シニアー個人旅行のかわら版

国内・海外旅行の話題を中心に、アップデートな情報とともに、シニアーのための手作り旅行を発信する。

戦国時代へタイムスリップ・・・歴史と食を求めて(1)

2007-08-30 17:51:58 | Weblog
織田信長、豊臣秀吉、前田利家などが活躍した戦国時代・・・その足跡を訪ねようと友人四人と東京から二泊三日1,400キロのドライブを楽しみました。
その一日目の報告です。信長の安土城址と秀吉の長浜を訪ねました。安土城は三年かけて築城し、わずか三年後に焼失、現在は石垣の一部が残るだけですが、その麓に立派な安土城考古博物館があります。長浜城は観光用に再現されていますが、見所は秀吉が作った当時の町割を色濃く残す長浜の町そのものです。(写真は小谷城址を背景にした長浜の町並みです)
 そして旅のもう一つの醍醐味は夜の宴会・・・地元の伝統的な食と酒を賞味しながら、歴史へのあれこれを声高に論じ合う・・・これが30年続いている私たちグループの旅行のパターンなのです。
 
出発:東京首都高
    東名を経て、名神へ。470キロ走行
 名神:八日市I.C
    421号線を安土町へ左折、5キロ走行。街中を走るので信号が多いが、ポイントは近江鉄道踏切。二つ目の踏切を渡ると直ぐに小脇町。
 小脇町信号  
  県道201号に右折、新幹線を横切り、安土町役場方面へ。4キロ走行。安土城考古博物館の案内標識に沿って進む。
到着: 安土城考古博物館
 東海道本線ガード
    博物館の北側の山が安土城址。狭い田圃の中のガードを潜り、0.5キロ。
到着: 安土城址
    安土城跡は現在では私有地。決められたコースのみが見学が可能。石垣が一部現存するだけだが発掘は進んでいるようだ。築城当時は南側を除いて、湖水に囲まれていた。
    

    駐車場から右折、町方向へ戻る。下豊浦交差点を右折、明治時代に干拓された田圃の中を一直線に北進する県道511号を琵琶湖に向かって8キロ走行。
 水車橋 
    湖周道路と呼ばれる県道25号線に右折。琵琶湖に沿って走行。ほぼ直線道路で琵琶湖と点在する集落の黒瓦の家々がよくマッチする風景の中を快適ドライブ。別名さざなみ道路。国道8号線の抜け道となっているのか交通量は多い。琵琶湖国定公園、荒神山公園を経て、16キロ走行。
 金亀公園(彦根城) 
   彦根城を正面に見る。北側から彦根城を見ることは多いが、琵琶湖側からの彦根城も見事。ここで県道2号線に左折。磯漁港、朝妻緑地を経て、12キロ走行。
到着: 長浜



見る:
安土城考古博物館・・・安土城址を望む田園に建てられている。安土城の天守閣を取り入れたデザインは近代的。琵琶湖に住まいした弥生時代の古代人の歴史から戦国時代、江戸時代、明治時代にわたる琵琶湖周辺の歴史を分かりやすく展示してる。資料だけでなく、当時の人の様子や住まいを再現した実物展示の姿勢は大人から子供までが楽しむことができる。また、見るだけでなく、触れることもできる展示形式にも好感が持てる。戦国時代の観音寺城と小谷城の精緻な模型と安土桃山時代の城の移り変わりの説明は今回の我々の旅行にたいへん役立った。
訪れた当日は夏の夕立の豪雨の中、安土城跡の見学は諦めざるを得なかったが、閉館時間まで博物館の展示を心置きなく鑑賞できたのは幸せであった。
長浜・・・秀吉の町の区画がそのまま残る北国街道周辺の家並みは、昔にタイムスリップしたかの錯覚に陥る。火災や戦災にまったく会わなかった幸運が、長浜の町並みを往時のままの姿で残している。また、街を愛する地元の方の努力が今の町の姿を維持しているのだろう。散策したのが夜7時過ぎであったためか、多くの店は閉じ、街は街路灯が点いているものの平日のためか人通りはほとんどなく、歩いているのは私たち5人だけ。それだけに割烹の赤提灯の明かりが帳の中に浮かんでいるのにはほっと一息。

食べる:
郷土料理専門店「住茂登(すみもと)」。品数と量は少なくともよいので、本来の郷土料理のみ、予算7,000円でいう注文で予約。琵琶湖産の湖鱒の卵の付け出し、塩焼き、自家製の鮒鮨、天然うなぎ、琵琶湖の小鮎の甘露煮、そして近江牛のしゃぶしゃぶ・・・地元銘酒「七本槍」との相性もよく、全員満足。 戦前に建てられたという長浜の伝統的な作りの風情ある二階の和室も、一段と料理の良さを引き出していた。長浜というと鴨鍋が特に知られているが、これは冬の食べ物・・・季節ごとに琵琶湖の恵みを楽しめる長浜の食は、海の幸、山の幸には恵まれているわが国の中では、ユニークな食文化を誇っていると言える。

泊まる:
グリーンホテルYes長浜。8年前に鴨料理老舗「鳥新」で鴨料理を食べた折、紹介された隣のホテルに今回も宿泊。駅からも街の散策にも便利。ビジネスホテルの簡便さと妥当な宿泊料金が魅力。

一日目経費:
21,255円
 交通費:有料道路代金1,950円(9,750円÷5人)ガソリン代1,710円(8,580円÷5人)
 宿泊費:7,245円(一泊朝食付)
 宴会費:10,000円(酒代・消費税込)
 入館料:入館料350円

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富良野・日高の原生林・そしてサラブレッド銀座へ・・・

2007-08-25 10:46:43 | Weblog
今回紹介するドライブルートは通常の観光ルートから外れています。しかしアイヌの人々の生活を偲び、北海道開拓の歴史を触れることのできる最も北海道的で、究極のドライブルートと言っても過言ではありません。



 石狩山地と夕張山地の狭間に広がる盆地、それが富良野です。広大な農地が広がる雄大な風景は開拓者の血と汗が作り上げたものです。メインの国道237号はその狭間を流れる空知川沿いに走りますが、そこを外れ十勝岳、富良野岳の眺望を楽しみながら富良野盆地の東の縁を真っ直ぐに走る通称斜線道路と呼ばれる県道298号のドライブはいかがでしょうか。


 そして、日高山脈の南に広がる原生林に覆われた、アイヌの人々の故郷とも言える丘陵地帯を延々80キロに渡って走るのが幻のルート・県道71号線です。この道路沿いには、入植者たちが切り開いた小さな集落が点在するのみで、キタキツネやエゾシカに出会うことがあっても、人に出会うことは希であろうと思われる原生林の中を走ります。ルート最後には名だたる牧場が10キロに亘って連なる、サラブレッド銀座と呼ばれる牧歌的な風景の中のドライブが待っています。



出発:旭岳温泉
    旭川旭岳温泉線を20キロ走行。
 志比内小学校
 213号線はここで左に。道なりに10キロ走行。
 北美瑛駅
 富良野線を渡り、237号線に左折する。20キロ走行。
上富良野駅
    富良野線を渡り、自衛隊駐屯地に脇を通り、県道298号線(斜線道路)を直進する。直線道路。富良野岳の裾野を走る18キロ走行。途中、小学校、中学校があるのでスピードの出しすぎに注意。
 鳥沼公園 
 東九線に。


    ここから県道253号線となり、直ぐに右に国道237号線方面へ曲がるが、そのまま直進、狭い一車線道路の東九線に。根室本線線路沿いを進み、県道544号線に入る。14キロ走行。
 国道38号・237号交差点    
国道38号・237号へ左折、8キロ走行
東山やなぎ
    信号を右折、橋を渡り38号線と分かれる。28キロ走行
占冠
    14キロ走行。
 日高
    日高峠を越え、14キロ走行。
振内
    (そのまま237号を行けば10キロで二風谷)信号を左折、橋を渡り。県道797号線に。狭い一車線の山道。対向車に注意。6キロ走行
10貫気別小学校
    交差点を直進し県道71号線に。71号線旭・三和・正和(33キロ)、新和・美宇・太陽・若園(35キロ)キタキツネやエゾシカの姿を見ることがあっても、人に出会うことはまずないというドライブとなる。
11若園
ここで71号は左に折れ、新冠川を渡るが、直進して新冠川沿いに進む。やがて左右に連続して牧場が連なる。北海道の牧歌的な風景に感動する。9キロ続く通称サラブレッド銀座を左右の牧場の間を走る。振り返ると幌尻岳を中心とした日高山脈が連なる。






12 新冠町



    国道235号線を右折。35キロ走行。
13日高町
沙流川橋を渡り、国道237号線に右折、1キロ走行。
14日高富川I.C
    日高自動車道を35キロ走行。
15 沼ノ端東I.C 
   苫小牧フェリー36号を8キロ東に。千歳空港へは日高自動車道、千歳I.Cを経て。
到着:苫小牧フェリー港
到着: 千歳空港 

参考情報
*シャクシャインの戦い
日高山脈の緩やかな裾野が太平洋岸まで広がるこの地域は沙流川、新冠川、静内川などが太平洋に注ぎ、大量の鮭が遡上し、昆布などの海産物に恵まれ、丘陵の原始林には熊、鹿、鷲などの獲物が豊富で、アイヌの人々が豊かな生活を送っていた。また、余分に取れた海産物を小船に載せ、南部藩、津軽藩、久保田(秋田)藩まで出かけ、米、漆器、鉄製品などと物々交換をしていた。松前藩は、アイヌとの交易権を家臣の知行として与え、アイヌの人々が他藩と自由に交易することを禁止した。一方的に定められた当時の米と干し鮭の交換レートは、蝦夷俵(本土の半分30キロ)一俵に干し鮭100匹、現代の市場価格、米10キロ3,000円、干し鮭一本3,000円で換算比較してみると、30,000円の米を購入するのに、アイヌの人々は100,000円相当の干し鮭を支払っていたことになる。
ところが、1669年に財政が窮乏した松前藩は、この交換レートを一挙に3倍に上げた。これがアイヌウタリ(同胞)の激しい怒りを巻き起こし、静内地方のアイヌの長シャクシャインに率いられたアイヌと松前藩との戦いが勃発した。戦い当初はアイヌ勢優勢の内に進んだが、弓矢、刀で戦うアイヌたちに対して鉄砲を備えた松前藩の武士団に圧迫されるようになり、講和を持ちかけた松前藩の謀略でシャクシャインは暗殺され、この戦いに敗北した。
*北海道開拓
吉永小百合主演の映画「北の零年」には明治5年北海道開拓に将来を託した徳島藩の武士とその家族592名の苦難が描かれているが、彼らが上陸したのが新ひだか市(旧静内町)で、その跡地が県道71号線に面する静内にあり、史跡となっている。これが北海道開拓の始まりと言われている。日高山脈の南麗に広がるこの地域は、雪が少なく、冬は比較的温暖で、夏は涼しく北海道では住みやすい地域といわれる。また、静内には宮内庁御料牧場があり、終戦後樺太から本土に引き揚げた人々に御料牧場周辺の国有地を開放しことが、この地区に牧場が集中している理由である。「ナリタブライアン」をはじめ、日高は「優駿のふるさと」として全国に名を馳せているが、競走馬の70パーセントを生産している。

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旭山動物園、大雪山国立公園を訪れる・・・北海道ドライブ(3)

2007-08-18 05:54:09 | Weblog
オロロンラインをドライブ



旭山動物園が注目を集めるようになり、大雪山国立公園方面への旅にもう一つの魅力が加わりました。今回は留萌で一泊、そこからの旭山動物園を訪れ、旭岳温泉(旧涌駒別温泉)に一泊するルートを紹介します。深川留萌自動車道が留萌近くまで延長され、無料で供用されていますので、道央道を使わないでも、国道12号線経由で二時間少々で旭川まで行けるようになりました。  
深川市は北海道有数の米作地帯、深川留萌自動車道からの景色も、北海道のイメージとは異なる稲作地帯の中のドライブです。国道12号線に面している道の駅「ライスランドふかがわ」は名前が示すように北海道の銘柄米「ほしのゆめ」や「きらら397」をはじめとして、近隣の農作物が並び、食堂も完備、観光客だけでなく、地元の買い物客で賑わっている大型店舗です。
 
12号線を旭川へ向かい、並行する道央道と別れると直ぐ、アイヌの聖地、神居古潭(かむいこたん)があります。大きな駐車場があり、一見の価値のある景勝地です。歩道を巡ってアイヌが聖地として崇めた渓谷美を鑑賞しましょう。ここから30分足らずで旭川です。旭山動物園へ行くには、道央道旭川北I.Cで降りるのが一般的なルートですが、下に紹介した一般道を利用するルートも十分その価値があります。
出発:留萌
    233号線を5キロ走行。
 深川留萌自動車道を40キロ走行。片側一車線の自動車専用道路。
 深川西I.C
直進すると道央道に合流するので、深川市内に降り、深川駅に向かって6キロ。駅前通を右折、3キロ走行。
 道の駅「ライスランドふかがわ
    国道12号線を旭川方面へ9キロ走行。
 神居古潭    
神居古潭見学後、12キロ走行。12号線はバイパスに分かれるが、本道を進む。


 旭川大橋手前の台場4乗通信号
    旭川環状線(県道90号)へ右折、道なりに進む。動物園作成の動物園にくるにはを参考に。市内を大きく迂回するが、旭山動物園への標識が完備して、分かりやすく、市内渋滞を避けることができる。6キロ走行、最初の橋「雨紛大橋」(美瑛・富良野方面へ向かう237号線と交差)」を渡り、3キロで二番目の橋「ツインハープ橋」を渡る。2キロ走行。
 旭川旭岳温泉線交差路
    交差点を直進、3キロ走行。
 県道140号
    右折して、4キロ走行。
到着:旭山動物園
    往路を戻る。
 二つ目の信号
    左折し、県道37号を6キロ走行。
 東旭川町旭正
    信号で左折して、旭川旭岳温泉線に入り、道なりに約30キロ。人造湖を過ぎ、深い樹木の中をカーブの連続する急坂を上るが、ドライブは快適。キタキツネの姿も見ることができる。海抜1000メートルの旭岳温泉に到着すると、旭岳が正面にその山容を見せてくれる。
到着:旭岳温泉

 北海道最高峰「旭岳2,290m」に登りました。冒頭の写真は頂上からの風景です。90キロ先に暑寒別岳が写っています。旭岳温泉駅から終点姿見駅までロープウエイが15分おきに運転され、1700メートル付近の姿見の池周辺の散策を楽しむ方を多く見受けました。姿見駅から旭岳山頂まで登り2時間30分、降り1時間30分で、ガレ場の連続なので完全な登山準備が必要です。




富良野から日高の原生林へ

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札幌と留萌を結ぶオロロンラインを往く・・・北海道ドライブ旅行(2)

2007-08-12 15:13:37 | Weblog
フェリーで行く思い出の北海道旅行

日本海の夕日が見事な道、断崖絶壁を縫うように走る道、オロロン鳥が住む天売島を望む道、ニシン漁で賑わった道、そして江戸時代に秋田藩士が辛苦を重ねながら辿った道・・・北海道でも最も遅く開かれた秘境の道でもあり、北海道の歴史を刻む道でもある国道312号線を往くドライブを紹介しましょう。 今年の7月に出かけたルートを逆の行程で推奨します。

2013年6月、滝川付近を走る列車の車窓から増毛山地を撮った写真と合わせてご覧ください。オロロンラインはこの山々が日本海に落ち込む険しい断崖に沿って走ります。


      


出発:苫小牧フェリー港
 フェリー乗り場から36号を8キロ東に。
 沼ノ端西I.C(日高道)
    日高道から4キロで道央道へ。
 東苫小牧I.C(道央道)
    千歳空港を右手に見ながら12キロ走行
 千歳I.C (道央道)
    空港から4キロでI.Cへ。北広島市を経て、札幌市内を43キロ走行
 札幌北I.C (札幌道)
    I.Cを降り、創成川通り(231号線)を9キロ北上


 茨戸橋 (231号線)
    橋を渡り、337号線と合流。左に曲がり、直ぐに花畔大橋で右折、8キロ走行。
 石狩川河口橋 (231号線)
    丘陵地帯を北上。海水浴場を通りすぎる頃から、民家が少なくなる。22キロ走行。
    海水浴シーズン中の休日は渋滞。
 厚田村 (231号線)
    増毛山地の南端にかかり、海岸沿いに六つのトンネルを通る。27キロ走  行。毘砂別展望台へは送毛トンネル手前で旧道に。
 浜益村 (231号線)
    ここから暑寒別天売焼尻(しょかんべつてうりやぎしり)国定公園の一角  となる。増毛山地最高峰の暑寒別岳1,491mが日本海に落ち込む海食崖が増毛まで40キロのわたって連続する。20キロ走行。
 雄冬(おふゆ)(231号線)

    陸の孤島と言われた小さな漁村。白糸の滝の先に雄冬岬展望台への取り付け道路がある。夜間は通行禁止。22キロ走行。
10 増毛町 (231号線)
    市街地townマップを参照。19キロ走行。
到着:留萌 (231号線)
    留萌観光案内ホームページを参照。

オロロンラインのドライブでは、留萌で新鮮な寿司を味わうこと、増毛の秋田藩元陣屋を訪れ幕末の歴史に触れること、雄冬岬展望台から夕日をみること、という三つの目的がありました。しかし、当初、予期しない出会いや感動、収穫があるのが旅の醍醐味です。現地に行って初めて知ること、体験することもありました。これが再び、同じルートへの新たな挑戦となるのです。

○ 留萌の寿司は期待以上のものでした。
7月は留萌ではウニの収穫の最盛期であること・・・留萌の寿司組合のホームページで知っていましたが、立ち寄った丸喜寿司のカウンターでご主人と関西からやってきた若い夫婦のウニ談義から、ばふんウニの方がむらさきウニより味が濃厚であること、生ウニを少し焼くことで風味がガラリと変わるということ、ウニを鍋物に加えると更にウニの味を引き出せることができることを知りました。
カウンターで食べた握りは、ウニ2貫、ヒラメ、赤貝、蛸、アワビ、エビを1貫ずつ、留萌近海の地のものへのこだわりが、味・香り・食感の全てに凝縮されていました。最後に出された魚のあらの吸い物も薄味の塩味にあらの味がよく引き出されていました。これで2,500円、大満足でした。ドライブ途中の立ち寄りでしたので、酒とともに味わえなかったのがくれぐれも残念、来年もう一度留萌に来て、酒とすしを賞味しようと丸喜のご主人にホテルも紹介してもらいました。

○「元陣屋」のニシン漁関係の資料も充実していました。

増毛町の文化交流施設内に郷土資料室として設置されている「元陣屋」は秋田藩の元陣屋関係の資料だけでなく、ニシン漁関係の展示も数多くありました。増毛の日本海沿いの海岸は権利関係が細分化した漁場になっていたこと、場所により当たりはずれがあったことを知りました。印象的だったのは、ニシン番屋に飾られていたという「定め」と書かれたそこで働くヤン衆の名前一覧を記した一枚板の看板です。毎年、漁期が始まると表面を削り、新たなヤン衆の名前と役割分担を記して番屋に掲示していたとのことですが、この昭和31年の日付の「定め」は二度と更新されることなく、今は資料館に飾られているのです。
 しかし、これらの情報は案内をしていただいた資料館の学芸員の方のご説明がなかったら知ることなく見過ごしたままになったでしょう。

○ 増毛の造り酒屋に小学生の団体客が訪ずれていました。



日高にいる親戚から増毛には有名な酒蔵があると聞いていましたが、丸喜寿司のご主人から「國稀(くにまれ)」という銘柄だと教えらました。留萌からは20分足らずで増毛に到着です。國稀酒造に行くと、駐車場には車が一杯、観光バスまで停まっています。店の中に湧く暑寒別岳の伏流水を汲み入れる大きな空ペットボトルを手にした地元の方、酒の試飲に列をなす観光客、そして上下白の服装をした恰幅のよい男性に率いられた社会見学の小学生の一団がテレビのクルーに取り囲まれるように酒蔵に入っています。小学生を引率していた男性に見覚えがあり、しばらく経ってからフランス料理人の三國清三氏であることを思い出しました。NHKテレビのインタビュー番組で北海道増毛出身であること話されていたことを思い出したからです。地元紹介の番組を撮影されていたのでしょう。

ところで、ここの酒が、髪が薄くなった酒好きの上司への土産として人気があるということを知りました。増毛を「マシケ」と読まず「ゾウモウ」と読んだシャレからでしょう。

参考情報
*元陣屋の歴史
 安政年間、幕府の命令でロシアの南下政策に備える軍事施設として蝦夷(北海道)に東北各藩が各地に陣屋が造営した。秋田藩はマシケを中心として周辺に出張(でばり)陣屋、マシケに元(もと)陣屋を設け、200名近い、藩士が任務についていいた。文久2年に赴任した水谷勝職は久保田(秋田市)から30日間の道中記を家族に残している。シラオイ(白老)を出発してマシケまで六泊して到着したが、その道程はほぼ今回のドライブルートと重なっている。当初予定していた濱マシケ(浜益)からの海路が風向きが悪く使えず、仕方なく選んだ暑寒別岳の山越えの道を、刀を背負い、熊の足跡に怯えながら越えた苦労を語っている。

*ニシン漁の変遷

秋田藩士松田伝十郎は「北蝦談」の中で「ここの産業として・・・鮭、鱈、鮑、海鼠(なまこ)、鱒、その他雑魚が多く・・・」と述べているが、この中に鰊(にしん)の文字はない。実は江戸時代にはニシンは雑魚の中に含まれ、重要な魚とは考えられていなかった。明治になり、富国強兵の近代化政策の中で食糧増産の必要性から、農作物の肥料としての鰊粕が脚光をあびるようになり、数の子や身欠きニシンが食料として地位を得ていくことになる。ニシン漁は明治、大正時代に最盛期を迎えるが、昭和20年頃から漁獲高に変調をきたし始め、やがて昭和30年を境に日本海沿岸からニシンは姿を消してしまった。現在ではニシンや数の子を扱う留萌の水産会社は海外から輸入に頼っており、数の子は高価な貴重な食材となっている。

*陸の孤島・・・雄冬

 美しい海岸美の誇る231号線の中でも最も代表的な雄冬地区は長い間陸の孤島と呼ばれていた。物資は一日一回の増毛からの海路を頼るほかはない地区であった。昭和56年に19年の年月をかけた工事が完了し231号線が全線開通したが、開通祝賀会を開いた40日後にトンネル崩落事故が起き、更に完成まで3年を要した。
 平成4年に新トンネルが完成し、現在のルートが供用されているが、今なお落石などの災害防止工事が行われている。詳しくは「陸の孤島物語・・・幻の国道231号」を!

大雪国立公園へ

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初夏の北海道へ・・・LCCで行く



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プロヴァンス・リュベロンへのドライブ―南フランス・ドライブ旅行(6)

2007-08-03 08:05:07 | Weblog
南フランス・ドライブ旅行(5)

フランスで最も美しいといわれ、プラムの白い花が咲き、オリーブが茂り、ラベンダーが薫る美しい村が点在するリュベロン地方をドライブします。蜂蜜色の城壁が連なる“天空の城”ゴルドGordes・・・朱色の岩肌とその上に密集する家々が幻想的な景観を呈するルシヨンRoussillon・・・ミュールMurs越えの山岳ドライブ・・・ここも、フランス政府観光局の案内書には「公共交通機関はない」と書かれています。
 リュベロン山脈とヴォクリューズ山地の山間の村々を訪れるドライブとなります。ドライブに出かける前にぜひ読んでほしいのが、英国作家ピーター・メイルの「プロバンスの12ヶ月 A year in Provence」です。プロバンスに住む人々の生活と風物がイギリス人のユーモアで愛情深く包んでいる名作で、もちろんメイル氏が住んでいたMenerbesメネルブ村も訪れます。

ではミッシュランのサイトを開きます。出発地はカルパントラCarpentras、到着地はリュベロンの中心の町Aptアプトです。
 国道900号南北に点在する村々をを訪ね歩く今回のドライブは、ミッシュランの文字情報の行程表よりも、サイトの地図を見ながら確認したほうが分かりやすいでしょう。



緑旗 カルパントラCarpentras 
  カルパントラを出て、D31を南へ
  リル・シュル・ラ・ソルグL'lsle-sur-la-Sorgue通過
  D900を東にアプトAptへ向かう
  ボメットBeaumettes付近で南へ・・・メネルブMenerbes
  D900に戻り北へ・・・ゴルドGordes・ボリー村 Bories
  山道を北へ2キロ・・・セナンク修道院Abbaye de Senanque
  ゴルドへ戻り、東へ・・・ルシヨンRoussillon
  D900を東へ・・・アプトApt
  D900を戻り、山岳道路D4を北西へ・・・ミュールMurs
10  峠から山岳道路D23に・・・ヴナスクVenasuque・サン・デイデイエSt.Didierへ
赤旗  カルパントラCarpentras 

今回の周遊ドライブは100キロ足らずですが、見所(赤字)がたくさんあり、それぞれの村でゆっくり過ごすことにします。そのために、ルート途中にあるリル・シュル・ラ・ソルグとヴァオルキューズの泉は日を改めて訪ねることにします。
 小さい村々を訪れるこのルートは、訪れる町や村の名前を覚え、道路に表示される標識を頼りにドライブするのがコツです。また、南側のリュベロン山脈、北側のヴォクリューズ山地に点在する村を渡り歩くルートを取りますから、谷間を走る幹線道路D900の位置を常に意識してドライブしましょう。


メネルブ
細長い岩山の上に建てられた村。リュベロンの山並みと周りの谷の風景は素晴らしい。見所は13世紀に建てられ宗教戦争の戦場となった城塞、長い歴史を感じさせてくれる村の教会、瀟洒な邸宅が建ち並ぶ観光地されていない町並み、すこし離れるが、300年に亘る栓抜きのコレクションを集めた栓抜き博物館Musee du Tire-Bouchonは珍しい。地元ワインの購入もできる。
http://www.provenceweb.fr/f/vaucluse/menerbes/menerbes.htm

ゴルドGordes



城壁が山頂にある急峻な斜面に階段状に家々が建てられ、政治家、文化人の別荘も多く、オリーブ、アーモンドの木々に囲まれた美しい村。城を取り巻くように小さな広場があり、レストランやみやげ物店がある。また、市(いち)marcheはこの広場で開かれる。ここからの景観は素晴らしく、南側に連なるリュベロン山脈を一望できる。カーブの多い登り坂の道路を山頂まで走る。途中、展望台があるが、駐車できるスペースは少ない。村に入る直前のカーブに駐車場が設けられている。http://www.provenceweb.fr/f/vaucluse/gordes/gordes.htm#


ボリーの村Village des Bories 

   
ゴルドGordesに入る直前にある。道路わきの大きな駐車場から村に至る未舗装の歩道を10分ほど歩く。車も村の入り口まで入ることができるが、歩行者に注意。村は公園として管理されている。中世のからこの地域に建てられた平たい石を円錐形に積み重ねただけの作りは、石器時代から続いてきた建築法。150年ほど前に住民が放棄して、現代に伝わる貴重な村。台所やパン焼きかまどを備えた住宅、穀倉、酒の貯蔵庫、蚕の養育室、豚小屋、育羊地が残されている。
    テクノ・サイエンスがその建築法を紹介。www.techno-science.net/?onglet=glossaire&definition=6875
 ルション Roussillon
黄色顔料の原料となるオーク採掘で栄えた村。家々がオークで作られ、黄色や鮮やかな赤色で村全体が絵の具で描かれたよう。村の中心にはカフェテラスが立ち並ぶ。インフォメーションに駐車場がある。小さな村なので一軒一軒色合いが異なる家々を歩いて見学したい。採掘場跡地に遊歩道があるが、服装が汚れる覚悟を!http://www.provenceweb.fr/f/vaucluse/roussill/roussill.htm

セナンク修道院Abbaye de Senanque

ゴルドからD177を2キロ走る。1148年創建、17世紀末に活動停止。1989年から活動を再開。祈りと労働だけという中世からの修道生活が行われている。ロマネスク様式の創建当時の姿を今に伝える。禁欲を旨とするシトー派会の装飾を一切排した簡素な美しさが見所。一部の内部を公開している。
http://www.senanque.fr/

アプトApt

フランス人好物の果物の砂糖漬けのお菓子「フリュイ・コンフィ」の産地。甘すぎて日本人の口には合わない。リュベロン自然公園の中心にある市場町。大聖堂へ通じる路地にアプト焼きの陶器を販売するみやげ物店が軒を連ねる。土曜日に行われる朝市はプロバンスでも有数の規模を誇るhttp://www.provenceweb.fr/f/vaucluse/apt/apt.htm

帰路は山岳ドライブを!
 

アプトから2キロほど戻り、D201へ右折、2キロ先のラウンドアバウト2番目の出口からD4に入れば、カルパントラまで一直線です。ヴォクリューズ山地越えで、カルパントラへ戻ります。このコースはサイクリストやドライバーにとっては垂涎のコース、峠の小さな村ミュールMursまではリュベロンの眺望を楽しみながらのドライブ、ミュールからは緑豊かな森林の急坂のヘアーピンカーブが連続するスリリングなドライブとなります。坂を降りきるとヴァントー山を望む美しい二つの村、ヴナスクVenasque、続いてサン・デイデイエSt. Didierがあります。カルパントラまでは30分足らずで到着です。休日は山岳ドライブを楽しむ車が多くなります。後ろにピッタリとつかれ、フランス人ドライバーの悪癖、ホーンを鳴らされても、パニックにならず道を譲りましょう。
サイクリスト優先のフランスドライブ慣習を忘れないことも大切、サイクリストの合図があってから追い抜きます。また、坂の途中で車を発進させることがあります。レンタカーはマニュアル車が多いですから、坂道発進のテクニックが必要、久しぶりの坂上発進の感覚を取り戻しておいてください。


ヴァナスク
 http://www.tourisme-venasque.com/Histoirevenasque.html
サン・デイデイエ http://www.mairie-saint-didier.com/1.cfm?p=1-mairie-saint-didier-vaucluse-84210-provence

フランスとマルシェ



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