新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月2日 その2 小池百合子さんと希望の党

2017-10-02 17:54:17 | コラム
何処を目指すのか小池百合子さんは:

フットボール界の用語の中に「デザインされたプレー」と「プレー崩れ」というのがある。ご存じの方もおられる通りに、フットボールでは通常試合に臨む前には100から多くは150をも超えるオフェンスのプレーを準備しておくものだ。そして、スタンドの最上部に用意された「スポッター席」(spotterは偵察機と辞書にある)に陣取るオフェンスとデイフェンスのコーチたちがフィールドを俯瞰して両軍の動きを見てベンチにいるコーチや監督と交信しながら適切な戦法を話し合うのである。

そして、時には用意してきたプレーが効果を発揮して大きくヤードを獲得するここもあれば、デザインしてきた通りにはプレーが機能せずに崩れてしまうこともある。だが、それがかえって相手のデイフェンスの虚を突くこともあるという具合である。より具体的にいえば、司令塔の役目を担うQB(クオーターバック)にはこういう過程を経て次のプレーがベンチから伝達されていくのだ。

そこで、小池さんと希望の党である。あの意表を突いたかの如き解散があってから未だ何日も経っていないにも拘わらず、希望の党を中心にして野党側の混乱は何時果てるのかも知れない状態に入ってしまったかの感がある。あるフットボールのXリーグのコーチだった者が見る現状は「小池さんがやって来たことはデザインされたプレートは見えない感が濃厚であり、更に言えばプレー崩れでもなく、その局面毎に出たとこ勝負と言うべきか場当たり的なというか、臨機応変の作戦変更にも見える。しかし、何処かにスポッターがいて与野党の動きを見て次のプレーを出しているのかも知れない」となっていた。

そこで、私なりに振り返ってみれば、細野豪志以下の民進党脱藩組は、もしかしてその誰かがデザインしたプレーに従って先遣隊として希望の党入りをしていたのではないかということ。更に前原誠司代表は最初の小池さんとの会談で「全員受け入れ」との言質は取ったものの、小池さんの臨機応変のプレー変えに遭って「全員受け入れはさらさらない」で、オフェンスの体型を崩されてしまったのではないのだろうか。

前原代表は意外にも純真無垢で小池/若狭テイ―ムのプレー変えに翻弄されてしまい、挙げ句の果てに頼りにしていた玄葉は若狭との選別の話し合いに手間取ってしまう状態に追い込まれてしまったようだ。しかし、これもおかしな話で、リクルーターを務めている若狭勝という方は自民党で2度選挙を経験して当選した衆議院議員経験が3年程度の言わば新人でありながら、歴戦の?民進党員の品定め役を仰せつかっているのだ。しかも、民進党とはつい先日まで議場で争っていた野党なのである。この不可思議さをマスコミは一切取り上げないのも不思議ではないかと思うのだ。

また不思議なことは、民進党の議員総会では前原代表の提起した希望の党への全員の移転を全会一致で認めてしまったことだ。報じられた限りでは、一切の疑問が出なかったかの如くである。しかしながら、旬日を出でずして小池さんの「さらさらない」発言が飛び出すのだが、これに対して前原代表以下が厳重抗議したという報道もない。既に枝野幸男以下のリベラル派と言われる者たちが集まって「立憲民主党」が結成されるという。

ここまで来てまた不思議なことは、何度も選挙というか立候補の手続きや選挙カーだのポスターの準備だの供託金の納付だのを経験してこられたはずの小池さんは、若狭対玄葉の滞り気味の選抜試験の遅れかた次第では民進党からの移籍者は立候補の手続きが間に合わなくなる危険性すらあると、本日のTBSの「ひるおび」で時事の田崎史郎が指摘していた。あの遅延行為は小池さんがデザインしたプレーなのか、それとも何らかの意図があった戦術が崩れたのか、興味がある。

こうやって見てくると、小池さんがやって来たことは極めて臨機応変で「次に如何なる手で来るか」が読みにくいのだ。だが、視点を変えれば極めて場当たり的で、何ら躊躇うことなく前言を翻すというか思い切った変更してみせるのだ。一例を挙げれば、都民ファーストの会の代表になったかと思えば野田に譲り、その野田が荒木千陽に替えてしまった。

全員受け入れが「さらさらない」に意図的に変更したのか、現状を読んで臨機応変で変えたのか、それとも未知の存在であるスポッターからの指示で「プレーを変更した」のかが、極めて不透明にしか見えないのだ。即ち、臨機応変か、スポッターから予め用意してあったプレー集の中から選んだ指示が来るのか、場当たり的というか女の直感にでも依存しているのかは、部外者には読みようもない。

国政に復帰するか否かの重大な案件にしても、都政に集中するなどと言葉を濁すだけでは、弱ったマスコミは側近の若狹憎い下がるしかない模様だ。この点については自民党ではのように引っ張っておきながら様子を見て「我に利あり」と見れば出てくると観察しているようだ。私は頻繁に都知事が変わる事は措くとして、二足の草鞋を履き続けることは許すべきではないと思う。

しかしながら、確かなことは連日のように小池さんを中心にして希望の党がニュースを賑わしていれば絶好の宣伝になってなっているはずだ。だが、多くの新聞の調査では支持率は中々二桁に達していない模様だ。しかも、233名の候補者の擁立にも到っていないのであれば、小池さんはそろそろ用意してきた世間を「アッ」と言わせるようなプレーを出すべき時に来たのではないか。それとも、飽くまで臨機応変で行くのかな?それだって「プレーのうちだから」



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