シニアー個人旅行のかわら版

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福島第一原発事故周辺の町は「沈黙の春」を迎えることになるのですか?

2011-03-25 13:38:32 | Weblog
私の住む町にも、放射能から逃れるように数家族の方々がやってこられました。
公民館に3部屋ある10畳の和室の廊下には持参されたスーツケースなどが並んでいます。
来週には近くの公園の桜が咲き始めます。避難されている皆様には、故郷の桜に思いをはせながらの、せつない花見となるでことしょう。

 福島第一原発のある大熊町では例年、4月末の日曜日に日隠山(ひがくれやま)の山開きが行われます。東京から常磐道で3時間、山開きに参加して、裾野にある玉の湯に一泊して帰る・・・という計画を立てていました。
 日隠山は奥羽山脈に連なる海抜602mの名山です。玉の湯は400年の歴史を誇る相馬藩時代からの名湯です。久しぶりの旅を心待ちにしていました。

 そこに3月11日の東日本大地震・・・福島第一原子力発電所の事故・・・日隠山と玉の湯のある大熊町には避難指示が出されました。

 日隠山へのハイキングコースは昔の「塩の道」です。江戸時代から明治の初めにかけて、富岡の浜から内陸の三春や二本松へと塩や海産物を運ぶ生活道だったのです。
 コースの随所に昔の旅人が名づけた場所が残ります。急坂に馬も啼きながら登った「啼き啼き坂」、山桜が目を楽しませた「櫻窪」、冬には風を遮り旅人を守った「姥懐」、板付観音近くの水量豊富な湧き水「参詣清水」・・・往時の人々の息遣いが聞こえてくるようです。5月になるとカタクリの花が旅人の目を楽しませてくれました。

 温泉に恵まれている福島県ですが、浜通りは鉱泉が主体です。その代表格が肌に優しいアルカリ泉の玉の湯です。
 玉の湯のホームページは開けようとしましたがダメでした。かろうじて玉の湯三代目の若主人のブログを見ることができました。避難することで手一杯、帰宅も旅館再開のめどが立たない苦悩が綴られています。

大熊町全域が避難地域にすっぽりと入ってしまいました。
数百年にわたって人々が歩み続けた道に人々の姿を見ることはありません。
原発に給水する坂下ダムにある登り口のサクラも、登山道の山桜やカタクリの花も、人々の笑い声や話し声が絶えた今、ひっそりと咲いているだけとなるでしょう。
参詣清水でのどを潤す人もなく、玉の湯の湯で身体を癒す人もいません、泉も鉱泉もただ静かに湧き出るだけです。

人々が去った町は、沈黙の春を迎えることになるでしょう。


日隠山 http://www.asahi-net.or.jp/~QY5SSOZK/higakure/higakure.htm
玉の湯(楽天版) http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/28651/28651.html
 玉の湯三代目ブログ http://tamanoyuu.exblog.jp/
 がんばれ、福島・大熊町玉の湯三代目!
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名取市閖上(ゆりあげ)の皆さん、ご無事だったでしょうか?

2011-03-17 13:28:54 | Weblog

2021年3月11日午後2時45分、鳴り響くサイレンの下、黙とうする閖上の人々(名取川河口にて)

地震報道映像に目を疑いました。
名取川河口付近から陸地に入り込む津波の映像です。
仕事で何回か通ったことがある県道10号をまさに飲みこもうとする津波映像だったのです。
名取川河口の町閖上が左隅にわずかに写っていましたが、津波が町を越えてきたようにも見えました。

 3月14日に投稿されたakusawa 108さんのレポートには、津波当日の閖上の様子がリアルに描かれています。 
 今朝(17日)のNHKテレビでは、閖上に入ったNGOの方が写真で現地の様子を伝えていました。
 閖上で出会った皆さんの安否がたいへん心配です。

 3年前宮城県に何回か仕事で出かけました。塩釜市と仙台空港を結ぶ県道10号を走りましたが、通るたびに「閖上」の文字を目にしますが読めません。そこでネットで調べ、閖上小学校の子供たちが閖上を紹介するサイトに出会い,地名の読みとその由来を知りました。
 
 塩釜での最後の仕事の帰途、夕食をとろうと閖上に入りました。閖上は上質な赤貝がとれますが、ブランド化して東京ではなかなか口に入りません。そこで地元の方に紹介された「おさかな亭なぐも」を訪れました。赤貝ですが、ほとんど東京へ出荷され地元でもなかなか口にできないとのこと、その貴重な赤貝のお造りに出会うことができました。真がれい、めひかり、ズワイガニ、つぶがい・・・地元産の魚介類がテーブルに並び、東京へ戻る気力がなくなり、ゆっくりと酒と食事を楽しもうと閖上に泊まることにしました。

 おさかな亭なぐものご主人と女将さんとは閉店まで話が盛り上がりました。店名の「なぐも」は、苗字の南雲であること、新潟の湯沢にも南雲姓が多いがと話すと、ご先祖が新潟から閖上にやってきたとのこと・・・閖上の100年をまとめた町誌を見せていただきました。江戸時代は仙台藩直轄の港であり、浜であがった魚を女性たちが背負って仙台市内まで行商に出かける地として知られていたようです。

 紹介されて泊まった「春日館」も歴史のある旅館であり、明治時代に撮られた宿泊客で賑わう旅館の写真を見せていただきました。名取川の堤防下にあり、幾たびか水害にあったと女将の高橋さんが話してくださいました。


今、閖上小学校のサイトを開きながら原稿を書いています。
校歌のメロデーが流れてきます。

♪♪岸をひたして名取川 遠くうしおをおしひらく ラララ・・・
 あなたもぼくも朝明けの 翼するどいかもめどり 清い希望がよんでいる
♪♪

 南雲さんの店とお宅は海岸近くにあります。高橋さんの旅館は名取川に面しています。ご両家の皆様のご無事をただただ祈るだけです。
 閖上小学校校歌に歌われている「清い希望」を持ち続けられ、一日も早い閖上の復興を心から願っております。


閖上小学校のサイトは廃校に伴い削除されました。
旧閖上小学校校歌はエスポワール・フォレが歌う 『旧閖上小学校・中学校校歌』でお聴きください。
子供たちは新たに開校した名取市立閖上小中学校で学んでします。使われている写真の多くで復興後の閖上の姿を見ることができます。

 

 ”サンテンイチイチ”3.11と”サンガツトオカ”三月十日もお読みください。

コメント (3)
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