シニアー個人旅行のかわら版

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奥会津・冬の生活の救世主(1)・・・ゴム長靴

2009-01-30 04:58:32 | Weblog
今年の正月も湯の花温泉で過ごしました。ところで、湯の花温泉は「奥会津」なのか「南会津」かいつも迷います。集落の中を歩くと、昔ながらの看板には「奥会津」の文字が目立ちます。昨年からは湯の花温泉がある旧舘岩村は「南会津町」に変わりましたので、宿の主人に尋ねると、「どちらでもいいのでは・・・」という答えです。

観光協会などは、南会津町に入らない只見町桧枝岐村なども含めて「南会津」と宣伝しています。しかし特別豪雪地帯に指定されるこの地区は、殊に冬には、「奥会津」の名称がピッタリです。

昔は藁沓(わらぐつ)を履いていました。
旅館の玄関に入るとずらりとゴム長靴が並んでいます。これが冬の奥会津の風物詩です。先日、新聞の投稿欄におなじ雪国の新潟・湯沢町の65歳の女性の投稿が載っていました。
雪国の冬はゴム長靴が必需品。そろそろ雪の季節になると、新しいものに買いそろえる。朝は雪の始末から、出かける時もほとんど毎日使う。だから、春先にはすり減ったり、水がしみてきたり、農作業や山菜取り用にして履きつぶす」とありました。

ゴム長靴が普及する前は、藁沓(わらぐつ)や深沓(ふかぐつ)でした。子どもも大人も履いていました。どこの家でも主婦が家族の分を作っていたのです。昔は大人数の家族が多く、しかも一冬で一人がなん足も履きつぶします。「母親が夜なべ仕事で、毎日のように藁沓や藁ぞうりを編んでいた」と湯の花近くの角生(つのう)集落の80歳代の女性が懐かしそうに話してくださいました。「濡れた藁沓を囲炉裏につるした火棚(くど)に載せて、乾かしたものだ」とのことでした。

どのようにして作ったのでしょうか。越後塩沢の文人・鈴木牧之が天保六年(1836年)に世に出した「北越雪譜」の中で藁沓・深沓の図とその作り方を記しています。
「○藁沓(わらぐつ)・・・藁ひとたけにてあみたつる。はじめはわらのもとを丸けてあみはじめ、末にいたりてわらをまし二筋にわけ折りかえし、をわりはまん中にて結びとむる。是雪中第一のはきもの也。童もこれをはく也。上品なるはあみはじめに白紙を用い、ふむ所にたゝみのおもてを切入る。」「深沓(ふかぐつ)・・・是はうちわらにて作りあむ。常のたびのまゝ是をはきて雪中に歩行しても、他の座につく時足をそゝぐにおよばず。あみようは甚だむずかしきものなり」(岩波文庫版より

ゴム長靴は大正時代に作業用として都市で使われ始め、その後、昭和30年代までには雪国の一般家庭にも普及、ようやく雪国の主婦は藁沓作りから開放されたのです。

奥会津・冬の生活の救世主(2)・・・スクールバス



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