新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

久保建英と堂安律の悲しさ

2021-08-02 16:58:07 | コラム
往年の名手・中田英寿の悲劇を想起させられた:

「悲劇」とは大袈裟なも知れないが、折角ニュージーランドをPK戦で退けて準決勝にまで上がっていった、我がU-24代表テイームにおける久保と堂安の組み合わせ(何故か、カタカナ語の「コンビ」の方が据わりが良いのが残念だが)の活躍を見ていて思い出したことがあった。それは、あのニュージーランド戦で彼らが作り上げた絶好の得点機を、点取り役で起用されている者たちが逃していた有様を見て、往年の名手・中田英寿を想起させられたのだった。

中田英寿はあの当時のA代表にあっては図抜けた存在で、彼は縦横無尽にグラウンド(当時はピッチなどとは呼んでいなかった)を駆け巡り、こぼれ球でも何でも拾って攻撃の起点を作り、そこから自分も駆け上がってシュートにまで持っていくか、または自分でドリブルして相手のデイフェンスを切り裂いてシュートを狙う等々、将に一人舞台の感があった。だが、妙な言い方をすれば「衆寡敵せず」で、中々我が代表の勝利には容易に結びつかなかった。

勝てなかった理由は簡単だった。当時の中田が味方のFW陣に供給するパスは彼の技術を反映して非常にスピードが速く、他の連中には上手くトラッピングもストッピングも出来なかったか、あるいは中田の意図を読み切れずに受けるべき場所に入っていなかったという具合だった。あの当時、私はその状況を「中田英寿の悲劇は彼以外の9人(GKは除外してある)が中田英寿ではなかったこと」と形容していた。韮崎高校から突如として現れた中田英寿は、既にして我が国のサッカーの水準を遙かに超えた次元に達していたのだった。

そこで、久保建英と堂安律である。彼らが達している境地が当時の中田英寿よりも上かどうかは別にして、あの2人にオーバーエイジの吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航+GKを11人から引いた5名は、久保・堂安と年長組3名のサッカーの境地には達していないのだ。5名の者たちの他にもヨーロッパに言っている者もいるが、現時点では遺憾ながら技術格差があるのだ。この格差はある程度の期間をこのテイームで練習をすれば有無相通じるようにはなるだろうが、遺憾ながらその辺りに急拵えの言わば寄せ集めテイームの欠陥が出ているのだと思っている。

私は久保、堂安とA代表の若手南野等が、ヨーロッパのプロリーグである程度以上通用している辺りを以下のように見ている。それは、以前に香川真司、本田圭佑、岡崎慎司、内田篤人等を評して言ったことで「彼らが我が国よりも遙かに水準が高いヨーロッパで通用しているにも拘わらず、彼らが我が国の代表としてサッカーをやると一向に冴えないようなのには、簡単な理由がある。それは、彼の地では周りの技術が優れているので、彼らを巧みに活かしてくれているからだ」なのである。即ち、国内に戻れば彼らを活かせる者がいないと言うこと。

現在は久保と堂安はヨーロッパのテイームにいる訳ではないのだから、周囲の者どもが如何にして彼らを活かすかの術を心得ていないという問題があるのだ。年長組の3人は技術的水準は高いのだが、残念ながら久保と堂安の組み立ての意図を読んで得点する係ではないのだ。もしかして、彼ら二人はこの問題に気が付いているかも知れない。

話は少し変わるが、私は以前に「サッカーとはanticipationのゲームである。即ち、次に何が起こるかを読んで、仮令無駄になっても構わないからと、その読み通りに走るか動いておくべし」と湘南中学の頃に教えられたと語った。思うに、久保と堂安に加えるに年長組の5名以外は、未だ「anticipation=次に何が起きるのか」を読み切れる次元に達していないのだろう。私は高い次元のテイームに入って、その中で練習を積めば、コンビを組んでいる者たちの意図は読めるようになると(偉そうに言うと)経験からも信じている。

U-24代表テイームよ、一所懸命にやって、技術が優れた仲間の意図を読むことにも努力して、スペインに勝って、メダル圏内とやらに入っていって見せてくれ。頑張れ、君たちはやれば出来る。


オリンピック零れ話

2021-08-02 08:32:21 | コラム
多種多様な話題を見出している:

代わりに出てきて優勝した:
昨夜は男子100 m走の準決勝まで見ていた。と言うのは、決勝戦まで同じ日にあるとは迂闊にも知らなかったのだ。そこで愚息と見ていて「凄いな」と感じたのが、確かアメリカのギトリンと言う優勝の最有力候補が欠場させられたので確か繰り上げで参加できたと、アナウンサーが説明したイタリアの「ジェイコブス」(Jacobs)が、体格も良く非常に速かったのだった。

そこで、おかしいと感じたのはイタリア人であれば「ヤコブス」のはずだと言うこと。そして、今朝のニュースで知ったのはJacobsが9.80秒だったかの記録で優勝していたことだった。新聞には「ヤコブスが金メダル」となっていた。代走というのも変だが、そういう事もあるものかと、昨夜の印象が正しかったようだったことに、大いに気を良くしていた。

国籍変更:
我が国にもカンボジア国籍に変更してマラソンの代表になった芸人がいた。それと似たような現象が方々にあったようだ。柔道で何処の国の代表かは失念したが、どう見ても中近東の國の姓名としか思えない者が、イスラム教圏内ではない国から出てきていた。その選手が負けた後でアナウンサーがイランでは代表になれないと知って、国替えをしたものと説明していた。我が国のバスケットボール代表にもアメリカから帰化したエドワーズがいるが、昨日のアルゼンチン戦には肩を負傷したとかで欠場していた。

本日、我が代表がアメリカと雌雄を決する準決勝戦を戦う野球では、現在はロッテにいるアメリカ人だと選手名鑑にあるLairdがメキシコ代表で出来ると報じられていた。だが、何か故障があって我が代表に負けた試合にでは出ていなかった。以前にはアフリカのマラソン強豪国から自国での代表を諦めて、中近東に帰化した者が数名いたが、このような帰化人にはどのような条件があるのだろう。

体格論:
ある(アメリカン)フットボールの専門家に言わせると、陸上競技のトラック種目で我が国のと言うか、アジア人がアフリカ、アメリカ、ヨーロッパの人たちと比較して不利な点は、単に足の長さだけの問題ではないという。そこを仔細に分析すると(フットボールの世界では、細部まで見ているようだ)膝から下が我々よりも明らかに長いのだそうだ。その長さが歩幅というか走った場合の一歩に数センチの違いをもたらすので、100 mも走れば優に「コンマ何秒」かの違いになるので、決定的な差が生じるのだという。

その足全体の長さが、サッカーでも大いなる違いを生むのだ。古い話で恐縮だが、私が大学に入った頃に横浜のセント・ジョセフという、言わばインターナショナルスクールの外国人と試合をしたことがあった。ところが、得意のドリブルで抜いたと思うと、長い足が出てきてアッサリとボールを奪われるし、通ったと思うパスも長い足で奪い取られてしまうのだった。その足の長さの差には、我が代表がニュージーランドとフランスとの試合で思い切り悩まされていた。残念な点は「この差は技術では補いきれないこと」にある。

ローマ字読み:
マスメディアは苦労しているなとは解るが、何故勝手に異国の選手たちの名字をローマ字読みして報じるのかと思う。何の種目か忘れたがConnorsという人「コナーズ」としていた。その昔、南青山にパルプ専門のアメリカ人が経営する有名な商社があった。業界では「カーナー商会」として知られていたが、綴りはConnorだった。あれはコナーズさんではないだろう。矢張りアメリカ人で「ドグラス選手」が出てきた。綴りを見ないでも解るDouglasである。困ったことに、我がW社の主力の樹種はDouglas fir(米松)即ち「ダグラスファー」だった。

尤も、Jリーグにいるブラジル人の選手にもDouglasはいるが、カタカナ表記は「ドウグラス」となっている。これは多分ポルトガル語読みなのだろう。

昨日のゴルフにはWorthingtonというゴルファーがいた。アナウンサーは「ウオージントン」と読んでいた。私は「ウワージントン」だろうと思っている。要するに、マスメディアはカタカナ語製造業者と同じ手法で、ローマ字式に依存しているのだろうと思う。それが良いとか悪いとかをここでは論じない。ただ、苦労しているようだと察してる訳だ。事前に取材して「貴殿の名字は何と発音したら良いのですか」とはならないのだろうか。