新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

America Insight #2

2019-08-29 15:24:04 | コラム
アメリカの大手メーカーの一員だった者として:

私はこれまでに何度も何度も「元はアメリカの会社の一員だった」との条件の下に「内側から見たアメリカの企業やアメリカ社会」を語って来たと同時に「アメリカの人たちの視点から見た我が国」をも論じてきた。要するに、アメリカ側の視点に立っていることが多いということ。

私は決して自分から望んでアメリカの会社に転進したのではなく、1996年に上梓した「アアメリカ人は英語がうまい」の中でも回顧したように「アメリカの会社に変わりたいとも、変わろうとも、変われるとも」一度も考えたことなどなかった。だが、1969年辺りから私に向かって流れてきた運命と、信じがたいような偶然の積み重ねで1972年8月に新卒から17年間も育てて頂いた日本の会社から、当時アメリカの紙パルプ産業界で第5位辺りにあったMead Corp.に転進することになってしまった。

そして、1975年3月には常に世界最大のInternational Paperと最上位を争っていたWeyerhaeuser Companyに移ることになったのだった。MeadもWeycoも言うなれば「アメリカの支配階層にある会社」で、私は期せずして(と言うか知らずして)そういう世界に入っていったのだった。そこで出会った「知らなかったかった」為に苦労し悩まされたことは数々あったが、それらを一言で表現すれば「我が国とアメリカとの間に厳然として存在する文化と思考体系の違い」の壁となるだろう。考え方次第だが、そこに「歴史」を加えても良いかも知れない。

私の限りある能力と多少は自信があった英語力を以てしても、その高くて厚い壁の内容を詳細に把握し如何にして乗り越えて彼らの一員となれるかには15年近くを要したのだった。その「違い」が解ってから漸く見えてきたことは「我が国とアメリカ相互にその違いを弁えている者は極めて希であり、解っていないが為に数多くの行き違いや誤解や不信感が生じていたという放置しておく訳には行くまい」と痛感した点だった。当時、極端な表現として社内で指摘していたことは「君等は目隠ししてボクシングをして殴り合っているのではないか。もう少し相互に文化(言語・風俗・習慣・思考体系を言う)の違いを認識して日本に向かっていったらどうか」だった。

そこで、相互に理解出来ていなかったが為に生じてきた不信感や行き違いや要らざる対立とか論争を回避した方が賢明だと思って、1990年春頃に私が副社長兼事業本部長に “Japan Insight”と銘打った「日本とアメリカのビジネス社会における文化の違い」のプリゼンテーションを本部でやらせて欲しいと願い出たのだった。大変な切れ者だった副社長はその場で承認してくれたので、数週間後に慎重に準備して約90分の説明会を工場の幹部まで集めて実行した。

当初は「逆さの文化」から入って「新卒を定期採用する国としない国」、「人事制度の違い、即ち事業本部長が持つ権限の幅の広さと深さ」、「教育制度の違い」、「思考体系の相違」、「会社側と労働組合の立場の違い」等々を主体にして語っていこうと思っていた。そこで、慎重を期して事前に原稿を本社から派遣されて日本駐在の経験が3年を超えた木材部門のマネージャーに原案を見て貰った。彼は「概ねこれで良いが、私ならどうしても追加したい項目がある」と言って教えてくれたのが「お客の代弁をする怪しからん日本人社員」だった。

それは日本の会社におられる方には想像出来ないだろうと思わせられたような相違点で私にとっても言わば盲点を突かれたような内容だった。

その内容は、本社から出張してくる多くのマネージャーたちが最も腹立たしいと苛立つのが「日本人の社員は『得意先から我が社の申し出に対して此れ此れ然々の反論があったので本部では再検討願いたい』というような意見を具申してくること。彼らは何処から給与を得ているのかが解っていない」という点なのだった。

これの何処が宜しくないのかと言えば、「これはアメリカでは会社が決定した方針なり何なりを得意先の反論を押しきってでも納得させるかが営業担当者の務めである。お客様の意向を本部に伝えることなどは誰も期待していないし、そうあるべきではないのである」であって、アメリカ人から見れば「君等は何処の会社から給与を貰っているのか」と怒っているのだ。

だが、その駐在のマネージャーは「私が出張者たちに教えていることは『腹立たしいのは解る。だが、何時までも一方的にお客の声を聞くことを拒んでいては、日本市場の実態も特殊性即ち文化の違いが理解できないのだ。我慢して彼らの言うことを聞こうとして見ろ。その先には必ず日本市場の実態が見えてくるようになるから』だった。本社から来る連中も最初は抵抗したが徐々に聞くようになり結果として日本を理解するようになりシェアー拡大に役立つようになった」と教えてくれた。私は即座にこの件をプレゼンテーションの一項目に追加したのは言うまでもないこと。本部での説明会でも素直に受け入れられた。

この相違点を英語で表現すると「会社の意向を伝える」が“representation of the company to the customer”であり「客先の意向を代弁する」は“representation of the customer to the company”だと、そのマネージャーに教えられた。

兎に角、アメリカ側の得意先の話も聞かずに会社の意向を何としても押しつけようとする姿勢は高飛車で傲慢であると思われてしまうだろうが、これがアメリカの会社から月給を貰っている者の務めなのである。押し切るか切らないかの二択なのだ。高飛車でも何でもないのだ。但し「単に本部の意向を伝えに来て承服せよと言うだけでは、担当者は単なるお使い奴に過ぎず当事者能力の欠片もないではないか」という非難の声はイヤと言うほど聞かされた。ここまでは我が国とアメリカの企業社会における文化の相違点の一つに過ぎないのだとご理解願いたい。

私はこのような相互の理解と認識不足の問題点は21世紀の今でも他にも幾らでもありはしないかと密かに危惧している。更に、後難を恐れて言えば「トランプ大統領がお怒りであるアメリカの対日輸出が余り成功していない原因の一つに、前述の「会社の代弁」のし過ぎを含む理解の不足の問題があるのではと考えている。「問答無用でアメリカ製品を受け入れるべし」を我が国が素直に受け入れる態勢は未だ整っていないと思うだが。