新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

続X4 America Inside

2024-07-15 08:23:47 | コラム
異文化には習うよりは慣れよ:

昨23年の7月まで続けてきたこの「America Inside」の続編が、有り難いことに未だ読んで頂けているようなので、この際「X4」をと考えて見た次第。恥ずかしながら、39歳になるまでアメリカには行ったことがなかったので、異文化の実態を殆ど心得ていなかった。だが、即戦力となるはずの経験者を採用したのだから、上司に当たる人たちは私がアメリカの事情に通じていると思っていたようだった。

実は、72年8月に初めてサンフランシスコ経由でアトランタに入って以来、何処に行って何に出会っても、全て「初体験」ばかりで戸惑い続けていた。だが、何とかそうであるとは気取られないように懸命に「知ったかぶり」を続けていた。そういう辛かった経験を思い出してみようという趣向である。

飲酒運転じゃないか:
最初にジョージア州アトランタに入って強烈な南部訛りの洗礼を受けてから、オハイオ州デイトンにあったMeadの本社に向かった。そこで、改めてパルプ部のP副社長とSマネージャーに再会して、コネテイカット州グリニッチにあるパルプの本部に、ニューヨーク経由で出かけた。夕食は市内の今でも覚えている“Pen and Pencil“という豪華だったのだろうレストランで取った。

副社長たちはジントニック(gin and tonic)やウオッカマテイーニ(vodka martini)等を楽しんでから、Sマネージャーの運転で隣の州であるコネテイカットに向かい、道中観光案内までして貰えた。だが、アメリカには全く慣れていなかった当方には「これって、飲酒運転じゃん」とハラハラしていた。だが、何事もなく本部の目の前のホテルに到着した。正直言って「怖かった」のだが。

話変わって1975年にウエアーハウザーに移ってシアトル駐在の商社の人たちに「アメリカにおける飲酒運転」について尋ねてみた。実は、私は運転免許を持っていないし、アメリカで運転する訳がないのだから、飽くまでも参考として教えを乞うた次第。「勿論というか原則禁止であるそうだが、余程危険な運転をしていると認められない限り捕まることはない。だが、もしも捕まった場合には非常に重い罰が待っている」という事だったと理解した。

これは上述のように1975年の話であり、その後取り締まりはかなり厳しくなり絶対にやらないことになったと認識している。何れにせよ、我が国におけるのと同様に飲酒運転をしてはならないのである。だが、あの国で我が国のように厳格に取り締まれば、通勤というか交通が成り立たなくなってしまうように感じている。

それと、忘れたならない事は「白人(と言って良いかも)の体内にはアルコールを消化する強力な酵素(?)が東洋人よりも遙かに多く存在するので、酔ってしまうことは滅多にない」点があるようだが、この記述には責任は持てないとお断りしておきたい。

ファーストネームで呼び合う世界:
この「異文化」とでも言いたい習慣があることは充分に弁えて入って行った世界だった。勿論、そのファーストネーム以外にもそれを短縮したと言っても良いと思うネックネームが使われていることも承知していた。即ち、我が国の習慣のように名字に「さん」や「君」を付けるとか、当方の好みではない表現の「後輩」に当たる下級生・目下・同期を「呼び捨て」にすることもまた無いのである。だが、高い地位にある人の中には「フェーストネームベイシス」を許さないこともあるので要注意なのだ。

故に、教えられたことはと言えば「初対面で名刺交換をした際には、その名刺にあるフルネームを音読して間違っていないことを確認して貰うことから入る」だった。次に「貴方様を何と呼べば良いかを尋ねると良い」のだそうだ。即ち「名字にMr.を付けるのか、ファーストネームで宜しいか」というところに入っていくのである。例えば、“How may I call you, Mr. Jobs or Steve?“のような具合に。

ここまで来れば「このようなニックネーム(例えばWilliamはBillになるようなこと)で結構」にまで話が進むと思う。いきなり、馴れ馴れしくファーストネームにしない方が無難であるという事を忘れないようにしたい。

このファーストネームの世界に慣れてきてから痛感したことがあった。それは「敬称を付ける習慣」の国から入ってみると「我が国で感じていたような上下関係の観念が希薄になっていく感があったこと」なのである。例を挙げてみれば「事業部の本部長に向かって“Hello, George. How are you doing, today?“のように声をかけるのは、慣れるまでは何となく怖かった」のだ。「無礼者」とぶっ飛ばされはしないかと。

私だけの感覚というか捉え方かも知れないが、社長までも含めて上司や同僚たちとファーストネームで呼びかけても良いという世界に慣れると、我が国では感じたことがない親近感と馴れ馴れしさが生じてくるのだった。言うなれば「気安く話しかけられる」ようになって、気持ちが非常に楽になるのだった。大袈裟に言えば「上司や仲間と一気に親しくなれる魔法の小槌でも貰えたような不思議な感覚」とでも言えば良いか。

ではあっても、Meadのオウナー兼海外関係担当副社長のNelsonにはついぞ「ネルソン」とは呼ばずにMr. Meadで過ごした。ウエアーハウザーのオウナーファミリー代表にして第8代目のCEO & PresidentのGeorge WeyerhaeuserはMr. Weyerhaeuserと呼ばれることを嫌い、Georgeと呼ばせていた。彼は「堅苦しい儀礼を好まないのだ」と聞かされていた。

だが、1978年に2日ほど止むを得ない事情があって、社長の日本国内の出張の通訳を務めた事があった。その際に「ジョージ。私が今回の出張のお供をする者です」と自己紹介した時には、この「ジョージ」と呼ぶことから入っていった時には緊張は極限に達して、震えていた。この時に実感したことはと言えば、「雲上人」であるジョージに対して何と言って良いか解らない親近感が湧いてきて、非常に気が楽になったのだった。

だからと言うべきか、レーガン大統領が中曽根首相との間で「ロン、ヤス」とファーストネームで呼び合ったことは、マスコミが言うように特別の親しさになってことを表しているのではなく、普通のアメリカの習慣だっただけのことだと思う。他にも、オバマ大統領は寿司屋の前で安倍総理にいきなり「シンゾー」と呼びかけたではないか。私は同盟国の首脳間であれば、最初からファーストネームで呼び合っても、それは特筆大書すべきことでもないのではと思うのだ。


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