新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月22日 その2 偶には間延びのした話題を

2020-04-22 15:13:35 | コラム
飛行機は何処から飛んでくるのだろう:

ここ新宿区百人町に住んでいながら殊勝にも外出を自粛していれば、ボンヤリと空を見上げていることもある。そこで気が付いたのが、散々と言うべきか何と言うべきか、物議を醸した羽田空港に着陸する試験飛行を、午後になると連日のように眺めていた時期もあった。私は在職中は何千回か何百回か知らないが、年がら年中飛行機で飛んで歩いていたものだった。だが、ついぞ飛行機から落下物があるなどという怖い話を聞いた覚えがなかった。ではあっても、駐留するアメリカ軍機は落とさない方が良い場所を選んでは何かを落下させては、物議を醸し出していたようだった。

その試験飛行が終わったというニュースを聞いた頃には、我が国も新型コロナウイルスに襲われて、国の内外への旅行も、国外からの4,000万人とやらを目指していた「インバウンド」(この言葉を「来日する観光客」と言いたくて使うのは、言いたくもないが、余りにも無謀だ)が激減したし、国内の旅行も自粛されたので、羽田空港だったかに夥しい数のANAとJALの機材が駐まっている辛い光景がニュースで流されていた。ANAは既に赤字決算の見込みを発表したとかいう状況だ。

そんな事態に立ち至っても飛行機は飛ぶのかと疑っていたが、無聊を託っていた昨日の午後にも空を見上げていたら、2機ほど羽田の方向に飛んでいるのを観測できた。海外から飛んでくるとも思えないし、この期に及んで国内線を利用する重要であり急ぎである仕事で飛んでいく方もおられるのかと思って、偉いものだと敬意を表さねばなるまいかと考えていた。だが、何も航空会社だけのことではなく、我が国(だけではあるまいが)の景気というか経済の状態は非常に深刻な状況に向かっており、とてもリーマンショックどころでは済まないだろうと思っている。

そんなことなどを考えながら空を見上げて、何時になれば新宿区役所(で良いのかな)から10万円給付の申請書が郵送されてくるのかななどと期待している。当方はメインバンク(言うまでもないが「カタカナ語」である)に相談したら「マイナンバーカードなど、お作りになる必要はありません」と勧告されたので、オンラインでの申告は不可能だから、ひたすら紙の申告書が来るのを楽しみに待っている次第だ。


中小企業支援策の難しさ

2020-04-22 08:32:09 | コラム
政府が企画した通りには事が進まない:

貸しビルの所有者は言う:
居酒屋等の小規模の個人営業(と言っても、法人化されているところが多いようだが)の飲食業の経営者が言うには「お客の来店が半減どころか壊滅状態では家賃も払えなくなるので、支払いを繰り延べて貰えれば」と真剣に訴え、政府も対応策を講じるするような報道があった。だが、貸しビルの所有者は「それは成り立たない」と言って抗議していた。理由は明快で「我々は借入金でその建物を建設したのだ。毎月の家賃が入って来なくなれば、倒産の危機に瀕するのは我々の方だ。政府の援助が欲しいのは我々も同じ」と苦境を訴えていたのだった。尤もだと思った。

私にはマスコミの報道の仕方が「政府の自粛の要請により時間を短縮して営業するか、流行り言葉の“苦渋の決断”か“断腸の思い“で閉店した飲食業者に同情が集まるような方向に仕向けているか」の如くに聞こえてならない。まさか、全ての貸しビル業者が金融機関に毎月借り入れた建設費を返済しているとは思えないが、マスコミのこの件の扱い方が飲食業中心に傾いているのではなかったかと思っている。言ってみれば「感情論」に流れているということ。

貸し出す窓口は銀行等の金融機関だ:
この新型コロナウイルスの蔓延によって引き起こされた不況対策として、政府は中小企業に対する無利子無担保の貸し出しを提案していた。この話を聞いた時に、偶々某市中銀行の出身の級友と電話会談することがあったので「何がどう決まろうと、貸し出すのは銀行になるのではないのか。その際に銀行は政府がそう匂わせているように、如何なる経営状態の企業にも貸し出すのか。銀行としての通常の審査をした上では、貸せない場合もあるのでは」と尋ねてみた。答えは「貸せない場合が出てくるのだろう」断定したのだった。

少し時代を戻して何時の頃だったか、1990年代の末期だったか「銀行の貸し渋り」を厳しく批判したり非難されたことがあった。その頃に偶々日本銀行の月報の英語版を読む機会があった。そこには「貸し渋り」が“cautious lending”と表記されていたのを見て「なるほど、上手いことを言うものだ」と感心していた。その直後に、銀行員と結婚していた従姉妹の夫妻と語り合う場があった。夫の方に「貸し渋りを非難する輿論のようなものは不当ではないのか。誤りではないか」と問いかけてみた。

彼は「善くぞ訊いてくれた」というような表情で「銀行は慈善事業ではない。融資の依頼には審査を尽くして、貸出先を選別するのは当然である。日銀が表現したように“cautious”であるのも当然で、非難されるのは心外だ」と、親戚だからこそ率直に語ってくれた。私は言うなれば誰の味方でもないので、銀行側の方針がどうのとか、融資を申し込む方の肩を持とうとか言う考え方は出来ない。ただ何となく「銀行という企業は損な役回りになってしまうのかな」と感じながら聞いていた。目下マイナス金利とやらで苦労しているようだが、この際は余り固いことを言わないでも良くはないかと思ったりもする。

週刊新潮には「精神科医の和田秀樹氏が経営しておられる企業2社が経営不振か赤字なのでこの『無利子・無担保融資』を申し込まれたそうだが、金融機関からは融資を拒否されたと怒っておられる」との記事があった。“cautious”はジーニアス英和辞典には「〈人が〉[物・事について/・・・することに]注意深い、用心深い、慎重である」となっている。銀行以外の事業会社でも、営業担当者は得意先の信用限度の管理には常に十分以上に神経を使って注意深く管理するものだ。