新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

台風一過

2014-10-14 07:49:48 | コラム
台風19号に思う:

ここ新宿区に来るまでに19号の勢いが衰えたようだった。この13階の仕事部屋から外を見ていれば「台風一過」とは良くも言ったもので、見る見るうちに雲が流れ去って青空に変わり、眩しいまでの日がさしてきた。慌ててカーテンを引きながらこの一文を書いている次第だ。

昨日は天気予報を信じて夕方まで一歩もこのアパートの敷地の中を出ずにヒッソリと過ごしていた。しかし、予報通りの豪雨も強い風も襲ってくる気配は余り感じられなかった。ではあっても、西日本には19号が襲ってきており、物理的な被害どころか亡くなってしまった方が出るほどの激しさと報じられていた。度重なる台風の被害を受けられた地域と人々の物心両面の苦しみは察するに余りあると思う。心からお見舞い申し上げたい

ここ百人町・大久保通りでは年に一度のお祭りの日で、当方は毎年「年金機構」の建物の軒先で開催されるジャズの演奏を聴きに行っていた。だが、あの曇天と何時降り出すか予測できない雨を敬遠して出ていかなかった。しかし、午後4時頃になって止むなく出向いた眼鏡屋さんで聞けば、お祭りは言わば強行されたようだった。地元の方々は偉いものだと感心する以外なかった。

毎回、新宿駅南口を含めて各地での台風の模様を中継する場面を見ていて思うことがある。それは必ずと言って良いほど出勤または帰宅する勤め人の方々に「遅刻してはならない」であるとか「明日は重要な用件があるので出勤できるかどうか心配だ」等と言わせていることだ。私には(元はと言えば自分もそうだったのだが)この姿勢が我が国の会社員の方々が如何に会社に対して忠実且つ誠実であるかを如実に示していると思っている。

1972年に転出したアメリカの会社で見えてきたことは「個人というか自分自身を中心に考えて行動するあの国には遅刻の制度もなければ、無理をして出勤するなど会社に対して忠誠を誓っている者は希だという事実だ。しかも、現在のようにICTの技術が発達した時代にあっては、何処で仕事をしても同じだと考える年齢層が我が国でも増えてきていると思わせてくれるように、アメリカ人たちは無理をしてまで車を運転して出勤しようとは考えていないと思う。

換言すれば、彼等は上司ないしは会社が要求するか期待している通りの結果さえ出せれば、何時何処で仕事をしていても同じではないかと考えているのだと思っている。私が働いていた頃にはPCのような文明の利器は活用されていなかったが、自宅から本社とも東京事務所とも、電話での連絡で十分に事足りたものだった。この辺りの出勤と退社を個人の自由裁量に任せてくれたアメリカ式システムは、1988年までの藤沢から青山まで通っていた私にとっては非常に有り難かった。

最早テレビの画面でしか見ることがなくなった我が国の会社の内部、就中、ヴェンチャービジネスなどの社内の風景ではスーツを着ていない者などは普通のようであり、ICTの進歩と発展は「会社」というものの在り方を変えてきたようだと、台風のニュースを見ながら考えていたのだった。


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