シニアー個人旅行のかわら版

国内・海外旅行の話題を中心に、アップデートな情報とともに、シニアーのための手作り旅行を発信する。

雲南省・昆明で出会った人々

2010-06-12 15:25:06 | Weblog
昆明の3日目

 

 日本語ガイドの陸さんはイ族出身で、昆明中国国際旅行社日本部に所属、昆明で日本人旅行者のガイドだけでなく、中国人の日本旅行にツアーコンダクターとして出かけることもが多く、日本に50回も行っており、日本語が完璧な理由がわかりました。

 昆明2日目は陸さんとガイド契約は結んでいませんでしたが、夜遅くは治安がよくないからと、雲南映象劇場からホテルまで送ってくれました。ガイド料を申し出ましたが、日中友好の仕事だからと受け取りませんでした。
 
 陸さんから多くのことを学びましたが、中国人の反日感情の話は有益でした。

 ホテルで家内に中国語で話しかけてきたマレーシア人のグループがあり、オートバイで雲南省をツーリングしているとのことでしたが、この話題から、レンタカーで外国を回るという私の旅行スタイルを紹介、中国でのレンタカー事情を尋ねたときのことです。
 陸さんの、呆れたという表情が忘れられません。

 日本企業は中国国内で日本人社員の車の運転を禁じているところが多いとのこと・・・もし交通事故を起こしたなら、大変なことになるからだそうです。
 かつて日本は100万の軍隊を中国本土に送り、その国土の40パーセントを支配ていたことは知っていましたが、我々日本人にとっては70年前の出来事という理解ですが、中国では決してそうではありません。

 広州に着いたその夜、なにげなく、テレビのスイッチをつけると、日本兵が登場するドラマでした。
 陸さんによると、抗日戦争時の愛国ストーリーは人気番組の1つで、ちょび髭で眼鏡をかけ「バカヤロ」「ミシミシ(めし、めしの中国風発音)」を連発する中国人俳優が演ずる日本兵が悪役として毎週のようにテレビに登場するというのです。

 先週、日本人が自動車事故を起こし、相手の中国人に暴力を振るったという間違った情報が中国のネットであっという間に広がりかけました。なにか起きれば反日感情が一気に爆発・・・そんな事情を知らない私の無知さ加減に、なかば軽蔑のまなざしが、あの陸さんの呆れたという表情にあったような気がしました。

 ところで、陸さんの口から「松山戦役(中国側の名称)」という言葉が出ました。ここ雲南省でも日本軍との戦いがあったというのです。
 帰国してから、調べてみました。雲南省には激流として知られる「怒江」という川が北から南にまっすぐ流れています。橋を掛けることが出来ず、村人が怒江の谷に張ったワイヤーを滑車で滑り渡ることで知られますが、下流は保山市から40キロ南を流れています。その西岸一帯をビルマ(現ミャンマー)から越えて進出した約3,000名の日本軍が占領していました。
 三ヶ月を越える戦いの末、武器・弾薬・食料の支援を得られなかった日本軍は玉砕・・・生存者は連絡要員として脱出した3名のみ・・・「拉孟・騰越の戦い(日本側の名称)」として戦後日本でも知られることになります。




 ドライバーの陳さんは、一番長い時間・・・二日間をご一緒しました。物静かな、落ち着いた、魅力的な女性でした。写真左が陳さんです。
 
 石林の食堂での昼食の時のことです。昆明の次に大理古城に3泊すると話すと、陳さんの表情がパッと輝いて、自分が大理出身の白(ペー)族であること・・・大理は大変美しい街であること・・・祖母が住んでおり、昆明にいる母と春節には大理を訪れることを話してくれました。
 イナゴを食べる私たちが、食道楽と思ったのか、「再回首凉鸡米线三分店 特色菜:砂锅豆腐、木瓜鸡、砂锅鱼酸辣鱼大理海菜汤、青蛙皮」と大理古城の食堂名と名物料理をメモして渡してくれました。最後の青蛙皮はどんなものなのか尋ねると、食堂の厨房に入り、持ってきてくれました。まさしく蛙の皮そっくりの食材で、茸類でしょうか・・・

 北京ダックの夕食にお誘いしたとき、日本語ガイドの陸さんと私たちは色々な話題で盛り上がっていましたが、日本語の分からない彼女は食事の合間に、紙面になにかを一生懸命に描いています。見せてもらうと、幾何学的な模様でした。
 白族の女性は、白い上着にピンクや赤など、色とりどりの刺繍を施した民族衣装を身に着けるそうで、彼女の故郷・大理の刺繍は有名です。陳さんは自分の民族衣装の刺繍のデザインを考えていたのでしょうか。

 夕食の最後に、「陳さんから聞いたのですが、石林の食堂で‘虫’を食べられたそうですが、大理には生の豚皮を食べる料理がありますが、危険なので絶対にチャレンジしないでください」と陸さんから念を押されました。
 帰国して、ネットで調べると、それは大理生皮という料理でした。





 雲南料理・福照楼汽鍋鶏飯店の純朴な店員さんです。
 無愛想な表情・・・声を掛けないと寄ってこない・・・客を無視して店員同士でおしゃべり・・・そんな店ばかりでがっかりしていたときに出会いました。

 担当のテーブルから少し離れて物静かに待機、声がかかるとメニューを持ってきます。まず、ビールをというわけで「ピージュウ」と家内が注文しましたが、通じません。北京語が通じない少数民族の店員が昆明には多いと陸さんから聞いていましたから、彼女もその一人かもしれません。そういえば、彼女の持ってきたメニューは料理の写真入です。男性店員の助けで、ようやく、ビールを持ってきてくれました。
 
 続いて、「シャオシンジュウ(紹興酒)」を頼みましたが、これもダメです・・・酒を飲む真似をしましたら、頷いて持ってきてくれた小瓶は透明な酒・・・「チャーサア(茶色)」と家内が言うと、そのビンを戻し、茶色の酒が入った別の小瓶を持ってきてくれました。ふたを開けて、一口・・・強烈なアルコール度数です。ラベルを見ると、白酒に10種近い薬草が入っている度数36度の薬用酒でした。

 注文に応じようと一生懸命の努力する姿に好感が持てました。食事が終わり、食べ残した豆のごはん持って帰るかというジェスチャーです。丁重に断り、その代わりに一緒に写真を撮りたいとカメラを向けましたら、恥ずかしそうにもう一人の店員を呼んできました。

 料理はおいしく、値段は安く、そして純情な店員さん・・・昆明滞在中で出会った最高の店となりました。




 普洱茶の店を母親と経営する漢族の何さんです。
 土産にプアール茶を買おうと立ち寄った私たちのために、お茶を淹れてくれました。

 プアール茶の淹れ方には手順があるようです。
 円盤状に硬く圧縮されたプアール茶を包装紙から取り出します。細長いナイフ(プアール茶刀)で、丁寧に茶葉を少し崩しながら、並行して湯を沸かし始めます。フラスコのようなガラスの茶壷に湯を注ぎ(盪壺―とうふう)、次いで、ウイスキーグラスのような小さな茶杯にお湯を注ぎ暖めます(盪杯―とうはい)。その湯をすぐに捨てます(倒水―とうすい)。ここで茶壷に茶葉を入れ(置茶―ちちゃ)、お湯を茶壷にあふれるくらいに(冲水―ちゅうすい) 、茶壷を揺すりながら茶葉を洗い、一滴残らず、お湯を捨ててしまいます。茶葉の不純な匂いを流すためです(洗茶―せんちゃ)。再度、茶壷にお湯を入れ、蒸らします(泡茶―ぽうちゃ)。
 これで準備完了・・・各自の茶杯に三分の一ずつ順次にお茶を入れていきます。茶の濃淡をどの茶杯も一定にするためです(倒茶―とうちゃ)。

 茶壷も茶杯もガラス製なので趣がないなと思いましたが、プアール茶の色合いを楽しむにはガラスが一番よいとのこと、また、茶杯が小さいのは煎じるたび微妙に変わるプアール茶の味を少しずつ、何杯も楽しむためだそうです。2ないし3煎目が一番おいしいとされています。

 私は途中で店を出ましたが、家内は更に何種類もプアール茶をご馳走になり、何さん親子と意気投合したようです。母親は50歳、自慢の息子と一緒に働いている喜びが伝わってきます。何さんは、茶杯を、まず、母親に手渡すという孝行振りでした。
 
 家内は土産用に26元のプアール茶を10缶、自宅で飲もうと165元の餅茶を一つ購入しました。
 餅茶ですが、日本ではあまり見かけません。プアール茶の茶葉を、保存のためと持ち運びやすさから平らな円形に固められたものです。その昔、雲南からチベット高原までプアール茶を運ぶ際、餅茶を七つ重ねて竹の葉で包んで一荷として、馬の背にいくつもくくり付けて、茶馬街道を運びました。これが雲南七子餅茶の由来です。




 雲南映象劇場で観客を迎える少数民族の団員たちです。
 昆明を訪れることがあったら雲南映象で少数民族の歌と踊りを見ようと決意したのは、雲南映象のサイト「雲南映象」 HTTP://WWW.DYNAMICYUNNAN.COM/で楊麗萍(ヤン・リーピン)の活動(英語版)を読んだからです。

「踊ると神様と話ができるのだと祖母がよく言っていたのを思い出す。私は歌と踊りが海原のようにあふれている雲南に生まれたことを本当に幸せに思う。孔雀の舞で内なる熱情を踊り上げ、大地を踏み鳴らしながら踊り収穫を喜び、恋を求めて太鼓を打ち鳴らす・・・神が私の手を握り、私の心は肉体から離れ空を飛ぶ。」

「雲南省で歌われる少数民族の歌と踊りを求めて、山々や村々を訪ね歩いた。旅は10,000キロを越えたであろうか・・・・。布郎族の村を訪れたとき、一人の少女が私を呼びとめ、ぜひ踊り手として一座に入れてほしいと言うのだ。身体が小さすぎて踊りはまだとても無理だと断ったが、400元を貯めて水牛を家族に買ってあげたいと懇願する・・・年収わずか150元の村でである。私は村の貧しさに涙し、彼女を受け入れたのである。」

 楊麗萍(ヤン・リーピン)は大理の白(ペー)族出身、現在、国家一級舞踊家です。彼女の踊りを継承した妹が月光と孔雀を舞うことが多く、彼女の姿を見ることは出来ませんでしたが、舞台に流れる重厚で、憂いを帯びた彼女の歌声は聞くことができました。

 若い少数民族の団員たちの笑顔いっぱいの歌とダイナミックな踊りの中に、民族の伝統と文化を継承する誇りと、貧しさから開放された喜びが満ち溢れ、楊麗萍の思いが確実に実現していると感激しました

(了)

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昆明3日目で旅行を中断、急遽、帰国することになりました

2010-06-09 05:03:42 | Weblog
 
昆明の2日目

 ベッドに入ったのが0時過ぎ、雲南映象のミュージカルの興奮が覚めやらず、なかなか寝付けません。しかも、今日は5時起床、大理行7時20分発の便に乗るために6時にホテル出発です。今後の旅に思いをはせている内に、咳が出始めました。石林の2時間のハイキングで汗をかいたのがよくなかったのかもしれません。持病の喘息持ちである私は、咳から喘息発作につながることがよくあるのです。
 主治医からの処方された特効薬プレドニン30ミリ服用しました。

 大理に3連泊、麗江にも3連泊、その後、広州市内に連泊・・・ゆとりのある旅行計画ですが、大理は海抜2,000M、麗江は2,400Mです。しかも昆明に比べると小さな都市、どちらの空港も市内から1時間ほど離れ、昆明と広州への便も合わせても一日数本です。幸い、咳だけで喘息の発作は薬の効果で起きてはいませんが、不安があります。
 決断を迫られました。

午前3時、相変わらず咳が止まりません。目を覚ました家内が、熱がありそうだと言うので、受付に電話、私の英語と家内の中国語でようやく体温計を借りることができました・・・38度です・・・旅行の中断を決意しました。

 この時点から、成田で借り出したドコモ携帯が命の綱となりました。
 すぐに、24時間対応の日通ペリカントラベルネット社に電話、以降の旅行予定のキャンセルと帰国便の手配を依頼、午前9時の出社と同時に手配するので、折り返しの連絡を待つようにとの助言です。

 解熱剤を服用、ウトウトしている内に午前6時になりました。大理空港での午前8時の出迎えを依頼してあったガイドの劉さんの携帯にキャンセルする旨を伝えました。

 午前7時になり、熱が下がったようです。咳も治まってきました。食欲はありませんでしたが、無理に朝食はとりました。連絡のある9時まで時間がありましたので、ホテルのコンピューターで、昆明―広州間は1日12便、午後だけで8便あることを確認しました。広州で一泊すれば、次の日には帰国できます。

午前9時過ぎに日通ペリカントラベルネットから連絡が入り、「航空券が取れ次第、電子チケットで発行するので、空港カウンターではパスポートの提示だけでよい・・・広州から成田までは、ANAよりも中国南方航空のほうが2,000元(1名)安い・・・3日前に泊まったプルマン広州白雲エアーポートが取れないので、広州空港近辺のホテルを探す」との連絡があり、昆明空港で再度の連絡を待つことにしました。

 土曜日であったからでしょうか、渋滞に巻きもまれることもなく、20分足らずで昆明空港に到着、出発ロビーは活気にあふれています。コーヒーショップに入り、テーブルの上にドコモ携帯を置き、連絡を待ちました。2度ほど日通ペリカントラベルネットからのメール着信がありましたが、メールを開くことができません。

 帰国して分かったことですが、海外仕様携帯は不要なメールを受信してバスケット通信料が高額になるのを避けるため、メール選択受信設定をONにしてあり、メールを自動的に受信することが出来ない設定になっていたのです。

日通ペリカントラベルネットとは音声でのやり取りとなってしまいました。困ったのはホテルの名称、住所の筆記です。ホテルに行くには、タクシー運転手にメモを見せる必要があります。ホテルは「広州広厦大酒店・・新白雲国際机場空港三四路横一路交界処」、漢字の書き取り試験を受けているようでギブアップ、家内に代わりました。

 中国南方航空広州行14:05発で昆明出発、16時に広州空港に到着しました。
 帰国してから写真を整理しましたら、この間一枚の写真も取っていないことに気がつきました。海外旅行30年で初めて体験する旅行中断・・・緊張と不安でいっぱいだったことがよくわかります。冒頭の写真は、広州空港のホテル周辺の風景です。

  ここで、今回の旅で記憶に残る体験をすることになります。
  空港のタクシー乗り場には客が20人くらい、タクシーが30台くらい、列をなしています。順番が来たので、トランクにスーツケースを二つ入れ、車内に乗り込み、運転手に「広州広厦大酒店」のメモを見せました。その瞬間、運転手は「ジン(近い)!」と舌打ちをするのを家内は耳にしています。
 
 車は走り出しましたが、運転しながら、盛んに何かわめいています。その上、20キロのノロノロ運転、思わず「Go back to the airport!」と怒鳴りましたが、もちろん通じません。しばらくすると、ようやく空港に戻ってきました。停まるのかと思いきや、到着ターミナルのタクシー乗り場をそのまま通過、また空港の外で再びノロノロ運転、それから空港の3階出発ターミナルに戻り、また、空港の外に・・・30分位走ったでしょうか、「広州広厦大酒店」の看板が見えるようになり、私たちが車内から看板を指し示すと観念したのか、ようやくホテルの玄関口で止まりました。メーターは18元です。


 
  荷物を取り出す最中も、運転手はわめいています。ホテルの受付係が車に近づいきたので、渡した20元を手に、しぶしぶ去っていきました。家内によると、「2倍以上貰わないと、割が合わない」と言っていたようだとのことでした。

  翌日、ホテルの送迎バスを待つ間、日本のビジネスマンの方と一緒になり、昨日の体験を話しましたら、あの運転手の反応が理解できました。
  広州空港周辺はもともとまったくの原野、あるのはホテルと空港関係の建物だけ・・・しかもすべてワンメーター(8元)以内の近さです。そこで、空港でタクシーに乗車する際、広州市内に行く場合を除いては、ホテル名を運転手に告げ値段を予め交渉し、タクシーに乗り込むのがトラブルを避けることになると教えてくれました。因みに、その方は30元だったそうです。
 
  スーツケースを二つ持ち乗り込んできた客を、空港から1時間の広州市内に行く上客と思い込んでいたところ、メーター最低料金内のホテルを指示され、途中で降ろすわけにもいかず、頭に血が上った運転手があの行動に出たのでしょう。

  宿泊した広州広厦大酒店は、ホテルというより学校といった造りで、ホテルらしい装飾はまったくなく、ただ泊まるだけ・・・ただし、ダブルベッド・シャワー・朝食付で400元、この内、押金120元が次の日に戻されましたから、実質280元(4,000円)という格安料金でした。ホテルの無料送迎バスで空港まで5分でした。

 成田までの中国南方航空の飛行機は、快適そのものでした。前席との空間も十分で、隣の方が立ち上がらなくとも移動ができ、窓側の席は2席配列・・・ビジネスクラスかと思える余裕がありました。往路のANAと比べて、料金が安いうえに、快適なフライト・・・マイレージが付かないとしても、こちらを選んで正解でした。

  旅行中断以降の費用(2名)ですが、帰国のための昆明→広州(2,700元)、広州→成田(8,020元)の航空運賃・クレジット手数料3%と広州の宿泊費用(280元)など合計で約153,000円、旅行中断によるキャンセル料を差し引いた返金が約158,000円とほぼ同額・・・自分で購入した成田―広州の往復割引航空券154,000円の復路分が無駄になりましたが、無事に帰国できたことでよしとしなければならないでしょう。

昆明で出会った人々





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世界遺産・石林風景名勝区と少数民族ミュージカル・雲南映象・・・昆明の2日目

2010-06-06 11:21:54 | Weblog

昆明1日目

午前7時頃からの昆明のラッシュアワーはすさまじい・・・11階の部屋まで車の騒音が上がって来ます。下をのぞくと、ホテル下の東風東路の上下線とも自転車、オートバイ、車でギッシリ・・・午前7時から9時までは、普段15分の空港までの時間が1時間半はかかると陸さんが言っていたのが納得できました。

1.高速道路で石林へ


9時に陳さんが到着、80キロ南東にあるカルスト台地へ、片道1時間30分のドライブです。市内を抜け、高速道路に入ると周辺にマンションが目に付きます。古い五階建ての建物はかつて無償で住民に与えられたもの、建設中の新しい近代的なマンションは日本円で5百万円もするそうです。

昆明近郊では野菜畑も見られますが、郊外に抜けると、赤茶けた荒涼とした大地が広がります。山の上まで耕地となっておりますが、植えられた樹木はまばらで、貧弱です。雲南省は中国国内でも最も貧しい地域で、タバコ・とうもろこし・茶が主な農作物、その収穫で主食の米を賄っています。
今年はひどい旱魃で収穫が半減、灌漑は雨水に頼るため、農業用水のみならず、飲み水にも事欠く事態に、働き手は急遽都会に出稼ぎに、農村には年寄りと子供だけが取り残されていると中国日報(英字版)が報じていました。

石林近くの村で、山の頂からひとり牛を追いながら降りてくる老人の姿が印象的でした。

石林地区は、海底が隆起した石灰岩のカルスト台地で1,000平方キロに及び、雨水、地表水、地下水などで複雑に侵食され、特有の風景です。
10メートルから20メートルの石灰岩が林立し、独特の姿を見せる350平方キロを自然保護区として整備して、石林風名勝区(入園料175元)としています。石灰岩の狭い空間を縫うように歩道が作られています。長い年月を経て、岩の間の僅かな隙間にも樹木が茂り、木々の緑と石灰岩の巨石が美しいコントラストを醸し出しています。ところどころにあるわずかな広場に出店があり、また、鉄製のトイレも設置されていました。広場の一つでは20名くらいナシ族の男女が民族舞踊を観光客に披露していました。

独特の形状の場所を、「蓮花峰」、「剣峰池」、「危機一髪」、「極狭通人」、「象距石台」、「幽蘭深谷」、「鳳凰が翼をとく」などと名づけ、歩道で結んでいます。案内板も整備され、ときどき迷いながらも2時間の散策は楽しいものでした。これで、大石林の10分の1程度の面積を回っただけ、その広大さも実感できました。



石林公園を出て、5分ほどで陳さんが待つ、テーブルが5つだけの家族経営の小さな食堂に入りました。散策でのどが渇き、まずビールを、そして昼食の注文です。メーニューを見ながらの注文でしたが、用意していない食材も多く、陳さんが家内を調理場に案内していきました。
選んだ料理は軽くゆでた山菜とイナゴの炒め物、そして定番の麻婆豆腐です。山菜は、陳さんによると、馬が好んで食べる種類だと笑っていました。旅では野菜が不足がちです。少し粘り気はありましたが、癖のない山菜は新鮮な味でした。イナゴは陳さん(ペー族=白族)は食べる習慣がないらしく、おいしそうに食べる私たちに怪訝な視線を送っていました。日本ではイナゴは甘辛く炒めますが、ここでは唐辛子と胡椒と独特の調味料でカラリと炒め、イナゴの香ばしさを見事に引き出していました。食べ残したイナゴをパックに詰めてもらい持ち帰りました。麻婆豆腐は、今回の旅で食べたうち、この店の味付けが一番おいしいと思いました。料金は145元・・・昨夜の福照楼に比べると5割高、観光地なので仕方がないでしょう。

2.買い物と両替に街に出ました

ホテルに戻ったのが午後3時、雲南映象のミュージカルは夜8時の開演です。夕方5時に陸さんと陳さんがホテルに迎えに来てくれ、夕食後に出かけることにしました。
ホテル「桜花酒店」は隣にスーパーを併設しています。その一角に店を構える雲南普耳茶(プーアール茶)の店にまず、出かけました。

古来から雲南の茶はチベット高原に運ばれ、チベット高原の馬と物々交換されてきた歴史があります。チベット高原は寒冷高地になるため、野菜類がまったく栽培できず、雲南普耳茶はビタミンを補給する必需品であったのです。また、肉を主食とするチベット族の人々の体内脂肪を下げる健康食品でもあったのです。茶と馬が雲南省とチベット高原を行き来した中国最古の交易路が、茶馬古道で大理からチベットまでの間に現在でも、その一部が現存しています。

家内は試飲を勧められ、また、店の方と話が弾み、しばらく店にいるようです。私は銀行に出かけ、円を元に替えることにしました。
成田空港、昆明空港、中国銀行の3ヶ所で両替しました。銀行は手数料(50元)なしで当日の相場で両替でき割り得ですが、サインを何回も求められること、円札も含めて偽札チェックがあるなど、時間が掛かるのが欠点です。陸さんの話ですと、キズのある円札は拒否されるとのこと、また、いわゆる街の両替店では、偽人民元札を渡される危険性があるとのことでした。
中国銀行では、ヘルメットをかぶり、完全武装(?)の警官(警備員)が入り口とカウンターに配備されているのには驚きました。受付と窓口の係員は英語を話しました。受付番号の呼び出しは中国語と英語でした。

3.夕食は北京ダック

夕方5時に、注文した土産品を持って陸さんと陳さんがホテルに、夕食に出かけました。店は北京ダックの陸さん推奨の店で、昆明では最も大きいレストランだということです。北京で消費される北京ダック用の家鴨は、ここ昆明近郊で飼育されているとのことでした。
街の東、円通寺と動物園近くにあります。この辺りは13世紀に元の行政府の拠点があったところで、円通山の麓にある緑豊かな地は、現在でも昆明の高級住宅地となっています。程なく、店に到着、100席以上はあると思われる大型レストランで、5時半でしたので、私たちが最初の客となりました。

中年の店員が注文を取りに来ましたが、なにやら様子が変です。昆明では昼から飲酒をする人も多く、酔っ払っているのだと陸さんが言っていました。やがて、北京ダックが焼きあがり、丸ごと一匹を客の目前で捌きます。削いだ身を薄い小麦粉で焼いて作った薄餅に包み、ねぎやキュウリを挟み、麺醤(中華甘みそ)につけて食べますが、小さな万頭も出され、それにはさんで食べるのが昆明風なのでしょうか。鶏がらで作った白濁したスープが続きました。
7時を過ぎた頃には、ほぼ満席となりました。支払いは201元(3,500円)、信じられないほどの格安な値段です。午後8時開演の雲南映象に向かいました。

4.憧れの雲南映象・ミュージカルへ

雲南映象については、中国のネットで知りました。昆明中心部に専用劇場を持っており、舞台、照明、音響など世界的な水準に達している立派な劇場です。座席も幅が広く、ゆったりと贅沢な造りとなっています。料金は2階席で220元、一階正面の最も高い480元(7,000円)の席を陸さんにとってもらいました。
上演時間は1時間50分の通し公演、途中で座席を離れる観客はほとんどいないということで、陸さんがまずトイレに、それから正面中央の席まで案内、終了したら席まで迎えに来るから離れないようにと念を押して戻っていきました。観客が続々、席に着きます。ほとんどが団体客・・・中国人、欧米人、日本人のツアー客も入ってきました。

1時間50分は長いと開演前は思っていましたが、異次元の歌と踊りの世界に引き込まれた時間となりました。中国では京劇が有名、雲南省隣の四川省・貴州省で演じられる川劇(せんげき)がありますが、雲南映象のミュージカル自体は歴史は浅いですが、何千年も少数民族に伝えられた音楽と舞踊からなり、ほかの芸術に比べて遜色はありません。

雲南映象を創設した楊麗萍(ヤン・リーピン)は現在、国家一級舞踊家の名声を得、国内はもとより世界各国で活躍しています。彼女は雲南省大理の少数民族ペー(白)族出身で、幼い頃より貧しい生活のなか舞踊に熱中、正規の舞踊教育は受けることはありませんでしたが、その才能を見いだされ、1971年雲南省の歌舞団に入団、中央歌舞団を経て、1986年、彼女自身の創作・主演によるソロ・ダンス「孔雀の精霊」で一躍中国のトップダンサーになります。
それを機に、彼女が長年にわたり抱いていた夢の実現に向け、雲南省少数民族の文化の象徴である歌と踊りを各地の村々を尋ねながら収集、同時に、歌と踊りに才能ある若者を見出し団員に採用、雲南映象というミュージカルに集大成し、昆明市に専用常設劇場を持ち、活動を確固たるものにします。



私たちが鑑賞したミュージカルは「創世・太陽・大地・故郷・火・巡礼・孔雀の精」の7部構成・・・各少数民族の歌と踊りをテーマごとに取り上げ、各民族の太鼓62個とそれぞれのリズムを効果的に組み合わせ、衣装は言うに及ばず、使用するお面などの小道具も民族の生活や祭祀で実際に使われるもの、そして、出演者の7割が少数民族の若者です。
舞台の両脇の壁面には、大型のスクリーンがあり、シーンごとの説明が中国語と英語で交互に表示されます。民族歌謡となると、その歌詞の意味が表示されますが、少数民族の言語で歌われるため、大多数の中国人観客にも内容を理解できず、そのためのスクリーンでもあることに、後で気づきました。

民族舞踊ですから多くの出演者が同時に舞台いっぱいを使って踊りますが、第1部太陽の「月光」とフィナーレの「孔雀の舞い」は独舞(ソロ・ダンス)です。指の関節一つひとつから、手足、体全体をしなやかに揺らし、女性の美しさの根元を演じきる舞(ダンス)は圧巻・・・楊麗萍(ヤン・リーピン)が生み出し、現在は実妹に引き継がれ、彼女たち二人しか演じることはできません。ミュージカルの中で、一人だけ6、7歳の少女が若者に混じって懸命に演技していますが、この子こそ楊麗萍の実の娘・・・将来は叔母に続いて、門外不出の「月光」と「孔雀の舞い」を引き継ぐことになるのでしょう。
幕間を暗転でをつなぎますが、その合間にため息とともに歓声がどよめきのよう響きます。文字通りあっという間の1時間50分でした。

陸さんと陳さんがホテルまで送ってくれ、別れたのは午後11時近く・・・お二人の2日間の昆明での誠実なガイドぶりに別れ難く、夜の街に消える二人の車を見送りました。

日通ペリカントラベルネット社との昆明2日目の契約は、車チャーター代の155US$(14,600円)だけでしたので、追加のガイド料金を支払おうとしましたが、陸さんは受け取りませんでした。

「雲南映象」 HTTP://WWW.DYNAMICYUNNAN.COM/
* 中文版と英語版だけですが、写真を眺めるだけでも、ミュージカルの素晴らしさが伝わります。

旅行を中断、帰国へ
 

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西山森林公園と雲南料理・・・昆明の1日目

2010-06-03 05:09:26 | Weblog
成田空港から広州空港まで

1.広州白雲空港


7時40分広州発中国南方航空(2名430US$=40,500円)で昆明へ・・・1時間前までのチェックインなので、空港に隣接しているホテルでしたが、宿泊代118US$(ツイン11,100円)に含まれる朝食を取る時間がありませんでした。
 広州白雲空港は中国が威信をかけて建設しただけあって、その巨大さに圧倒されます。空港内の食堂で、初めての中国での朝食、牛肉と青梗菜をのせた汁の少ない麺でしたが、口に合いました。家内は、テーブルの間を巡回するカートいっぱいに載せられた万頭の1つをとりました。

2.昆明空港



2時間弱で昆明空港に到着です。写真は乗ってきた飛行機です。シャトルバスから撮りました。シャトルバスは満席でしたが、私たちが乗り込むと、若い女性二人が、席を譲ってくれました。「謝々」とお礼を言い、好意に甘えました。続いて、年配の中国人の夫妻が乗り込みましたが、やはり、席を譲られ、無言で座りました。
 中国では、年配者に席や、列の順番を譲るということが当たり前のことだと日本語ガイドの陸さん(男性)が教えてくれました。譲られた年配者は当然のこととしてその行為を受け入れ、お礼などは言わないそうです。

空港で待っていた陸さんとドライバーの陳さん(女性)とさっそく西郊外15Kほどにある西山森林公園に向かいました。車はドイツ車でどっしりとした足回りで、30キロのスーツケース2つ、大人4人が乗っていても加速十分です。
西山森林公園は雲南省最大の湖・滇池(デンチ)に沿うように海抜2,000M~2,500Mの山々が南北40キロにわたって連なりますが、昆明市自体が海抜1,900Mにありますから,町から見ると高山という感じはしません。

 空港を出るとすぐ市内に入ります。開いた窓から埃や車の排気ガスが舞い込んできます。出発前に読んだ観光案内書には、「海抜約1900メートル、三方連山に囲まれ、街の南は滇池(デンチ)と呼ばれる湖水に面している。気温22度。空気は清涼で誠に心地よい。中国の省都の中でも屈指の生活環境を誇る」とありましたが、それは人口400万当時の昆明の話・・・現在では人口600万に膨れ上がり、交通手段は自転車、オートバイ、車、バスで飽和状態・・・道路改修、地下鉄新設、市街地再開発など街のあちらこちらで工事中・・・すべてが終了し、再びかつての美しい昆明を取り戻すことを願っています。

3.西山森林公園・竜門へ



 西山森林公園地区には20以上の仏教、道教、チベット教の寺院があり、竜門石窟(道教)と華亭寺(仏教)に向かうことに・・・空港から30分足らずで松や杉の原生林の中の坂道を登り始めます。雲南省は世界最大の松茸産地、ここの原生林でも採れるのでしょうか。昆明にはキノコ料理専門店もあり、豊富なキノコ類に恵まれています。
 
 ウオーキングを楽しむ人の姿も見られ、高地トレーニングに昆明に来る日本のマラソン選手も同じ道を走るのかなどと考えているうちに駐車場に到着、10元の遊覧車にのり「竜門」に、40元の入園料を払い、くぐると願い事が叶うと言い伝えを信じて、「登竜門」に向かいます。
300年前、14年の歳月を要して、道士が、垂直に落下し滇池に没する崖をくり貫いて作ったという人ひとりがやっと行きかうことができる狭く急な曲がり石段を登ります。ここは海抜2,000M・・・息が切れます。ガイドの陸さんの話ですと、高山病にかかる観光客もいるとのこと、また、雨天の際には滑りやすい石段は危険なので登竜門までとなるそうです。



 頂上のお堂からの風景は絶景ですが、残念ながら眼下に広がる滇池は水質汚染で緑に変色、陸さんが子供の頃にはよく泳いだという面影はありません・・・その向こうに広がる昆明の町はスモッグで霞んでいました。
 陸さんが、遠くにある陸上競技場の屋根を指差し、高橋直子選手がそこを出発し、滇池を横切る橋を渡り、ここ西山森林公園周辺で高地トレーニングしていたと説明してくれました。
帰りの遊覧車に乗り込むと、売り子が何人もみやげを売ろうと近づいてきます。無視しても、動き出すまで離れようとしません。陸さんによると石林も同様だと言っていましたが、翌日の石林ではこれほどではありませんでした。

4.華亭寺へ



 次に訪れた華亭寺は、静けさに包まれていました(入場料6元)。観光客は私たちだけではなかったでしょうか・・・雲南省最大規模で,往時には境内に200あまりの建築物があり、900年の歴史のある寺院で、植栽豊かな原生林の中に佇んでいました。近年、火災により多くの建造物を失いましたが、民衆の協力や観光客の売店の売り上げで復興したと陸さんが話していました。
静かで、緑豊かな境内・・・奈良を思い出させる亀が泳ぐ池・・・いろいろな表情を見せる仏像・・・殊に五百羅漢は圧巻でした。



 中国絵画、刺繍、壷などを販売して華亭寺の運営を担っているという境内の売店に案内されました。客は私たち夫婦のみ、ボランテイアだという日本語を話す女性が一人で待っていました。お茶を入れてくれて、展示される絵画や刺繍の案内をしてくれましたが、私の家には飾るスペースもなく、購入しませんでした。落胆の表情を見せる店員には気の毒なことをしました。ガイドの陸さんからの連絡で待機していたのでしょうが・・・  

5.昆明市内へ



 午後1時を過ぎ、昆明に戻り、昼食を取ることになりました。中心街に入りましたが、市内の主要道は、交差点以外での左折(中国は左ハンドル)を避けるため中央分離帯があり、また、一方通行の道路も多く、渋滞とひっきりなしの車のホーンが耳につきます。
 陸さんがよく出入りするという「老東粥皇金尼店」に入りました。大衆的な感じのレストランで、店員は若く、お客が入ってきても、店員同士は雑談で夢中・・・陸さんが大声で呼んでいます。注文したのは5品、最も高い麻婆豆腐が20元、飲み物も入れて総計90元、1,300円(1元=14.3円)に過ぎません。麻婆豆腐というと四川省が本場ですが、隣接する雲南省でもよく食べられるようで、どのレストランにもあり、店ごとに味付けが異なり、日本のものよりずっとおいしく、三日間連続しては食べていました。

6.ホテルへ   
 ホテル「桜花酒店」に向かいました。ホテル近くの民生局という政府機関の入り口で10人くらいの初老の人々がスローガンを掲げて座り込んでいました。働いていた会社が年金を支払わないことに抗議しているのだそうです。周囲には銀行が並び、大型高級ホテルの昆明飯店が西隣にあります。



7.夕食は雲南料理店で




 夕方5時、今日のハイライト雲南料理の名店「福照楼汽鍋鶏飯店」に出かけることにしました。インターネットで名前を知り、昆明ではぜひ、訪れようと決めていました。
 汽鍋(チーコー)は素焼きの鍋で、中央に蒸気を通す煙突状の円筒があります。その鍋ごと蒸し、中央の穴から出てくる蒸気が具材の上に落ち、エキスを抽出してスープとなっていきます。本来は水を入れないでスープを作る調理法で、少々の塩と僅かな薬味の生姜だけの素朴なスープは透明、鶏のうまみが凝縮されています。この肉とスープを取り出し、雲南料理の特色である柑橘・薬草・香料などが入った独特のタレで食します。滋養食で薬膳料理の一種です。

 ホテルでタクシーを頼みましたが、桜花飯店ではタクシー会社との契約がないらしく、ベルボーイが道路に出て車をつかまえます。夕方のラッシュアワー、来るタクシー、来るタクシー、すべて乗客が乗っています。待つこと20分、ようやく空車です。ホテル備え付けのカードに、福照楼汽鍋鶏飯店の名前を書いてベルボーイが運転手に渡しましたが、道が分からないようです。やがてホテルのコンシェルジェがやって来て説明、ようやくの出発となりました。
 
 夕方の昆明の町は活気にあふれ、ネオンサインと街路樹がマッチします。あのスモッグに覆われた街は、夜になると本来の輝きを取り戻すのでしょう。乱暴な運転にひやひやしながら30分、ようやく福照楼汽鍋鶏飯店に到着、メーターは14.8元、15元を渡しました。陸さんから悪徳運転手だとあちらこちら回って30元にすることもあると聞いていましたから、良心的な運転手に出会ったようです。




 テーブルに着くと、三七とハマナスの花を加えたお茶が出されました。このお茶はかすかな苦味と甘みがあり、料理に合います。少しでも飲むと次々と注がれます。早速、28元の汽鍋鶏(小)とユリ根、胡瓜、トマト、かぶの生野菜一皿を注文しました。日本なら生野菜にマヨネーズとなるでしょうが、ここでは2種類のタレに漬けながら食べます。写真の上から二つがそのタレ、下が汽鍋鶏のタレです。どうやら、雲南料理はこのタレに秘密がありそうです。

 伝統の汽鍋鶏は絶品でした。薄味で雑味がまったくありません。中国料理というと濃い味というイメージですが、雲南料理はまったく異なります。最後に注文したグリーンピースの蒸しご飯は、日本の懐かしい味そのものでした。ジャポニカ米に似ていて粘りと甘みがありました。ビールと白酒も含めて、わずか105元!でした。
 
 大満足の食事を終え、タクシーを頼みました。ボーイと鍵を腰にぶる下げた男性が二人でタクシーを呼んでくれました。この男性はマネージャーの許濤さんで、英語を話します。名刺を貰い、この店の紹介記事をブログに書いたら送ることを約束しました。 

 途中の公園では数百人の人々が踊っているのに出会いました。初夏の夜を楽しむ人々で賑わいを見せる昆明の夜の街をホテルに向かいました。帰りのタクシーは11元でした。

福照楼汽鍋鶏飯店・北大門店 昆明市朕盟路393号 電話0871-5710/158


昆明の2日目

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