新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日米間の経営の相違点

2015-04-12 07:20:02 | コラム
日米で経営がどう違うか:

掲題の件で畏友・尾形美明氏と下記のように興味深い意見交換が出来た。

尾形氏の意見:
GEが大胆な変身を実行しています。14年には営業利益の40%強を占めていた金融事業を16年までに25%まで引下げる方針でしたが、、10日には、更に18年までに10%以下に縮小する目標を発表しました。脱金融を進める一方で、産業分野では「選択と集中」を進め、経営資源を製造分野に集中投資する姿勢を鮮明にしている。

この辺の大胆な方針転換が米国企業の底力だと思います。よく「米国はモノづくりを忘れて、金融業に走っている」などと言いますが、単純には割り切れないところがアメリカです。

米国政府の政策や外交にも見られることですが、時にはおかしいと思われることもありますが、間違っていると気付いたら、大胆に修正するのもアメリカです。結局、世界最高レベルの頭脳が参集し、過去のしがらみに拘ることなく、問題点を分析し、対策を建てるからでしょう。

この点は、辞任を表明したJA全中の万歳章会長には申し分けありませんが、日本では困難なことです。政治と結び、圧力団体と化し、どうしようも無くなるまで改革を拒み続けます。

前田の反応:
上記を読み終わって考えたのですが、在職中に私が唱えていた「アメリカの経営者の判断は我が国から見れば『誠に厳しく、時には冷徹を極め、あるいは果断であり、意表をつくものがある』と見えるが、それは彼等の思考体系が二進法であり二者択一であるに過ぎないのを、我が国の妥協点や落としどころを探り、時には衝突を回避する決断と比較するからである」を思い出しました。彼等は「決めたことを守っているに過ぎないのだ」という意味でもあります。

それは「新工場を作ってRONA(総投下資本利益率)が5年後に15%に達していなければ閉鎖か売却」を条件にして操業開始したとしましょう。それが5年経って14.9%に終われば「残念でした」とあっさり撤退とするのです。これを我が国の視点で見れば「冷酷無残、厳しい、果断、迅速な決断」等に見えるが、彼等はただ単に「決めたことに従っただけ」と言います。

これを得意の「文化の違い」と割り切れば簡単ですが、内側にいて彼等の瞬時に下す勇気あるというか「良くそこまでの思い切りが出来たな」と感心させられた判断の背景には、多くの選択肢からの煮詰めて残ったものを「やるか、やらないか」を決めるだけのように捉えて見ていました。私の経験では副社長兼事業本部長は「これ」と思う案件を持ち出して会議を招集して周囲にいる者の意見を聞くのですが、決意が変わったことはありませんでした。

それでは独断専行ではないかとも思われるでしょうが、それが事業部の最高責任者が持つ(与えられた?)権限であって、それを実行して誤りだったと判明すれば辞めるだけだったでしょう。幸運にも我が上司の決断は全て成功し、我が国での市場占有率第1位の座を占めるに至り、彼の93年の突然の辞任後22年を経た今でも第1位を維持し、小さな規模になってしまったW社全体の中でも利益がが上がる事業となっています。

私は彼等の権限を持った者(VP兼GM)やCEOが決断していく経営方式と、我が国式の衆議一決式の何れが良いかという議論は避けますが、GEの場合と言い我が上司と言い、少数の優秀な者が牽引していくアメリカ式には「板子一枚下は地獄」的な長所と欠点がある気がします。長所は勿論「結論を出すのが素早いこと」ですが・・・・。それに「余程優秀な人材を集めておかないと」が絶対条件。その優秀さの度合いも近頃流行りの芸人風に言えば「半端ない」優秀さです。

尾形氏からの反響:
鋭いご指摘ですね。

・彼らの思考体系は二者択一であり、我が国の妥協や落としどころを探る、或いは、衝突を回避する判断とは異なる
・独断専行的な感じもあるが、それが与えられた権限であり、責任である。それを実行して目標が達せられなかったなら、辞めるだけだ。
・アメリカ方式には、「板子一枚下には地獄」的な長所と欠点があるように思う。

このような思考は、日本では戦国時代の武将しか通用しない思考ですね。信長は、多分、誰にも相談しなかったでしょう。武田信玄や毛利元就なども殆ど同じだったと思います。忍びを使い、情報を集めて、手段を選ばず、敵対する陣営を切り崩し、最後は弱った相手に武力で止めを刺します。

秀吉や家康の時代になると、少し様子が変わって、余り露骨な事は出来なくなったので、周りの意見も聞いたでしょう。天下を治めるには人望や大義名分が必要になったからです。それに、圧倒的な武力や財力が誰の目にも明らかになっていれば、無理をする必要はありません。

話が逸れました。要するに、徳川300年の太平の世を過ごすうちに、日本人の思考は「和」を重んじると言いますか、「白か黒か」をはっきりせずに、何となく合意・納得する方向で、妥協や落としどころを見つけるようになったのだと思います。何しろ、一生、町内から出ないで暮らす人も結構いたのですから。

でも、これからはあらゆるビジネスがグローバル化していますので、そうした日本人の思考も変わらざるを得ないでしょうね。『チャイナハラスメント』(松原邦久、新潮新書)を読んでいますが、中国でのビジネスなども、徹底した「性悪説」で遣らないとカモにされるだけです。中国人を「同じ人間」「分かってくれす筈だ」と思ったら、大間違いです。

前田からの意見:
何となく尾形さんに触発されてしまいました。この件を続けます。

アメリカの経営では「新卒から教育されて一定の年功を重ねて昇進」という形がなく、ある日突然思いがけなく上司が替わります。しかもその上司(マネージャーよりも上のジェネラル・マネジャー=GM)は事業部内で最高の年俸を取っていますから、それに見合うだけ責任も権限も大きくなっています。嘗て最初に転身したM社の日本代表者は「総支配人」という名刺の肩書きでしたが、英語は"General manager"
で、その意味は「ジェネラルにマネージすることで、即全責任を負っていると考えろ」と教えられました。

アメリカの組織に入ってみればGMの権限がどれほど大きく強大かが解ります。私の上司は「命令したことを直ちに実行に移すことを求める」型で、忠実に守らなかった管理部門担当だったマネージャーを2度目には問答無用で解雇しました。

彼は地方の工場のローカル採用の経理係でしたが、余りの才能に惚れ込んだ多くの事業部から勧誘されて本社勤務に上がってきた珍しい例でした。即ち、所謂「ノン・キャリ」でした。それが本社機構の中でトントン拍子で昇進して39歳で本部長になり、42歳でVPになってしまいました。彼は事業部の大改革を企図し工場の抄紙機の大改造を計画したのですが、理工系ではない彼の改造論には工場も本社の専門の技術者も、誰一人反論出来ず、それに従って実施されました。

その理論は皆が「あれほど多忙な彼は何時何処であれだけ勉強したのだろうか」と驚き且つ呆れたほど幅広く深いものでした。改造が終わって出来たマシンは業界の何処にもない最先端を行くもので、今でもそのマシンで造る紙の品質は一流なのです。

彼を礼賛しているのではなく、年功序列のシステムがなく、積み上げた経験が余り物を言わないアメリカの会社組織の長所を申し上げていたのです。だが、彼のような才能の持ち主は彼よりも上位にいた者に疎まれて、50歳になった年に実質的にいびり出されて依願退職となりました。このような能力と個性に満ちあふれた者は短期間に昇進します。一方では「俺は身の丈相応に仕事をさせて貰ってそれなりの給与が貰えれば結構。沢山取って朝は早から出勤し毎日8~9時まで残って仕事をし、土・日を犠牲にするような地位は要らない」という出世を放棄する者もいます。

彼は州立の四大しか出ていないMBAではないという例外的な副社長でしたが、上を狙う者は皆有名私立大学→2~4年の社会人経験→有名ビジネススクールのMBAというコースを経て「キャリヤー組」として中途入社してきます。ひねった言い方をすれば「経験がないから、怖いものがないのか、怖い物見たさでか、思い切った経営方針が打ち出せるのではないか」と感じるほど彼等は大胆です。その大胆さを実行に移せる機会は有名私大のビジネススクールのMBAを取っておかないと巡ってこないとも言えるのでは。

私はこういうアメリカ式と我が国の会社との文化の違いを論じているだけで、何れが優れているかは論じません。


尾形氏からの反響:
この辺の日米企業文化の違いは、外国企業勤務の経験のない日本人には、先ず、理解不能ですね。驚くのは、転勤でもそうです。日本の企業であれば、人事部が一切面倒を見ます。ところが、外人行員の場合、本店に帰るには部門のボスが、「俺のところに来い」、ということが必要なのです。

彼らが、力のあるボスに忠実なのはよく分かります。逆に言えば、ボスがこけると、そのグループがお払い箱、ということになります。でも、企業・銀行としては、新しいボスの下でそのグループが結果を出してくれれば、それでいいのです。

もっと、分かり易い事例では、軍の幹部や司令官の人事です。日本の場合は士官学校や兵学校の卒業年次や成績が考慮されましたが、アメリカの場合は、作戦に失敗すると、罷免されます。また、職業軍人でなくとも、民間出身の専門家は最初から重用されます。こうした点は、アメリカの強さでしょうね。

田からの反応:
私がW社に転身する切っ掛けを作った日本人代表で東京の副社長だったやり手の元商社マンが言いました。「彼等は"result-oriented"で飽くまでも結果を求めてくる。日本は"process-oriented"で、仮に結果が出なくとも「途中まで良くやっていたじゃないか」と評価する優しさがある」と。

言い得て妙ではありませんか。確かに、彼等はごく普通に"Where is your result?"と言います。

尾形氏の纏め:
仰せの通りです。「Where is your result?」ですか、確かに彼らの世界を見事に表わす言葉ですね。だって、ボス自身がresultsを問われているのですから。日本のように「彼は頑張ったが、残念ながら結果が出なかった」などというわけにはゆきません。

世界中からの文化も考え方も違う人々が住むアメリカです。能力第一であり、結果が全てということは仕方がないですね。日本のように、後何十年も同じで会社や地域社会で暮らして行かざるを得ない世界とは違います。