新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

久しぶりに英語の話をしよう

2024-04-19 11:41:48 | コラム
岸田総理の英語でのユーモアのセンスに溢れたスピーチに思う事:

実は、岸田総理のアメリカの国会での演説にはあまり多くを期待していなかった。と言うのも、何時も国会での煮え切らない言質を取られまいとする答弁を聞かされているので「アメリカの国会でもあのような調子で語られるのかな」程度のことしか考えていなかった。また、実際のスピーチの音声が流されたのが遅かったし、それも部分的に聞けただけだったのでは語るべき材料もないかと思っていた。

だが、実際に短い音声を聞きだして「アレッ」と思ったのが、綺麗に抑揚が付いたEnglishの流れになっていたし、democracyの発音が正確に「モ」にアクセント付けておられた点だった。要するに「我が国の英語教育のような平板に流れていなかったこと」は、アメリカに行かれる前にリハーサルを重ねられた程度のことできるものではなかったのだと解った。何時何処であのようなアメリカ式Englishを習得されたのかと思って聞いた。

そこまで、岸田総理の経歴と言えば「開成高校から早稲田大学法学部のご出身」程度の知識しか無かったので、慌ててWikipediaに訊いてみた。すると、小学校1年から3年までをニューヨークで過ごされたと解った。いや、不勉強にして知らなかった事を恥じた。なる程、それならばAmerican Englishになっていても不思議はないし、その3年間に覚えられた発音を今になっても維持しておられるとは立派なことだと、感心した次第。

さらに、後刻かなり長時間総理のスピーチを改めて聞いてみると、アメリカ人と語り合う際には必要な要素であるユーモアと面白おかしい冗談まで挟んでおられたのには敬意を表していた。失礼を顧みずに言えば、国会答弁のような「慎重に検討して」のようなことばかり言っておられる無味乾燥振りが全く消えていて、性格が変わったというか、恰も別人に変身されたかのように聞こえた。

岸田文雄という方はこれほどまでのEnglishでの話術を心得ておられるとは知らなかったと解った。仮に、あの語りの原稿はスピーチライターの手によるものだったとしても、あれほど自信たっぷりに淀みなくユーモアたっぷりに語られたのは、総理のEnglishの実力だったのだと受け止めた。「お見それいたしました」と詫びせねばならないとすら反省した。

この総理のように日常的に日本語で話している時には「如何にも謹厳実直風で詰まらない人」が、「いざ英語になると人が変わったようにユーモラスであ冗談交えるは小話も挟むという風になってしまう人」はおられるもの。最初に転進したM社の代表だったHM氏は、平生は言うなれば石部金吉金兜とでも形容したいような方だったが、英語になると「こんなに面白い人だったのか」と感心させられた程ユーモラスで諧謔的な性格に変身された。

岸田総理もHM氏(残念ながら故人である)も海外での経験を基にして、英語で語る時にはユーモアのセンスが必須であると承知して努力されたのかも知れない。確かに、アメリカのビジネスの世界では、ビジネスパーソンたちは「こんな重要な会談中に不謹慎では」とヒヤヒヤさせられる程冗談を言って笑わせて、会談の雰囲気を和らげようとするのだ。会談や会議中に冗談を言うことなど、我が国の企業社会ではあり得ない事ではないか。

あの総理の演説を聴いて、アメリカの議員たちが拍手喝采したのも当然かと思っていた。帰国された総理は未だ未だ多くの難問が待っている国会や、ウクライナ対ロシア、イスラエル対パレスチナの紛争に加えるに、新たにイスラエル(アメリカ)対イランという更なる面倒な紛争が生じた国際情勢を、あのユーモアのセンスを十二分に活用されて、鮮やかに乗り切って頂きたいと切に願っている次第。