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新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月18日 その2 「ソーシャルデイスタンス」と「ソーシャルデイスタンスイング」

2020-05-18 13:22:29 | コラム
“social distance”と“social distancing”はアメリカで公認された表現だった:

昨17日に産経新聞社校閲部長・清湖口敏氏の「訳語に難」というコラムの見出しに刺激されて、我が国で広く使われているこの和訳すれば「社会的距離」と「社会的距離の取り方」となる表現が、アメリカで言うなれば「公認された表現」であるかどうかを、私がこれまでに出会った数多いアメリカの奥方の中で最も知性的で強要があると尊敬してきた、元の上司の奥方でMBAの女性に照会してみた。

答えとしては「公認された表現である」という事だった。即ち、「アメリかでは社会的距離とは公衆の中では6フィート(約2 m)の間隔を取るという意味で、公式に使われている表現」と知らせて貰えたのだった。彼女は更に「食料品店やスーパーマーケットの外には『お買い物の間にはソーシャルデイスタンスを維持して下さい』と掲示されているし、店側がこのような基準を設けている事に従うのを、私は4月16日のEmailで伝えた“safe distance(=安全な距離)を維持するいみだと指摘したのだ」と述べていた。

以上でアメリかでは公認された表現だったと確認できたのだった。だが、清湖口氏も指摘されたように「社会的距離」という訳語は正直に言って意味不明な気がしてならないという難があるのだ。一歩譲って考えれば「ソーシャルデイスタンスのようにカタカナ語を使うようにした何処かの誰かは、素直に直訳するのを躊躇って、敢えてカタカナ語にしたのかな」とも考えられないこともない。更に忌憚のないところを言えば、英語の“social distance”と“social distancing”がそもそも不自然だったのではないだろうか。何故“safe distance”としなかったのだろうかと思う。


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