シニアー個人旅行のかわら版

国内・海外旅行の話題を中心に、アップデートな情報とともに、シニアーのための手作り旅行を発信する。

九州・冬の旅・・・黒川温泉・竹田・佐伯・臼杵

2009-11-26 09:15:48 | Weblog
九州・冬の旅1日目

 大分空港からレンタカーを借り出し、二泊三日の九州旅行を楽しみました。大分空港からのレンタカーの旅は2度目となりますが、前回訪れなかった名所旧跡を訪れるのが今回の旅の目的です。
 その二日目の報告です。

9:00 黒川温泉
9:30 瀬の本高原(海抜1,000m)通過。やまなみハイウエイと交差
10:30 道の駅に立ち寄る。竹田市通過
11:00 緒方町で原尻の滝見学
12:00 佐伯到着 国木田独歩館、城山、平和記念館見学
16:00 佐伯出発
16:40 津久見市通過
17:00 臼杵着(宿泊)


人気の黒川温泉に泊まる:
 大分空港のレンタカー会社の受付で、先客は若い女性二人ずれでした。それとなく係員との会話を聞いていると、私たちと同じ黒川温泉へ出かけるようです。
 黒川温泉は海抜700メート、阿蘇くじゅう国立公園の山間部にあります。一番便利な車で出かけても、どの地点からも2時間は掛かってしまうという、アクセスに難がある温泉地です。それが、今、人気は急上昇中、全国人気温泉地ランキングで上位にランクされるようになりました。

 地元の人の話ですと、以前は近隣の人だけが湯治に訪れるような鄙びた温泉地・・・それが、この十年で様変わり、国内だけではなく、海外、特に韓国からの観光客も増えているとのこと・・・宿泊した旅館山河でもメニューは日本語、ハングル、英語の3ケ国語表示・・・仲居さんに尋ねると、即座に「アンニョンハセヨ」が口から出てきました。簡単な韓国語の挨拶なら仲居さんの多くはできるとのことでした。

 由布院温泉の取り組みを範として、若手の旅館経営者が一致団結したのが、現在につながったとのことです。30軒近い旅館が黒川温泉ホームページに結ばれ、全旅館の一週間の予約状況が瞬時に分かるなどインターネットを利用しての利便性が抜きん出ています。各旅館の装いも、それぞれ特色を持っていますが、湯治場としての鄙びた風情を大切にしており、温泉地としての集落全体が統一されているのが心地よい印象です。湯に入って良し、泊まって良し、散策して良し、買い物して良し、写真を撮って良し・・・ということで冬場でも土曜日、日曜日は、30軒全館が満室状態です。

 

 一つだけホームページを改善してほしい点があります。それは「アクセス情報」、特に積雪があった場合の対応が示されていないことが残念です。私が到着した夕方にも雪がちらついていました。ホームページの写真にも10センチ近い雪景色の黒川温泉が紹介されています。しかし、冬のドライブ情報は、まったくありません。降雪時の除雪はどうなっているのか、スタッドレスタイヤの装着なら大丈夫なのか、温泉地内の細い道路の通行は可能なのか、また、通行止めされることはあるのか、その場合の迂回路はどうなのか・・・など大分空港レンタカー会社では黒川温泉周辺の主要道路の状況は教えてくれましたが、ホームページで詳しい積雪情報をリアルタイムで提供できるはずです。今後のサービスを期待しています。

黒川温泉から竹田市まで:
 442号線を竹田に向かいます。海抜700メートルの黒川温泉から1,000mの滝の本高原へ登りです。20分ほど走るとオートキャンプ場です。ここでやまなみハイウエイと交差、直進します。右折すれば阿蘇です。ここは九重の山々の裾野に当たるところで大草原・・・草地が波打つ高原が続きます。天気がよければ大変景色の良い所です。442号はさらに高度を稼ぐように高原を登ります。側溝には一昨日の雪が残り、路面を粉雪が流れています。慎重に運転、442号の最高地点久住高原を通過、牧場が左右に広がり、「久住山登山口」の看板が見え、ようやく出た晴れ間に雪景色の久住山の東の斜面が見えました。



 ところで、「くじゅう」は「九重」でしょうか「久住」でしょうか。帰宅して調べましたら、1,700m級の山々を有するこの火山全体の総称が「九重山」、主峰を「久住山」と呼び、国立公園としての名称はひらなが表示で「阿蘇くじゅう国立公園」、町名は「九重(ここのえ)町」と「久住(くじゅう)町」となることが分かりました。
 久住高原から竹田までは下り一方の道、途中、道の駅に立ち寄りましたが、観光客用というより地元の方々のスーパーという風情で、数人の主婦の方が買い物をしていました。昨夜、黒川温泉の夕食に出た熊本名物の「ずいき」、そして珍しい「カチ栗」を買い求めました。

 442号は竹田市会々(あいあい)まで、信号を右折して平トンネルを抜け、二つ目の交差点を左折して502号を臼杵方面へ進みます。竹田にも、もう一度立ち寄りたいところですが、今回の旅では佐伯訪問がメイン、「荒城の月」のモデルと言われる滝廉太郎ゆかりの岡城を左手に見ながら502号を進みました。

竹田から佐伯へ:
 竹田からは緒方町を目指します。ここに日本の滝100選にも選ばれている原尻の滝があります。



真冬のこと、観光客は誰一人いませんでした。北風にあおられた水しぶきが飛んできます。観光用に架けられたつり橋を中ほどまで歩き、揺れる中で写真を撮りましたが、風が強く、寒く、早々に退散、車に戻りました。
 502号線は清川村、三重町を通り、野津町で国道10号線日向街道に出ます。ここを右折し佐伯に向かいます。途中日本で一番美しいとされる風連鍾乳洞が左手にありますが、佐伯での滞在時間を確保するためにパス、佐伯の市内に入りました。大手前で「歴史と文学の道」に左折、正面に城山(佐伯城・鶴屋城)の三の丸櫓門が見えます。左手に御殿跡である広い市営駐車場に車を停めました。

国木田独歩館を訪れ、城山に登る:



 今回の九州旅行の最大の目的は、国木田独歩が佐伯で教師をしている間、下宿していたその部屋を訪ねること、何度となく独歩が散策した城山に登ることです。
 写真は城山の頂上、本丸から佐伯市内を撮ったものです。独歩が見た田んぼや畑の中に点在する民家、町の近くまで入り込んだ海岸線の風景とは大きく異なっているでしょうが、遠くに見える山や海、島、そして海に流れ込む番匠川の流れなどはそんなに変わっていないはずです。
  20分ほどで天守閣跡に着きました。独歩が目にしたタキギ拾いの小娘たちの姿はありませんでいたが、ウオーキングを楽しむ中高年の方々と出会いました。佐伯に着いた頃から天気が回復、頂上までの20分で、汗びっしょりです。独歩が「春の鳥」に書いている通り「冬ながら九州は暖国ゆえ、天気さえよければごく暖かで、空気は澄んでいるし、山登りはかえって冬がよいのです」という城山散策となりました。
 
 八ヶ月という短い佐伯滞在でしたが、その間、独歩は佐伯の山野を歩き回り、佐伯を舞台にした小説を書きました。その中で最もよく読まれているのは知恵遅れの子ども六蔵と城山を描いた作品「春の鳥」でしょう。初めて読んだ時の感動は、いまだに忘れることができません。同じく子どもを題材としたモーパッサンの美しい短編小説「シモンのパパ(LE PAPA DE SIMON)」を読んだ時と同じような感動を覚えたのです。(独歩は、島崎藤村、田山花袋らと並んで自然主義の旗手、当然、モーパッサンの作品を読んでいるはずですから、その影響もあったかもしれません)

 それにしても、114年前、独歩が下宿していたその家と部屋がそのままの佇まいで、同じ場所に現存していることが信じられないことです。独歩が暮らした渋谷道玄坂や新宿大久保付近は、当然のことながら、あまりの変貌にその所在地さえ特定できないのです。
 国木田独歩館となっているその部屋で誰もいないのを幸いに、胡坐をかいてしばらく思いを114年前に馳せていました。東京に戻った独歩が、その翌年、恋の逃避行で滞在した塩原温泉上会津屋の前を、先日の南会津への旅で通過したばかりですから、殊更独歩への思いを強くしていました。
 


平和記念館と真珠湾攻撃:
 城山からの次の目的地は「平和記念館」と名づけられた建物がある旧日本海軍佐伯航空隊の基地跡です。城山から海岸方向へ車を走らせましたが、見つけることができません。下校途中の女子中学生の二人連れに道を尋ねましたが、首を傾げるばかりです。ようやく犬を連れて散歩中の年配の女性が教えてくれました。
 
 訪れたのは閉館まじかな午後三時半、館内には見学者は誰もいません。外には米軍の航空機の残骸が、また日本軍の航空機を格納していた掩体壕が周辺に見えます。佐伯湾は、水深が深く、大型艦船も停泊できる良港です。このことが、佐伯が太平洋戦争時に旧日本海軍と深い係わりを持つことになります。
 真珠湾攻撃を想定した日本海軍は、この湾を真珠湾に見立てて、日夜訓練を重ねました。そして、連合艦隊はここ佐伯湾から三々五々出航し、択捉島単冠湾に集結、そこから真珠湾に向かったのです。

 記念館では佐伯航空隊の基地の様子、将兵の写真や関連する品々を展示、また佐伯空襲の様子が当時を知る人々のインタビュー映像で説明してあります。展示物の中で最も感動したのは、矢野龍渓が大正9年に佐伯市長に宛てた手紙です。佐伯に軍港を誘致しようとする動きがありましたが、矢野龍渓はこれを諌め、平和の時代を目指す民生用の港として発展すべきだと旧知の市長に宛てた手紙です。矢野龍渓は国木田独歩を鶴谷学館に招いたその人であり、軍国主義の風潮に惑わされることなく、遠い未来の日本のあり方を見据えていた姿勢に、深く感激しました。この手紙を読んで、本館を「平和記念館」と名づけた佐伯の人々の思いがようやく分かりました。

佐伯から臼杵へ:
 平和記念館を出たのは午後4時です。ガソリンスタンドで臼杵への道を尋ねると、地元の人なら40分ほどの道程だとのこと、暗くなる前に到着できそうです。国道10号線に戻り、川沿いをしばらく走り、弥生町で右折、カーナビの指示通りに走りました。床木ダム沿いの道は、右手の山間部に建設中の高速道路工事の関連で通行量が多く、またカーブの多い一車線の道路をスピード制限を越えて追い抜きをかける車もあり、後続車にも視線を走らせながらの運転でした。
 彦岳トンネルを越えると下り坂、両側にミカン畑が連なります。濃い緑の葉に包まれるように黄色のミカンが鈴なりになっている景色に津久見に入ったのだと実感できました。臼杵に通じるトンネル手前の左の山々全体が頂上までも削られ白い地肌を見せています。鉱山であることは分かりましたが、それが小野田セメントの工場であることを後で知りました。
 
 トンネルを抜けると、直ぐの信号を右折、臼杵市内のホテルに到着したのはちょうど午後5時、100キロのドライブでした。

九州・冬の旅3日目


関連リンク:
春の鳥(全文)
シオンのパパ(冒頭のみ)
国木田独歩解説 松岡正剛 千夜千冊


九州の旅シリーズもお読みください。
大分の郷土料理と臼杵のふぐ






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怖い冬の雪道ドライブ

2009-11-17 10:27:46 | Weblog
更新しました。「安全な雪道ドライブのために・・・豪雪の南会津を走る」をご覧ください。>

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自然首都・只見のブナの森を訪ねて

2009-11-01 14:02:19 | Weblog
只見町の中学生たちが五能線を走る観光列車「リゾートしらかみ橅(ぶな)編成」を、只見線で走らせるアイデアを提案したニュースが飛び込んできました。世界に誇る日本のぶな林を有する白神と只見の村々を同じ列車が走る・・・ぜひ夢が実現することを祈ります。


10月上旬にブナの黄葉を訪ねようと、世界遺産・白神山地に出かける計画を友人と立てていましたが、用事で行けなくなりました。そこで、「奥会津のブナ林は、規模的にも白神山地を上回り、原生林に極めて近い状態で残っている世界的にも極めて貴重な自然である」という奥会津・只見町に変更したのです。

東京23区とほぼ同じ面積の自然の中で生活する住民はわずか5000人、町が標榜する「自然首都」という標語にぴったりの町です。
ブナの見所として、「山神杉のブナの森」「大久保沢のブナの森」「癒しの森」「六十里越雪わり街道・ブナの森」「恵みの森」の五箇所を町では推奨、その一つ、浅草岳の裾野にある「山神杉のブナの森」を訪れました。

宿泊した民宿から車で10分、叶津川沿いの289号の終点近くにある浅草岳登山口に20台ほどの駐車スペースがあります。登山口には登山者数カウンターが設置され、町の自然保護の姿勢が伝わってきます。
登り始めてすぐに、ブナの木が登山道の周辺に見られるようになります。登るにつれて、数も増え、木もだんだんと大きくなります。一時間少々で、浅草岳の頂上に通ずる尾根の鞍部に到着、そこに立派な杉の巨木がそびえています。山神杉です。この周辺が「品格・規模・美しさのいずれをとってもトップクラス」と言われるブナ林です。



登っている途中で、ブナの写真を撮影するために一人で登られてきた方が私たちに追いつきました。お話を聞くと、日本の山岳だけでなく、アルプスやヒマラヤなど世界の山々に登られておられるとのこと・・・あのマッターホルンにも単独登頂されているというお話には驚かされました。
山神杉の先までご一緒させていただき、ブナの話をいろいろと聞かせていただきました。そして、山神杉のブナの森でもっとも巨木であるという樹齢300年前後のブナまでわざわざ連れて行ってくださいました。この方の案内がなければ、あの巨木に出会うことはできなかったでしょう。

只見町観光まちづくり協会http://www.tadami-net.com/)ではブナの森探勝にはガイドの同行を勧めています。安全面からだけでなく、ブナを知り尽くしている方の案内と説明があってはじめて、ブナの森の本当の姿を知ることができ、後世に伝えなければならない貴重な自然遺産であることを実感できるのです。
ガイド料金は半日5,000円、一日10,000円です。三日前までに協会に連絡します。

アクセス
400号・塩原温泉⇒尾頭峠(トンネル)を越え、121号・旧会津西街道を北上、山王峠(トンネル)を越え、田島へ⇒289号で駒止峠(トンネル)を越え、南郷へ⇒伊南川沿いを只見町へ下る

西那須野塩原I.C.から100キロ、2時間30分のドライブ、三つの峠を越える山間道だが整備されている。南郷からは伊南川沿いの平坦の直線道路。ただし、特別豪雪地帯なので、冬期のドライブは細心の注意が必要。
○ 電車利用の場合は、浅草駅or北千住駅から東武鉄道直通電車で会津田島駅へ。只見町に通ずる路線バスはないので、タクシー利用。レンタカーで向かう人も多い。
○ 只見町を走るJR只見線は1日3、4本の列車しか運行されていない。ただし、「紅葉が美しい鉄道路線日本第1位に選ばれている。

泊まる
 電源開発の町であったことから、町の規模に較べて、旅館の数が多い。いずれも木造建築の、歴史を感じさせる風格がある。
民宿も多く、新潟の魚沼に隣接していることもあり、只見川の名水で育てられた地元産コシヒカリのご飯がおいしい。地元産の手打ち蕎麦を出す民宿もある。
 秋にはブナからの贈り物・きのこ料理が食卓を飾るが、今年は大不作。春から大切に保存してあった山菜が添えられていた。

街の様子は次のページで・・・
http://blog.goo.ne.jp/masa4439er/e/82690d4c8651c8468aad19e555240a8f

奥会津・南会津に関する私の他のブログもお読みください。
南会津・湯の花温泉紹介です
水引の雪下ろし
奥会津・冬の生活(1)
奥会津・冬の生活(2)
長距離バスと列車で行く奥会津
奥会津・柳津を訪ねる
尾瀬へ・・・
昭和村散策
観光バス転落事故に思う
「会津高原尾瀬口駅」紹介
南会津は大雪
冬のドライブは安全に
電車で行く南会津






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