新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

分断されたと言われているアメリカの考察

2021-01-23 10:24:23 | コラム
私が実体験してきたアメリカの考察:

導入部:

私は1972年8月から17年間も育てて頂いた日本の会社を離れて、偶然の積み重ねも手伝って、アメリカの会社に転進した。言い換えれば「異文化の世界に17年の我が国の紙パルプ産業界での学習と経験の他に子供の頃から慣れ親しんできた英語の理解力を頼りにして生活の為に移った」のだった。そこで直面した事は同じ「会社」と名乗っていても、アメリかでは全く異質の「会社」だったのであり、それに馴れていくまでは思わぬ苦労と悩みがあったのだった。換言すれば、目に見えない厚くて高い壁を乗り越えない事には、彼らの一員として溶け込めないと知り得たという事。

そして、最初の約2年半、まさか大変な心身の負担となる会社を変わる事など2度とすまい、あり得ないと思っていたにも拘わらずM社を去って転進する事になったW社では、19年弱を過ごす事になってしまった。そして、我が国とアメリカの企業社会の文化がどのように異なるかを纏めて、プリゼンテイションが出来るほど理解できたのは、W社勤務が15年近くなった頃だった。これは、私の理解力不足と違いを認識する能力が乏しかった事もあるかと思うが、如何にしてその異文化の実態を把握して順応するかで、精一杯だったという事でもある。

「幸いにも違いを知る事が出来た」のは、日本の会社時代の経験があったからこそで、アメリカの企業社会の歴史と伝統と習慣と仕来りの違いを何とか探り当てたと言う事。その相違点を纏めて事業部本部で工場の幹部を呼んで貰って「Japan Insight」で副題が「日本とアメリカの企業社会における文化の相違点」としたプリゼンテイションを行ったのは、W社入社後の15年目だった。これは事業部内でも工場でも何度か繰り返して行ったし、ワシントン州内のコミュニティカレッジの生涯学習部長にも聴いて頂く機会もあった。だが、国内ではリタイアするまで公開していなかった。

即ち、本格的に「アメリカ(の企業社会)とは」を20年以上の経験に基づいて分析し、考察して社外で論じ始めたのは、リタイアした後の1995年になってからの事だった。それは在職中からエッセーや業界の論評を書く機会を与えられていた紙パルプ業界専門の出版社・紙業タイムス社の企画で、あらためて定期的な寄稿者の地位を得たからである。

「分断」を考える:
20年を超えたアメリカの会社勤務の間(確認しておくと、私は本社の事業部から日本に派遣された駐在のマネージャーという形だ)には1年の3分の1ほどは本部にいるかアメリカ中を飛び回っていた。その間に一度と言えどもアフリカ系アメリカ人と膝つき合わせて議論するとか、(私はアルコールを受け付けない体質だが)酒酌み交わして語り合った事など無かった。800人ほど勤務していると聞いた本社ビル内には、アフリカ系の社員も何もいなかった。取引先も全て白人の世界だった。寧ろ、アジア人である私の方が異邦人だったすら感じていた。

日本の会社の組織から考えられない事だと思うが、工場は全く別の組織と言って誤りではないと思うほどなので、本部と工場間の人事異動などはなく、工場の要員は地方での採用が普通であって、本社機構の社員とは別個の存在なのである。尤も、工場長や技術や研究部門の長には本部から派遣された言わば幹部候補生が派遣されている例が多い。更に我が国と明らかに異なる文化では「工場の製造現場」を担当する労働組合員は「会社とは別個の組織である各種の職能別労働組合員」で構成されているのだ。

その組合は法律により保護された団体で、組合員たちは年功で上がっていく時間給制度で雇用され、年功序列で上がっていく職位の下に勤務しているのだ。法律的に別個の存在と言ったように、我が国とも比較しようもない違いは「一旦組合員となれば、先ず会社側に移っていく事は(例外を除いて)あり得ない」のである。それでは不公平では言われそうだだが、そんな事はない。時間給は年功で上がっていき、年長者ともなればサラリー制の社員並みかそれ以上のゆとりがある生活が出来るのだ。W社の我が事業部の例を挙げれば、組合員たちの大多数は白人だ。

ここまでで何が言いたかったのかと言えば、同じ白人であっても本社機構に属する支配階級を含む一握りの階層、工場の地方採用であってもサラリー制の社員たち、時間給の職能別労働組合員たちと見事に分断されているのだ。即ち、組合員たちが工場の事務職に異動する事はなく、工場の地方採用の事務職等が本部機構に上がっていくともなく、本部にいる事務職と等の中間層が管理職に昇進する機会などは皆無と言って誤りではあるまい。本部の副社長やマネージャーの肩書き持つ管理職は、ほとんどの場合有名私立大学のMBA等で占められている。

ここまでを見て頂いても見事なまでの「分断」なのである。近頃しきりに言われ始め、バイデン大統領が如何にして分断されたアメリカを“unity”に持っていくかだそうだが、そんな大きな「分断」を言う前に、ビジネスの世界における上記のよう仕分け方を論じる必要がありはしないのだろうか。「分断」は専ら“division”という単語で表現されているが、“segmentation”などという言葉も出ていた。私は「差別」ではないかと思った時もあった。

上記にはアフリカ系アメリカ人を例に挙げたが、ヒズパニックなどは嘗てカリフォルニア州に牛乳パックの工場があった頃に、現地採用のメキシコ人の二世の事務員に会った事があったくらいだ。それでも、我が社のような大手企業の工場の事務職に採用されていれば良い方だと思う。2010年にロアスアンジェルスのKoreatownで食事をした韓国料理店では、メキシコ人が韓国人に雇われて雑役夫になっていた。この現象が俗に言われている韓国人に職を奪われたという形だろう。

ここまでで私が言える事は以下のようになるのだ。アメリカには先ず白人の層があり、アフリカ系がいて、その他に少数民族(minoritiesと複数になっているが)としてアフリカ系、ヒスパニック、アジア系、アラブ系、インド系等々があるのだ。これらの人種による層(私は以前に「塊」としたが)あって、その間にはそれらをつなぎ止めておくようなパイプなどは通っていないのであると思う。「思う」と言う訳は、既に述べたようにアフリカ系アメリカ人とも交流した経験もないし、それ以外とも全く無縁だったので、そう推察する以外にないのだ。

そして、肝腎な事は今や何時少数民族に落ちてしまうかも知れない白人の中にも、動かしようもない分断があるのだ。それらは、私が常に「支配階層」と表現してきた富裕な良家の出身でIvy League等の有名私立大学のMBA乃至はPh.D.等が大手企業内で言わば最上位に位置し、その横か下に中間の補助職や事務職の者たちがいて、更に中小企業に務めて何時かは大手企業に転職しようと狙っている者たちの層があり、その横か下かに(トランプ大統領支持者になっていた)労働者階層があり、私の推定では更に下がってプーアホワイトの層があるとなっている。

念の為に確認しておくと、企業社会ではその各階層から別の層というか、他の層に移る事は滅多に起きる現象ではないようなのだという事。これが分断でなくて何とする。20世紀の終わり頃だったか、州立のオレゴン大学から明治大学の3年に転入してきた白人の学生と語り合った事があった。彼は「不勉強で州立大学にしか入れなかった時に、自分の将来が決まってしまったと、やや絶望した。そこで気を取り直して、日本語を2年間学んで西海岸では盛んである対日輸出企業で伸びる機会をものにしようと考えて、日本の大学への留学を選んだ」と言うのだった。

この考え方には「アメリかでは学費が高い名門私立大学に行けるだけの資産がない胃炎に生まれた時点で勝負あったであり、我が国とは異なって公立大学は格下との評価であり、そこにしか受け入れられなかった時点で将来は暗いことになる」という辺りを説明しているのだ。大手企業は新卒を定期採用などせずに、各事業部が必要に応じて即戦力となる要員を他社や中小企業から引き抜くか面接をして採用する仕掛けだから、州立大学で4年制を出ただけでは先ず立身出世の望は無いとなっているのがアメリカである。これだって立派に分断ではないのかな。

長くなってきたので、ここから先は別の機会にあらためて紹介して論じてみたい。



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