新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月31日の対ウズベキスタンのサッカー

2015-04-01 17:19:07 | コラム
5点も取って勝ったのは良かった:

“He is a little cog of a gear.”(=彼は小さな歯車の小さな一個の歯に過ぎないのだ)これは1973年頃にM社の日本代表者宛に届いた文書にあった私に関する記述を偶然に読んでしまった中にあった一文である。お断りするまでもないだろうが、当時はPC等という文明の利器は普及しておらず、テレックスが一般的だった。

これで何を言いたいのかと思われるだろうが、昨夜の本田圭佑がキャプテンマークを巻きながらハリルホジッチ新監督率いる日本代表ティームで彼が果たしていた役割をそう感じたという点である。あの主役然として香川を「パシリ」の如くに使っていた本田の変身だった。

新監督は熱心にやらない者は仮令メッシでも使わないと明言したと報じられた。昨夜の新顔が多く見られた代表ティームでは全員が早く相手に寄せに行っていたし、懸命に球を追うか無駄と解っていても走り、「今になって遠くからシュートするのならば、何故監督が替われば思い切って蹴れるのか」と問い掛けたいほどロングシュートが増えていた。

こういう形が何時まで続けられるのかは知らないが、国際試合であろうとなかろうと本来はそうするのが普通であって、Jリーグの楽な?雰囲気の中とは異なる気分でやってくれたのは評価して良いだろう。しかしながら、遺憾ながら私の目には未だに前回のW杯に出た連中とJリーグ上がりの新顔との間に未だ「国際試合慣れ」に差があり、新旧交代には未だ時間を要すると思わせてくれた。

昨夜の相手はFIFAの72いだったかで言わば格下。これに5点取ったからと言って手放しで評価は出来ない。だが、そのうちの4点は新顔が懸命に努めて取ったもので、そこは評価してやらねばなるまい。私の目にはウズベキスタンのサッカーはチュニジアよりもキチンとしたフォーメーションを組んで攻め且つ守っていたので、我が国の真面目なサッカーからすれば与しやすかったのだと見えた。即ち、南米や欧州勢の厳しい当たりやオーストラリア的な乱暴さもなかったのだ。

ハリルホジッチ監督は「未だ観察する時期だ」という意味のことを言っておられる。私は尤もだとは思うが、W杯の予選が6月に迫っていては監督自身が「フリーキックやコーナーキックの良い蹴り手がいない」と嘆じていたように、昨夜も不馴れな者たちが好機を逸する球ばかり蹴っていたのが目立った。彼は「遠藤を呼ばないとは言わない」とも言ったとか。

私は昨夜の日テレが使った都並、小倉、城だったかのように、何処かの誰かの意を帯して決して選手たちのミスや問題点を指摘しないような解説は代表に選んで貰った者どもの為にならないと思っている。嘗て辛口のジャズ評論でならした粟村政昭氏は「LPのジャケットの裏面にあるライナーノートを読むと『恰もこの世には名盤以外無きが如き』感がある」と書かれて物議を醸したことがあった。これを想起させてくれる。

それに何に遠慮するのか遙か年下の選手たちに言わば敬称の如き「選手」をつけて呼ぶのも聞き辛い。苟も解説者である以上遠慮は無用だと思う。それとも、そうでもしないと録画を見た後でクレームがつくことを怖れる仲間意識の発露か。私は批判すべき事は真っ向から言わねば、何処をどう直せば良いの気が付かないのではないかと危惧する。監督やコーチでも見落としはあるかも知れないので。