新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月29日 その2 カタカナ語排斥論者は言う

2018-09-29 16:42:29 | コラム
テレビ局がカタカナ語の氾濫させている:

私がカタカナ語排斥論者として常に非常に気になっていることがある。それは各テレビ局が率先して奇妙なカタカナ語を使っていることだ。即ち、彼らがカタカナ語及びこれらと日本語を組み合わせた表現を余りにも濫用しているのだ。この傾向を助長している大きな要素に、テレビに登場する無知蒙昧なタレント(これだってカタカナ語だ)のみならず、所謂有識者や専門家と紹介される教養が方々までもが何ら躊躇うことなくこの類いの表現を使っていることがあると思っている。

それを聞かされた罪なき一般大衆というか視聴者は「あのような権威者も使っておらるのだから、我々も真似しても良いだろう」となってしまうので、一層カタカナ語の普及が促進されていると思っている。

しかし、今日のようにカタカナ語の氾濫がここまで来てしまうと、私は彼らの中には衒ってカタカナ語を使って語るのではなく、あの類いの言葉を日本語だと思い込んで使っているタレントや俳優の連中が多いのだと見做す方が正しいではないのかと思うに到った。そうでなければ、彼らは十分に国語の教育を受けていなかった為に、「漢字」とその熟語を使えるだけの国語の知識がないのではと考えても良いのだとすら考えるようになった。

それに加えて、これも私の年来の持論である「言葉は耳から入るものが最も影響力が強く、普及しやすいこと」があるので、テレビが流しているおかしなカタカナ語交じりの日本語が無知蒙昧な輩に強くて悪い影響を与えているのも、これまた事実だと思う。しかも、困ったことに、カタカナ語化された外国語は多くの場合に本来の意味と違っているか誤って解釈されているので、それでなくとも効果が上がっていない我が国の英語教育に好ましからぬ影響すら与えていることもあるだろうと思っている。

そこで、思いつくままにそういう好ましからぬ外来語(英語としても良いだろう)がカタカナ語化された例を挙げていこう。

「~ゲットする」、「~をスタートさせる」、「~をオープンする」、「~のトラブル」、「~をコンパクトに」、「~のインパクトが」:
これらカタ
カナ語混じりの表現はウンザリするほど多用されている。私は順番に本当の日本語に直していけば「~を入手した」、「~を始めた」、「~を開店または開業して」、「~の事故、故障、もめ事、心配、苦労」、「~を圧縮する、凝縮する、固める、簡潔にする」、「~の影響が」とするのが本当の日本語だと考えている。他に私が見る問題点は「ゲットする」などは既に過去のことなので、英語ならば「ガット」であるべきだ。こういう時制を無視している点にカタカナ語の問題点があると指摘しておく。

シーン
これはけっして物音がたたずに「シーンとなった」という日本語ではない。私は長い間この屡々用いられている「シーン」が英語では scene 、即ち、「場面」、「現場」、「場所」、「現実の出来事」だとは気が付かなかった。仮名書きすれば「スイーン」の方が元の英語に近いと思う。

リベンジ:
これは松坂大輔が使い始めたので、何となく格好が良いカタカナ語として普及してしまった。困ったことは、revengeは目的語を伴うべき動詞なので、「誰に仕返しをするのか」を明らかにすべきなのだ。ここまで言えば、「リベンジ」が誤って使われていると解るだろう。私は「報復」ならば retaliation 方が良いと思うが、松坂の語彙はそこまでに入らなかったか。

ベテラン:
スポーツの世界でも何処でも一寸経験がある者は全てこの veteran で括るようだ。この言葉の本来の意味は「古参兵、老練乃至は歴戦の兵士」という意味であるし、アメリカでは「退役軍人」を意味するのだ。私は文語だと思っているし、アメリカ人たちとの会話の中でも何でも使った記憶はない。こう言う場合に「古参の選手、老練乃至は歴戦の選手、練達熟練の選手」と何故言わないのだろうか。矢張り国語教育の至らなさか。

コミュニケーションをとる」:
おかしな表現だ。これは思うに「意思の疎通を図る」と言いたくて使われているのだと思う。だが、私の長年の英語の世界暮らしの経験の範囲内では、そう言いたくて(書く時にも)“communicate”という言葉が使われた記憶も経験もない。Oxfordには“to exchange information, news, etc. with ~”が出てくるが、その通りだろう。語り合うのならば“talk to”もあれば“speak to”もあるし「一寸話をしよう」であれば会話体で、“Let’s sit down to have a chat.”等と言って話しかける。

アップするまたはダウンする:
先ず言っておくべきことは up も down も名詞ではないことだ。これらの後に安易に「する」を付けて「上げる、または上がる」か「下げる、または下がる」と言いたくて使うのは邪道だ。これらの言葉は「前置詞」か「副詞」なのだ。カタカナ語の世界では恰も動詞の如き捉え方をしているのは良くない。英語にはそういう使い方がないと知った上で使え。

故に、「イメージアップ」だの「レベルアップ」などは論外なのだ。広辞苑にも「和製語」とされている。プログレッシブ和英には「イメージアップ」は improve the image と出ている。因みに、「レベルアップ」は例文として raise the level of a soccer team とある。私は「もう一つやな」と思う。

こういうおかしなカタカナ語及びカタカナ語交じりの例は未だ未だいくらでもあるが、この辺りで打ち止めにしてまたの機会に譲りたい。



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