新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月26日 その2 我が国のオリンピックの在り方を歪めたのは誰だ

2020-03-26 14:27:25 | コラム
誰がオリンピックを世界メダル獲得選手権のようにしたのか:

この見出しは私が何年か前に指摘した「我が国においては綺麗事で『参加することに意義がある』はずだったオリンピックを、何処の誰がこのように変形させたのか」という事を指しているのだ。テレビに登場される数少ないオリンピック関連の事柄の専門家だと思っている、東京招致に貢献された鈴木氏は「オリンピック憲章には各国が獲得したメダルの数を競い合ってはならないとある」と指摘しておられた。

だが、現実には山下泰裕JOC会長は平然として「延期なろうとも金メダル30個獲得の目標は変えない」と言っている始末だった。オリンピック憲章を知らない不勉強さがあったのだから、こんな事を言うのか。さもなければ、自らが金メダルを獲得された経験から、メダル獲得至上主義にでも拘っておられるらそう言うのか。私は余り褒められない会長としての見識かと思って聞いた。

私は決してオリンピック批判論者でも何でもなく、時差が邪魔しない限り毎回これと思った種目はテレビ観戦してきた。それほど「冷静な評論家」として十分に楽しませてくれるし、感動もするし、世界で名を為した選手(何で猫も杓子も「アスリート」などと言うのか)たちの力と技術と敢闘精神に感心してきた。そういうことの意義は大いに認めてきたが、私は我が国では官民を挙げて(民にはマスコミを含めるが)オリンピックを何か「犯すベからざる神聖な行事」に祭り上げすぎているし、それに飽き足らず「メダル獲得選手権」に変形してしまったのは疑問だと思っている。

この度はIOCが安倍総理とトランプ大統領の共同作業に圧されて「延期」を決めたが、その為にかどうか知らないが「聖火リレー」を保留にしたのも興味ある現象だと思って見ている。私が言いたいことは「オリンピックを神聖視する余りに、英語では“Olympic flame”に過ぎない炎を聖なる炎に格上げしてしまったこと」が代表するように、単なる世界的規模の大スポーツの祭典を神事の如くにして礼賛しているかのように思えてならないのだ」という点である。それが悪いのどうのと言いたいのではなく「参加することに意義がある」という根本理念は何処に行ったかということ。

もう何年前のことだったかの記憶もないが、ロスアンジェルスでオリンピックが開催された際に、大規模に商業化された辺りから世界的な規模の大運動会のような存在ではなくなって、開催の為にかかる経費を稼ぎ出そうとの方向に舵が切られたのかと思って見てきた。換言すれば「神聖なるアマチュアの大会ではなく、プロ選手の参加も認められるプロ・アマ大会に変質した」とでも言えば良いのだろう。

我が国は1964年の東京大会を恙無く進行させるという立派な実績を残して、世界のスポーツ先進国の仲間入りの第一歩を踏み出したようだった。だが、私はその時辺りから妙な(と敢えて言うが)オリンピック信仰とIOCを仰ぎ見て絶大な権威を持つ敬うべき存在のように看做してきたのはおかしいと思っている。それは、既に後難を恐れつつ指摘したことで「知らず知らずの間にヨーロッパとアメリカ大陸を中心とする白人同盟の輪の中に、委細構わずに踏み込んでいったのだった」とでも形容したい思い切った所業だったのだ。

私は子供の頃からGHQにも出入りすることが出来たし、無意識にアメリカ人(西洋人でも良いかも知れない)の世界に入っていったし、1972年から22年半もの長い間、たった1人の日本人としてアメリカ人の中で「彼等の為に、彼等の思想信条、哲学、文化の中で彼らの一員として働いてきたので、彼等と我々の生き方と働き方がどれほど、どのように違うかをイヤという程経験してきた。ということは、私は言わばOJTで彼我の違いを知ったので、彼らに合わせることも出来たが、そうとは知らずに彼らの歴史と伝統がある誇りと自負心の中に入っていったので、今日までのような信仰と神聖視が生じたのではないかと疑っている。

私が言いたいことは「彼等とはそういう我々を見下すことが間々あるような連中なのだ」ということ。その点がこれでもかと表れたのがコーツ委員長なる者がマラソンを札幌に移すと通告に来た際の傲慢な聞く耳持たぬとの無礼な態度だった。私はオリンピック憲章があろうとなかろうと「お前は何様のつもりか」と言ってやりたい思いだった。私はバッハ会長のあの優柔不断振りと危機対応が全く出来ない有様を見るに付けても「何故、組織委員会もJOCも彼にもの申すとか、助言なり積極的な提案が出来ないのと寧ろ奇異に感じていた。

彼は結局は総理の提案に従う知恵しか無かったではないか。私は彼らの中で永年過ごした経験から言えるので「彼等の中の副社長兼事業部長のような権威者はほぼ絶対的と言って良いほどの権力と権威を持っている。だが、そういう存在だからと言って年がら年中無条件で服従している必要もなく、これと思う時には恐れることなく(職を賭しても)提案でも助言でも試みるべきだと思うのだ。まともな上司ならば、必ず聞く耳は持っているのだ。但し、時期は選ぶべきだが、その意味では安倍総理の時期の選び方は素晴らしかったと思う。

私は今回の一連のバッハ会長の何も決められない動きを見ていれば、最早仰ぎ見るべき存在でもなければ、IOC信仰は必要ないような気がしてならないのだ。ここから先に解決すべき難問が山積しているが、バッハ会長とその側近に裁ききれる能力ありやという視点で接していくべきだと思う。再びあのコーツ委員長のような尊大な態度を許すべきではないのだと思う。


大久保通りから職安通りを観察すると

2020-03-26 08:16:42 | コラム
未だ意外な現象が見えた:

昨日の片道30分ほどの街角を観察した報告の続編である。偶に街を歩けばマスコミ報道では見えないことが分かってくるのだった。


実は、中国人の旅行者の激減を予測して出掛けて行ったのだ。確かに、以前は職安通りの土産物店というのか中国人の観光客目当ての大型店舗の前には必ず数台は駐まっていた観光バスは見当たらず、その店には誰も出入りしていなかった。だが、不思議なことに明らかに旅行者としか思えない中国人を何組か見かけたのだった。更に、職安通りと区役所通りの交差点にある「すし三昧」に外国人はいないことを期待して入って見れば、いたのですよ未だ中国人と東南アジア系の顔付きのお客が。彼等は居住者には見えなかったが、何処からどうやってここまで来たのかと訝った。

この「すし三昧」には1年以上前には2度ほど来たことがあったが、その頃は中国人お客で満席状態だった。彼等は皆一人当たり¥5,000以上もの高額な寿司を注文し爆食いするお大尽だった。我々がレジに勘定をしに行くと係の女性に「日本語が通じるお客様で良かった」と感謝されたのが忘れらななかった。

昨日はそれだけは終わらなかった。街には明らかに英語圏から来たのではないと分かる旅行者風の白人の集団も見かけたのだった。彼等は何処の国からどうやって来日し、14日間の隔離期間を経てわざわざこの新型コロナウイルス感染を恐れることなく、何で新宿くんだりまで観光に来たのかと、寧ろ敬意を表したくなった。反対に敬意を表したくないのが、脳天気か無神経な若き女性たちだ。あれではウイルスの感染者が多発しても不思議はないと恐れていたが、何と昨夜に小池都知事が28、29日の不要不急の外出自粛を要請されたが、遅きに失した感がある。

私は我が国に何故これほど虚け者が急増したのかと嘆くことが多い。それは、小池都知事の要請の直後から都内の某スーパーでは食料品、それも長期保存が利く冷凍やレトルト品の買い溜めにお客が殺到して、レジに長蛇の列をなしたと報じられていた。トイレットパーパーが無くなるというデマに踊らされた余波かも知れないが、浅慮だと思う、彼等にはメーカーやスーパーがいくら供給の心配はないと言っても、聞く耳持たないようだ。もう少し冷静に事態を判断する能力がないのかと情けなくなる。

往復の間に観察したドンキホーテでも薬局でも、最早店頭にはトイレットペーパーは大量に積み上げられていたし、ボックステイシュペーパーも沢山並んでいた。紙パルプ業界の出身者としては需要者の方々に「是非ともメーカーと販売店がいうことを信じて頂きたい」とお願いしたい思いだ。念の為に申し添えておけば「中国は世界でも有数の資源小国で、世界最大の紙・板紙の生産国でありながら、原料であるパルプも古紙も大きく輸入に依存しているのであり、我が国の方が遙かに豊富に原料の確保してあり、中国に原料を輸出する方だ」とご承知置き願いたいのだ。


3月25日 その2 IOCのバッハ会長が延期を決断された

2020-03-25 16:10:26 | コラム
バッハ会長は安倍総理に押させて延期を決意:

私は先ほど諸賢にはお馴染みかも知れない往年の同僚L氏宛に我が国と私自身の近況を知らせるE-mailに「バッハ会長は incompetent で indecisiveだ」と後難を恐れずに酷評した。だが、バッハ会長はトランプ大統領が予告されたように安倍総理の力と助言を借りて、漸く2020東京オリンピック・パラリンピックの延期の決断が出来たのだった。英語では酷評しているが、私はヨーロッパの人たちの方がアメリカ人たちのように二進法的に二者択一の決断はしないようなので、バッハ会長は今日に至るまで懊悩呻吟し、二択の問題の結論を出すことを逡巡していたと見るから言うのだ。

それは、確かに専門家やマスコミの連中が指摘するように、今回の決断は「中止しようが延期しようが、待っている状況は地獄だとまでは言えないが、容易に乗り切ることを許さない難問や難関が山積しているだけではなく、所謂高いハードルが何十本も行く手を遮っているのだ。バッハ会長もその極端に難しい状態を招くことくらいは予測しておられたのだろうが、何処の誰がどのように問題を解決するのかと考える時に、恐らく夜も寝られなかったとしても不思議ではないだろう。

私が「それらの難関や難問の詳細はマスコミと専門家にお任せするが、御用とお急ぎでなければ、如何なるものかと列挙されるのも一興だろう」などと言えば不遜だと叱られそうで怖いほど無数にあるのだろと思う。

専門家は「安倍総理が来年の夏前までとある程度含みを残す延期の期間を言われたのが、かなり微妙な点だ」と言っていたのは、「4月か5月開催もあり得るという含みが残されている」との解釈が成り立つのだそうだからだ。何れにせよ、これから先にIOCと我が国の双方で為すべきことは、縺れに縺れた何十本もの糸を可能な限り慎重且つ素早く、誰にも迷惑がかからないように解していくことだろう。一寸考えて見ただけでも、気が遠くなるような複雑怪奇な作業だろう。しかも、関係する全ての外国まで絡んでくるのではないか。あらゆる世界の競技団体とも摺り合わせは必要だろう。

私には何処の何方に向かって「一所懸命にやって下さい。頑張って下さい」と言えば良いのか見当も付かない。その他にもWHOなのか何処のどの組織が担当する事案なのか見当も付かないが、新型コロナウイスルを可及的速やかに制圧しておかねばならないのだ。少なくとも、テドロス事務局長にはお任せできないだろうが、もしかして彼は「中国には見事に制圧した実績があるので云々」などと言い出すかも知れないと不安になる。


脳天気か無神経なのか

2020-03-25 15:18:55 | コラム
Koreatownは婦女子で大繁盛:

本25日は好天にも恵まれたので、思い切って何年振りかで大久保通りの山手線の内側になるKoreatownと並行する道路である、職安通りまで遠征してみた。我が家からは目的地まで徒歩約30分ほどにもなっただろうか。大久保通りから職安通りに抜ける数本の路地は、大袈裟に言えば高校生か中学生と思しき女性たちを掻き分け、押しのけて歩かねばならない大混雑だった。家内と語り合ったのだが、彼等は恐るべき脳天気かまたは新型コロナウイルスに対して全く無警戒なのだとしか考えられなかった。兎に角人また人で、我々のような超高齢者などはほとんど見当たらなかった。

丁度昼飯時だったこともあって、大久保通りでも何本かある路地でも、例の韓国式「何とかドッグ」店と、何が売り物か知らない韓国料理店には女子たちの行列が出来ているし、店内を覗けば満員御礼の状況だった。アパレルや化粧品や雑貨類を売っている小店にも、女子たちは群がっていたのだ。「何とはや」の状況で、我々は言うべき言葉を知らなかった。敢えて言えば「余りにも脳天気だ」という辺りになるだろうか。確かに「一斉休校」と「春休み」が重複したので、彼女らは「ストレス」とやらを解消に出てきたのだろうが、始末に負えない無神経な連中だと言わざるを得ない。

テレビに登場した誰だったかが「局に来る前に竹下通りに寄ってきたが、大変な人出でごった返していた」と呆れていた。だが、彼がもしこの百人町から大久保界隈に来ていれば、もっと激しく慨嘆できただろうと思わせられた、我が街の賑わいだった。彼女らは本気で感染しないとでも思って来ているのだろうか。しかしながら落ち着いて考えれば、小池都知事が予測して見せた通りに東京都では新型コロナウイルスによる感染者が急増しても不思議はないような気がする2時間ほどの買い物の外出だった。小池都知事にはオリンピックの心配だけではなく、是非ともこの街を視察に来て頂きたいものだ。

3月24日 その2 IOCバッハ会長の考察

2020-03-24 14:43:40 | コラム
バッハ氏に緊急事態への対応能力ありや:

私は以前から「各競技の上部団体(例えば日本~連盟)で管理・運営しておられる方々は大変ご苦労だとは思うが、その多くは元の名選手ではあっても一流の管理・運営の専門家であるとは限らない」と言って、かなり真正面から批判してきた。その批判の対極にあるのが、サッカーのJリーグを協会長としてあそこまで盛り立て、次いでは先頃のバスケットボール界の再編成に対応され、見事にBリーグを人気の競技団体に仕上げた川淵三郎氏の見事な手腕だと思って見てきた。川淵氏は大企業で部長職を勤められ、組織を運営する力を十分に養っておられたのだった。

私の言いたいことは「営利を追求するビジネスの競争社会で責任ある地位におられた方は、指導者として組織を如何に管理・運営し、如何に人と使っていくかの責任を負う職務を経験したからこそ、スポーツの上部団体を晴の日にも雨の日にも風の日にも恙無く導くことが出来るのだ」なのである。これと同じような事を我が友のYM氏に聞いた。それは「アメリカのビジネススクールでは同じMBAでも会社の管理・運営だけではなく、学校・病院等の組織を運営するコースもある」というものだった。簡単にいえば「病院長はお医者様の仕事ではなくMBAに任せよ」がアメリカ式だ。

ここまでを導入部として、新型コロナウイルス問題が発生してからのIOC及び会長のバッハ氏の優柔不断振りと言おうか、決断できずに右往左往し何処まで信頼して良いか疑問であるとしか見えない「WHOのテドロス事務局長の決定に従う」とか「オリンピックの中止はないが、別のシナリオ考えている」とか、IOCと会長にとっては未だ嘗て経験したことがない緊急事態であり、一刀両断的に解決するには余りにも複雑な要素と要因が絡んでいる難問を突きつけられて、唯々オロオロしているだけとしか見えなかった。

要するに「二者択一」の決断など出来る能力はなかったとしか、私には見えなかった。こういう言い方をすれば「またまた、批判しているだけで相変わらず“negativeだな」と言われそうだが、私は寧ろ諧謔的に同情しているのだ。それはIOCという組織ではテレビの放映権その他で(興行収入があるかどうか知らないが)上がってくる収入を各国のオリンピック委員会に配り、オリンピックという大運動会を恙無く運営する為の団体なのだから、今回の新型コロウナ・ヴァイラスが突きつけた大難問題に如何に対処するかというような、緊急事態対応の専門的知識など最初から持ち合わせなどなかったのだと思う。

この状態は後難を恐れずに言えば「バッハ会長もIOCの理事(委員?)の方々は、ある意味で無能レベルに期せずして到達してしまったのではないか」ということだ。既に申し述べたように、私はその点を責める気はない。もしも責める点があれば、そういう緊急事態や危機対応の経験があり、それだけの力を備えておられる政治家やビジネスマンの力を借りれば良いのだが、遺憾ながら彼等にはそういう知恵は無かったようだ。先ほどのニュースでは「バッハ会長は安倍総理、森組織委員会長や小池都知事と今夜テレビ会談をれる」そうだ。

これこそが、私が言う「知恵を借りる」ことではないか。遅きに失してはいるが“Better late than never.”であろう。バッハ会長は何と一国の現職と元職の総理大臣の意見を聞こうという挙に出られたのだ。私が見るところ、我が国ではオリンピックを余りに神聖なものとして祭り上げ過ぎたのだ。IOCを恰も無用の長物化しつつある“United Nations”の如くに敬いすぎたと、私は見ている。バッハ会長が如何なる結論に到達しようとするのか知らないが、延期しようと万が一にも中止しようと、待っているのは泥沼的な苦境であり難関だと思う。

バッハ会長には精々気張って決断すべき事は遅滞なく決断して欲しい。彼にはもうほとんど失うものなど残っていない気さえするのだ。難局に対峙して引っ込み思案では駄目だ。頭から突っ込んでいって引き下がることなどせずに「長いトンネルの先にあるはずの灯りを見出そうと努めるべきだ。この世には明けない夜はなく、止まない雨もない」のだから。