旭化成は謝罪に不馴れだった:
昨日は方々のテレビ局が繰り返し旭化成首脳部の杭打ち問題についての謝罪記者会見を流していたので、見るともなく見てしまった。この会社とは在職中にも余りご縁がなかったのでどの程度の規模の会社かを調べたこともなかったが、本社が何処の何と言うビルに入っているかくらいは承知していた。Wikipediaによれば、14年3月期の売上高が1兆8,977億円、従業員が29,127人とあった。正直なところもう少し大きな会社かと思っていた。不勉強だった。
記者会見である。並んだ社長以下4人は如何にもこのような場に不馴れかと見えた。主に3人しか発言しなかったが率直に言って「謝罪」という誠意がこもっておらず、原因と結果についての表現も曖昧なのには少し呆れていた。あれでは「居住者の皆様」の心には響かなかっただろうと思わずにはいられなかった。同情的に考えて、事の重大さを認識する余りに、如何に対処して良いかが解らずあのような態度になったのかとも見えたが。
だが、私が見る最大の問題点は会見に臨む準備不足だった。即ち、担当副社長は問題の原因や他に3,000件もあると報道されている件の詳細を問われるや「目下調査中」であるとか「担当はこう言い続けております」と、まるで他人事のように答えた点。「調査中だったら出てくるな」とその場でもしも居住者に攻められたら(責められたら?)どう対応する気だったのか。不誠実の誹りは免れまいし、答えた姿勢にも真剣さがなかったと見えた。
言葉を換えれば、この会社は幸か不幸かこれまでに大きな過失がなく謝り馴れていなかったのか、あるいは頭が高い社風の会社なのかの何れかと思った。より厳しい見方をお許し願えば「巷間囁かれている(あるいは私だけが唱えている?)一般論としての『経営者の劣化』の表れかも知れないとさえ感じさせられた不出来な会見だった。
自慢にも何もならないが、当方は或る大手の得意先の工場の課長さんに「貴方ほど誠意を込めて真剣に謝る人を見たことがない。我が社のサービスマンたちに見習わせたいもの」と褒められたのか、我が社の製品がそれほど頻繁に事故を起こして本部の事故処理担当のマネージャーと謝罪に回っていたことを皮肉られたのか、瞬間的には判断出来なかったことがあった。
自分が造った不良品でもないのに、毎度頭を下げに回るのは面白いはずがない。故に当初は、不馴れな間は、通り一遍のことを言って嫌々ながら頭を下げていた。しかし、それでは通じないことが解るまでにはそう長い時間を要しなかった。そこで、本部のマネージャーにも「謝罪の文化とは」を説き聞かせ、自分でも懸命に精神修養に努めた。結果として「最高の謝り役」の称号を期せずして賜ったのだった。これが名誉か?
旭化成の首脳部は謝罪の文化を十分に把握しておられないのか、「『済みませんでした」と頭を下げていれば、何時かは嵐は頭の上を通り過ぎていくから、それまでの辛抱、辛抱」とでも認識しているのではあるまいな。実は、かく申し私も謝罪に不馴れな間はこの「嵐が過ぎるのを待つ」派だった。だが、上記のようにそれでは通用しないと学習させられたのだった。
今回の案件は旭化成が全額補償を言ったところで解決など出来ないほど複雑で難儀な要素を沢山抱えている。即ち、旭化成一社がどう謝るかなどはそのごく一部に過ぎないと思う。だが、出発点としてのあの記者会見は先行きに良い影響は与えないと危惧するに十分な(不)出来だった。
昨日は方々のテレビ局が繰り返し旭化成首脳部の杭打ち問題についての謝罪記者会見を流していたので、見るともなく見てしまった。この会社とは在職中にも余りご縁がなかったのでどの程度の規模の会社かを調べたこともなかったが、本社が何処の何と言うビルに入っているかくらいは承知していた。Wikipediaによれば、14年3月期の売上高が1兆8,977億円、従業員が29,127人とあった。正直なところもう少し大きな会社かと思っていた。不勉強だった。
記者会見である。並んだ社長以下4人は如何にもこのような場に不馴れかと見えた。主に3人しか発言しなかったが率直に言って「謝罪」という誠意がこもっておらず、原因と結果についての表現も曖昧なのには少し呆れていた。あれでは「居住者の皆様」の心には響かなかっただろうと思わずにはいられなかった。同情的に考えて、事の重大さを認識する余りに、如何に対処して良いかが解らずあのような態度になったのかとも見えたが。
だが、私が見る最大の問題点は会見に臨む準備不足だった。即ち、担当副社長は問題の原因や他に3,000件もあると報道されている件の詳細を問われるや「目下調査中」であるとか「担当はこう言い続けております」と、まるで他人事のように答えた点。「調査中だったら出てくるな」とその場でもしも居住者に攻められたら(責められたら?)どう対応する気だったのか。不誠実の誹りは免れまいし、答えた姿勢にも真剣さがなかったと見えた。
言葉を換えれば、この会社は幸か不幸かこれまでに大きな過失がなく謝り馴れていなかったのか、あるいは頭が高い社風の会社なのかの何れかと思った。より厳しい見方をお許し願えば「巷間囁かれている(あるいは私だけが唱えている?)一般論としての『経営者の劣化』の表れかも知れないとさえ感じさせられた不出来な会見だった。
自慢にも何もならないが、当方は或る大手の得意先の工場の課長さんに「貴方ほど誠意を込めて真剣に謝る人を見たことがない。我が社のサービスマンたちに見習わせたいもの」と褒められたのか、我が社の製品がそれほど頻繁に事故を起こして本部の事故処理担当のマネージャーと謝罪に回っていたことを皮肉られたのか、瞬間的には判断出来なかったことがあった。
自分が造った不良品でもないのに、毎度頭を下げに回るのは面白いはずがない。故に当初は、不馴れな間は、通り一遍のことを言って嫌々ながら頭を下げていた。しかし、それでは通じないことが解るまでにはそう長い時間を要しなかった。そこで、本部のマネージャーにも「謝罪の文化とは」を説き聞かせ、自分でも懸命に精神修養に努めた。結果として「最高の謝り役」の称号を期せずして賜ったのだった。これが名誉か?
旭化成の首脳部は謝罪の文化を十分に把握しておられないのか、「『済みませんでした」と頭を下げていれば、何時かは嵐は頭の上を通り過ぎていくから、それまでの辛抱、辛抱」とでも認識しているのではあるまいな。実は、かく申し私も謝罪に不馴れな間はこの「嵐が過ぎるのを待つ」派だった。だが、上記のようにそれでは通用しないと学習させられたのだった。
今回の案件は旭化成が全額補償を言ったところで解決など出来ないほど複雑で難儀な要素を沢山抱えている。即ち、旭化成一社がどう謝るかなどはそのごく一部に過ぎないと思う。だが、出発点としてのあの記者会見は先行きに良い影響は与えないと危惧するに十分な(不)出来だった。
謝り方って大切だと思います。
申し訳ないという気持ちが伝わると、怒髪天を突く怒りも帰られた後に、こちらも言い過ぎたのではと思って、返って自分の小ささを感じることがありす。
旭化成の子会社ゆえ、落下傘社長と親会社の出世街道に破れた幹部。親会社の顔色を気にして、従業員の気概をそぐ社風のような感じを持ちました。
新日鐵の一時代、若手を出向させて、子会社を躍進させ、頑張った人は本体に帰り活躍するといった好循環があったときいています。
関西でも六甲アイランドの某プレハブ住宅メーカーの分譲アパート(マンション)も問題になっていましたが、テレビのスポンサーゆえ、今の三井のような大きな問題になりませんでしたが。
責任をとらない企業体質とコンプライアンス重視の企業方針の乖離を感じる昨今です。
ありがとうございました。