真壁のひな祭りは、毎年、2月初めから3月初めに行われ、10万人の観光客を集めています。その真壁の秋を訪ねました。
ひな祭り期間中を除いて、真壁まで行く公共交通機関はまったくありません。
そこで、つくば駅から路線バス「筑波山口」行で筑波山へ向かいました。
「筑波山口」は旧筑波鉄道の「筑波駅」があったところです。ここから筑波神社まで歩き、ケーブルカーで筑波山へ・・・というのが当時のルートでした。上野駅から直通快速「筑波」号も走っていました。その筑波鉄道は昭和62年に廃線、軌道跡は「りんりんロード 」としてサイクリング愛好家に親しまれています。
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「筑波山口」は、つくば駅や土浦駅への路線バスの発着所となり、周辺の地区へのタクシー乗り場となっています。真壁の伝承館までのタクシーは、20分、3,500円でした。
真壁の街は「お・も・て・な・し」の心で迎えてくれました
普段の真壁は静かなたたずまいを見せていました。人通りはほとんどありません。それでも時々お会いする街の方からあいさつを受けます。街の様子を尋ねると親切に教えてくれます。長屋門の写真を撮っていると、家の方から「中を見ていきますか・・・」と声をかけられました。400年の歴史のある酒蔵を訪れると、試飲をさせていただいたうえ、酒蔵を見学させていただきました。
10年前から始まったひな祭りも、真壁を訪れてくれた遠来の方々へのおもてなしとして、家々に伝わる雛飾りを披露することから始まったとのことでした。
真壁の街は復興半ばです
茨城県で唯一の伝統的建造物群保存地区に指定されている真壁の街は、昔ながらの瓦屋根と本土壁を主体とした建物が多かったため、大きな被害を受けました。大震災から二年七ヶ月も経った現在でも、崩れたままに放置されたり、補修途中のお宅も目にしました。多くの家々では瓦が落ち、屋根の修理に数百万円の費用が掛かったとのことでした。
そのような被害を受けながら震災の翌年もひな祭りを続けられた真壁の人々の心意気に感銘を受けました
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(ひな祭りでにぎわう真壁の町)
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真壁は歴史の街でもあります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book_mov.gif)
真壁町の東に真壁城址があり、その背後に筑波山に連なる山々があります。その麓に立つと、真壁の町の前に関東平野が広がります。平将門の天慶の乱の地で、戦いの舞台となった下野(栃木)の大平山が置き石のように西の水平線に見えます。
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(大平山から筑波山を望む)
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室町時代からの豪族・真壁氏の館があり、戦国時代は常陸の佐竹氏の家臣団に属していましたが、佐竹氏が徳川家康の命により出羽国秋田へ国替えとなり、真壁氏も秋田の角館に移ります。
浅野家が真壁5万石を継ぎ、この頃に現在の真壁の町並みが形づくられます。なお、元禄赤穂事件の大石内蔵助は浅野家の永代家老でした。討ち入りの赤穂浪士の中には真壁ゆかりの武士もいたかもしれません。
ひな祭り期間中を除いて、真壁まで行く公共交通機関はまったくありません。
そこで、つくば駅から路線バス「筑波山口」行で筑波山へ向かいました。
「筑波山口」は旧筑波鉄道の「筑波駅」があったところです。ここから筑波神社まで歩き、ケーブルカーで筑波山へ・・・というのが当時のルートでした。上野駅から直通快速「筑波」号も走っていました。その筑波鉄道は昭和62年に廃線、軌道跡は「りんりんロード 」としてサイクリング愛好家に親しまれています。
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「筑波山口」は、つくば駅や土浦駅への路線バスの発着所となり、周辺の地区へのタクシー乗り場となっています。真壁の伝承館までのタクシーは、20分、3,500円でした。
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普段の真壁は静かなたたずまいを見せていました。人通りはほとんどありません。それでも時々お会いする街の方からあいさつを受けます。街の様子を尋ねると親切に教えてくれます。長屋門の写真を撮っていると、家の方から「中を見ていきますか・・・」と声をかけられました。400年の歴史のある酒蔵を訪れると、試飲をさせていただいたうえ、酒蔵を見学させていただきました。
10年前から始まったひな祭りも、真壁を訪れてくれた遠来の方々へのおもてなしとして、家々に伝わる雛飾りを披露することから始まったとのことでした。
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茨城県で唯一の伝統的建造物群保存地区に指定されている真壁の街は、昔ながらの瓦屋根と本土壁を主体とした建物が多かったため、大きな被害を受けました。大震災から二年七ヶ月も経った現在でも、崩れたままに放置されたり、補修途中のお宅も目にしました。多くの家々では瓦が落ち、屋根の修理に数百万円の費用が掛かったとのことでした。
そのような被害を受けながら震災の翌年もひな祭りを続けられた真壁の人々の心意気に感銘を受けました
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(ひな祭りでにぎわう真壁の町)
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真壁は歴史の街でもあります
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真壁町の東に真壁城址があり、その背後に筑波山に連なる山々があります。その麓に立つと、真壁の町の前に関東平野が広がります。平将門の天慶の乱の地で、戦いの舞台となった下野(栃木)の大平山が置き石のように西の水平線に見えます。
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(大平山から筑波山を望む)
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室町時代からの豪族・真壁氏の館があり、戦国時代は常陸の佐竹氏の家臣団に属していましたが、佐竹氏が徳川家康の命により出羽国秋田へ国替えとなり、真壁氏も秋田の角館に移ります。
浅野家が真壁5万石を継ぎ、この頃に現在の真壁の町並みが形づくられます。なお、元禄赤穂事件の大石内蔵助は浅野家の永代家老でした。討ち入りの赤穂浪士の中には真壁ゆかりの武士もいたかもしれません。