新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

管理基準を何処に置くのか

2014-04-16 10:07:44 | コラム
管理基準の文化の相違が何をもたらすか:

先ほどミズノの管理基準と管理能力を、私にしてはヤンワリと批判した。これらを綜合すれば、「その国の企業社会における文化」の相違の問題であると言えると考えている。その辺りを経験に基づいて採り上げていく。

大雑把なのか立派なのか:
1980年代だったと記憶する。「W社製の紙のある物性値が、余りにもバラツキが激しい」と有力得意先の北欧の日本法人から苦情の申し入れがあって、購買部長さんがワシントン州の工場にまで製造の立ち会いに来られた時のこと。

現場に入られて抄紙機に設置された計測器の数値をその場で打ち出して、我が国で言えば現場の係長が「立派に我々のスペック内に入っている数値だ」と胸を張った。購買部長さんは「その数値の範囲は誰が決めたのか。そしてその範囲を知りたい」と尋ねられた。

係長は「プラス・マイナス5%で、このデータが示すように立派に基準内に収まっている」と答えた。しかし、購買部長さんは驚きで危うく倒れそうになってしまった。というのは「±5%とは、合計で10%ととは日本の感覚では考えられない大雑把な管理基準で、それを需用者側と打ち合わせすることなく設定しているアメリカ式生産者側の乱暴な感覚だ」という批判だった。

ところが、同じ日本の得意先でも製紙会社の紙加工事業部門でブラジルの現場にも出向の経験がある若手エンジニア-は、「それは違う。あれだけの重量がある厚い加工用原紙のあの数値を、W社は立派に我が社の許容範囲に適応するように管理して製造していると考えている。紙加工専業者と我々の間にはそれほどの感覚の相違がある」と、寧ろW社の技術を褒められてしまった。

全てが最終工程の責任になるようにする:
1995年にドイツの著名な印刷機製造会社の工場を、紙以外にも色々な業種の方が集まったツアーで見学したことがあった。その工場では現場で機械を操作している人たちは「マイスター」の資格を持っていると説明された。その動きと作業振りを見た鉄工所の社長さんが「全く無駄がない。流石だ。これだから世界に通じる印刷機が出来るのだろう」と感心された。だが、現職の頃には営業担当だった私にはサッパリ解らなかった。

すると、その日の夕食会で製紙業界の大手の社員でグループ内の印刷会社の経営に携わった方が「実はとんでもないことがある。印刷機のメーカーは印刷会社から苦情が来ないように厳しい管理基準で機械を作っているのは解る。だが、彼等は木材繊維を使って作られている紙の物性値の管理が何処まで出来るのか、どれほどバラツクのかなどには全く考慮しない。そして、何か問題が生じると全て紙が悪いという一方的な結論を導き出す。私はこの会社の印刷機には苦労させられた」と反論した。

鉄工会社の社長さんは「それは我々の立場からすれば当然の自己防衛策だ。鉄工所としては自分たちに責任が来ないよう作ることを考えている。紙の物理的限界などに十分に配慮はしない。製紙業界が我々に合わせてくるのが当然だくらいに考えている」と言ってのけられた。非常に相互にとって考えさせられる内容の討論になったが、各業種が自分たちの都合を優先していることは良く解るだろう。

この場合は最終的に紙が印刷・加工される時点で、それまでに関連してきた業界の自己防衛策が厳しく顕れて「紙に完璧であれ」と要求いてくるものだと解った。しかも、各業種は次の加工ないしは製造段階が如何なる基準で動いているかなどには、ほとんど配慮していないのだとあらためて認識した。

話をミズノに戻せば、夜間に加湿器を止めると如何なる結果を生じるかに対する配慮に欠けた面があるというか、自分たちの管理基準で動いた結果で、マスコミを賑わす問題を提供してしまったのではないかと思う。私は加湿器のタンクに夜間に給水できない理屈が良く解らないのだが。

NPBのミズノ製ボールの問題点

2014-04-16 07:38:45 | コラム
ミズノの管理能力に問題が:

私は再三この件を採り上げるが、ボールの反発係数問題にはさしたる関心がない。昨日、ミズノが記者会見して原因を説明して謝罪していたのを聞いて、まるで一頃のアメリカのような「自らの非を正直に認めようとしない文化と同じだ」と感じた。あの社長の如何にも謝罪しているようで責任逃れをする姿勢に些か疑問を感じた。

何度も言ってきたことだが、アメリカには謝罪の文化はない。最大限の謝り方の"I am sorry."という全面的に責任を負う危険がある表現を使わず、精々"I regret ~."が限度である。これは「かかる事態が発生したことは遺憾である」と言っているだけで、損害の補償にまで責任を持つとまで踏み込んでいない。

関西に本拠を置くミズノもその文化を持っているようだ。「ボールの芯に巻くウールの糸の含有水分が不足したのは、加湿器を一晩中回すとタンクの水が切れるから止めて作業をした」との上海にある工場の代弁のようなことをシレッとして言ってのけた。これは自分たちの現地工場での管理能力不足を問われないように他人のせいにしたと、私には聞こえた。あれで通ると思っているとしたら凄い感覚であると言わざるを得ない。

私は「これでは危ないと解っていただろう」と疑っている。それでも、推定すると彼等は「それを承知で発送していたこと」になる。まさか、現地の工場に反発力を検査する人員なり設備なりがなかったとは思えない。全品とは言わないが抜き取り検査くらいしなかったのか。もしかしてする気がなかったのかと問いたい。

それで、今になって2,300ダースだかの在庫を検査して合格品を使って貰うなどという神経の太さを見せた。私は国産ではなく中国に工場を置いていた感覚の凄さにも感心した。あの場では「既に生産現場では万一の場合の品薄に備え、全力で正規品の生産を開始した」というのが正常の管理能力だと思うのだ。

張本勲は13日のTBSの番組で「世界中で同じ球を使うべくアメリカから持ってきたら」などと言っていた。これは見当違いだが、仕方がない発言だと思う。アメリカが果たして国内生産か何処か外国で作らせているか知る由もないが、彼等の管理能力が我が国は言うに及ばす中国よりも優れているとは到底思えないので、アメリからの輸入は回避する方が無難だ。

何れにせよ、私は「ミズノの管理能力の欠陥は厳しく追及されるべきだし、NPBもコミッショナーの入れ替えだけで事を済ませた経営と管理の能力を反省すべきだ」と思う。要するにミズノという企業の文化の問題だ。