シニアー個人旅行のかわら版

国内・海外旅行の話題を中心に、アップデートな情報とともに、シニアーのための手作り旅行を発信する。

2010年・・・これでスペイン・パラドールの全てが分かります

2010-02-27 13:40:39 | Weblog
更新しました。2014年版をお読みください
http://blog.goo.ne.jp/masa4439er/e/74ddea26074aee3acb2a3df03061e698

先週のNHKラジオ・スペイン講座では、パラドールが話題となっていました。スペインは私にとって最も魅力のある国、、そして、泊まるならパラドールと決めています。
 それは次の理由からです。

スペイン政府直営で、何よりも安全
予約システムが完備、インターネットで確実・安全に予約
問い合わせ(英文)にも、直ぐにメールで応答(本部)
三ツ星、四ツ星ホテル並みの妥当な料金
各種の割引料金の設定
世界遺産の中心地にあり、徒歩見学OK
車乗り入れ禁止でもパラドール宿泊者は優遇、駐車場も完備


(マラガのパラドールから撮影しました)

 人気ナンバー1のパラドールは、アンダルシア・アルハンブラ宮殿内にあるパラドール・グラナダであり、最も予約が取りにくいパラドールとして知られているとNHK講座・講師が紹介していましたが、私が訪れたのが5年前、6ヵ月前でようやく予約が取れた記憶があります。
 現在ではどうだろうかと、調べることにしました。

空室を調べる

まず、パラドール本部のサイトを開きます。http://www.parador.es/es/portal.do

ページの上{Espanol↓English}で、英語版に
地図が出ます。スペイン本土の南にあるAndalucia州をクリック
アンダルシア州の八つの県名とそこにあるパラドールをドットで表示、グラナダ県Paraor Granadaしかありません。このドットをクリック
パラドール・グラナダのサイトに移ります。2009年度版から動画になった紹介映像をしばらく楽しみましょう。
いよいよ空室チェックです。「4月1日」「5月1日」「6月1日」での空室状況を調べてみます。トップページ右側の{Your Booking in 3 steps}(3段階で予約を)を利用します。
 ① カレンダーを{04/01/2010}に
 ② Number of nights(宿泊日数)、Number of rooms(部屋数)は{1}のまま
 ③ {BOOKING}(予約)をクリック・・・正式予約には至りませんのでご安心を。
最も値段の高い部屋{JUNIOR SUITE608ユーロなら泊まることができます。「5月1日」でも同様です。「6月1日」ではどうでしょうか・・・
{STANDARD TWIN ROOM}315ユーロで宿泊できることが出てきます。他のタイプの部屋はどうでしょうか。{Room Type:}で{BASIC TWIN-BEDDED ROOM}を選択、空室があり252ユーロ、一人当たり、約16,000円で泊まることができます。

アルハンブラ宮殿のサンタマリア

予約する
BASIC TWIN-BEDDED ROOM252ユーロを予約します。部屋数の欄が0室になっていますので、希望する部屋数1を入力。
インターネット契約条項を読みます。わが国の契約条項の内容とほぼ同じです。重要な内容は:
「クレジットカード番号、メールアドレスで予約」
「{Check your reservation}(予約確認)ツールで予約管理を」
「予約受付番号が重要」
「到着48時間以前のキャンセル料はかからない。それ以降は一泊分の料金が引かれる」
「契約システムは安全であり、クレジット情報、個人情報は安全に管理されている」
 {I have read and accept the reservation conditions}(確かに条項を読み、了解しました)のにチェックを入れ{BOOKING}をクリック
 確認ページに替わります。表示された内容で良ければ{RESERVE}をクリック
 個人情報入力ページです。氏名(姓はmiddle name欄に、電話(日本国内)、メールアドレス、パスポート番号、クレジットカード情報を入れ{CONFIRM RESERVATION}予約確定)をクリックすれば、契約成立です。その結果は{My Reservations}欄に表示されますから、確認してください。
 
文章で読むと複雑な手順のように思われますが、何回もシミュレーションを重ねることで慣れてきます・・・{CONFIRM RESERVATION}予約確定)をクリックしなければ、契約は成立しませんから・・・。


5年前の宿泊では、半年前に予約、しかも為替は1ユーロ165円でした。現在では三ヶ月前でも予約が可能、しかもユーロに対して大幅な円高です。パラドールは日本人にとって泊まりやすいホテルとなっています。
今回、久しぶりにパラドールのサイトにアクセスしましたが、最も驚いたことは、年間を通して割引料金の適用がなく、Official Rate(正規料金)で押し通してきたParador de Granadaが、客足が遠のく冬期にTARIFA UNICA(特別奉仕料金)190ユーロを導入していたことでした。
改めてユーロ圏の国々の不況の深刻さを実感しました



***日本からの旅行者が利用可能な割引料金情報***
5 nights card 515€(税込)を購入、携帯している旅行者が対象。パラドールに5泊することが条件で、一泊あたり103€までこのカードから支払います。割引料金が適応されないパラドールでも使えますので、残金をカードに残したまま帰国するということも避けることができます。宿泊開始のパラドールで購入します。最も高い割引率ですが、設定の無いパラドールが多く、また、割り当て数も少ないので、早めの予約が必要です。
☆  Golden Days 60歳以上の申込者への割引
Younger Persons’ Getaway 申込者が20歳から30歳までなら該当の割引。同伴者は年齢制限なし。
2 days special連泊割引。カレンダーで適用の可否をチェック。
TARIFA UNICAパラドールが提供する特別奉仕料金。最安の料金。
 なお、各パラドールで料金の差が大きいのは季節要因、祭日・行事の有無、パラドールの人気度によるものです。。

コメントでいただいたご質問をパラドール・グラナダにメールを送ったところ、次の回答がありました。

EN ESTA PROMOCIÓN EL PRECIO DE LA HABITACIÓN ES DE 254 EUR POR NOCHE. NO OBSTANTE, CONSULTE FECHAS PARA VER SI ESTA DISPONIBLE.

SALUDOS. A. MUÑOZ

販売促進用のお得な値段設定とのことです。設定していない宿泊日もあるので、グラナダのホームページで確認するようにということです。




スペイン旅行について記した私のブログをお読みください。
今、スペインにも不況の嵐が・・・
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足利を訪れ、例弊使街道・日光杉並街道を経て、鬼怒川温泉へ

2010-02-22 14:09:00 | Weblog
知人から鬼怒川温泉の宿泊券を頂きました。
鬼怒川まで高速道路で直行するだけでは工夫がありません。
そこで、一度は訪れたいと願っていた足利に立ち寄り、日光連山に連なる山々の裾野を走る293号線を北上、鹿沼から芭蕉一行も通った例弊使街道の杉並木を30年ぶりにドライブして、鬼怒川温泉に向かうことにしました。


 
足利は陸の松島とも称される落ち着いた魅力的な古都でした

関東平野を北に向かって一般道を走りました。久しぶりに晴れた関東平野は朝方霧が出て、高速道路には霧注意報が出されていました。利根川を横切り、渡良瀬川を渡ったところで、霧が晴れ、突然、小山に行き当たりました。東京からずっと平坦な道を走ってきましたので、新鮮な驚きでした。
後で調べると、この山は大坊山(285m)、その東隣に大小山(313m)、足利中心街の背後に両崖山(251m)、行道山(441m)、そして西に石尊山(486m)、深高山(508m)など、足利は低い山が点在する中にあり、まさしく「陸の松島」でした。

あしかがフラワーパークには冬牡丹が咲いていました


世界屈指の陶器美術館として知られている栗田美術館がある大小山の麓にフラワーパークがあります。もともと湿地であった当地に周辺から300本もの藤を移植し、4月中旬から5月中旬は多くの藤を目当ての観光客がバスを連ねます。訪れた二月は閑散としていましたが、冬牡丹と福寿草を見ることができました。鉢植えの牡丹を雪囲いの中に置き、園内のあちらこちらに展示してありました。
写真はフラワーパークから栗田美術館を撮ったものです。

足利市内を散策しました

市内に入ると、中心道路は広く、電線を地中に埋めてあるため、空が広々と明るく感じます。街灯のデザインも古都の雰囲気を出しています。
「足利学校」の向かい側の観光インフォメーションがある太平記館駐車場に車を置き、蕎麦処足利の老舗である「門前そば」に向かいました。香り豊かな、のど越しのさわやかなおいしい蕎麦でした。
鑁(ばん)阿寺へ向かい、石畳の大門通りに並ぶ店で買い物、足利学校を見学・・・1時間の散策を楽しみました。

鑁(ばん)阿寺


堀がめぐらされている変わった寺ですが、ここは、もともと、鎌倉幕府の有力御家人であった足利家の屋敷跡なのです。足利家はその後鎌倉に移り、再び、当地に戻ることはありませんでしたが、足利家の菩提寺としての鑁(ばん)阿寺は残りました。
足利市=足利尊氏というイメージで訪れましたが、「太平記館」という観光施設以外、尊氏を思い出させるものは何一つありません。室町幕府を開いた足利家7代目の足利尊氏が当地を訪れた記録はありませんし、また、戦前の歴史観では、天皇に反旗を翻した武将として足利尊氏は逆臣扱いでしたから、それが微妙に影響しているのかもしれません。

足利学校 


足利市民の最大の誇りは、日本最古の学校といわれる足利学校でしょう。1549年にフランシスコ・ザビエルが「日本国中最も大にして、もっとも有名な坂東の大学」と紹介、それ以前からも、諸国から学徒が集まり学問に励み、野山に働く人々も漢詩を口ずさむ風雅の都会として足利は知られていたようです。
その起こりは諸説があるようですが、室町時代に時の管領上杉憲実が、現在国宝に指定されている書籍類を寄進したことで、その基礎が確立しました。
今でも、地元の方は足利学校を「学校さま」と崇め、子供たちが方丈で書初めに励む姿がテレビでよく放映されています。現在の建物の多くは、1980年代に再建されたもので、それ以前の地図では「足利学校跡」と表示されていました。

293号線を鹿沼に向かいました。

日光連山に連なる山々の裾野を走る293号線沿いには石灰石鉱山多く見られます。セメントの材料となる石灰石を運ぶトラックが多いと聞いていましたが、日曜日のドライブであったためか、快適なドライブでした。
採掘で山肌が剥き出しになった山々ですが、ここに全国的に珍しいセツブンソウの自生地があります。石灰岩地質の北斜面にしか生育しないという、環境省レッドリストにも准絶滅危惧種として登録されているセツブンソウが日本一の規模で見られる「四季の森 星野」です。
今回は足利で時間を取り過ぎ、星野まで入ることができませんでした。

鹿沼から例弊使(れいへいし)街道が始まります


日光東照宮に毎年朝廷から派遣された例幣使が通行した道であることから名づけられました。初めて通ったのは30年前の夏、杉並木の中の運転には気を使った記憶があります。今回は前日降った雪がシャーベット状に残る路面で、幅員は狭く、昔の旅人が歩いた道に中央線を引いただけの車道です。対向車がはみ出したら正面衝突・・・緊張の連続でした。その上、空を覆うばかりに茂った杉の枝から、前日の雪の塊りが落下します。ワイパーはフル稼働です。
文挟(ぶはさみ)から板橋にかけては大木となった日光杉並木街道のハイライトです。杉の根元は道路より一段と高くなった土手となり、道路はその間に沈みこみ、まるで溝の中を走っているような感覚でした。

文挟・板橋は芭蕉一行も通りました

元禄二年(1689年)のことですから、例弊使街道という呼び名もなく、杉並木があったかも定かではありません。曾良随行日記では「火バサミ」と「板橋」の地名が記録されています。曾良は「ふばさみ」を「ひばさみ」と聞き間違ったのでしょう。

今市で例弊使街道と別れ、鬼怒川温泉までは15分でした。

関連サイト:
あしかがフラワーパーク http://www.ashikaga.co.jp
栗田美術館 http://www.kurita.or.jp/
四季の森 星野 http://rover.seesaa.net/article/33989362.html

帰路は、今市から県道鹿沼・日光線で山中に入り、1300年の歴史を持つ古刹・古峯神社を参詣、鹿沼に出るルートを考えていましたが、雪が残る山道ということで断念、次回に期すことにしました。
なお、芭蕉一行の足跡を辿るなら、鬼怒川温泉近くの高徳三叉路で船生へ、矢板を経て黒羽に向かうと奥の細道ルートです。
 私のブログをご参考に・・・
黒羽、雲巌寺、白河の関、遊行柳へ」http://blog.goo.ne.jp/masa4439er/e/d6d1bfda5dce39c09110582e496905e0
「足利へ日帰りハイキング」http://blog.goo.ne.jp/masa4439er/e/a28fef635b1b9720c879bd8640f0cc05
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酒田・冬の旅

2010-02-10 14:08:29 | Weblog

冬厳しい日本海側の町の生活を実感したい・・・
昔栄えた街の今の姿を見たい・・・
そして、冬の一時期しか味わえない寒鱈を賞味したい・・・

というわけで、友人と1月末に出かけたのが最上川河口の町・山形県酒田市です。
 根雪となって街を覆う雪・・・どんよりとした雲に覆われる街・・・そんな期待(?)を抱いて出かけた酒田でしたが、到着した日は雪こそちらついていましたが町にはほとんど雪がなく、翌日は快晴・・・鳥海山がその全貌を見せてくれていました。地元の方に尋ねると、冬に鳥海山が見えるなどというのはほんの数回、こんな日はめったにないとのことでした。
 

1日目
東京駅 Maxとき309号   8時24分⇒10時38分新潟駅
新潟駅 特急いなほ3号  10時59分→13時7分酒田駅
相馬楼見学・舞娘演舞  13時30分~14時30分
            (タクシー)
日和山周辺散策後、繁華街仲町を通りホテルへ 14時30分~16時

仲町「八月」で寒鱈料理  18時~20時
      
2日目   
土門拳記念館 9時~10時45分
         (るんるんバス駅前8時20分発で)
散策:山居倉庫~山居橋~本間家旧本邸 11時10分~12時30分
         (るんるんバス土門拳記念館10時56分発で)
昼食・買い物:さかた海鮮市場     12時45分~14時
       (タクシー)

本間美術館              14時30分~15時30分

酒田駅いなほ12号 15時52分→18時03分新潟駅着
新潟駅 Maxとき340号   18時38分⇒21時東京駅着       

 ◎ 酒田市内の移動は基本的にはタクシー、流しはないので迎車で。
 ◎ るんるんバスは100円均一だが、本数は極端に少ない。
 ◎ 酒田東急インに荷物を預ける。


本間家と酒田
本間様にはおよびもないが、せめてなりたや殿様に」と詠われた本間家は、三代目本間光丘(みつおか)が基礎を作りました。その財力だけでなく、農民や庶民の立場にたった政治力・行動力が人々の尊敬を集めたことを示しています。

 古物、薬、瀬戸物を扱う商人から始まった本間家は、光丘の頃になると金貸業を営みます。当時の貸し金業者は、土地を担保に、年利6割以上という高利で貸し付けるのが当たり前でしたが、光丘は破格の1割という低利で貸し付け、凶作の時には5分まで下げ、農民の生活を支えました。しかし、それでも耐えられず、農民が放棄した田畑が自然と本間家に集まり、日本一の大地主となっていくのです。

 光丘から代々伝わる本間家家訓があります。儲けの4分の3は酒田のために使え・・・というものです。事実、光丘は最上川の改修、長さ2キロ幅500mにわたる防風林の植栽、飛び砂・塩害を防ぐため日和山という砂山を築くなどの事業を行いましたが、これらは、主として、冬期に行われました
 冬になると日本海が荒れる日が多くなり、北前船が酒田湊に入港できません。100軒近くの船問屋、北前船の人足や荷物を運ぶ丁持、最上川を行き来する川舟船頭などは失業状態になります。そんな彼らに仕事を与えるという一石二鳥の公共投資でもあったのです。
 本間美術館となっている本間家別荘も、四代目本間光道が、光丘の家訓を踏襲して建設したものです。

酒田甚句
 江戸時代の北前船交易による酒田湊の繁栄ぶりがよく表されているのが酒田甚句です。「日和山」、「飛島」、「最上川」、「鳥海山」と美しい自然を織り込み、「今町」「船場町」「高野の浜」と当時の賑わう場所を紹介、「お米」「お酒」に恵まれ、「おばこ節」を歌いながら、「毎晩お客はどんどんしゃんしゃん」と宴会三昧、そして歌詞の最後に「ホンマに酒田はよい港」「繁昌じゃおまへんか」と京言葉で終わる歌詞は江戸時代の酒田湊の様子をよく表しています。
 相馬楼の舞娘演舞では「おばこ節」と「酒田甚句」を踊ります。


酒田湊の衰退
 現在の相馬楼の前身・相馬屋で明治26年正月に開かれた大宴会が酒田湊の最後の饗宴となったでしょうか・・・
 酒田の豪商17名が宮中の御宴を真似た新年会を相馬屋の二階で開き、これが不敬罪の罪に問われた相馬屋事件です。なにしろ京都から衣装を取り寄せ、天皇役と皇后役まで決めるなど贅を尽くしたお大臣遊びが、不敬罪に問われ、出席者が逮捕されたのです。
 ビックリした一同は、高額な謝礼を払い、東京から高名な弁護士を呼び寄せ、お雛様の真似事であったという弁明で、ようやく放免されました。

 翌年、明治27年に庄内大地震が・・・戸数4000の町・酒田では、死者162人、傷者223人、全焼家屋1,747戸、倒潰家屋1,558戸の壊滅的な被害を受けます。幾たびかの災害を乗り越えてきた酒田湊でしたが、このときはそうはいきませんでした。
 明治政府の近代化政策で鉄道敷設の機運が高まり、時代は水運から鉄道輸送の時代に移っていたのです。

明治36年には新庄まで奥羽線が開通、最上川水運の米や紅花の集積地であった新庄からは鉄道輸送に・・・最上川水運時代は終わりを告げ、酒田湊の繁栄に終止符が打たれました。大正8年に新庄・酒田間の鉄道が開通しましたが、その輝きを再び取り戻すことはありませんでした。

散策ルート①山居倉庫から本間旧本邸へ 
ケヤキの美しい山居倉庫から歩行者専用橋の山居橋新井田川を渡り、本間家旧本邸に歩くルートがお勧めです。山居倉庫は明治になり酒田米穀取引所の倉庫として、当時、最上川の中州であった当地に建てられました。大火にたびたびあった酒田ですから、類焼を避けようと、中洲に立てたのです。地盤軟弱地の土台には、油分が多く、腐食しにくい松の木材を井桁に組んで、その上に砂をかぶせる、それを何層にも固めて土台としました。また、米穀の保存倉庫ですから、土台に接する木材部には傾斜をつけて、ねずみ返しとしました。
 テレビドラマ「おしん」の撮影が行われたことでも知られています。

散策ルート②日和山公園周辺
日和山周辺は公園となっています。相馬楼光丘文庫海向寺旧白崎病院など酒田の古い良き時代の風情が色濃くの所です。相馬楼から日枝神社へは石畳の緩やかな舞娘坂など、市内から日和山へは坂道になり、酒田の古名・坂田はここから来たという説もあります。
アカデミー外国語映画賞の「おくりびと」は庄内地方が舞台ですが、日和山周辺もロケ地となっています。


土門拳記念館
山形県出身者は、人生で成功すると自分の遺産を郷土に寄贈するという伝統があるそうですが、土門拳は全作品70,000点を郷土酒田市に贈りました。
酒田市はそれにこたえ、1993年に個人の写真記念館として世界で唯一の写真専門の美術館を完成しました。

アプローチの長い広大な敷地・・・見事なデザインの建物・・・飯盛山と名峰鳥海山を借景・・・白鳥も訪れる広い池・・・素晴らしいシチュエーションです。
館内はひろびろとゆったりした配置で、入場者がゆっくりと時間をかけて写真の前に歩を進めます。疲れたら、高級感あるアームチェアに座りながら鑑賞できるよう配慮してあります。池越しに鳥海山を望む一角に休息できる空間もあります。
「古都巡礼」「筑豊のこどもたち」「ヒロシマ」など一枚一枚の写真をどのような思いでシャッターを押したのだろうか・・・カメラの後ろにいる土門拳の息遣いを感じながらの鑑賞となりました。


個人旅行格安パック17,200円を利用しました:
 新幹線とホテル料金をセットとしたパック料金の旅をネットで見つけ、料金が格安であることに驚きました。
東京・新潟間の新幹線+新潟・酒田間の特急列車+酒田東急イン(ツイン利用)1泊2日18,400円です。ホテル宿泊代金を5,200円として、交通費は往復12,000円!・・・高速バス東京・酒田往復料金14,170円よりも安いのです。
 但し、制約があります。詳しくは[乗換案内トラベル]のサイトを・・・

関連サイトへのリンクです
乗換案内トラベル
http://travel.jorudan.co.jp/res/r_1q_tyosyo_o001_jre.html
寒鱈料理「八月」
http://www12.ocn.ne.jp/~iihazuki/kandara.html
相馬楼
http://www.somaro.net/
土門拳記念館
http://www.domonken-kinenkan.jp/
さかた海鮮市場
http://www2.ocn.ne.jp/~sugasen/index.html
「酒田の観光」
http://kaanegii.hp.infoseek.co.jp/mokuji.htm
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