog
 久慈川とJR水郡線に沿って走る国道118号は茨城県の主要道路の一つで、袋田の滝に行かれる方は必ず通る道です。この東側の南北に連なる山々を隔て、118号とほぼ並行に走る道路があることをご存知でしょうか。それが、県道常陸太田・大子線です。

秘境といわれる奥久慈の村々と常陸太田市とを結んでいます。かねてから一度はドライブしたいと考えていましたが、ようやく友人と出かける機会ができました。常陸太田・大子線沿いには、大きな集落はありません。過疎の村々が点在するだけです。信号がほとんどないこの県道は、ツーリングを楽しむ人々にも人気の的です。紅葉の日曜日に出かけたこともあり、多くのライダーに出会いました。

 ようやく長年の夢がかなったのです。一泊二日のプランを立てました。
 常陸太田が実質的な出発点です。せっかくですから水戸黄門の隠居所・西山荘に立ち寄り、茨城県民の人気スポット・竜神大吊橋を渡り、朝日新聞選定の「にほんの里100選」に選ばれた秘境・持方(もちかた)に足を伸ばし、さらに福島県に入り藤田東湖が湯治したことで知られる山の中の湯治の宿・湯岐(ゆじまた)温泉で泊まるという奥久慈70キロのドライブです。

ルート:

1.常磐道・日立南太田IC
   インターを降りて、日立方面へ。次の交差点を常陸太田へ左折
2.常陸太田市内
   西山荘の案内標識を見て進む
3.西山荘
  http://tokugawa.gr.jp/seizansou_info.htm
4.県道・常陸太田・大子線
   西山荘を出て左に。竜神大吊橋の標識に従って進むと常陸太田・大子線に。
5.竜神大吊橋  http://ohtsuribashi.ryujinkyo.jp/
   紅葉狩りの車で大渋滞。あきらめて常陸太田・大子線をそのまま直進
6.林道・武生線、安寺・持方線
   林道への入り口が分からずそのまま直進。林道は工事中で通行止めと入合(いりあい)で知る
7.にほんの里・持方
   入合にあるラーメン店前に持方への案内図。舗装路されているがまったくの山道
8.入合
   入合に戻る。下りなので対向車に注意。
9.福島県・県道下関河内・小生瀬線
   福島県に入る。常陸太田・大子線と別れる。山道を走る県道。対向車は殆どない
10.国道389号
   国道といいながら山道を走る県道と変わりない。
11.湯岐温泉・和泉屋旅館
  http://yujimata-izumiya.net/


西山荘 


水戸黄門のドラマで見る西山荘は、実に質素で光圀公の人柄が偲ばれます。そんな西山荘を想像しながら初めて訪れました。
 山の谷間を取り込んだ広大な敷地の中に、池を三つ、滝を二つ配置し、御前田あり、熊野杉、柳、浜梨、梅、紫竹などの銘木を植えるなど、京都な庭園を思わせる名園の中に、茅葺屋根の西山荘はありました。
 建てられたのは元禄4年(1691年)、光圀公は亡くなるまでの10年間をここで過ごされました。117年後に野火で焼失、翌年規模を縮小して再建、現在に至っています。

持方集落 
 


朝日新聞は「にほんの里100選」を発表、茨城県では持方(もちかた)集落を選んでいます。「山間の山里に隠れ里のような12戸の集落。在来の弾力あるコンニャクを作り、加工販売で地域の婦人部が活躍。古文書も残る歴史ある里」として紹介しています。
 200年前、持方と隣の集落安寺(あでら)を訪れた水戸藩士岡野逢原は「安寺・持方の記」を著し、文字を使わず、記号を使って年貢高を記していると伝えています。
 当時とほとんど変わらない戸数ですが、集落でお会いした年配の女性は、自宅を指差し、「今は空き家となっている。常陸太田に家を建て、孫と一緒に暮らしている。今日は、山仕事にきた息子にひさしぶりに連れてきてもらった」と話されていました。
 集落で出会ったのはこの方だけ・・・小さな牛舎では人恋しそうに子牛が近寄って来ました。 3年前にはなかった道路が、南斜面にある村の下部をダム提のように横切っていました。

湯岐温泉



 歴史ある由緒ある温泉。幕末から明治の初めにかけて湯治客で賑わいました。水戸藩の政治家・学者として活躍した藤田東湖がここに一ヶ月ほど逗留、高血圧の湯治をしたことで知られています。
 旅館は3軒しかなく、周りにまったく人家のない山中にあります。宿泊した和泉屋旅館では、岩盤の割れ目から湧き出る源泉をそのまま浴槽に引き入れ、「鹿の湯」と称しています。湯温37度のぬるい湯で、1,2時間の長時間浴を1日3,4回繰り返すという入浴法を薦めています。無色透明のアルカリ性の湯は、身体にまとわりつく感触で、湯温が低いのが気になりません。
 「鹿の湯」は伝統的な混浴湯で、男性4人、女性3人が入浴していましたが、そこは年配者同士、話に花が咲き時間がたつのも忘れました。私たちは1泊でしたが、同宿者は3,4泊のリピーターばかりでした。
 初めての本格的な湯治体験でしたが、ぬるいお湯の良さを実感できました。

 鉄道の旅

帰路は118号を南下し、袋田の滝周辺をハイキングしました。
ブログ「月居山と袋田の滝に秋を求めて」をご覧ください。





 
 
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月居山と袋田の滝に秋を訪ねました

2010-11-16 13:58:02 | Weblog
11月15日、月居山に登り、袋田の滝を訪れました。ハイキングの後半には雨が降り出すあいにくのハイキングとなりました。平日でしたが、紅葉の袋田の滝を求めて、バスツアーの観光客でにぎわっていました。

 月居山に登り、袋田の滝に下るというルート取りは正解でした。月居山の頂上から下りながら、ゆったりと紅葉に映える生瀬(なませ)の滝と袋田の滝を満喫できた2時間のハイキングでした。
 今年は猛暑の影響で紅葉は遅れ気味という情報でしたが、落葉も始まり、はや秋から冬へと向かう袋田の滝周辺でした。

ハイキングルート:

大子町公式ホームページの地図をご参考に・・・)
http://www.daigo-kanko.jp/cms/wp-content/themes/helena/image/hiking/pdf/h_d_y_course.pdf

 1.10時に町営無料駐車場に到着。数台が駐車しているだけ。
 2.右手に双耳峰の月居山、右の峰の頂上が月居城址、二つの峰の鞍部が峠。



 3.袋田の滝に向かう。観瀑台へは右岸(写真では左側)へ、登山道は左岸を進む。



 4.月居山への登山口。近道(新道)。


 
 5.杉林の中の階段状の道を登りると、明るい広場に。


 6.再び、杉山の中を進む



 7.旧道と合流し、直ぐに峠に。月居城址へは右へ(写真左へ)、袋田の滝へは左に



 8.城址がある頂上まで、落葉樹の明るい疎林の中を上る。頂上直下は急峻で補助ロープ   が何本も置かれている。




 9.頂上には最近立てられた立派な石碑がある。石碑裏は建立に協力した旧佐竹家家臣   団の子孫の方々の名前が記されている。



10.峠に戻る。落ち葉が覆う道は滑りやすい。下り始めにあるロープは助かる。



11.峠に戻り、月居観音を通り、前山へ。境内には石仏が並び、月居峠が要衝の地で あったことが偲ばれる。



12.前山の頂上正面に生瀬(なませ)富士が聳える


13.袋田の滝への鉄製の階段を下る。途中、生瀬の滝への道があるが、現在閉鎖中。



14.生瀬の滝が遠望できる



15.四度の滝とも言われる袋田の滝が上部から次々と姿を見せる。

    

16.袋田の滝に到着



17.12時に市営駐車場に戻る。観光バスの駐車スペースは満車だが、一般車両は20台程度でガラガラであった。


ルート情報:

○2時間のハイキング。各所に案内板があり安心できるが、階段状の上り下りの連続でかなりしんどいルートである。
○今回は新道を月居峠まで登ったが、旧道を利用すると30分よけいにかかるが、歴史の道を歩く楽しみがあったかもしれない。
○鉄製の手すり、一部ロープもあるので、軍手を持参すること。
○月居山から南下し、奇岩、絶壁の名勝男体山への縦走ルートがあるが、初めての方には薦められない。
○袋田温泉には立ち寄り湯がある。
○袋田付近は、幕末の水戸藩内乱での、尊攘改革派の天狗党と反改革派の諸生党の激戦地。詳しくは吉村昭「天狗争乱」を・・・
○袋田は江戸時代にコンニャク生産で繁栄した。「桜田門外の変」の関鉄之助に、資金援助をしたのが袋田蒟蒻会所の桜岡源次衛門であった。




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東京スカイツリーと隅田川(向島)七福神

2010-11-13 09:17:29 | Weblog
 友人と隅田川七福神めぐりを楽しみました。正月に散策しましたが、その時とはうって変わった静かな散策となりました。
多聞寺からスタートしましたが、向島百花園を除いては訪れている人は皆無・・・長命寺は併設している幼稚園の園児が元気に遊戯中、境内に入ることもできませんでした。
(ルートの詳細は正月に書いたブログを東京下町散歩・・・隅田川(向島)七福神めぐりをご覧ください。)


 七福神最後の三囲神社を過ぎて、言問橋へ向かうにつれてカメラを手にした方が目に付くようになります。狙いは東京スカイツリーです。町田からやってきた友人は、言問橋の上で、偶然自宅近くのご夫婦と出会いましたが、ご主人はキャノンのカメラを手にしていました。

 隅田川七福神めぐりに東京スカイツリーという新たな名所が加わりました。正月には向島百花園からは見ることができなかった東京スカイツリーが、見事な借景となっています。

 今年の朝日新聞・全国七福神ランキングでは隅田川(向島)七福神は第9位でしたが、来年は大幅なランキングアップが間違いないでしょう。

 長命寺の桜もちを食べ、浅草神谷バーで電気ブランを飲みながら下町情緒にしたる8000歩の秋の散策でした。


向島百花園から・・・


三囲神社から・・・



言問橋交差点から・・・


言問橋から・・・


墨田公園から・・・


神谷バー前から・・・






 
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早慶戦一色の一週間となりました

2010-11-04 06:53:59 | Weblog
我が家は90歳で亡くなった父の代からずっと早稲田フアンでした。しかし、今年、孫が慶応高校に入学、しかも体育系の部活です。早稲田一辺倒の応援というわけにもいかなくなりました。そこで、今年の早慶戦はどちらが勝ってもよい、できたら何回も早慶戦を見たいという気持ちに変わりました。

初戦は、甲子園からのフアンでありドラフト1位の斉藤投手の好投を祈りながらのテレビ観戦でしたが、斉藤投手が2点を失い敗れ、早稲田のこの時点での優勝はなくなりました。
 第二戦は神宮球場に出かけ、慶応を応援することにしました。連勝すると、早慶両校同率首位となり、優勝決定戦が行われるのです。しかもこれが50年ぶりの早慶優勝決定戦となることをあとで知りました。

第二戦見学記です

 月曜日にもかかわらず、地下鉄外苑前駅構内から熱気で溢れています。待ち合わせをする学生など、神宮球場へ向かうファンで、駅の階段から混雑しています。歩道は人で溢れ、車道側にカラーコーンを並べ、一車線を歩道としています。球場近くでは昨日の早慶戦を報じる両校の大学新聞を立ち売りする学生が目立ちました。当日券があるかどうか心配でしたが、慶応側の内野席が買えました。
 試合開始の30分前には内野席は満員となりました。年配のOBたちが同期生の姿を探しあったり、80歳を超えているだろうと思われる方も多く見られ、まさに慶応の同窓会という雰囲気でした。
 
 試合は、3回にはドラフト1位の福井投手から3点ホームランで逆転、4回からリリーフした同じドラフト1位の大石投手からなんとラストバッターの福谷投手が2点ホームラン・・・「信じられない!」「どうなってんだ!」と喜びの声が聞こえてきました。8回に追加点をあげると、「前売り券を早く買わなくては・・・」と勝利を確信したOBが席を立つのが目立ちました。

優勝決定戦見学記です

前日に前売り券を買おうとネットを開きましたが、午前8時時点で内野席はすでに売り切れでした。
当日、30分前に神宮球場に着きましたが、テレビレポーターがインタビューしているや、上空にはヘリコプターが何機も飛んでいるやという大変な騒ぎです。
 外野席に入って驚きました。第二戦ではガラガラだった外野席が超満員、立ったままの観戦となりました。第二戦では慶応側の内野席でしたので、決勝戦では早稲田側の外野席に立ちました。

 試合は一方的な展開になり、斉藤投手がノーヒットノーランを達成するかどうかが話題にのぼり始めていました。ところが、8回に一死後波乱がありました。初安打に続いて慶応が4安打を集中、一気に5点を斉藤投手から奪いました。この間、慶応側の内野席、外野席の応援団が地鳴りをするようにうねりました。
 結果は一方的な試合となりましたが、あの8回の20分間が50年ぶりの早慶戦にふさわしい盛り上がりとなりました。

両校のエール交換には感動しました





決勝戦では内野応援団に2本、外野応援団に2本の大応援団旗が掲げられ、それぞれ二回ずつのエール交換があり、相手校のエールに対して拍手と応援旗を倒して答礼する様は感動的でした。
 また、両校のチアリーダーの洗練された応援にも感心しました。振り付けに早慶にそれぞれの特徴があり、試合の合間に両校の応援を楽しめました。
 
 エールの交換から始まって、エールの交換で終わるまでの、濃密な5時間となりました。

神宮球場には、60年前、父に連れられて来たのが最初です 
大正2年生まれの父の自慢は沢村栄治投手の伝説的な日米対戦の試合を草薙球場(静岡)での見たということでした。静岡県出身の父は高校野球なら「静岡商業」、都市対抗なら「大昭和製紙」を応援、六大学では「早稲田」、プロ野球は巨人ファンでした。後楽園球場が完成する前の洲崎球場(江東区)にも足を運んだという根っからの野球ファンでした。
 戦後の物資のない時代、グローブを買ってくれましたが、それが布製であったことが思い出となっています。
 
 先月に父の七回忌の法要があり、父の供養を兼ねての早慶戦の観戦となりました。

 

 
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