新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

英語論

2022-04-10 08:14:34 | コラム
茂木健一郎氏の指摘を考える:

President誌の22年4月29日号では「英語レッスン革命」を特集してあるが、その中で私が注目したのが脳科学者の茂木健一郎氏の“3つの「幻想」が日本人を「英語脳」から遠ざけている”との指摘だった。そこで、その3つを引用して私なりに考えてみた。

>引用開始
第1の幻想は「テスト」である。英語力を測るうえでは、テストのスコアは助けになるが唯一の指標ではない。英語に関するさまざまの資格も英語脳を保証するものではない。私自身、大学時代に当時あった試験な全部受けたし、英検1級や、国連英検A級という資格も取った。しかし、それらはなんの保証にもならなかったと言うのが実感である。
<引用終わる

誠に尤もであると受け止めた。私はTOEICなるテストの内容は何度か見たが、率直な印象は「我が国のテストを主体とした科学としての英語教育の結果を試すものであっても、英語による自己表現や論旨の組み立てとうの能力の指標にはなっていない」と解釈したのだった。即ち、茂木氏が指摘された英語脳を創り上げる役には立っていないと見たのである。このテストで高得点を取った方が、外国人を相手にしての折衝の場で論旨を組み立てて交渉するとか説得する能力を養ってきてはいなかったと、ある企業の人事担当者が喝破しておられた。

私は英語で自分の意志を表現するとか議論をする場合には、英語だけで考える力を備えておく必要があるのだと繰り返して主張してきたが、茂木氏の指摘も「英語脳」という表現でこの点を指摘されたのだと解釈している。

>引用開始
第2は「ネイティブ」の幻想から自由になる必要がある。一口にネイティブ英語といっても、例えばイギリスとアメリカではかなり違う。同じ国でも、社会の中のクラスターで異なる英語を話している。単一のネイティブ英語があるわけではない。また、今日の社会では英語を母国語としない人どうしが英語を通して話す機会のほうが多い。(以下略)
<引用終わる

ここを私が解釈すれば、既に論じてきたことで英連邦とアメリカでは例えば異なる挨拶の仕方があるし、発音と訛りの違いがあるということを指摘されたのであろう。私はこの点よりも強調したいことは「日本語と英語では発想と思考体系が異なっている」という点である。彼らの二進法的思考体系から来る発想の中に、我が国独得の「落とし所を探るとか妥協点を見出そうとする発想で入っていっても、噛み合わないことになる」と指摘したいのだ。

>引用開始
第3は「留学」の幻想から解放される必要がある。留学さえすれば英語が話せるようになるというのは幻想だ。勿論、留学にはメリットがあるが、せっかく現場に行っても、しばしば見られるように、日本人だけで固まっていたら効果はない。日本にいても、今や無限の英語学習の教材がある。
>引用終わる

これもその通りであると受け止めた。私はこれまでにさほど留学の効果を批判してこなかったが、留学や駐在が必ずしも英語で思うように自分の意志を表現する能力に貢献しないとは指摘して来た。その辺りを「“I know how to express myself in English.”の能力である」が、留学や駐在をしただけでは成果は不十分のようだとは述べてきた。何故そうならないのかと一因を、茂木氏が「日本人だけで固まる」と指摘しておられたと解釈した次第だ。

だが、私が重要だといいたい点は「そこに到達する為には、我が国内で十分に基礎を固めておく必要があること」なのだ。それは、我が国の英語教育が茂木氏の指摘のように科学的に英語を教え尚且つテスト重視の幻想があるのが好ましくない点だと指摘したいのだ。英語というか言語は、算数のように科学的ではなくて意思表示の道具であると思うのだが。



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