シニアー個人旅行のかわら版

国内・海外旅行の話題を中心に、アップデートな情報とともに、シニアーのための手作り旅行を発信する。

奥会津・冬の生活の救世主(2)・・・スクールバス

2009-02-06 08:39:07 | Weblog
昨年12月、南会津町舘岩・松戸原で乗用車と30名近い生徒が乗った登校途中のスクールバスが正面衝突・・・乗用車が凍結した路面でのスリップしたのが原因でした。子どもたちには大きな怪我はなかったようですが、地元では何台もの救急車が駆けつける大騒ぎとなりました。当初、軽傷と報道されたスクールバスの運転手は腰骨の圧迫骨折の重傷と分かり、入院されました。

多くの子どもがスクールバスで通います
 奥会津の町や村は、広い範囲に集落が点在している山村であり、子どもたちは町や村の中心地にある小学校・中学校に通学してきます。
旧舘岩村(現南会津町)を例にとって見ましょう。旧舘岩村では24の集落が点在して、総戸数813で、平均すると1集落40世帯で、集落間の距離は平均1.3キロ、徒歩で20分もかかります。(平成16年度資料)
 西根川の渓谷にある宮里集落からは10キロ、湯ノ岐川上流の水引集落からは6キロの道のりを、中心地松戸原にある舘岩小学校舘岩中学校にスクールバスで通学しています。

昔は徒歩通学しました
 スクールバスがなかった36年前までは、徒歩通学の子どもも多かったのです。
宮里集落や水引集落にはそれぞれ舘岩小学校の分校がありましたが、高学年の児童と中学生は本校まで通っていたのです。
 大晦日、水引集落を訪ねましたが、今年初めての雪下ろしをされている73歳の男性の方が手を休めて、話し相手になってくれました。「学校まで一里半、片道一時間半、当時は草履(わらじ?)で、往復でダメになり母親が毎晩作ってくれたものだ。学校はただ通うだけ、勉強どころではなかった。夢のような話だ」と思い出すように話されていました。

冬は寄宿舎生活でした

 奥会津は特別豪雪地区に指定されています。今でも一晩に1メートルの雪が降ることがありますが、昔はそれが当たり前でした。当然、徒歩通学はムリ、学校近くの冬期寄宿舎で集団生活をしました。寮母として学校近くの方が生活の世話をしてくれました。土曜日の午後にようやく帰宅、しかし月曜日は再び寄宿舎へ向かうという生活が小学校6年から中学校卒業までの4年間続いたのです。
 写真は旧舘岩村の冬期寄宿舎です。昨年の夏に訪れた柳津町西山温泉には「西山寄宿舎前」という名のバス停があり、コンクリート作りの旧寄宿舎が残っています。奥会津には、当時の旧寄宿舎が今でも幾つか見られます。

親は雪道作りが大変でした
 子どもが帰宅する土曜日の午後と、学校へ送り出す月曜日の朝は、親たちは子どもたちが通る雪道を開かなければなりません。当時は除雪車が村まで入ってこなかったのです。水引集落では、隣の集落、湯の花まで3キロの雪道を確保しなければなりませんでした。
 前回紹介した鈴木牧之は「北越雪譜」中で雪道について「健足の飛脚といえども雪途を行は一日二三里に過ず。かんじきにて足自在ならず。雪膝を越すゆゑ也。これ冬の雪中一ツの艱難なり」と記しています。

スクールバスは昭和48年に開通しました
 舘岩小学校の沿革史には「昭和48年 水引分校、本校と統合、スクールバスによる通学開始」と述べられています。この頃には除雪が昼夜を問わず行われるようになり、スクールバスが各集落まで通じるようになりました。
 子どもたちは親元を離れての寄宿舎生活から、親たちは通学のための雪道作りの苦労から、ようやく開放されたのです。

奥会津・南会津に関する私の他のブログもお読みください。
水引の雪下ろし
南会津・・・登山、スキー、温泉、蕎麦
奥会津・冬の生活(1)
長距離バスと列車で行く奥会津
奥会津・柳津を訪ねる
尾瀬へ・・・
昭和村散策
観光バス転落事故に思う
「会津高原尾瀬口駅」紹介
南会津は大雪
冬のドライブは安全に
電車で行く南会津


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 奥会津・冬の生活の救世主(... | トップ | 円高に、燃油サーチャージが... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事