シニアー個人旅行のかわら版

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奥会津の旅(3)・・・昭和村をふたたび訪れる

2008-10-12 10:34:52 | Weblog
 8月末に友人と出かけた奥会津柳津町までのレポートは「奥会津への旅(1)」で報告しましたが、その時は通過するだけだった昭和村に9月中旬再び訪れました。十数年前のことでしたでしょうか、NHKテレビで放映されたある葬式に取り組む昭和村の村人の姿を追ったドキュメンタリーに深く惹かれ、いつの日か訪れたいと思っていたからです。昭和村を散策、南会津町湯の花温泉に宿泊するという一泊二日の旅でした・・・。


 昭和村は福島県有数の高齢化率の高い地区です


 昭和村までは8月とまったく同じ経路でした。南会津町田島で289号線へ左折、橋を渡ってすぐ400号に右折、右手に立派な南会津病院があります。そこを過ぎ高野集落に入ると国道とは思えない一車線の狭い道、未完成のトンネル手前から山道に入ります。前回恐れをなした国道でしたが、今回は二度目、周りの様子に目を走らせる余裕があります。

 舟鼻峠を越えるこの山道を、軽四輪トラックを運転され田島方面に向かう夫婦連れの高齢者の方の車2台とすれ違いました。南会津病院に通われるのでしょうか・・・。26年前、旧舘岩村湯の花温泉に滞在したとき、当時10歳の息子が発熱、舘岩村の小学校近くの診療所で診察を受けたことがありますが、舘岩地区の方も診療所で手に負えないときは、自分で車を35キロも運転して田島の南会津病院に通っていることを思い出しました。路線バスがほとんど走っていないため、通院するのに高齢者も車は必需品、その日の福島民友新聞によると奥会津地方は福島県で最も高齢者が占める割合が高い地域であることを知りました。因みに昭和村では12歳以下の子どもの数は120名、90歳以上の方は43名(平成19年7月1日時点)だそうです。

昭和村は自然豊かな村です

舟鼻峠に登るに連れて、ブナ林が多くなることに気がつきました。かなりの大木もあり、紅葉の頃は400号のドライブは最高でしょう。後で調べると「奥会津のブナ林は、規模的にも白神山地を上回り、原生林に極めて近い状態で残っている世界的にも極めて貴重な自然である」ことを知りました。
 峠を下り、昭和村に入ります。両原集落手前に一ヶ月前にはなかった小屋があります。きのこを売っているのです。ブナ林はきのこの宝庫、さっそく覗いてみました。三種類ほどの採りたてのきのこがあります。シーズン初めで種類がまだ少ないとのこと・・・マツタケも取れるとのことです。居合わせた福島から来たという方は一かご5,000円という珍しいきのこを買っていきました。シメジを買おうとしましたら、今日中に食べなければ味が落ちるとのこと、1本500円のビン詰きのこ勧められました。美味しいきのこご飯の作り方の説明を受け、お土産用も含めて6本購入しました。

昭和村はからむし織の里です

 野尻が昭和村の中心部です。昭和2年旧野尻村と旧大芦村が合併して、昭和村になりました。ここに「からむし織の里」という瀟洒な建物があります。自家用車なら50台、観光バスも駐車できる広いスペースを持った観光物産施設です。この中にある「からむし工芸博物館」を訪れました。昭和村は本州唯一のからむし(多年草のイラクサ科植物)の生産地で、600年の昔からここの農民たちはからむしの栽培、糸づくり、手織りをおこなってきました。現在では貴重な工芸品という扱いですが、かつては家族の衣類として農家の主婦が日夜編んで作っていたのでしょう・・・乳を子に含ませながら、背に子を背負いあやしながら、子を寝かしつけてから夜なべ仕事で、からむしを編んでいた・・・と紹介されていました。また、ここで栽培されたからむし(原麻)は、只見を経て六十里峠を越えて、越後(新潟)に運ばれ、越後上布や小千谷縮の原材料にもなりました。
 「からむし織の里」には「郷土食伝承館」も併設されています。漬物を販売していましたので立ち寄ると、キムチが並んでいました。売っている女性が「本物だ」といっていましたが、口調から、韓国出身の方であることが分かります。過疎に悩む奥会津は、外国人花嫁を迎えている地域でもあります。

一昔前まで土葬の風習が残っていました

 「からむし工芸館」の男性職員の方と話を交わしました。NHKテレビのドキュメンタリーの話題から、土葬の風習に話が移りましたが、現在では火葬で、その方の父親の埋葬が昭和村の最後の土葬であっただろうとのことでした。土葬は現在使われている寝棺でなく、樽や桶に死者を入れる坐棺で埋葬します。死者の再生を祈って母体の中の胎児と同じ姿勢で葬ります。男性のお話ですと、死が近づくと棺桶を作り用意、その中に遺体を入れるのが一苦労であったと語っておられました。死後硬直を起こした遺体は湯潅したとしても、座位の姿勢で桶の中に安置するのは難しかったのでしょう。
 NHKのドキュメンタリーでは、村中の方が葬儀にかかわったことが紹介されていました。死装束を縫う人、湯潅の準備のため湯を沸かす人、墓を掘る人、棺おけを運ぶ人、食事の支度をする人、記録をつける人・・・120名の村人が葬儀にかかわったとありました。印象的だったのは、村を離れ千葉県に転居された方も葬儀に加わっていることでした。助け合いの結いの制度が綿々と村の絆を結んできた証です。

会津戦争で最後の激戦地となりました

 次に3キロほど南にある大芦に向かいました。ここは昭和村の中では野尻に次ぐ大きな集落で、昔は鳥居峠を越えて南郷村に出て、桧枝岐、尾瀬沼を経て沼田に通じる沼田街道があり、会津と沼田を結ぶ交通の要でした。ここは戊辰戦争で会津戦争と呼ばれる最後の戦場となったところで、若松城開城で戦いが終わったことを知ることなく戦死した兵士を祭る「官軍戦死九人墓」を訪ねました。墓標を見ると、戦死者の氏名と「高崎藩」「加州藩」の文字が刻まれています。沼田街道を進軍して会津に向かおうとしていたのでしょうか。この時、大芦村では29戸の民家が焼失しています。
 「九人墓」が祭られる墓地を見つめていて、NHKのドキュメンタリーの中の墓地の映像を思い出しました。あのドキュメンタリーは大芦地区で撮影されたものであったのではないかと思ったのです。

昭和村から沼田街道を辿りました

 ここから県道会津若松・南郷線に入ります。県道といっても林道と変わらない狭い山道です。旧南郷村までの間、一台の車とも出会いませんでした。ブナ林の中の渓流に沿っているこの道は、紅葉の頃はさぞかし美しいでしょう。途中、駒止湿原への林道が分かれていました。新鳥居峠を越えると、南郷スキー場に出て、国道401号と出会います。ここを左折、桧枝岐方面へ進みます。10分ほど走ると山口の交差点があり、左折すると289号線で、駒止トンネルを抜けて田島まで30分です。首都圏から只見方面に向かうにはこの289号利用が最も便利な経路です。
 南郷、伊南、桧枝岐を結ぶ401号はかつての沼田街道、伊南川、桧枝岐川沿いの平坦な道です。周囲は田んぼと民家が点在し、トマト栽培が盛んでビニールハウスが目に付きます。やがて、内川の交差点で左折、伊南川を渡り、352号へ。舘岩川を遡っていくと本日の宿泊予定の湯の花温泉まで30分です。

参考までに:

*「奥会津」と「南会津」とはどこの地域を指すのでしょうか。両地区とも会津地方の南西に位置しますが、奥会津とは、只見川、伊南川流域に点在する柳津町・ 三島町・金山町・只見町・南会津町(田島町・南郷村・伊南村・舘岩村が合併)・昭和村・檜枝岐村の総称です。一方、南会津とは只見町・南会津町・桧枝岐村・下郷町を指します。したがって、只見町、南会津町、桧枝岐村は両方の地域に含まれることになります。

*9月28日に甲子トンネルが開通、東北道白河インターから下郷町までが結ばれました。下郷町にある大内宿への観光が首都圏からぐっと便利になりました。

関連サイト:
昭和村http://www.vill.showa.fukushima.jp/
戦死墓http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/sub42.htm
高畑スキー場http://takahata-ski.ina-area.co.jp/

(付属のアクセスGoogleMapで昭和村周辺の地図が確認できます)

奥会津・南会津に関する私の他のブログもお読みください。
水引の雪下ろし
奥会津・冬の生活(1)
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長距離バスと列車で行く奥会津
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