シニアー個人旅行のかわら版

国内・海外旅行の話題を中心に、アップデートな情報とともに、シニアーのための手作り旅行を発信する。

「若者の町原宿」と「お年寄りの原宿」を楽しむシニア東京見物

2007-11-24 10:32:12 | Weblog
 更新しました。次のブログをご覧下さい。http://blog.goo.ne.jp/masa4439er/e/86d4423f2b171a3ccfe925785bc182bf
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東京から行く石見銀山の旅

2007-11-11 09:26:32 | Weblog
高速バス「いわみエクスプレス」が運行休止となりました。高速バス「スサノオ」利用、jr出雲市駅から大田方面に向かう旅程となります。

石見銀山がどこにあるのか知っていますか・・・?

こんな質問をすると島根県の方に叱られそうですが、関東地方の人間には、石見の国・島根県にあるということまでは答えられますが、更に島根県のどこかと尋ねると首を傾げる人も多いのです。余談になりますが、「石見銀山を世界遺産に・・・」という運動の中で「大田市を石見銀山市に替えよう・・・」という意見が多数だったようですが、表示等を変更する手間と経済的な負担を考えて現行通りとなったようです。

大田市は東京からは実に遠いのです。
10月14日の「銀の道ウオーク」に申し込んだ際、担当の方に全国からの参加者がいるのか問い合わせたところ、「ほとんどが県内の方ですが、九州の方も申し込まれていますよ」とのことでしたが、因みに、博多から大田までは新幹線・特急利用で4時間、運賃は9,900円ですが、これが東京からとなると8時間、21,100円・・・空路・特急利用でも4時間半、31,830円となるのです。

思い出深い石見銀山の旅とするには
東京から、これだけの時間と費用(実は後ほど交通費を安く上げる裏ワザを提案します)をかけて出かけるのですから、心行くまで世界遺産石見銀山を楽しまなくては元が取れません。
 ではそのノウハウ紹介です。
その一・・・石見銀山を歩き尽くす
その二・・・雨天の日は絶対に避ける
その三・・・石見銀山に丸二日をかける
その四・・・最低二人で、できたら四人で
ではその理由です。



 石見銀山遺跡を楽しむには、ゆっくりと、時間をかけて、自分の足で散策することが最良の方法です。見所は次の三つです。
町並み地区」と名づけられた石見銀山の外郭町大森の町並みを散策しながら、そこに住んでおられる500名の住民の方と同じ目線で、武家屋敷や町家の佇まいを鑑賞しながら、そこで行われている地元の方の生活を共有します。
銀山地区」では間歩や精錬所跡、神社、城址を訪れ、400年に亘って銀を掘り続けた人々の息吹を感じます。来年四月には最大の坑道、大久保間歩が公開される予定です。
 両地区の施設に自由に入場できる共通チケット1,500円を購入します。
銀山街道」は採掘した銀と銀鉱石がこの道を通って日本海の港から朝鮮・中国やはるばるポルトガル・スペインまで運ばれました。その同じ道を辿り、往時の人々の苦難を偲びます。


今回参加した10月14日の「銀の道ウオーク」は幸いに晴れの日でした。もし、これが雨天だったら・・・恐らく「銀の道ウオーク」は中止、「町並み地区」と「銀山地区」の見学に変更になったのではないでしょうか。しかし、森に覆われた谷間に、細長く伸びる大森町の町並みや銀山遺跡を、傘を差しながらの散策では逃げ場がありません。せっかくの世界遺産遺跡の印象がまったく違ったものにしてしまう恐れがあります。石見銀山遺跡の訪問は、雨天の日は避けるべきです。
そこで、天気予報の中で最も精度が高い週間天気予報を活用して連続した晴れの二日を旅行日に選びます。季節はいつでも良いでしょうが、冬場は積雪のため「銀山街道」が歩けません。地元の方のお話ですと、桜が咲く四月上旬と秋の紅葉の頃が一番、新緑の頃もお勧めだそうです。

 一日目は「町並み地区」に1時間30分、「銀山地区」に2時間をかけて散策です。昼食時間を入れて4時間30分を予定します。両地区のある見学施設に自由に入場できる共通チケット1,500円がお得です。
二日目は「銀山街道」を歩きます。16世紀後半毛利家支配の時代に使われた道「温泉津沖泊道(ゆのつおきどまりどう)」、14キロ、6時間のウオーキングです。道標が完備しているので、地図と照らし合わせながら歩けば、大丈夫とのことです。前回のブログで紹介した「鞆ノ浦道(とものうらどう)」はガイド同伴でないと勧められません。
 14キロ、6時間はとても歩けないという方はJRを利用します。山陰本線大田駅から馬路(まじ)駅で途中下車、鞆ノ浦港と鳴り砂と盆踊りで知られる琴が浜を散策、次に馬路駅から温泉津駅へ、沖泊港と温泉津温泉街を見学します。「鞆ノ浦道」と「温泉津沖泊道」の両方の港を見学できるメリットがあります。ただ山陰本線の本数がたいへん少ないので、時刻表で確認します。なお、馬路駅(駅舎も取り払われている)も温泉津駅も無人駅です。



 石見銀山遺跡見学は自家用車や観光バスで訪れる観光客を受け入れることが主眼となっているようです。JRを利用して大田駅なり仁万(魔)駅から石見銀山へ訪れようとする個人観光客はタクシー利用でどうぞ・・・ということです。路線バスを利用して大森町まで行くことは可能ですが、本数が極端に少なく、使いにくいのが現状です。また、タクシーも駅で待機していなければ、電話で呼び出すことになり、それだけ割高となり、四人乗車で一人当たりの負担を減らしたいところです。

 また、銀山街道を歩く人はまだまだ少数派、それだけ静かなウオーキングを楽しめますが、マムシスズメバチが生息する山道も歩くことになりますから、万が一に備えて、二人以上で出かけましょう。


 東京からの・・・往復交通費28,090円の裏ワザ・スケジュール
一日目: 新宿南口高速バスターミナル
(高速夜行バス乗車に不安のある方、私の体験談をお読み下さい)
    (浜田・益田・津和野行いわみエックスプレス)発19:10→  12,100円

二日目: 浜田駅着7:20
       浜田駅発7:34(特急)→仁万駅着8:15        1,780円
       仁万駅発8:30(路線バス)→大森代官所跡8:47着     340円
*高速バスが遅れた場合
浜田駅発8:34(快速)→仁万駅着9:17
仁万駅からタクシー→15分で大森代官所跡着
     「町並み地区」、「銀山地区」の散策
大森代官所跡15:07(路線バス)→大田駅15:33 560円
市内ホテルに宿泊

三日目: 大田駅発(路線バス)7:35→大森代官所跡着7:52       560円
     「銀山街道温泉津沖泊道」を歩く     大森代官所跡(路線バス)→龍源寺間歩(ウオーキング開始。登り)→降路坂の茶屋跡(海抜500m強。ここからは降り)→西田の石仏→上市恵比寿社(ここから平坦な道)→西田集落・ヨズクの里(昼食。トイレはここしかない)→中村の題目塔(ここから山道に)→将棋岩→清水の金柄杓→(国道9号線トンネルの山を超える)→松山の道標(山道終わる。この先で温泉街と沖泊への分岐点。一時間で沖泊へ)→沖泊→温泉津午後3時30頃着
     
     温泉津共同浴場で入浴、休憩、夕食    


  
日本海の新鮮な魚料理を。。春:鯛・ひらまさ・あじ・トビウオ 夏:ひらまさ・すずき・アマダイ・剣先イカ 秋・冬:ひらめ・かれい・あんこうなど。値段との相談ですが、「鯛に飽いた殿様も、この魚だけに箸を付けた」といわれる高級魚のど黒(赤むつ)がおすすめです
 浜田駅前の「さか本」も日本海の魚を賞味できます 
    温泉津駅発(普通)18:23→浜田駅着19:11          650円
     浜田駅発(高速バス東京・新宿行いわみエックスプレス)19:50→
                                 12,100円
四日目: 新宿駅南口バスターミナル着7:50分
7月1日から浜田発18:55分、新宿着7:00分となります。

予約の手順は次の通りです。
①週間天気予報で旅行日を決める
②高速バスをインターネット予約する →高速バスネット
③宿泊ホテルを予約する →大田市観光ガイド
④岩谷屋へ夕食の予約(必ず電話で) →℡0855-65-2153

では、Bon voyage!

三瓶山に登る
http://blog.goo.ne.jp/masa4439er/e/b83c677f708c8652f63f2f48d8b3541b

推奨資料 
石見銀山コースガイド街道編  石見銀山ガイドの会     TEL:0854-89-0120 FAX:0854-89-0706 推奨リンク
 石見銀山関係 石見銀山
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石見銀山「銀の道ウオーク」に参加する

2007-11-04 13:25:20 | Weblog
 今年の8月に朝日新聞全国版に大田市が主催する「銀の道ウオ―ク」への参加者を募集していることを知りました。石見銀山が世界遺産に指定されてから是非訪れたいと考えていましたから、渡りに船とばかり申し込みました。 今回設定されたトレッキングは三つの銀山街道を歩くルートです。石見銀山から銀を日本海に運んだ16世紀前半銀山開発の初期に利用された鞆ケ浦道(ともがうらどう)、同じく16世紀後半の温泉津沖泊道(ゆのつおきどまりどう)、そして江戸時代に利用された陸路を尾道まで運ぶ尾道道(おのみちどう)です。私は最も古い時代の銀山街道鞆の浦道のルートに申し込みました。

 10月14日、幸いなことに晴天です。午後9時30分に石見銀山駐車場集合ということで前夜宿泊した大田市内のホテルを7時45分に出発しました。散策をかねて石見銀山に向かって町を歩き、途中で石見銀山から戻るタクシーを拾おうと考えたのです。古い町並みの市内を出て、市立病院を越えると田園地帯です。時折三瓶山が美しい山容を見せてくれ、歩道が整備された道路が点在するこじんまりとした集落を結んでいます。しかし、この散策は大失敗、一時間半歩きましたがタクシーは一台も来ません。後で知ったのですが、大田市のタクシーは駅だけに常駐、あとは電話で呼び出すしかないとのことでした。幸い、久利という村落で一日に7便しかないという大森町行きの市内バスに乗ることができ、10分遅れで石見銀山駐車場に到着、参加者は出発前の準備運動中でした。




 
石見銀山駐車場は山を切り開いて作られています。売店・トイレも完備された当初の駐車場だけでは足りず、更に新たな第二駐車場が完成したばかりです。全ての車は駐車場に置き、ここからシャトルバスで銀山地区に向かうようになっているようです。「銀の道ウオーク」専用バスが到着、コースごとに乗り込み、乗車直前に配布された「コースガイド・街道編」を見て、「しまった!」と思いました。この地図に記載された鞆ケ浦道トレッキングコースでは行程の実に半分近くが「歩行困難」の点線になっている難コースだったのです。温泉津沖泊道温泉津沖泊道にすればよかったと後悔しましたが、バスは走り出し挑戦するしかありません。
 
 10分で銀山公園に着き、そこからウオーキングです。鞆ケ浦道ウオーク参加者は12,3名を1班とした二班で、それぞれガイドが先頭に立ち出発です。銀山川沿いの遊歩道を歩き始めましたが、参加者は石見銀山には何度も来ていると思われる方々ばかりで、難コース鞆ケ浦道ウオ―クそれ自体を目指して参加されたようです。案の定、私は直ぐに遅れ始め、先頭のガイドさんの説明も聞き取れません。 私の班には市から依頼されたのでしょうか、地元大森在住の方が最後尾に付かれました。常に最後尾でしたので、この方の説明をずっと拝聴する幸運に恵まれました。石見銀山の歴史間歩(坑道)の時代ごとの変遷吹灰法やアマルガム法など銀の精錬法精錬に燃料として使用した松や竹の植林(これが結果として環境保全につながり、世界遺産指定の決め手となったとのことです)、足利時代から戦国時代に至る銀山を巡る武将の戦い、更に出雲風土記の歴史的価値、鞆の浦道の山道に見られるアケビ、栗、やまいも、ヤマモモの植物の収穫法など多岐に亘りその博学振りには驚かされるばかりです。毎日一時間半の周辺の散策を日課にしているとのこと、息をまったく切らさずに早足で山道を登られる健脚ぶりには同年輩の方とはとても思われません。
 今回、石見銀山に初めて訪れたのにもかかわらず、「銀の道ウオ―ク」に参加したため、歴史遺産地区の「町並み地区」「銀山地区」「石銀地区」を素通りしてしまいましたが、5時間のウオーキングの間話していただいた知識で石見銀山のイメージを膨らますことができ、来年の再訪が楽しみになりました。

 
 鞆ケ浦道は400年以上の歴史がありますが、銀山街道として使われたのは16世紀前半の大内氏の時代だけで、毛利氏が銀山を掌握するようになると飲料水の入手が容易で、水深が深く、日本海の北風を遮る温泉津沖泊道が使われるようになったとのことでした。しかし鞆ケ浦道は海辺の馬路(まじ)と大森とを結ぶ生活道として綿々として利用され、昭和20年代までは魚などの行商人がこの道を利用して、大森に入ってきたとのことでした。しかしそれから60年の歳月がたった現在ではほとんど自然に帰った状態になっていたようです。
 10年前大田市がトレッキングルートに指定し、一度は整備したようですが、歩く人も少ないのか当時の道標は腐ったまま放置され、一部の道は竹やぶになっていました。今回の「銀の道ウオーク」のために荒れ果てた道を再整備手書きの真新しい道標がポイントとなる箇所に設置されていました。
 しかしマムシが住み、夏から秋にかけてはスズメバチが巣を作る山道、そして両側が深い急傾斜の尾根道を歩くなど、ガイドの方の先導がない鞆の浦道トレッキングは避けたほうがよいという印象です。また、最後の国道9号線を横切る横断歩道は信号機が設置されておらず、両方向ともカーブしている見通しの悪く箇所で、横断には注意が必要です。


 山林を歩くことが多いウオーキングでしたが、昼食を取った「人切岩」先の峠からの眺望は素晴らしいの一言に尽きます。大田市からはるか出雲の日御崎まで伸びる日本海沿岸が見通せ、二年前に訪れた灯台もかすかに見ることができました。また、鞆ケ浦へ降りる直前の峠から馬路集落とそこに広がる鳴き砂で知られる琴が浜海岸を一望できる地点での景色は鞆ケ浦トレッキングの有終の美を飾るに相応しいものです。大森の方が、子供の頃、家族揃って大森から銀の道を辿り、浜辺で開かれる盆踊りを訪れたことを感慨深げに話されていました。
鞆ケ浦のトンネルを過ぎたところに市が配車したバスが待っていました。銀山公園から丁度5時間のコースでした。ほとんどの皆さんは車を置いている銀山駐車場へ戻りますが、松江から参加された女性と大田市から三瓶温泉へ向かう私はここで皆さんと別れ、馬路駅まで歩きました。海岸に沿って集落の中を通り駅に向かいましたが、空き家が点在し、屋根が崩れたまま放置されている家もありました。馬路駅の駅舎は取り除かれ空き地になっており、線路を横切ってプラットホームへ昇り、15時30分発の電車を待ちました。


推奨資料 
石見銀山コースガイド街道編  石見銀山ガイドの会     TEL:0854-89-0120 FAX:0854-89-0706 
推奨リンク
 石見銀山関係 石見銀山 製精錬法解説  佐渡銀山 灰吹方の歴史 東京都鍍金工業組合
 
次回の石見銀山訪問までに課題が二つ残りました。
.灰吹き方の「吹く」という名称の由来は「最後の段階で鉛を灰に吸収させるため酸素を吹き込む様子を言う」のか「鉛を吸収した灰を吹くことで銀が現れる様子を言う」のか色々と調べたのですが分かりませんでした。
.最後の段階で使う灰はどうやら動物の骨灰であるらしいのですが、灰吹方発祥 の地中国と異なり、馬・牛などの肉食の習慣がなかった当時のわが国では骨灰を 大量に入手するのは困難です。佐渡金山の古文書には「人骨がよい」という記述 があるようですが、事実はどうなのでしょうか。
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