goo blog サービス終了のお知らせ 

新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

英語の教え方・学び方 #3

2020-09-29 09:34:47 | コラム
英語教育では「彼我の文化の違い」を説き聞かせるべきでは:

私が1990年に本社の事業部で副社長に願い出て、本部で工場の幹部も集めて貰って「我が国とアメリカの文化比較論」(題名は“America Insight”で、副題が“The Cultural differences Existing between Japan and the United States of America”だった)の約90分のプリゼンテーションを行った。その時に、導入部は“Reversed culture”、即ち、「逆さの文化」だった。ここから入って行った趣旨は「この程度の違いを知らずして、両国間の違いを語れない」にあった。その時に掲げた項目を幾つか引用してみよう。

因みに、嘗ての本部の営業担当マネージャーで、リタイア後に大学院大学の教授に就任したノースウエスタン大学のMBAの学者肌の人物は「自分の足下が見えていない者には、他国との文化の違いは見えてこない」と喝破していた。

名前:日本式→名字(family name)が先、アメリカ式→名前(first name)が先で、例を挙げればDonald Trumpのようになる。Donaldは名前であり名字ではない。

住所:日本式→広い方から入る、即ち、東京都千代田区有楽町1-1-1、アメリカ式→国名が一番後で、例を挙げれば Seattle, Washington, 98377, USAのようになる。

交通:日本式→左側通行(自動車は右ハンドル)、アメリカ式→右側通行(自動車は左ハンドル)、

語順:日本式→主語―目的語―動詞、アメリカ式→主語ー動詞―目的語(英語では「ヒーロー・インタビュー」のような語順にはならない)

手招:日本式→掌を下にして、アメリカ式→掌を上に向けて、

仕事か家庭か:日本式→仕事、アメリカ式→家庭、(あれから30年を経て、我が国でも変わってきたと言えそうだが)

鋸:日本式→手前に引いて切る、アメリカ式→向こう側に押す、

女性:日本式→???、アメリカ式→Ladies firstだそうだが・・・、

上記以外に未だ未だ多数あるが、これくらいで十分だと思う。私はこれらの相違点の中で未だに我が国の中、特にテレビ等のマスメディアの中で最も混乱しているというのか、相互の違いを把握し切れていないし、混乱しているのが名前の表記であるのが非常に遺憾である。何もアメリカだけではなくヨーロッパでも名前(first name)から先に書くのが普通である。中国でも韓国でも日本式の表示になっている。故に近平主席とは言わないようだし、在寅大統領も聞いたことがない。

このようなことから説き始めて彼我の文化の違いを論じたのだが、私の持論であると同時に永年の主張である点は「このような文化違いを弁えずに、迂闊に外国語で会話や仕事上の交渉などをすると、思わぬところで相互に『無意識の非礼』を犯して、予期せぬ齟齬を来す危険性がある」ということだ。簡単な例を挙げれば、英語の世界では個人的なこと(誤った使い方をされているカタカナ語にすれば「プライベート」)は質問しない不文律のようなものがあると理解して注意してきた。

それは、出会った人に向かって“Where are you going?”(何処に行くのですか)などは言うなれば「余計なお世話」(“None of your business.”とでも言うか)であって失礼なことになる。だが、英会話のテキストなどにはごく当たり前のように出てくる。最悪と教えられていたのが“Are you married?”(結婚していますか)だった。即ち、問いかけた相手が離婚したばかりだったとしたら、かなり非礼になるそうだ。どうしても尋ねたければ“Do you have a family?”(家族をお持ちですか)になるそうだ。

ここに、あの30年前のプリゼンテーション(ジャストシステムではどうしても「プレゼンテーション」とさせたいようだが、英語の発音は「プリーゼンテイション」が最も近い)の全容を再現するのが本稿の主旨ではない。だが、学校教育では何処かの時点で我が国とアメリカやヨーロッパの諸国の間には、文化と思考体系の相違点があることを教えておくべきだと信じている。そこを弁えずして他国を訪れるから、政治・外交・経済の交渉をするのは危険な点があると言うのだ。

そこで、氏名の順序の違いを知らなかった為に起きた悲喜劇の例を挙げておこう。

最早40年ほど昔のことになっただろうか、当時のW社の工場の技術サービスマネージャー(仮にJohn Henryとしておこう)の名詞には当然のことで表面にはJohn Henryとして、裏面には「ジョン ヘンリー」とカタカナ表記して、肩書きを技術サービス部長と表記した。何の問題もあるはずもないごく当たり前の名詞だった。

そして、多くの得意先では「技術サービス部長のヘンリーです」と紹介していたようだった。と言うのは、私が転入する前からヘンリーさんは日本市場の担当だったから。時には "Mr. Henry"と呼びかけられたこともあったようだ。これは我が国の文化に起因する配慮で、外国人の部長さんに対して敬意を表していたのでMr.を付けたのだろう。しかし、ミスター・ヘンリーは「日本のお客様は何時まで経っても、お互いにこれほど打ち解けてきたのに、私を仲間と見なさず他人行儀で敬称を付けてしか呼んでくれない」と心中密かに嘆いていたのだそうだ。

所が、私が担当するようになってからのことで、ある地方の工場を訪問した際に、新任の課長さんが名刺交換の後に裏をマジマジと見て、おもむろに「ジョンさん」と呼びかけのだった。その瞬間にジョンさんの目が輝き、如何にも嬉しそうな表情に変わった。そして技術サービスの巡回訪問が終わった帰りの車の中で「今日の訪問は非常に心地良いものだった。何と言ってもあの新任の課長は私に親近感を見せてファーストネームで呼びかけてくれた。これで長年の苦労が報われて、私の心の中のわだかまりも消えた」と喜色満面で私に語りかけた。

こうここまでで、ヘンリー氏の喜びが「相互に文化の違いを知らなかったことに起因する誤解だった」とお解り願えた方がおられると希望的にも考えている。私には瞬間的にそれが単なる善意のカン違いと認識できていた。私には「恐らく課長さんにとっては初めての外人さんだっただろう。そして名刺の裏のカタカナ書きを見てもどちらが名字か名前か等を考えることもなく、先に書かれているものを名字と考えただけだろう」と分かっていた。だが、折角喜びに浸っているジョンを悲しませることもないだろうと思い、「良かったね」と言うに止めた。

後刻、私はこの課長さんに確認してみると、残念ながら単なる彼の思い違いと言うか、知らなかっただけのことだった。このような文化の違いから来る誤解は、21世紀の今日でも解消されていない様子で「キャロラインさん」という大使や、「マイケルさん」という故人になった有名な歌手や、生存しているオリンピックの優勝者のアフリカ系の走者もいるし、ブランド名にもなっているNBAの歴史的名手もいる。ポール・マッカートニーという歌手は、我が国では何時になっても「ポールさん」だと承知しているのだろうか。

私は何年も「ファーストネームで呼んでいては、何処の誰だか特定しないのだ。名字で言いなさい」と主張し続けてきた。残念ながら一向に結果が出ない。私にはこういう現象が我が国の英語教育の至らなさか、マスメディアの勉強乃至は学力不足かが分からない。もう好い加減に我が国とアメリカ・ヨーロッパの諸国の間には「文化と思考体系の相違がある事」を認識出来ていても良いのではないか。私は先ず英語教育の改革を唱えたいのだが、学び方にも問題なきにしも非ずかとも考えた。だが、ひょっとすると「文化比較論」は社会科の領域かとも考えている。



コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。