新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月31日 その2 Halloweenは日本の文化だ!

2015-10-31 18:44:32 | コラム
仮装のお祭り騒ぎは何だろう:

以下は昨年の10月29日のブログである。この時まではこのようにあのバカ騒ぎに対して私は否定的だった。一説によれば、今やこの日の空騒ぎで数十億円の経済効果があるという評論家が現れてきた。即ち、その分の消費が進むということらしい。だが、私は「一寸待って欲しい」と言いたいのだ。それは某国の爆買い集団が百貨店の売上高を何%だか押し上げたような外資導入?ではなく、昇給もままならない自国民からの収奪に過ぎないからだ。

そこで私は百歩譲って、我が国の何でも海外から導入した異国の文化を我が国流に消化(昇華?)して本国のそれとは似ても似つかぬ「文化」に仕立ててしまう「バレンタインデー」(=St. Valentine’s day)のような現象だと思えば、仮装集団が渋谷のスクランブル交差点を通行不可能にしてしまうのも「日本文化」だと、大らかに受け止めてやろうかとすら考えるようになった。「好きなようにやってくれ。但し、公共の秩序は守れ」辺りで妥協しておく。

>引用開始

Halloweenって何だ:

仮装のお祭りじゃないと思うのだが:


去る25日(土)に2003年以来11年振りに六本木に出掛けた時の地下鉄の中で、女子高生が制服を着たままで奇妙な化粧をしているのを見かけて「何事か」と奇異に感じたものだった。迂闊にもそれが”Halloween”の仮装の為のものと気付いたのは大分後のことだった。そこで解ってきたことは、我が国でも何の目的があるのか解らないこの仮装が、近年益々流行り始め、ドンキホーテ辺りでもそのためのカボチャや衣装を売っている状態である。

正直なところ、私は1993年末まで20年以上もアメリカに仕事で出張し続けていながら、彼の地でのこの大騒ぎが何であるかを知ろうとも思ったことがなかった。しかし、たった一度10月31日にこの行事に出くわしたことがあった。その日は本社内の至る所であの仮装をした人たちがごく普通に仕事をしているのが、私の目には不思議としか見えない光景に思えて「矢張りアメリカ人はこういう騒ぎが好きなのかな」と感じていた。

その日は事業部本部長の副社長とともに外出の予定があり、駐車場への近道でパーティションで仕切られた迷路のような他の事業部のオフィスを通り抜けていった。そこでは打ち合わせ用の椅子とテーブルで数名のスーツ姿の部員が座っていた。その横を「一寸御免よ」とすり抜けた副社長は、何と”You guys look great in businessman’s costume.”と声をかけ、”Thanks. We tried!.”という具合で受けていたのだった。

副社長のジョークと反応を和訳しても面白くないかも知れない「(今日は仮装の日だ。)君らのビジネスマンの仮装は格好良いぜ」に対して「有難う。何とか受けようとしてみたのだ」という辺りになるだろうか。私はこの辺りがアメリカ人のジョーク好きを表していると思う。

私は我が国でクリスマスを大騒ぎする商業化が全く好みではない。こういうことはこの空騒ぎだけに終わるかと思えば、今度はハロウィーンと来た。言うなれば軽佻浮薄である。そこで私なりにその背景に何があるかを考えてみれば、矢張り商業目的であのお祭りを殊更に採り上げて、あのような衣装やカボチャの”objet”(フランス語らしい)を売ろうという魂胆かなと想像している。

因みに、”Halloween”とはキリスト教に由来するようで”All Saints Day”=「諸聖人の祝日」のことのようだ。これは、この度初めて広辞苑やウイキペデイアで調べてみて知ったことだ。あの仮装をしている人たちはここまで調べているとは思えないが、どうだろう。
>引用終わる

そう言えば、先程成城学園駅から電車に乗ろうとしたら、学齢に達していない女児に精一杯の仮装をさせた若き母親が降りてきた。六本木では数千人の仮装のデモ行進があったと報じられていた。矢張りハロウィーンの仮装は「我が国固有の文化」として成り立っているようだ。



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